段落替えが無く、脱字も多いので読みにくいが、社会の現実の前でのたうちまわっている人間の苦悩はよく伝わる文章である。昭和初期のプロレタリア小説的な感じもある。つまり、平成の今の時代はそういう断面を持つ時代でもある、ということだ。
私自身、身内に脳梗塞で倒れた人が多い家系なので、他人事ではない。
脳梗塞でも
http://www.asyura2.com/16/health18/msg/585.html
私は現在作業所に通っている。今年、2017年4月15日に脳梗塞で倒れ、救急車で搬送されて、そのまま入院したが、退院した。しかし、倒れてからは右半身がしびれ、右足の先がねじれて交差しているという感覚異常が続いており、これは消えない。それだけでなく右半身全体が重い感じがするし、足も左側に比べて重いし、感覚も鈍い。よく右側の靴やスリッパや靴下が脱げてしまうが、それが脱げてしまったという感覚もあまりないので、よく、そのままの状態でしばらく歩いていたりする。そして後になってやっと気が付いて、靴やスリッパを探し回るということが続いている。退院後はまた倒れるのではないかと心配で、ほとんど外出しない状態が続いていたが、医師からもっと体を動かしたほうが良いと言われ、できるだけ運動をするようにした。しかし、慣れるまでは、どうも右足と左足の感覚が一致せず、アンバランスな状態でぎこちなく、あまり早く歩くことはできなかった。しかし、運動を続けているうちにある程度慣れてきた。それでも、昔のように自由気ままに移動できるという状態ではない。私が入院している間に、知らない間に若い担当者に交代していたことが判明した。この担当者は、今までとは全く違うタイプのケースワーカーだった。挨拶を全くしないし、とにかく何でもかんでも反論ばかりする。いちいち相手と反対のことを言う。右と言えば、左と言い、上と言えば下と言い、東と言えば、西と言う。とにかく常に相手を見下した態度をとり、横柄で威張り腐っており、とにかく怒らせるのが得意な人物だ。とにかく反論ばかりするし、反対のことばかり主張するので会話が成り立たない。それに普通の常識的な会話も通用しない。まるでロボットのような奴だ。常に相手の弱みを探ろうとしており、何かというと攻撃してくる。決して相手を安心させることはなく、それどころか常に脅している。上司もまったく教育指導はせず、放置状態である。挨拶をしないだけでなくにこりともしないし、それどころかまるで軍隊のように常に命令調で言う。頭を下げることは全くない。自分が間違ってもそれを認めないし、自分は常に正しいという態度をとる。まるで絶対的な最高権力者のようにふるまい、歯向かう者に対しては容赦なく粉砕するという攻撃的な態度だ。当然だが、こういう担当者に何か相談などできるわけがないし、そもそもこのケースワーカーは嫌がらせしかしない。課では、受給者が自立して働くようになることを推奨していると思うかもしれないがそれは違う。働くかどうかは関係なく、とにかくを打ち切らせることが第一目標だ。それで作業所などという中途半端な状態も歓迎しない。を受けていない人にはわからないだろうが、を受けている人は常に嫌がらせを受け続けており、圧力がかかっている。それは世間からもそうだが、それよりも公務員から嫌がらせを受けている。特に担当者から嫌がらせを受けている。だが、それを相談できる場所はない。課では、担当者以外とは話ができないようになっているし、他のところに相談しても、まともに対応されない。課に相談せよと言われる。しかし、その課に相談すると、元凶である担当者が対応する。つまり、担当者は常に正しいとされる。だから、どのようなことがあろうとも、それが外部に発覚することはなく、すべてもみ消される。また市役所の管轄に対して、県は介入できない状態にあるので、どんなことでもできるし、全く改善もない。どんな問題があろうともそれらは隠蔽される。監査もないし、調査もない。やりたい放題なのだ。市長も議員も見て見ぬふりをする。つまりそれは公認のいじめであり、公式の虐待で、許されない犯罪行為だ。これが日本の現実である。だから障がい者であろうが、貧困層であろうが、家族とともにしている人はまだましな方だ。しかし、ほとんどの場合、を受けている人は孤立してしている。すると、もろにまともに集中攻撃を受ける。だが、家族がいれば必ずしも幸福とも言えず、やはり喧嘩が多いようだ。それだけでなく、無理心中とかも多い。ほとんどが世間から見捨てられた状態であり、死後もなかなか発見されないことが多い。私もそういう孤立死をした人の死体を目撃したことがある。その人は、私よりもまだ若い人だったが、一人暮らしだった。部屋の中は荒れ果てており、数多くのゴミや段ボールが散乱していた。その人は風呂場で死んでいるのが発見され、浴槽は血だらけで真っ赤になっていた。私は職場の上司と共に、無断欠勤をした労働者の自宅を訪問したのだ。だが、驚いたことに社長は全く人間的な同情とかそういうものは示さず、迷惑そうに正社員ではないと突き放した言い方をした。職場の同僚の中には泣き崩れる人もいたが、すぐに忘れ去られた。そういうことが多い。作業所は以前にも別のところで働いていたが、ひどいところだったので、今回もあまり期待はしていなかったが、以前のものとは全く違うタイプだった。かなり利用者を大切にしている。それでもやはり怒られることはあるし、規則もあるが、以前のものとは比較にならない。作業所は普通の会社とは違い、作業時間も短いし、それほど過酷とは言えないが、それでもそれなりにきついことはある。私は何とかまた復活を希望していた。また脳梗塞で倒れるかもわからないし、次は、植物状態か、しゃべれないかも知らない。即死の可能性もある。だが、いつまでも絶望したままで、部屋に閉じこもっていても、何も良いことはないし、毎日テレビだけ見て過ごすこともできない。いろいろさまよってわかったことは、私よりも重症な人がいるということだ。それでもけなげにがんばっている。私は未来に希望を失っていたが、そういう人々は、もっと重症なのに、普通のをしようとしている。その真面目さには驚かされる。ただし、やはり家族の支えがあり、一人ではないということもあるだろう。一人のはとても荒れたものになりやすい。私は課の担当者の対応について、いろいろな人に相談したが、やはり、どうしようもないというものだった。だが、相談をするのは自由だとも言われた。そして分かったことは、相談ができる人間こそが、本当に大切な人だということだ。適当にさりげない会話をするのも良いが、それだけでは不十分だ。ただし、家族でも、友人でも、他人でも限界というものがある。あまり期待をしすぎてはいけない。病気とか、障がいにはいろいろな種類とレベルがあるが、本人でないとわからないことが多い。本来は社会全体がある程度、それらを考慮して対応するべきなのだが、とてもそんな悠長な状態ではなく、情け容赦のない過酷なものだ。それで本当は不利な条件下にあるにもかかわらず、普通の人と同じように、あるいはそれよりももっと頑張っている人がいる。私は違う。
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