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気の赴くままにつれづれと。
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実は、今日入手してもう読み終わってしまったのだが、何とも奇妙な本で、岸本佐知子氏、三浦しをん氏ら、小説を書いていたり、文学に関する仕事をしていたりする人たち4人が、実は「罪と罰」を読んでいないといって、しかし有名な作品であるので、何らか噂をきいたことがあって、青年がおばあさんを殺す話というくらいは知っていて、それでそれぞれが断片的な知識を持ち寄って話し合いながら、「罪と罰」がどんな小説であるか推理していくというものである。結局、この4人ともにその推理会議の後にはじめて「罪と罰」を読み、「げっ、違っていた! 凄い作だ! 脱帽した!」といって終わるというものである。
まあ面白いのは三浦氏のような小説の実作者が、この長さの小説なら、この辺りで一度山場をもってこないともたないといった「書く人間」でないと持たない感想を述べているあたりなのだが、驚くのが、みなドストエフスキーの思想傾向といったものについてもあまり知らないように思える点で、ドストエフスキーが分類すれば「保守反動」のほうに属するといった方向についても知識がないようなのである。それでラスコリニコフ(本書ではラスコさん)が老婆を殺す理由についても「革命の大義」のためというような想像を展開している。
それでわたくしはといえば、たぶん中学三年くらいで読んだのではあるが、もうきれいさっぱり何も覚えていない。ラスコさんが殺したのが一人ではなく、二人だったというのも、本書を読んでそうだったのかなという程度なのだから酷い話である。それでわたくしはラスコさんが人を殺すのは「超人」思想のような観念によってであったように思っているのだが、これもまた違っているかもしれない。
中三くらいで「罪と罰」は読んだのだが、その後、「罪と罰」について、あるいはドストエフスキーについていろいろなひとが様々に書いているものをかなりたくさん読んできたため、それからの影響のほうがずっと強く残っていて、自分が読んで印象などどこかにいってしまっている。
たとえば、モームの「世界の十大小説」ではドストエフスキーは作品は「カラマゾフの兄弟」が取りあげられているのだが、その前に40ページほどのドストエフスキーについてのモームの評が収められている。その程度の知識があるだけでも、本書でいわれていることのかなりはでてこないのではないかと思うのだが、もう「世界の十大小説」などはあまり読まれなくなっているのだろうか?
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