私はテレビの芸能番組やバラエティ番組はまったく見ないので、マツコ・デラックスの実物は見たことがないが、ネットなどで知るかぎりの彼女(実は、「彼」らしいが)の発言には共感することが多い。辛辣だが、きちんと「叩くべき相手」を叩いていると思う。弱者叩きや権力擦り寄りは無いように見える。まあ、芸能人である以上限界はあるし、ただのポーズという部分もあるかもしれないが、「良き偽善は悪しき正直さに勝る」と私は思っている。「偽善」の「偽」を分解すれば「人為」であり、人為的に善を為すことを咎めるのは幼稚な思想だろう。(それが「性善説」である。私は、人間は教育によって善を身につける、という「性悪説」を支持する。)
話が脱線したが、学校教育における「理不尽」というものを絶対的に痛感するのが体育の授業だろう。そこで身体的(運動能力的)劣等者はさらしものにされ、笑いものにされることは別にしても、なぜ「持久走」という「児童虐待」行為が当然のごとく行われているのか、疑問に思ってもいいのではないか。
まあ、スポーツのほとんどは運動の苦手な子供には虐待行為だと私は思っているが、なぜかそれを言う人はほとんどいない。そもそも、毎日走っている運動部の生徒と、生まれてほとんど走る経験の無い生徒を同じ土俵(これは慣用句であり、本当はグラウンドや路上だが)で走らせるということが理不尽でなくて何だろうか。その結果、ヒーローと負け犬が見事にさらされることになる。それ以前に、持久走など、肉体的に苦痛そのものではないか。だから、「罰としてグラウンド10周」などということもよくある。その「罰」が、なぜ授業として認められているのか。
まあ、半分は冗談だが、半分は本気だ。
すべての生徒は、持久走にも、あるいは体育の授業内容の多くに対してでも、「拒否権」を持つべきだ、と私は思う。
体育など、生徒各自がグラウンドで好きなように体を動かせば、それでいいのである。教師や指導者が何かの「形」を強制しはじめると、それは多くの生徒にとっては耐えがたい苦痛になり、ほとんど虐待になることが多い。(なお、「苦痛に耐える精神力を養うことが大事だ」という意見が当然出てくるだろうが、運動部出身者の大半は「精神力」で上長の奴隷待遇に耐えるだけの脳筋人間になることも付け加えておく。)
(以下引用)
27日放送の「マツコ会議」(日本テレビ系)で、マツコ・デラックスが体育の授業で行なう持久走について「何のためにあるんだろう」とその存在意義を疑問視した。
番組では今回、女子に大人気という農業高校の実態を調査するため、世田谷区にある都立園芸高校から中継をつなぎ、スタジオのマツコが確認していった。
中継では、次の授業の準備をしている女子生徒に何の授業の準備をしているか質問する場面があり、その女子生徒は「持久走です」と答えた。
するとマツコは「わー、やだねー! なんのためにあんだろうな、あれ!」と早速嫌悪感を露わにし、「まーだやってるのか!この2016年にもなって!やめろやめろ!持久走はもう!!」と声を荒げた。
さらに詳しく話を聞くと、6キロも走らなければならないことが判明し、マツコは「うーわー、やだー!」と心底嫌そうな顔をしていた。マツコは「やっぱあれかな、足腰鍛えなきゃいけないってのがあるのかしらね?」と農業高校ならではの理由を推測していた。
その後、マツコは別のクラスの女子生徒に「さっき行ったクラスはね、これから持久走で6キロ走らなきゃいけないっていうから、それもうマラソン大会じゃないかっていう」と話した。するとこの女子生徒から、実はこの学校の3学期の体育はすべて持久走だとの事実を知らされた。
マツコは驚き、「えー! 毎回持久走なの!?」と聞き返し、「『3学期全部持久走はないんじゃないの? キャンペーン』をやりましょう」と女子生徒たちに提案したのだった。
話が脱線したが、学校教育における「理不尽」というものを絶対的に痛感するのが体育の授業だろう。そこで身体的(運動能力的)劣等者はさらしものにされ、笑いものにされることは別にしても、なぜ「持久走」という「児童虐待」行為が当然のごとく行われているのか、疑問に思ってもいいのではないか。
まあ、スポーツのほとんどは運動の苦手な子供には虐待行為だと私は思っているが、なぜかそれを言う人はほとんどいない。そもそも、毎日走っている運動部の生徒と、生まれてほとんど走る経験の無い生徒を同じ土俵(これは慣用句であり、本当はグラウンドや路上だが)で走らせるということが理不尽でなくて何だろうか。その結果、ヒーローと負け犬が見事にさらされることになる。それ以前に、持久走など、肉体的に苦痛そのものではないか。だから、「罰としてグラウンド10周」などということもよくある。その「罰」が、なぜ授業として認められているのか。
まあ、半分は冗談だが、半分は本気だ。
すべての生徒は、持久走にも、あるいは体育の授業内容の多くに対してでも、「拒否権」を持つべきだ、と私は思う。
体育など、生徒各自がグラウンドで好きなように体を動かせば、それでいいのである。教師や指導者が何かの「形」を強制しはじめると、それは多くの生徒にとっては耐えがたい苦痛になり、ほとんど虐待になることが多い。(なお、「苦痛に耐える精神力を養うことが大事だ」という意見が当然出てくるだろうが、運動部出身者の大半は「精神力」で上長の奴隷待遇に耐えるだけの脳筋人間になることも付け加えておく。)
(以下引用)
マツコ・デラックス 体育の持久走に嫌悪感「何のためにあるんだろう」
27日放送の「マツコ会議」(日本テレビ系)で、マツコ・デラックスが体育の授業で行なう持久走について「何のためにあるんだろう」とその存在意義を疑問視した。
番組では今回、女子に大人気という農業高校の実態を調査するため、世田谷区にある都立園芸高校から中継をつなぎ、スタジオのマツコが確認していった。
中継では、次の授業の準備をしている女子生徒に何の授業の準備をしているか質問する場面があり、その女子生徒は「持久走です」と答えた。
するとマツコは「わー、やだねー! なんのためにあんだろうな、あれ!」と早速嫌悪感を露わにし、「まーだやってるのか!この2016年にもなって!やめろやめろ!持久走はもう!!」と声を荒げた。
さらに詳しく話を聞くと、6キロも走らなければならないことが判明し、マツコは「うーわー、やだー!」と心底嫌そうな顔をしていた。マツコは「やっぱあれかな、足腰鍛えなきゃいけないってのがあるのかしらね?」と農業高校ならではの理由を推測していた。
その後、マツコは別のクラスの女子生徒に「さっき行ったクラスはね、これから持久走で6キロ走らなきゃいけないっていうから、それもうマラソン大会じゃないかっていう」と話した。するとこの女子生徒から、実はこの学校の3学期の体育はすべて持久走だとの事実を知らされた。
マツコは驚き、「えー! 毎回持久走なの!?」と聞き返し、「『3学期全部持久走はないんじゃないの? キャンペーン』をやりましょう」と女子生徒たちに提案したのだった。
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