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「シャルリー・エブド」の再度の愚行

「ハフィントンポスト」から転載。
フランス人には機知(エスプリ)はあってもユーモアは無い、というのが私の意見である。そのエスプリも、たいていは他人を見下し、皮肉を言う、冷笑的なものだ。ユーモアは自分自身も愚かな人間の一員であることを認めつつ、その愚かさや硬直した精神を笑うものだ。それはイギリス人好みのブラックユーモアですら例外ではない。
さて、下のシャルリー・エブドの風刺画を見て、クスリとでも笑えるだろうか。いや、人道的な意味で言うのではない。単純に、面白いかどうかを言っているのだ。
特に、キリストと溺死した幼児を並べた画は、これこそキリスト教徒にとって恥辱ではないだろうか。これがキリスト教の精神であるならば、キリスト教とはファナテイズム、狂信以外の何物でもない。
私がもしもイスラム教徒であるならば、この風刺画に怒り狂うだろう。シャルリー・エブドがこの風刺画を掲載したのは、わざとイスラム教に喧嘩を売っているとしか思えない行為である。



(以下引用)


シャルリー・エブドがシリア難民の溺死幼児の風刺画 表現の自由の議論再燃

投稿日: 更新:
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※ 閲覧注意:この記事は遺体の写真を含みます。


フランスの風刺雑誌シャルリー・エブドが最新号で難民と移民の危機的問題について議論の種をまいたと、伝えられた。


雑誌に掲載され、ソーシャルメディアで広がった風刺画には、溺死したシリア人の幼児アイラン・クルディ君が砂浜にうつ伏せで横たわり、その上に「すぐそこが目的地だった…」との文字が描かれている。


背景にあるマクドナルド風の広告看板上のメッセージは、「1人分の値段で子供メニューが2人前」と記している。


charlie hebdo


3歳のアイラン君は、トルコからギリシャに移動中にボートが転覆、兄や母親と一緒に溺れた。


家族は、過激派組織IS(イスラム国)が彼らの故郷コバネの街に進軍したのを受け、逃亡中だった。


syria
アイラン・クルディ君の遺体を運ぶトルコ憲兵


aylan and galip kurdi


アイラン君 (左) と、 同じく溺死した兄のガリプ君


同誌同号に掲載された別の風刺画は、「ヨーロッパがキリスト教の国である証拠」と題され、海面に立つイエス・キリストらしき人物が描かれ、恐らくアイラン君のものであろう子供の両足が海面から出ている。


その風刺画は「キリスト教徒は水の上を歩ける…イスラム教徒の子供は沈む」と書いている。


charlie hebdo


それら風刺画には、様々な反応があった。


トルコのデイリー・サバ紙は、その絵が溺死した幼児を嘲笑したものだと主張した。


モロッコのワールドニュースも同調し、その出版を「表現の自由を盾に取ること」として非難した。


インドのオンライン・メディア「スクープ・ウープ」は次のように書いた。 「これは、私たちが認識し、今年初めに連帯したシャルリー・エブドではない。 Je ne suis pas Charlie (私はシャルリーではない)」。


非白人の弁護士らでつくる「黒い法律家協会」の代表で前ロンドン警視庁副長官のピーター・ハーバート弁護士は 「シャルリー・エブドは生粋の人種差別主義者で外国人恐怖症で、イデオロギー的に破綻した出版社であり、フランスのモラルの腐敗を表している」とツイートした。


「黒い法律家協会は、これをヘイトクライム(憎悪犯罪)や迫害の誘因として国際刑事裁判所に上申することを検討しています」。



同誌のFacebookページには抗議が寄せられ、Twitter利用者らがその風刺画を批判し、それらを「無意味な」「不快な」ものであると記した。


アイラン君に関して、シャルリー・エブドは予想通り無意味だ
(下)世界的な新聞各紙がアイラン・クルディ君の死を悼む一方、難民の危機的問題の象徴となったこのシリアの幼児を、シャルリー・エブドは風刺画中の幼児として取り上げ、彼の死を嘲笑の対象とした。 シャルリー・エブドがシリアの少年アイラン・クルディ君の死を嘲笑したのを聞くのは2回目だ。この作者は間違いなくけんか腰で、権力者に狙いを向けている シャルリー・エブドは、溺死したアイラン・クルディ君を風刺文学の名の下に嘲笑した。
これが表現の自由を表すものであり、 人間がすることなのか?
シャルリー・エブドはまた評価を下げた。恥を知れ。シャルリー・エブドがシリア人の子供アイラン君の死を嘲笑した…JeSuisCharlie(私はシャルリー)と誰が言い続けるだろうか?????

だが、一部のコメンテーターは、その風刺画は亡くなった子供を嘲笑しているのではなく、それを防ぐための策を十分に講じないヨーロッパを嘲笑するのにこの悲劇を用いているのだ、語っている。


シャルリー・エブドの風刺画はアイラン・クルディ君を嘲笑しているのではなく、ヨーロッパの無神経さを嘲笑するために彼の死を使っている シャルリー・エブドのクルディ君の風刺画が、亡くなったその子を嘲笑しているとは思わない。彼らは絶妙に、皮肉を際立たせているのだ。 これらの風刺画を見て、アイラン君が笑い物だと言う人はおかしい。間違いない。 私は完全に間違っているかもしれないが、これらの画像をその態度に対する痛烈な批判として理解している。

1月に1人の銃を持った男が事務所を襲い、シャルリー・エブドの中心的な人物を殺害した。パリ周辺を3日間にわたって血に染め、17人が犠牲になった。


そのテロ攻撃は、保安隊がシャルリー・エブドを襲った銃を持った男らを殺害して収束した。男らはシェリフ・クアシ、サイド・クアシ兄弟と、その仲間のアメディ・クリバリで、女性警察官1人を殺害し、その後、食料品で4人の人質を殺害した。


この殺害行為の後、「私はシャルリー (Je Suis Charlie)」のスローガンが、表現の自由や出版の自由を支持する人々により共有され、同誌の支持を示すものとして世界中に広がった。


この週刊誌は2011年、イスラム教の最も神聖な人物を粗野な風刺画で描いたことにより、イスラム世界が憤慨し、その事務所が火炎瓶で攻撃されたことがある。


その1年後、同誌はある反イスラム映画に関する騒動の最中に、(預言者)ムハンマドの風刺画を発表した。その風刺画でムハンマドは裸で、品位を傷つけるような、ポルノのようなポーズで描かれていた。騒動が大きくなり、フランス政府は緊張を招いたとしてシャルリー・エブドを非難したのだが、一方で表現の自由は擁護した。


この記事はハフポストUK版に掲載されたものを翻訳しました。



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