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「我々は他人の不幸に平然と耐えられるほど勇敢だ」

「神州の泉」記事全文を転載。ただし、趣旨に同意してのものではない。
私にはむしろ、マサダ砦で全滅したユダヤの民が、太平洋戦争で悲惨な運命に追いやられた日本国民の姿に重なって見える。そして、生きるために食物に群がる人々を叱責した「武家の女性」の姿が、日本を亡国に導いたA級戦犯たち(今日の「徽宗皇帝のブログ」参照)の姿と重なって見える。
自分自身が、自分自身の主義主張のために死ぬのは結構な話だ。だが、自分の信条のために他人を死に追いやる人間というものほど悪質な存在は無い。また、そういう人間に踊らされてご立派な愛国心とやらを周囲に強制し、自らも先頭切って討ち死にするような「勇者」もはた迷惑な存在だとしか私は思わない。要するに、戦争を正当化する言説はすべて戦争から利益を得る人間に踊らされているだけだ、としか私は思わないのである。
国家や民族や愛国心という抽象物のために死ぬ大人はただの狂信者や、強者(国の上層部)に抵抗する勇気が無かっただけの卑怯者だから勝手に死ねばいいとしても、戦争でいわれなく死ぬ乳幼児や子供たちが存在することを正当化するどのような言説がありうるだろうか。


(以下引用)

2014年9月18日 (木)

惰弱なる日本に残された時間はあとどれくらいあるのか



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自分も含めて、日本人は全体的にわずか数年前の過去のことをすぐに忘れてしまうのだろうか。これに比べてユダヤ人は数千年も前のことを忘れずに子々孫々に言い伝えている。例えば“マサダ”である。マサダとはヘブライ語の要塞という意味で、イスラエルの東部にある歴史的な遺跡である。そこは自然に切り立った崖からできている峻険な岩の砦である。


西暦66年にユダヤとローマ帝国との戦いが始まり西暦70年にエルサレムは陥落した。避難民の兵士と女子供を含む967名はマサダに籠城した。マサダは峻厳な自然要塞であっためにローマ軍は攻めあぐねていたが、大勢の捕虜と奴隷の人海作戦で崖を埋め、突破口を築いたという。西暦73年、ようやく避難民の陣地に突入したローマ軍は、戦う相手が一人もいないことをすぐに悟った。967名の内、女性2名と子供5人を除いて960人全員が集団自決していたのである。


約2000年前のこの遠いできごとをユダヤ人は昨日のことのように決して忘れないという。ところが日本人はどうだろうか。わずか70年前の集団自決、玉砕死、特攻死について、ほとんど何も記念しないし何も決意しない。それどころか大勢の人がまるで唾棄すべきできごとであるかのように、そのことを記憶から消し去ろうとしている。


同じ血が流れていた直近の先祖たちを、まるでエイリアンか何かのように異邦人扱いして恥じない。このような忘恩の徒に変節しているからこそ、日本は貪り尽くすアメリカに心まで牛耳られ、亡国のとば口に立たされているのだ。


マサダの自決例と、今村仁(いまむら ひとし)起草の戦陣訓にある「生きて俘囚の辱めを受けず」が同質のものかどうか、浅見にして判断できないのだが、少なくとも平安時代から武士階級には戦時における心構えがあったのであり、それは江戸時代の常朝の「葉隠」などにもあったものだ。人間だれしも死ぬことは恐怖であり、第一に避けるべきは自死である。


しかし、場合によっては死ぬことが不可避のことや、死ぬよりも耐え難いことがあるのも事実だ。日本人は全てではなかったにしろ、一千年以上も死生観を研ぎ澄ましてきた歴史があった。それがわずか70年に満たない月日の東京裁判史観や戦後教育で死滅してしまったのだ。先祖たちはさぞかし無念ではないのかと、凡愚の身ながら時折斟酌(しんしゃく)する。


神州の泉の母は満州北部の開拓団にいたが、ソ連兵に追われて家族と離れ離れとなりながら、命からがらハルビンまで逃避行をした。空腹と疲労で参っていた母たちの集団へ、満人(中国人)の子どもたちが握り飯を売りに来たという。


その時、母たちとは別の集団でハルビン市にたどり着いたある武家血筋の奥さんが、やおら懐刀を抜いて高く差し上げ、空腹で握り飯に飛びついた日本人たちに向かって、『いやしくも日本人であるなら、浅ましい振る舞いだけはするものではない!』と喝破したそうである。周囲が押し黙ってしまうほどの大音声だったそうだ。


