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「未成年」とはどんな小説か

「未成年」読了。傑作である。だが、ドストエフスキーの作品の中ではおそらく評価が低く、あまり人気も無いと思われ、その理由はこれが非常に特殊で難解な手法で書かれ、それにメインの事件が遺産相続での骨肉の争いという、地味な話だからだろう。そこに恋愛が重要な要素として絡んでくるが、問題は「話し手」が「未成年」の馬鹿な(未熟な)青年で、その書いている内容は「すべてを正直に、正確に」書くという原則に基づいているが、何しろ、「自分の見た目、見た範囲」でしか書けないので、すべてが五里霧中のまま話が進んでいくわけだ。つまり、読者は話し手(語り手)を信頼できないまま読み進めるしかない(デイケンズの「大いなる遺産」もそれで、これらの小説が実は映画化不可能な理由はそこにある。)わけで、細部の面白い描写や語り手の独特な思想や鋭い感性に興味が持てないと、「全体として何が起こっているか」は理解しにくいので、途中で投げ出す読者が多いはずだ。最低限、登場人物のリスト(人物紹介)を自分で作り、姓や名や代名詞(彼、彼女など)が誰を指すのか理解しながら読み進める必要がある。ロシアの人名はもともと覚えにくいのである。ラスコリニコフくらいは覚えられても「ロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコリニコフ」と全部を覚えるのは難しい。(たまたま、大島弓子に同名の作品、もちろん、「罪と罰」の漫画化、があったので、私は覚えているだけだ。)たしか、ロジオンの愛称は「ロージャ」だったか、そういう「愛称」も「未成年」にも頻出する。
私は工藤精一郎の訳で読んだが、訳の細部の適否はともかく、巻末の解説、特にミハイロフスキーによる「悪霊」批評の紹介は素晴らしい。ドストエフスキー作品の欠点である、「キリスト教への盲目的帰依」と「社会主義への感情的批判」を明晰に批判している。私自身は「ドストエフスキー大好き」人間であると同時に、「社会主義者」である。こういう人間は昔の文学愛好者には普通にいたものだ。
なお、この中に出て来るタチヤナ・パーヴロヴナという女性は、容姿に恵まれない初老の女性だが、毒舌家で、語り手の「未熟者」アルカージーには敵のように見えるが、実は最後に至って、その正体が単なる脇役ではなく、スーパー・ヒロインだと分かる。つまり、「キリスト」なのだが、人類全体のためのキリストではなく、「自分の愛した男性」に愛されることを最初から望まず、その男とその家族の人生を生涯にわたって守ることに決めた、そういう「愛の殉教者」だったのである。そういう視点でこの小説を最初から読めば、小説内の出来事がすべて違った色彩で見えてくるのではないか。ちょうど、「まどかマギカ」で、暁美ほむらの正体が分かった時に、すべての事件の様相がまったく違う色彩で見えてくるように。
ついでに言えば、タチヤナは、そういう生き方をすることで、単なるオールドミスとしての人生では味わえなかった「家族のイベント・事件」に参加できたわけで、それは「自分ひとりだけの人生」では味わえない、大きなメリットだったかもしれない。これが、「他人と共に生きる」ことの意味だろう。私のような「独楽主義者」が言うのも変だが、面倒事も苦労も苦痛も苦悩も失敗も挫折も人生の大事な一部だという思想だ。それらをすら「面白い」と思えれば、この世に怖いものはない。つまり、(主観的に、だが)地上がそのままで天国になる。「未成年」の脇役の巡礼や、「戦争と平和」の脇役、プラトン・カタラーエフなどがそういう人物に思われる。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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