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日本の国土という人類の至宝

「谷間の百合」さんの12日の記事、「国民こそ国の資源では?」の全文である。
私はこの日本という国が好きなのだが、その理由の1,2番目に来るのが、日本の自然である。この国の春も夏も秋も冬もすべていい。そして、その自然から生まれた日本人の芸術的感覚の鋭さ、文化的伝統と創造力が大好きだ。
特に観光地に行かなくても、自分の家の周辺を見るだけで、美しい花や紅葉が見られ、美しい空や雲が見られる。これほどの贅沢は無い。もちろん、他国にはその国なりの自然の美しさがあるだろうが、日本の自然は日本だけにある貴重な、そして世界的に希少な財産であることは確かだろう。
話が逸れるが、「赤毛のアン」が特に日本であれほど愛された理由の一つは、その中に描かれた自然描写の美しさが、日本人には特によく理解されたからではないか、というのが私の仮説である。
ふつうの欧米人の感覚では、自然とは野蛮・未開のことであり、「征服すべき対象」なのだから。そして、自然を破壊し、経済効用の高いものに置き換えていくことを彼ら(と、その使用人の現地官僚組織)は「グローバリズム」と称している。それは私(だけではなく、自然を愛する人間、おそらく多くの日本人はそうだろう)から見れば、野蛮そのものの思想なのである。



(以下引用)一番最後のスナップ写真、二本の樹の深緑と黄色のコントラストが美しい。


それがあたかも道理か事実であるかのように頻繁につかわれる「常套句」があります。

たとえば、「日本は資源のない国」「国際化」「日米同盟は日本外交の基軸」などなどです。

わたしは、多分この5年くらいの間に、それらがすべて政治的なキャッチコピー(プロパガンダ)だということに気が付いてきていました。


鹿児島の伊藤知事は(いまどき珍しい時代劇の悪代官を地で行くような人物)川内原発の再稼働を「やむを得ない」ことだと言いました。

なにがやむを得ないかといえば、いうまでもなく、日本は資源がないということなのですが、それをさも正当で立派な理由であるかのように、だれもそれに文句はないだろうという感じで言っていることにわたしは違和感をおぼえるのです。

わたしはもうそういう言葉を聞き飽きましたし、それが正当な理由にもならないことに気が付くべきだと思いました。






資源とは何ですか。

日本でいわれている「資源」はイコール「石油」を指します。(その他レアメタルなど)

石油がないだけで、日本は資源小国になるのだそうです。


レアメタルの鉱脈が発見されたというアフガニスタンや石油の埋蔵量を誇る国々の地は、ほとんどが砂漠や荒涼とした岩山です。

それに引き替え、日本には有り余る緑ときれいな水があります。

まさに、「緑の日本列島」です。

これこそが人間が生きていく上での絶対不可欠な資源なのです。






人口減は止まらないのでしょうが、人間あっての資源であると共に、人間そのものが資源なのです。(人的資源)

それなのに、政治家や企業家はなんとその資源(宝)である国民を粗末に扱い苦しめていることでしょう。

子どもは国の宝だと言いながら、少子化を促進するような政策ばかり採っています。

国の宝である国民をすべて奴隷労働者にしようとしています。

そうしておいて「日本には資源がない」と言う為政者に、わたしは怒り以上の感情を持つのです。


きれいで豊かな水があるということは、喜びと幸せの源泉です。

(もちろん、それが時に洪水となって人に仇をなすのですが)






「封印された技術」といわれてきた水で走る車の実用化ももうすぐだそうです。

人間ではなく、お金がもっとも価値あるものとして尊重されてきた歴史が終わるのもそう遠くはないのでしょうか。

石油を軸に動いてきた国際環境や政治も終焉のときを迎えるのでしょうか。

人間や生きものが尊重されない世界は「死の世界」です。

そういう世界がどれほど人類を苦しめてきたことでしょう。

想像を絶します。

わたしは、人間の感性や理性や知性、そこから溢れ出てくる知恵や想像力こそが人類の資源なのではないかと思っています。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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