英国のフリーシネマ運動を推進し、「トム・ジョーンズの華麗な冒険」、「ホテル・ニューハンプシャー」、「ブルースカイ」などの野心的傑作を放ち続けた鬼才トニー・リチャードソン監督の代表作の1つです。
1960年に上演されたブロードウェイ・ミュージカルを映画化したもので、第15回カンヌ国際映画祭で男優賞と女優賞をダブルで制覇しました。
2人の出演者、マーレイ・メルヴィンとリタ・トゥシンハムの迫真の演技が見もの。
←主演の2人
実際に貧しい人々が暮らす地区でロケを敢行するなど、英国の労働者階級の現実をありのままに見つめた、リチャードソン監督の姿勢も多大な賞賛を浴びた作品です。
【あらすじ】
ロンドンで貧しい人々が暮らす一角。そこで暮らす恋多き母親ヘレン(ドラ・ブライアン)と高校生の娘ジョー(リタ・トゥシンハム)だが、ヘレンは年下の交際相手に夢中になり、ジョーを捨てて家出した後、再婚してしまう。
ジョーは知り合ったアフリカ系男性ジミー(ポール・ダンクワ)と別れた後、自分が彼の子供を妊娠したと知る。やがてジョーは同性愛者の優しい青年ジェフリー(マーレイ・メルヴィン)と同居するようになり、やっと幸福をつかんだと感じるのだが、そこにヘレンが戻ってきて…。
原作者のシーラ・ディレイニーは発表当初、まだ18歳。彼女は中学卒業後に様々な職業を転々とし、ある舞台を観て「これなら自分にも書ける」と思いたち、たった2週間でこの原作を書き上げたのだそうです。
イギリス映画と言えば殊に王室や歴史映画が一般的イメージだと思います。
しかしその一方で、イギリス(大英帝国)は21世紀になった現在でも徹底した階級社会の国。
国民の殆どが中流意識を持つ日本人には理解しがたいでしょうが、18世紀後半の産業革命が急ピッチで進み、新興ブルジョワジーとプロレタリアートとの間の階級格差が一気に拡大した結果、その溝は今も大きく深く横たわっています。
貴族を含めた上流階級は全人口のわずか0,2%にすぎず、あとは中流階級と労働者階級に大別され、両者の壁は今なお厚い──そんな労働者階級のマイノリティな生活を“共感”をこめて描いているのが、この「蜜の味」。
この戯曲は日本でもよく上演されるようですね。
主人公ジョーを演じたリタ・トゥシンハムは、彼女以上の適役はなかなかいないだろうな~と思わせるくらい、ひねくれてトゲトゲしい、そして夢見がちな思春期の少女を、存在そのもので見事に表現していました。
《※以下、ネタバレ注意》
主人公ジョーは学校では変人あつかいされ、母親ヘレンの恋人ピーターとも折り合いが付きません。
そんなジョーが心を許したのはマンチェスターへ寄港した船の黒人水夫ジミー。
まだ母親ばなれしていないジョーは、ヘレンのデートに付いていき、楽しそうな熟年カップル?(ヘレン=40才、ピーター=32才)を睨みながら悪態をついてばかり。
しまいには「俺か娘かどっちかを選べ!」と怒鳴るピーターに、ヘレンも仕方なく娘を家に送り返してしまいます。
←ピーターに反抗するジョー
どうしようもない寂しさのあまり、ジョーはジミーに「経験が欲しい」と言って、SEXに至るのですが、彼の乗った船はやがて港を去ってしまう…。
ヘレンはいったん家へ戻るものの、結婚するのよ~!と舞い上がって、娘の心の揺れなんか気づこうともしません。
初体験のことを聞く娘に向かってろくなことを言わない母親。嘘か本当なのか、ジョーの父親は変人だったとか、本当にこの女は“悪意がないのに人を傷つける”典型的なタイプだと思いました。
←ラブラブなヘレンとピーター
やがて新婚旅行へいそいそと出かける母親。どうしてカゴの小鳥も一緒に連れていってしまうんでしょう。もう帰らないって合図?
ジョーはジョーで、別に帰らなくても平気。かえって清々する、みたいな態度で、自分を捨てる母親が恋人とハネムーンへ出かけるのを毅然として見送ります。
まさかと思ったら本当に悪びれもせず、子捨てを実行するとは…(ボーゼン)
一人ぼっちになったジョーは靴屋の売り子として働き始めます。新しい住処(とてもアパートとは称せないボロい部屋)を借りて心機一転。
そして店で知り合った同性愛者である青年ジェフリーと友達になります。
彼は非常に繊細で、面倒見がいい青年。家賃の代わりと言って、大ざっぱなジョーの世話をあれこれと焼きます。
共同生活を始めたジョーとジェフリーはとってもいい感じ。兄妹のような、夫婦のような不思議な関係です。
←仲のいいジョーとジェフリー
そんな共同生活の中、ジョーは自分がジミーの子供を宿してしていることに気付きます。ジェフリーは一緒に子供を育てようと提案し、結婚まで申し出てくれます。
ジョーは不安のあまり、情緒不安定。
「ほんの少しの愛と欲望で、望まれない赤ん坊が生まれる」
と言って、自分の出生と重ね合わせ、自分に宿った命を疎みます。おまけに赤ん坊は黒人水夫との子。もし肌の色が黒かったら…?
