仏教徒のようだが、仏教組織には属していないと思われる混沌堂主人氏だから、こうした記事を自分のブログに載せるという勇気ある行為ができるのだろう。
下の事件のような問題はあらゆる組織に生じる問題で、組織は自動的に腐敗する宿命がある、とすら言えそうだ。共産党も自民党も医療界も教育界も宗教界も例外ではない。それを私は「組織悪」と言っている。しかし、大きな運動は組織を作らないと力を持ちえないのである。つまり、これを「宿命」と片付けてはいけないのであり、いかにして組織悪を防止するかというシステムを組織自体が作らないといけない。つまり「自浄システム」の構築だ。
もっと大きな話にすると、社会システムは、そのシステムの中に自浄システムを含まないといけない、ということだ。
資本主義のエネルギー(欲望のエネルギー)は凄いが、それは強者総取り、弱者迫害という帰結を呼ぶ。それを防止するには社会主義的なシステム(具体的には社会福祉制度)を強固にし、守るしかないのである。
新自由主義がはびこる前の日本はその理想状態に近かった。つまり、「世界で唯一成功した社会主義国家」という揶揄は事実そのものだったのである。大企業経営者ですら、その給与は社員のせいぜい数倍、1000万程度だった。今は数十倍、1億を超える経営者や企業幹部がゴロゴロいるし、その反面、社員(被雇用者)は低賃金と物価高騰で苦しんでいる。
つまり、資本主義は社会主義と結婚するしかその悪を防止する方法はない。これが、私が自分のブログでずっと言い続けていることだ。
(以下引用)
下の事件のような問題はあらゆる組織に生じる問題で、組織は自動的に腐敗する宿命がある、とすら言えそうだ。共産党も自民党も医療界も教育界も宗教界も例外ではない。それを私は「組織悪」と言っている。しかし、大きな運動は組織を作らないと力を持ちえないのである。つまり、これを「宿命」と片付けてはいけないのであり、いかにして組織悪を防止するかというシステムを組織自体が作らないといけない。つまり「自浄システム」の構築だ。
もっと大きな話にすると、社会システムは、そのシステムの中に自浄システムを含まないといけない、ということだ。
資本主義のエネルギー(欲望のエネルギー)は凄いが、それは強者総取り、弱者迫害という帰結を呼ぶ。それを防止するには社会主義的なシステム(具体的には社会福祉制度)を強固にし、守るしかないのである。
新自由主義がはびこる前の日本はその理想状態に近かった。つまり、「世界で唯一成功した社会主義国家」という揶揄は事実そのものだったのである。大企業経営者ですら、その給与は社員のせいぜい数倍、1000万程度だった。今は数十倍、1億を超える経営者や企業幹部がゴロゴロいるし、その反面、社員(被雇用者)は低賃金と物価高騰で苦しんでいる。
つまり、資本主義は社会主義と結婚するしかその悪を防止する方法はない。これが、私が自分のブログでずっと言い続けていることだ。
(以下引用)
高僧も集まればただの糞野郎。あるいは、吸血鬼とエリートは太陽光を当てる死にます。
2025 - 01/29 [Wed] - 13:05
弁護士JPニュース より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
仏教界の性加害「告発」宗派内でタブー扱い、関係者ら“沈黙”のワケ 現役僧侶が指摘する「構造的問題」の内情
2024年は僧侶による性加害告発が連続した。1月、天台宗の僧侶から約14年間にわたり監禁・性暴力を受けたとして、50代の尼僧叡敦(えいちょう)さんが告発会見を行った。さらに10月には日蓮系の本門佛立宗の尼僧(40代)も、師匠である僧侶から性器を触られるなどの被害を受けたとして告発会見を開いた。
