昨日、宮藤官九郎脚本の「タイガー&ドラゴン」を見ていたら、その中で西田敏行(落語家役)が「フランシーヌの場合は」を寄席の舞台で歌っていたのだが、先ほど、ふと考えたら今日が3月30日である。つまり、フランシーヌの命日だ。
「3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ」
というのがその歌の日本語版の歌詞だが、つまり、フランスの樺美智子だろう。機動隊か警官に撲殺されたのではないか。
私は70年安保の学生運動時代より少し後の人間なので、学生運動にはまったく共感できず、そもそも学生運動と普通の暴動との区別もついていなかったので、「フランシーヌの場合」も、「あまりにもお馬鹿さん」な死だとしか思っていなかったのだが、今にして思うと、彼らの命を賭けた闘争は、偉いな、と思う。まあ、その大半は「ファッション」で参加したのだと思うし、その中の急進派や過激派が、後にあの「連合赤軍事件」のような悲惨で無意味な事件を起こしたのだが、「革命への熱情」とそのエネルギーは大したものである。ただし、その「無意味なテロ」のために日本の社会改革への意識は逆に激減して、その後の自民党一極支配が、ほぼ盤石化したのだろう。
「3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ」
というのがその歌の日本語版の歌詞だが、つまり、フランスの樺美智子だろう。機動隊か警官に撲殺されたのではないか。
私は70年安保の学生運動時代より少し後の人間なので、学生運動にはまったく共感できず、そもそも学生運動と普通の暴動との区別もついていなかったので、「フランシーヌの場合」も、「あまりにもお馬鹿さん」な死だとしか思っていなかったのだが、今にして思うと、彼らの命を賭けた闘争は、偉いな、と思う。まあ、その大半は「ファッション」で参加したのだと思うし、その中の急進派や過激派が、後にあの「連合赤軍事件」のような悲惨で無意味な事件を起こしたのだが、「革命への熱情」とそのエネルギーは大したものである。ただし、その「無意味なテロ」のために日本の社会改革への意識は逆に激減して、その後の自民党一極支配が、ほぼ盤石化したのだろう。
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