はっきりした理由は二つ。
2002年9月17日小泉・金正日会談で両国は「日朝平壌宣言」に署名、同年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することが決まった。
日朝首脳会談は、当時外務省のアジア太平洋局長であった田中均と金正日主席の信頼の厚い某氏との信頼関係に拠るものであった。
田中は信頼出来ても一外交官に過ぎないから、小泉が、そして日本が信用出来るかどうか北朝鮮が確かめようとしたのは当然である。
そこで北朝鮮は同年10月15日地村保志夫妻、蓮池薫夫妻、曽我ひとみの計5名の一時帰国を許した。
10月から始まる日朝国交正常化交渉の前に、北朝鮮は日本に誠意を見せるとともに、日本が一時帰国の5名を北朝鮮に戻すかどうか見極める為であった。
日朝主脳会談の立役者であった田中均と当時官房長官であった福田康夫は「約束を守らないと、肝心の日朝国交正常化交渉が出来なくなる」として5名を返すべきだと主張した。
一方、安倍官房副長官と拉致問題担当内閣参与の中山恭子は、「ならず者国からやっと取り戻した被害者を又加害者の元に戻すのか」という、対北朝鮮強硬論を主張、内閣として5名を戻さないことを決定し、結果日本は日朝平壌宣言を一方的に反故にしてしまった。
そして安倍、中山が中心になって、拉致被害者を返せ!運動を全国に展開、安倍人気は上がり続け、2006年の第一次安倍内閣につながった。
拉致家族の中には、「我々は安倍に散々政治利用され、生存している拉致被害者の帰国の機会を打ち消されてしまった」と言う者もいる。
帰国被害者やご家族のたゆまぬ運動で内閣に拉致担当相が出来るほど拉致問題は日本最大の政治課題になっていった。(正しくは日朝国交正常化担当相であるべき)
相手国北朝鮮は一貫して「拉致問題は解決済み」なので、北朝鮮にしてみると日本からの「拉致被害者を返せ」の声は犬の遠吠えでしかない。
北朝鮮が聞く耳を持たない拉致問題は日本の国内問題であり、安倍たちが政治利用しただけの結果に終わっている。
北朝鮮は日本に日朝平壌宣言を一方的に反故にされたにもかかわらず、もう一度日本にチャンスを与えようと2014年の安倍内閣に、被害者田中実と金田龍光二名の一時帰国を提案してきた。
日本が2名を受け入れ、約束通り北朝鮮へ送り届ければ、日朝国交正常化交渉を再開するという意思表示である。
ところが安倍内閣は一蹴してしまった。
これでは「誰のための拉致問題なのか」と言われても仕方がない。
次は決定的な理由だが、当時外務大臣であった岸田(現首相)にアメリカから圧力がかかっていた。
日本と北朝鮮、また日本とロシアが平和条約を結べば、日本から脅威が消え失せ、日本はアメリカから兵器を買い続ける必要が無くなるばかりか日米安保もお荷物になる。
アメリカは日本と北朝鮮、日本とロシアの平和条約を絶対に阻止する方針であると岸田に伝えた。
歴代の政権とアメリカの意向で日朝国交正常化も日ロ平和条約もあり得ないのである。