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日本という「柔らかなファシズム」社会



私の記憶では、誰かの言葉に「一人在る時、人は高貴である。衆と共に在る時、人は動物である」というような言葉があったと思うが、集団的行動は集団的思考に基づくものだ。集団的思考は当然、集団の平均値となり、その中で声の大きい人間に支配されることになる。集団としての人間がしばしば動物的であることは確かだろう。一致団結し、リーダーの統制に従順に従う集団? それは羊の群れだろう。
アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」の一節に、「日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。(中略)もし両刀階級(夢人注:武士のことだろう。)の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう」(岩波文庫下巻P141)とある。
日本人とは家畜民族であるようだが、それが日本社会の驚くべき規律と安全性をも作っている。だが、その秩序とは見えないファシズム、柔らかなファシズムではないだろうか。羊たちははたして自分たちの意思で牧羊犬を選んでいるのだろうか。



(以下引用)



小田嶋隆 @tako_ashi  ·  8時間前

好き嫌いは、個人の感情である限りにおいて、さして有害なものではありませんが、集団を束ねる原理として使われると、にわかに物騒なものになりますね。対象がなんであれ。

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