母はこの奥さんも空腹で疲れきっていたことを知っていた。また、母は「武家の女性はほんとうに肝が据わっている」と、このとき強く感じたそうだ。母が伝えようとしたことは何だったのだろうか。この当時は決然たる死生観を持っていた日本人がまだいたんだよということだったのか。今となっては分からない。


生前、母は何度もこの話を自分にしてくれたのだが、それを思うと、若かった母にはよっぽど印象深いことだったのだろう。ふと思う。今、このような凛冽(りんれつ)なる日本人がどこかにいるのだろうか?鼻水とよだれを垂らし、惰弱なる平和に埋没した日本は、今、グローバル資本によって、富だけではなく精神も未来も奪い去られようとしている。


戦後は、アメリカの価値観とアメリカの核にすがりつきながら商魂だけはたくましい日本人となった。だが、何か大事なことを置き忘れているような気がしてならない。いつまでも戦勝国を飼い主として崇め奉り、先祖たちを軽視する日本人はもう先がないのでは。





(夢人付記)magictrainさんのサイトから転載。なぜ我々はこの素晴らしき世界を血に染める必要があるのか。

この素晴らしき世界 – ルイ・アームストロング:Louis Armstrong – What a wonderful world







Louis Armstrong – What a wonderful world



I see trees of green,
red roses too.
I see them bloom,
for me and you.
And I think to myself,
what a wonderful world.


I see skies of blue,
And clouds of white.
The bright blessed day,
The dark sacred night.
And I think to myself,
What a wonderful world.


The colors of the rainbow,
So pretty in the sky.
Are also on the faces,
Of people going by,
I see friends shaking hands.
Saying, “How do you do?”
They’re really saying,
“I love you”.


I hear babies cry,
I watch them grow,
They’ll learn much more,
Than I’ll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.


Yes, I think to myself,
What a wonderful world.


Oh yeah.


(意訳)


私には緑の木々が見える、
赤いバラの花々も
私と君のために
咲いているんだ。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


私には青い空が見える、
白い雲も
輝き祝福された日、
暗い神聖な夜。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


虹の色彩、
空にあって何と可愛らしい
行き交う人々の
その顔にもあって
私には友人たちが握手しているのが見える、
「ごきげんいかが?」って言ってるよ
彼らは本当は言ってるんだ
「愛しています」って


私は赤ちゃんたちの泣き声が聞こえる、
彼らの成長を見守ろう
彼らはより多くを学ぶだろう、
私が知るだろうことよりも。
そしてひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


そうさ、ひとり思うんだ、
なんて素晴らしい世界だと。


ルイ・アームストロング(Louis Armstrong:1901-1971)の「この素晴らしき世界」(What a Wonderful World)は、G・ダグラス(Bob Thiele as George Douglas)とジョージ・デヴィッド・ワイス(George David Weiss)が作詞作曲した1968年のヒット曲です。
当時の泥沼化したベトナム戦争への嘆きからこの歌詞が書かれました。
66才になっていた晩年のルイ・アームストロングにとっても久々のヒット曲でしたが、本国アメリカよりもイギリスを中心としたヨーロッパからのヒットを受けて世界的に人気を得ました。


歌詞は分り易い言葉で書かれていますが、少し個人的な解釈を書いておきます。
先ず、この歌がベトナム戦争への嘆きから書かれていることを考えると、この平和な歌詞は悲惨な現実に対するアイロニー(irony)の意味があることを知っておく必要があると思います。
ベトナムの戦場では、人が常には感じるはずの素晴らしく美しい世界感は忘れられて、緑の木々は焼かれ、赤いバラも野の花も踏みにじまれました。もう一度普通の人間としての感情を持とうよ、というメッセージが最初の節から感じられます。
次に青い空と白い雲はアメリカ国旗のホワイト・ストライプスを連想させる色です。そして輝く日と暗い夜の対比は、白と黒の色です。また神聖な日・夜から独立記念日やクリスマスを連想させます。これらの要素を組み合わせることで、アメリカという国の理想が再確認されています。
次の節では虹の色、それが行き交う人々の顔に恩寵を与えているということと、実際に多様な色の顔があるということ、多様な人種の人々が挨拶を交わし、お互いを理解しあえる社会のことを書いています。
そして、この世界が本当に「素晴らしき世界」であるよう托すのが、泣き声を上げている赤ちゃんたちで、彼らが成長して私たちが経験し、知ったことから多くを学ぶ希望でこの歌は終ります。


世界は美しいのですが、その美しさに目を向けられなくなる現実的な不幸が無くなったときに、この歌はアイロニーではなくなるのです。



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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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