そんなジョーの不安をなんとか和らげようと、どこまでも心優しいジェフリー。
料理や掃除だけかと思ったら、なんと産着まで作ろうと、テーブルに型紙を並べているではありませんか!(産婦人科で練習用の人形まで借りてくるし)
も~、こんないい人は今後絶対現れないから結婚しちゃえば?!と私は心の中で思って、やきもきしていたのですが、ジェフリーはジョーの母親のダメダメっぷりを知らないもんだから、娘の妊娠を善意で告げに行ってしまうのです。
その頃、ヘレンとピーターの間には、もう冷たいみぞが出来ていました。おまけに、ジェフリーを見た途端に露骨な偏見の態度を示す老カップル…。
やがて間もなく、愛情に敗れたヘレンはジョーの部屋へ帰って来てしまいました。
どんなに嫌な女だろうが、やはりジョーには妊娠経験のある母親が必要だと考えるジェフリー。ヘレンはジョフリーをジョーの傍から引き離すと、不潔なもののように部屋から追い出してしまいます。
置き手紙を見て、ジェフリーが去ったことにようやく気づいたジョー。
「私ってなんてバカなんだろう…」
慌ててジョーは表に出て当たりを見回すものの、もうジェフリーの姿はありません。
(本当はすぐ近くでジョーの姿を見守ってたんだけど…)
←ジェフリーを失ったジョー
ジョーとヘレン母子の、砂のようにざらざらした生活が再び始まりました。
ジョーにとって母のいなかった短い間の夢のような幸福は、蜜のようにはかない甘さでしかなかったのです。もうすべてが遠い遠い想い出になってしまった…。
ストーリーだけ読むと、なんだか悲しい内容です。この時代に得体の知れない黒人の子供を宿すこと自体、映画としても、さぞ過激だったことでしょう。
けれどジョー役のリタ・トゥシンハムの醒めた子供の目と体から醸し出されるオーラや、トニー・リチャードソン監督の目線と洒落た音楽で、映画は思春期独特の切なさや悩みを優しく包み込んでいました。
少女の破滅を描いているとも取れる作品ですが、この映画のラストを悲劇的にとらえることはないんじゃないかな。
映画は社会の片隅で困難を乗り越えて生きるヒロインを示唆しているように感じました。ジョーは母親と同じ運命をたどってしまうのでしょうか。
ヘレンはだらしのない、モラルの欠けた母親の象徴…?
若い恋人にあっさり捨てられても、恥ずかしがるどころか、図々しい態度のヘレン。
彼女は多感な娘に何度罵られても、自分の欲望は決して忘れない女でした。
彼女は人生を、というか「女」を決して捨てないんだ…そんなヘレンに嫌気がさしながらも、ある種の逞しさを感じてしまいました。
このぐらいの図太さなら、娘が肌の色の違う赤ん坊を産んでも、世間体なんか気にせずに受け入れられるのかもしれません。
ヒロインはどちらかというと容姿が少し残念(?)なんだけれど、エキセントリックな演技が実にウマかったです。
無邪気で残酷な、あの年齢特有のイヤ~な感じがよく出ています。
台詞や仕草が儚いようで力強い、なんとも不思議な雰囲気で、本当にいい女優さんだな~と思いました。
←ジョーとヘレン母娘
白黒映像で描かれる下町は、本当に汚くて画一的。社会の冷酷な現実を血も涙もなく描いた映画で、ちょっとケン・ローチを思い出したりしましたが、やはり彼ら一人一人に共感出来る何かがありましたよ。
ちなみに「蜜の味」は、1960年代前半に流行したポピュラー楽曲としても有名で、作者はボビー・スコットとリック・マーロウで、前者が曲、後者が詞を担当しています。
この映画の台詞も歌詞にふんだんに使用されているのだとか…。
今度機会があったら、ぜひ聞いてみたいものです
●1961/イギリス
●監督・脚本:トニー・リチャードソン
●原作・共同脚本:シーラ・ディレイニー
●キャスト:リタ・トゥシンハム、マーレイ・メルヴィン、ロバート・スティーヴンス、ドラ・ブライアン、ポール・ダンクワ
●受賞:カンヌ国際映画祭<集団演技賞受賞;リタ・トゥシンハム、マーレイ・メルヴィン>、英国アカデミー賞<作品賞(国内)受賞、女優賞(国内)受賞;ドラ・ブライアン、脚本賞受賞;トニー・リチャードソン、シーラ・ディレイニー、新人賞受賞;リタ・トゥシンハム、マーレイ・メルヴィン>