伝統仏教の信用を失墜させる異例の事態であるにもかかわらず、各仏教宗派、全日本仏教会などの仏教関係団体・関係者は本件にほぼ言及していない。XやYouTube等で精力的に「仏教の布教」を行っているアカウントも、不気味なほどこの事件に触れていない。
叡敦さんの会見後、筆者が「なぜ仏教関係者は言及しないのか」とSNS上に投稿したところ、僧侶たちから寄せられたのは「こちらにも言えない事情がある」といった反応だった。また、筆者自身も寺の出身であることを公表しているが、「これ以上この件をネットで言うな」「実家や父親がどうなってもいいのか」といった“忠告”もさまざまな僧侶から寄せられた。
彼らはなぜ、異例の事態を前に沈黙を貫いているのか。そこには、日本の仏教界が抱える構造的な問題がある。内部から見た事情について、天台宗の関係者が取材に応えてくれた。
僧侶たちが「発言できない」理由
「(叡敦さんの)告発当初、天台宗務庁など上の立場の人たちは、火消しに走りました。しかし世間の声が大きくなったことで対応せざるを得なくなり、宗派内での懲戒事犯の調査や審判が開始されました。もし事件が世間的に大きく注目されなければ、もみ消していたでしょう」(天台宗僧侶・小野さん(仮名・50代)、以下同)
実際に叡敦さんの会見後、この件についてニュースを拡散する僧侶はごくわずかだった。小野さんは、この件が宗派内でタブーとして扱われ、僧侶同士の会話でもまったく話題に上がらない背景には、宗派に対する「忖度」以上に「保身」があるのではと指摘する。
「各宗派には『規定』という法律のような規則があるのですが、上に逆らって事件に言及すれば『教えを乱した』『本来の布教活動と異なることをした』などと、宗規を理由に僧籍をはく奪されてしまうかもしれない。そうなれば、世襲で僧侶になった人にとっては、今まで自分が生きてきた世界からの追放になってしまいます」
さらに小野さんは、僧侶には自身の仕事や生活に関わるさまざまな「しがらみ」があり、それが自由に発言できない足かせになっていると説明する。
「まずは自分の師匠。世襲の場合、親が師匠になります。弟子が何かやらかすと、師匠の出世や評判に関わってくる。弟子本人が直接注意されることは少なく、師匠経由で忠告がいきます。世間が宗派をどう見ているかということよりも、師匠の顔色を伺う僧侶のほうが多いのです」
次に「お寺そのもの」もネックになっているという。
「お寺は住職個人の所有物ではなく、本山から管理を任されて預かっているものです。そのお寺を管理する僧侶が問題を起こせば、お寺を追い出されるか、最悪の場合、僧籍はく奪になります。そしてもっとも大きなしがらみが“親戚関係”です」
寺院の住職同士が親戚関係にあることは珍しくない。そのため、ある寺院(A寺)に問題が発生すると、その親戚関係にある別の寺院(B寺)にも「同じ一族だから信用できない」「〇〇系は問題が多い」といった否定的な見方が広がりやすい。師弟関係ほどの影響力はないものの、親族関係が寺院の評判に影響を与えるのだ。
「自分が何かすれば師匠の立場が危うくなる。親戚関係も責められる。最悪の場合、自分も住職を解任される。叡敦さんの事件に関して、積極的に取材を受けていた僧侶の方がいました。その方は在家(一般家庭)出身で、世襲の私たちほどしがらみはないはずですが、それでも上から相当言われたという噂を聞きました」
筆者のもとに寄せられた「黙っていろ」という忠告も、発言者側はあくまで本気で心配しているのだろう。しかし世間から見れば、それは「脅し」に映ってしまう。
宗教の世界は政治と同じ?
