「高島易断」が面白いので、少し前に自分で占った「新型コロナ問題の今後」で出た卦「地沢臨3爻」を調べてみた。「誰の立場で占うか」を決めずに漠然と易占したので、下の卦はDSの立場や運命を示したものなら世界の人々にとっては嬉しい未来である。
(以下引用)赤字や太字は夢人による強調。
六三
六三。甘臨。无攸利。既憂之无咎。
○六三。甘臨(かんりん)す。利(よろ)しき攸(ところ)なし。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば咎(とが)なし。
柔弱不正の六三は、才德乏しい佞人(ねいじん)。巧(たく)みに人を悦ばせる言葉や物腰柔らかな態度で下々に臨(のぞ)み、媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。こんな有様(ありさま)では、何をやっても失敗する。己の非を知り、憂(うれ)えて態度を改めれば、咎められることは免(まぬが)れる。
象曰、甘臨、位不當也。既憂之、咎不長也。
○甘臨(かんりん)すとは、位(くらい)当(あた)らざればなり。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば、咎(とが)、長からざるなり。
媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。邪心を抱いて下卦兌の最上に居るのである。憂えて態度を改めれば、咎められることは、漸次(ぜんじ)になくなっていく。
(占)知恵も力もないのに、小賢しいことを考えて、人を惑わそうとする。何事も為し遂げることはできない。世間を甘く見て失敗する。今、臨の時に中って君子に近付き、君子を見倣って、自分の非を悟り、志を改めれば咎を免れる。善き道を歩み始める入り口となる。
○相手(陽)が自分(陰)に近付き迫ってくる時である。
○邪心を抱いて世の中に対処しようとして凶運や困難を招き寄せる時。早く自分の非を悟って改めなければならない。
○心卑しき人物が、心貴い人物に成り代わって権力を振るう時。
(占例)明治五年、ある友人がやって来て、ある商人の運氣を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ、臨の三爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
臨の卦は、地の下に沢がある象(かたち)。
人間に当て嵌めると、地は母、沢(兌)は少女に例えられる。母と少女が出逢う時は、母は少女を愛して臨み、少女は母に順って臨む。お互いに望んで臨むので臨と云う。臨とは希望することである。
今回ある商人の運氣を占って三爻が出た。六三は陰爻陽位なので才能や智恵が不足している。過ぎる位に居るので強気である。勢いに乗じて一時は幸運を得るが調子に乗って世間を甘く見て、私利私欲を貪る。
やがて氣運が衰えて、落ちぶれる。その時初めて夢から覚めたように、これまでの行動を恥ずかしく思う。
この商人は将来、以上のように落ちぶれてしまうリスクがある。それを踏まえて、よくよく注意すれば、大きな過ちは犯さない。
ところが、友人によると…
「その商人は、横浜の吉田新田に一坪の沼地を十銭で購入していた。
ある豪商が役所との取引の過程でその沼地を一坪一円で買い取った。商人が購入した沼地は十銭から一円へと十倍の値段に跳ね上がった。商人は調子に乗って、ドンチャン騒ぎをするようになった」と云う。
そこで、わたしは友人に、以上の易断を商人に伝えて、よくよく忠告すべきだと進言した。(その後、どうなったかは書いてない。)
(以下引用)赤字や太字は夢人による強調。
六三
六三。甘臨。无攸利。既憂之无咎。
○六三。甘臨(かんりん)す。利(よろ)しき攸(ところ)なし。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば咎(とが)なし。
柔弱不正の六三は、才德乏しい佞人(ねいじん)。巧(たく)みに人を悦ばせる言葉や物腰柔らかな態度で下々に臨(のぞ)み、媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。こんな有様(ありさま)では、何をやっても失敗する。己の非を知り、憂(うれ)えて態度を改めれば、咎められることは免(まぬが)れる。
象曰、甘臨、位不當也。既憂之、咎不長也。
○甘臨(かんりん)すとは、位(くらい)当(あた)らざればなり。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば、咎(とが)、長からざるなり。
媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。邪心を抱いて下卦兌の最上に居るのである。憂えて態度を改めれば、咎められることは、漸次(ぜんじ)になくなっていく。
(占)知恵も力もないのに、小賢しいことを考えて、人を惑わそうとする。何事も為し遂げることはできない。世間を甘く見て失敗する。今、臨の時に中って君子に近付き、君子を見倣って、自分の非を悟り、志を改めれば咎を免れる。善き道を歩み始める入り口となる。
○相手(陽)が自分(陰)に近付き迫ってくる時である。
○邪心を抱いて世の中に対処しようとして凶運や困難を招き寄せる時。早く自分の非を悟って改めなければならない。
○心卑しき人物が、心貴い人物に成り代わって権力を振るう時。
(占例)明治五年、ある友人がやって来て、ある商人の運氣を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ、臨の三爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
臨の卦は、地の下に沢がある象(かたち)。
人間に当て嵌めると、地は母、沢(兌)は少女に例えられる。母と少女が出逢う時は、母は少女を愛して臨み、少女は母に順って臨む。お互いに望んで臨むので臨と云う。臨とは希望することである。
今回ある商人の運氣を占って三爻が出た。六三は陰爻陽位なので才能や智恵が不足している。過ぎる位に居るので強気である。勢いに乗じて一時は幸運を得るが調子に乗って世間を甘く見て、私利私欲を貪る。
やがて氣運が衰えて、落ちぶれる。その時初めて夢から覚めたように、これまでの行動を恥ずかしく思う。
この商人は将来、以上のように落ちぶれてしまうリスクがある。それを踏まえて、よくよく注意すれば、大きな過ちは犯さない。
ところが、友人によると…
「その商人は、横浜の吉田新田に一坪の沼地を十銭で購入していた。
ある豪商が役所との取引の過程でその沼地を一坪一円で買い取った。商人が購入した沼地は十銭から一円へと十倍の値段に跳ね上がった。商人は調子に乗って、ドンチャン騒ぎをするようになった」と云う。
そこで、わたしは友人に、以上の易断を商人に伝えて、よくよく忠告すべきだと進言した。(その後、どうなったかは書いてない。)
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