「大摩邇」所載の「ヘネラルうみもと」氏の文章の一部である。
特に内容に感銘を受けての転載ではなく、「思考のきっかけ」としての転載だ。
私自身はヘネラルうみもと氏の文体は嫌いなので(まるでポエムである。名前もなぜgeneralを「ヘネラル」などと屁のような読み方をするのか、分からない。気持ちの悪い語感である。)あまり読まないのだが、ここに書かれた「銀行なんていらない」という大胆な断定は面白い。私も銀行の罪科はあれこれ書いてきたが、さて本気で銀行そのものを否定するとどうなるか、までは深く考えていなかったので、少し考えてみたい。
ついでに言うと、私の「銀行否定論」は、主に銀行の「信用創造」という詐欺的システムへの否定であり、銀行の存在は、強いて言えば「社会の貯金箱」「金の一時的な置き場」としては有用だろう、という考えであった。利子の存在については肯定すべきか否定すべきか、あまり考えてもいなかったわけだ。イスラム教のように利子まで否定するというのも潔いとは思うが、その結果としてどのような不都合が起こるか、深く考えたことはない。
銀行が無いとどうなるか。
第一に、金の無い人間には新事業が起こせなくなる。だが、資本金が無い人間が事業を起こそうと考える方が図々しいのではないか。「俺にはアイデアがある。このアイデアを使えば必ず儲かるから金を貸せ」と親戚知人友人に金をたかって事業を始めた人間が成功した例はほとんど無いだろう。銀行もそういう人間に金を貸すことはしない。もともと土地や持ち家などの担保を持っている人間、あるいは公務員(親兄弟が公務員)など「取りはぐれの無い人間」にしか貸さないのではないか。つまり、この場合、銀行があっても無くても社会的な損害はほとんど無い、となりそうだ。銀行は「(潜在的にでも)金のある人間にしか貸さない」という逆説的存在だとも言える。よく、「雨の日には傘を貸さないが天気の日には傘を押し付ける」と言われている。
第二に「銀行に金を預けることで利子が付き、安全に資産を増やせる」ということが過去にはあったわけだが、今の超低金利、いや、マイナス金利さえある時代では、銀行のこの機能はまったく無いわけだ。むしろ、銀行に預けた金を銀行が何かに投資して失敗し、銀行の破産で預金者が金を失う危険性もある。安全な資産形成という面での銀行機能は完全に消失したようだ。
第三に、「家に現金を置いておくと泥棒に狙われて危険だから、銀行に預ける」ということが、今現在の銀行のほとんど唯一の機能かと思われるが、これも別に銀行が絶対不可欠な理由ではないだろう。重くて泥棒が運べないような金庫を買えばいいだけだ。あるいは家を作る時に、壁に金庫を埋め込めば、もっといい。これからの金持ちは絶対にそうすべきである。金庫を買うカネの無い貧乏人はもともと銀行に預けるカネも無いのと同様だから、これも無視できる。
というわけで、結論としては、銀行は無くてもほとんど誰も困らない、となりそうだ。まあ、外国に旅行する際の「両替商」としての機能だけが銀行の必要性として残るのではないか。(外国との貿易にも必要だろうが、それは「上級国民」だけの問題だろうから、勝手にしてくれ、である。)
銀行の「信用創造」によって社会経済がバブル化し、そのツケが一般庶民に回され、一般国民の貧困化を招いているという「銀行の罪科」に比べれば、銀行の存在価値はほとんど無きに等しい、というのはさすがに言いすぎかもしれないが、少なくとも「バブル経済」「カジノ経済」の主犯が銀行であるのは確かだろう。
結論を言えば、銀行を完全に無くす必要は無いが、その社会的な役割は「両替商」「為替商人」程度に縮小すべきであり、「信用創造」は禁止すべきである(つまり保持する金額以上の貸し出しは禁止する)、となりそうだ。
(以下引用)
現金収入を得るために町へ働きに行くのも自由。
だが、ベーシックの生活には困らない。
これが本当の豊かさである。
銀行なんて要らない。
基本的な食費はタダ。
県単位、まして国単位の税金は微々たるもの、いずれ不要になる。
一通りシェアして余った資産をどうするか?
そんなもの大きなお世話。
溜め込むも良し、使い果たすも良し。
社会システム全体をどうするかなんて後回しで宜しい。
まず手近な豊かさの基準ありきである。
ところがどっこい、日銀がマイナス金利。
詐欺金融システムが提供する豊かさの総本山が自ら存在を否定するなんて、なんて分かりやすい。
根幹に関わる仕組みを日銀総裁の一存で決められるいい加減さは笑うしかない。
(会議らしきモノがあるのは知っているが、全員あっち側の飼い犬なら意味がない)
なんて無責任。
なんて乱暴。
元々銀行なんて要らないです・・・と白状したも同然。
その他大銀行もハァ〜そうでございますか・・・と、文句の一つも言えないとは何と麗しい民主的な仕組みなことか。
そんなら、明日から利息止めますと言ってみろ!
一国が簡単に吹っ飛ぶ利息アリ地獄。
戦争の次に多くの人命を奪い、家族を引き裂き、幼い命をもてあそび、娘が身体を売るハメになる。
みんな利息が払えずに苦渋を舐めた。
あんたら、預金者の権利なんてどうでもいいんじゃないの?
な〜んてね、我々は何も言ってませんよ。
ぜ〜んぶ日銀総裁自ら決めちゃっただけのこと。
何で?