日本の仏教界が抱える構造的問題として小野さんが指摘するのは、世襲が問題視されている政治の世界と権力構造が酷似している点だ。
「宗教の世界でも“偉い”僧侶になれる人は、最初から決まっています。各宗派には『宗議会』という、国会のような仕組みが存在していますが、この宗議会の議員になるには、自分の寺を空けても問題ない人じゃないとダメなんです。つまり、他の僧侶を雇って寺の運営ができる大きなお寺の人たちだけです。小さなお寺の住職は最初から議員になれません」
小野さんは「結局、偉くなるのは一部の権力を持っている人たちだけ。今の仏教界は、まるで現代の貴族みたいなものです」とため息をつく。
「体質を変えようとする人がいても、“うるさいヤツ”と見なされて切り捨てられる。それを繰り返してきた結果、イエスマンばかりが集まって自浄作用がなくなっています」
告発に対し「迷惑だ」の声も…
世間に大きな波紋を広げた叡敦さんの告発も、僧侶たちの反応は驚くほど冷淡だったと小野さんは振り返る。
「そもそも問題だと思っていない僧侶が多いように感じました。もちろん問題視している人もいますが、ただの“男女のもつれ”だと考えている僧侶が多い。平気で『不倫関係だったのがこじれて、仕返しで告発したんだろう』と言う人もいます」
叡敦さんの告発後、彼女のもとには他宗の尼僧からも「宗教離れが進んでいる中で告発するのは迷惑」と批判が寄せられたという。被害者の人権よりも、組織や自身の立場を優先する姿勢が垣間見える。
「『現実でそんなことあるわけがない、嘘だろう』と考える僧侶もいます。信じていないから、問題だとも思っていない。世間が今回の件でお寺や僧侶をどう見ているのか、当事者意識があまりにも欠けています。
『こういうのは静かに待つしかないですね』と言う僧侶もいましたが、世間から見れば『あなたも当事者の一人ですよ』と。実際、檀家さんから叱られて初めて、事件を問題視するようになった人もいました」
天台宗以外の僧侶たちが口を閉ざす背景には、宗派間の「不干渉」の文化も影響している。取材に応じた浄土真宗本願寺派の僧侶・大川さん(仮名・40代)は、こう語る。
「仏教界には“よそのことには口を出せない”という不文律があります。告発が騒がれていた頃、浄土真宗では教えの内容を巡って内紛が起きていました(※『新しい領解文』問題)。自分の宗派の問題で精いっぱいで、他宗派のことはひとごとだと感じている僧侶が多かったと思います」
宗派間の「不干渉」の不文律は、日本の仏教が歩んできた歴史に由来する。宗派同士の争いごとを避けるためのものだが、結果としてそれが「無関心」につながっているのだろう。
審判会開催も“悲観的”な関係者
叡敦さんが加害者とされる住職と、被害を相談したが適切な対応をとならかった宗派の最高位にあたる「大僧正(だいそうじょう)」の2名に対し僧籍はく奪を求めた申し立てが天台宗に受理されてから約1年が経過した。
天台宗務庁は11月、住職らへの聞き取りの結果、「懲戒審理が相当」と判断し、重大な事案を扱う「審理局」に審理を請求したと発表。今月24日、第一次審判所第1回審判会が天台宗務庁にて行われた。
これに先立ち叡敦さんは代理人弁護士を通じて審理局に審判公開請求を提出したが、「非公開」の返事を受け取ったと、宗教専門紙『週刊仏教タイムス』が報じている。
実質的に、宗派内のトップである天台座主(てんだいざず)よりも権力を持っているとされる大僧正への懲戒が行われれば前代未聞となる。
しかし、小野さんは「宗派内の僧侶はみんな口をそろえて言っていますよ。『誰が大僧正を処分できるんだ?』って……」と悲観的だ。
「自己改革に望みが持てない状況なので、檀家さんたちにもっと怒ってほしいです。沈黙していたら、『それでいい』と思われてしまいます。もっと厳しい目で仏教界を見つめ、声をあげてほしいです」
「告発が出てもおかしくない」環境の見直しを
この件については「もし冤罪だったらと思うと怖くて声を上げられない関係者も多いのではないか」という意見も寄せられた。確かに、事件の真偽については、われわれが真実を判断してよいものでもない。しかし重要なのは、「告発が出てもおかしくない」閉鎖的かつ権力が一部に集中する体質が仏教界に存在するという事実であり、この点こそ真剣に議論されるべきだろう。
伝統宗教離れが続く中で、僧侶自身が組織の在り方について活発に意見を出し合える環境でなければ、根本的な改善は見込めない。
仏教に詳しくない一般の人々にとって、一連の性加害告発は「特定の宗派で起きたこと」ではなく、「お寺で起きたこと」として受け止められている。どの宗派にも共通する課題であるからこそ、宗派の垣根を越えて声を上げることが求められている。
仏教界の中で生きていかなければならない人間のひとりとして、自浄作用が働く環境になることを切に願う。
PR