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「競技スポーツ」は子供に「別の教育」をする

特に面白いニュースや書きたい話題も無いので、私が別ブログに書いた記事をここにも載せておく。下の記事を読めば分かるとおり、私は運動神経ゼロであるwww 運動音痴の人間にとって社会人になったり年を取ったりすることの利点は、競技スポーツと無縁の生活になることだwww




学校教育におけるスポーツ(競技)の害悪 2017/02/07 (Tue)

古いJ-CASTニュース記事だが、いろいろと示唆的な内容の記事なので、メモしておく。

才能(遺伝子や生来の身体的条件)と訓練(努力)について、前者が絶対的に必要な分野には何があるのだろうか。スポーツはまずそうだろうが、ある分野のスポーツには不適でも他の分野には向いている、ということはあるだろうし、また誰でも努力しだいではある程度まで行けるスポーツもあるのかもしれない。たとえばカーリングなどに才能が必要だろうか。
音楽は、完全に才能だと思う人が多いだろうがこれも案外そうでもないかもしれない。作曲など、特殊な才能の人間にしかできないと思われているだろうが、クラシックの交響曲ならいざ知らず、メロディを作るだけなら素人でもできる。「結んで開いて」の原曲はたしかルソー(ジャン・ジャック)だったはずだし、チャップリンは自分の映画の主題曲や挿入曲をいくつも作っていて、中には名曲もある。「ライムライト」のテーマなど名曲である。演奏に関しては、努力だけで一応は舞台に立てるレベルにはなれるのがポップスやロックの世界だ。むしろ、歌(声)のほうが、才能の要素が大きいのではないか。魅力がある声(歌声)とそうでない声(歌声)は、単なる美声かどうかでは決まらないし、上手下手だけでも決まらない。
美術も才能の部分が大きいが、努力によってある程度までは行けそうに思う。
つまり、下の記事で為末大が言っているのは正論だが、スポーツの世界の、さらに「だいたいの範囲」に関してだけ言えることだろう。努力の可能性というのは案外大きいのだが、その努力が通用しない、才能が物を言うという特質を持つ「スポーツ」というものが、教育の世界で力を持ち過ぎているところに一番の問題があるような気がする。
何しろ、「足が速い」だけで女の子にもてる、というのが小学校の世界の現実なのだから、小学校で足が遅かった男たちは一生、コンプレックスと自信不足に悩むのは当然である。子供のころのトラウマは一生に影響する。つまり、「努力しても無駄」ということを、スポーツを通じて心に叩き込まれるわけだから、教育におけるスポーツの害悪、ということをもっと論じ考える必要があるように思う。スポーツの害悪など、考えたこともない、という幸せな人間も多いのだろうから。もちろん、スポーツの効用は大きいが、教育面から見るなら、害悪の方が案外大きいのではないか。
「体育」という教科の目的が子供の身体を健全に発達させることなら何も子供に「競技」をさせる必要は無い。子供たちに順位などつけない運動はいくらでもある。
「順位をつけ、個々人の優劣を白日の下に明確にする」というスポーツの本質的な残酷さは、一部の「運動の苦手な子供」を精神的に鍛えるかもしれないが、永続的な自信喪失に陥れることの方が多いと思う。いや、まあ、それで奮起せず、駄目になるような弱虫は死ね、という意見が世間の大多数ならば、それでもいいのだがwww しかし、奮起しても結局無駄、というのは下の記事で為末大氏が明言しているのだからwww


(以下引用)

為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ

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   陸上界で活躍した日本のトップアスリートの為末大さん(35)がツイッターで、「やればできると言うがそれは成功者の言い分であり、例えばアスリートとして成功するためにはアスリート向きの体で生まれたかどうかが99%重要なことだ」と持論を展開した。すると、「身も蓋もない」「道は努力で切り開くもの」などと批判が殺到し「炎上」した。


   為末さんはこの「炎上」を受け「努力だけでオリンピック選手にはなれない」などと2013年10月28日にツイッターで寄せられた批判に応戦した。

アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%

為末大さん(2013年10月撮影)
為末大さん(2013年10月撮影)

   今回の議論の発端となったのは13年10月21日のこんなつぶやきだった。

「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」

   これに対し、ツイッターやネットの掲示板で反論が多数出ることになった。それはこんな具合だ。

「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」
「志そうとする気持ちがないと、才能が合っても開花しないわけだし 努力することが無駄っていうのは言い方としてダメじゃないかな」
「みんなイチローや中田である必要はないし、やる事に意義はある」
「為末さんは、本当の事を言いさえすれば、成功者としての義務を果たせるもんだと思っている」

   批判している人たちの多くは為末さんの意見が「正論」であることは分かっているようなのだが、日本のトップアスリートがそれを言ってしまうのは身も蓋もないことだし、夢も希望もない、現在努力し頑張っている人に失礼だ、ということで怒っているようなのだ。また、「世の中は公平で理不尽ではない」と信じている人もいて、そうした様々な思いが「炎上」につながっている。


   こうした批判に対し為末さんは13年10月28日に「努力で成功できるか」と題したツイートを展開した。


「頑張れ!よりよく頑張ったねもう十分だよ」の方が救われる

   そこにはおおよそこんなことが書かれている。


   成功する可能性があるものを目標に置いた場合は努力すれば叶うかもしれないが、オリンピック選手になるのは難しく、才能と、環境がまず重要で、それが努力よりも先にくる。人生の前半は努力すれば夢は叶うということでいいと思うが、どこかのタイミングで自分を客観視しなければ人生が辛くなる。なぜかというと、努力しても夢が叶わなかった場合は自分の努力不足だと思ってしまうからだ。


   だから、努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていくことになる。


   そして、人間の能力はそれぞれだから一つの事に縛られるなんてもったいない、とした。そして最後に、

「がんばれ、より、よく頑張ったねもう十分だよ、の方が救われるステージがあると思うのです」

と締めくくった。


   この「反論」を受けて、なぜ今回「炎上」状態になってしまったのか理由がわからない、という声も多数ある。一方、為末さんの意見は正論過ぎてつまらないし、努力すればイチローやダルビッシュになれるなどと本気で思っている人は少数であり、そうした中でも夢をうるロマンがアスリートにあってもいいはずだという人もいる。





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