1%に言われたから?
特に内容に感銘を受けての転載ではなく、「思考のきっかけ」としての転載だ。
私自身はヘネラルうみもと氏の文体は嫌いなので(まるでポエムである。名前もなぜgeneralを「ヘネラル」などと屁のような読み方をするのか、分からない。気持ちの悪い語感である。)あまり読まないのだが、ここに書かれた「銀行なんていらない」という大胆な断定は面白い。私も銀行の罪科はあれこれ書いてきたが、さて本気で銀行そのものを否定するとどうなるか、までは深く考えていなかったので、少し考えてみたい。
ついでに言うと、私の「銀行否定論」は、主に銀行の「信用創造」という詐欺的システムへの否定であり、銀行の存在は、強いて言えば「社会の貯金箱」「金の一時的な置き場」としては有用だろう、という考えであった。利子の存在については肯定すべきか否定すべきか、あまり考えてもいなかったわけだ。イスラム教のように利子まで否定するというのも潔いとは思うが、その結果としてどのような不都合が起こるか、深く考えたことはない。
銀行が無いとどうなるか。
第一に、金の無い人間には新事業が起こせなくなる。だが、資本金が無い人間が事業を起こそうと考える方が図々しいのではないか。「俺にはアイデアがある。このアイデアを使えば必ず儲かるから金を貸せ」と親戚知人友人に金をたかって事業を始めた人間が成功した例はほとんど無いだろう。銀行もそういう人間に金を貸すことはしない。もともと土地や持ち家などの担保を持っている人間、あるいは公務員(親兄弟が公務員)など「取りはぐれの無い人間」にしか貸さないのではないか。つまり、この場合、銀行があっても無くても社会的な損害はほとんど無い、となりそうだ。銀行は「(潜在的にでも)金のある人間にしか貸さない」という逆説的存在だとも言える。よく、「雨の日には傘を貸さないが天気の日には傘を押し付ける」と言われている。
第二に「銀行に金を預けることで利子が付き、安全に資産を増やせる」ということが過去にはあったわけだが、今の超低金利、いや、マイナス金利さえある時代では、銀行のこの機能はまったく無いわけだ。むしろ、銀行に預けた金を銀行が何かに投資して失敗し、銀行の破産で預金者が金を失う危険性もある。安全な資産形成という面での銀行機能は完全に消失したようだ。
第三に、「家に現金を置いておくと泥棒に狙われて危険だから、銀行に預ける」ということが、今現在の銀行のほとんど唯一の機能かと思われるが、これも別に銀行が絶対不可欠な理由ではないだろう。重くて泥棒が運べないような金庫を買えばいいだけだ。あるいは家を作る時に、壁に金庫を埋め込めば、もっといい。これからの金持ちは絶対にそうすべきである。金庫を買うカネの無い貧乏人はもともと銀行に預けるカネも無いのと同様だから、これも無視できる。
というわけで、結論としては、銀行は無くてもほとんど誰も困らない、となりそうだ。まあ、外国に旅行する際の「両替商」としての機能だけが銀行の必要性として残るのではないか。(外国との貿易にも必要だろうが、それは「上級国民」だけの問題だろうから、勝手にしてくれ、である。)
銀行の「信用創造」によって社会経済がバブル化し、そのツケが一般庶民に回され、一般国民の貧困化を招いているという「銀行の罪科」に比べれば、銀行の存在価値はほとんど無きに等しい、というのはさすがに言いすぎかもしれないが、少なくとも「バブル経済」「カジノ経済」の主犯が銀行であるのは確かだろう。
結論を言えば、銀行を完全に無くす必要は無いが、その社会的な役割は「両替商」「為替商人」程度に縮小すべきであり、「信用創造」は禁止すべきである(つまり保持する金額以上の貸し出しは禁止する)、となりそうだ。
(以下引用)
現金収入を得るために町へ働きに行くのも自由。
だが、ベーシックの生活には困らない。
これが本当の豊かさである。
銀行なんて要らない。
基本的な食費はタダ。
県単位、まして国単位の税金は微々たるもの、いずれ不要になる。
一通りシェアして余った資産をどうするか?
そんなもの大きなお世話。
溜め込むも良し、使い果たすも良し。
社会システム全体をどうするかなんて後回しで宜しい。
まず手近な豊かさの基準ありきである。
ところがどっこい、日銀がマイナス金利。
詐欺金融システムが提供する豊かさの総本山が自ら存在を否定するなんて、なんて分かりやすい。
根幹に関わる仕組みを日銀総裁の一存で決められるいい加減さは笑うしかない。
(会議らしきモノがあるのは知っているが、全員あっち側の飼い犬なら意味がない)
なんて無責任。
なんて乱暴。
元々銀行なんて要らないです・・・と白状したも同然。
その他大銀行もハァ〜そうでございますか・・・と、文句の一つも言えないとは何と麗しい民主的な仕組みなことか。
そんなら、明日から利息止めますと言ってみろ!
一国が簡単に吹っ飛ぶ利息アリ地獄。
戦争の次に多くの人命を奪い、家族を引き裂き、幼い命をもてあそび、娘が身体を売るハメになる。
みんな利息が払えずに苦渋を舐めた。
あんたら、預金者の権利なんてどうでもいいんじゃないの?
な〜んてね、我々は何も言ってませんよ。
ぜ〜んぶ日銀総裁自ら決めちゃっただけのこと。
何で?
1%に言われたから?
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