「クーリエ・ジャポン」所載。デービッド・アトキンソン氏の記事の一節である。
私はいつも「クーリエ」という外来語の意味を忘れ、何度も調べては忘れてしまう。これがなぜなのか、不思議である。おそらく、昔、産経新聞の記者が出した書物の題名が「ロンドン・クーリエ」だったという記憶があって、それへの無意識の反発があるのだろうか。
まあ、それはともかく、下の記事に書かれた意見は傾聴すべきものがある。日本人は「思い込み」で判断し、行動する傾向が強いのではないか。上の人間が非常にいい加減な思い込みで大きなプロジェクトを動かすということが多々あって、それは「上の人間に下の人間が意見を言えない。まして反対意見は絶対に言えない」という「上下絶対主義の日本文化」に根があるのではないかとは思うが、日本人全体がある種の「神話」、特に「日本人は優秀」神話を信じているのではないだろうか。
それはまあ、日本人が褒められるのは自分も一緒に褒められるようなものだから、「自己愛の動物」である人間である以上、自分の国を褒められれば誰でも嬉しいに決まっているが、他国の人々はそれが「お世辞である」ことをよくわきまえているのに対し、日本人はお人よしにもそれを心から信じてしまう、という面がありそうだ。
まあ、「お人よし」であることが日本人のいい面でもあるのだから、こうした辛口の批判は半分は聞き流しつつ、半分は耳を傾けることも大事だろう。特に、上に立つ人間がお人よしでは組織や国家を誤らせてしまうもとである。お人よしであるだけならいいが、「妄想」で国を動かす総理大臣がいたのでは、……おっと、誰か来たようだ。
(以下引用)
自己中心的な国に観光客は来ない
思い込みの良くないところは、数字を見ないことだけではありません。相手の立場を考えていない、という問題もあります。
日本人を対象にした「日本のどのようなところを世界にアピールしたいか」というアンケート調査の結果によると、マナー、治安、サービスといったものが上位にきています。
でも考えてみてください。あなたが海外旅行の行き先を考えるときに、その国のマナーや治安が旅の目的になりますか? ならないですよね。だったら、なぜ日本人にとって観光の動機にならない特徴が外国人になら通用すると考えてしまうのでしょう。
マナーや治安が観光において有利というデータがあれば話は別ですが、それは確認できません。たとえば、世界で一番治安がいいとされるアイスランドの年間観光客数は、わずか80万人しかいません。
「おもてなし」を目当てに外国人観光客が来る、なんてことはあり得ないのです。実際、日本の観光客は増えていると言いますが、せいぜい1000万人を超える程度で、フランスの8分の1くらいにすぎません。しかも内訳は台湾や中国など、近隣のアジア諸国が大半です。ヨーロッパから日本に来る観光客の数は約100万人。数千万人を集める観光大国と比べると、いないも同然なのです。
それなのに、妄想を根拠にして日本のマナーやサービスが支持されていると思い込む。観光立国だと語る。それは気持ちいいことかもしれませんが、そんな思い込みに付き合わされる現場の労働者はたまったものではないでしょう。
毛沢東時代の中国では、世界一の鉄生産量を達成させるために、一度作った鉄を溶かしてまた製鉄していました。今の日本でも、あちこちで似たことをしているのではないですか。
もうひとつ気になるのは「日本のことを理解してもらいたい」という表現。これ、どうでもいいことです。
男から女に対して告白するとき、「私のことを理解してほしいから付き合ってください」とやっても、成功する可能性はほぼゼロでしょう。観光も同じです。この国のことを理解してほしいから観光してくださいと言って、誰が来るのですか? 結果としてそうなるかもしれないけれど、それは二次的な動機でしかありません。
多くの人の人生において、他者を理解するために時間を割く余裕はありません。人は刺激を体験したくて、旅行を楽しみたくて他国に来るのです。そこに「日本文化の素晴らしさを伝えたい」なんて余計なお世話ですよ。
要するに、上から目線なのです。外国人の考えに配慮することもなく、単に日本人が「強み」だと思っているものを押し付けているだけ。そういう意味では失礼ですらあります。「日本のおもてなしは世界一だ」と語ることは、間接的に「アンタの国のおもてなしはダメだ」と語っていることにもなるのですよ。
私はいつも「クーリエ」という外来語の意味を忘れ、何度も調べては忘れてしまう。これがなぜなのか、不思議である。おそらく、昔、産経新聞の記者が出した書物の題名が「ロンドン・クーリエ」だったという記憶があって、それへの無意識の反発があるのだろうか。
まあ、それはともかく、下の記事に書かれた意見は傾聴すべきものがある。日本人は「思い込み」で判断し、行動する傾向が強いのではないか。上の人間が非常にいい加減な思い込みで大きなプロジェクトを動かすということが多々あって、それは「上の人間に下の人間が意見を言えない。まして反対意見は絶対に言えない」という「上下絶対主義の日本文化」に根があるのではないかとは思うが、日本人全体がある種の「神話」、特に「日本人は優秀」神話を信じているのではないだろうか。
それはまあ、日本人が褒められるのは自分も一緒に褒められるようなものだから、「自己愛の動物」である人間である以上、自分の国を褒められれば誰でも嬉しいに決まっているが、他国の人々はそれが「お世辞である」ことをよくわきまえているのに対し、日本人はお人よしにもそれを心から信じてしまう、という面がありそうだ。
まあ、「お人よし」であることが日本人のいい面でもあるのだから、こうした辛口の批判は半分は聞き流しつつ、半分は耳を傾けることも大事だろう。特に、上に立つ人間がお人よしでは組織や国家を誤らせてしまうもとである。お人よしであるだけならいいが、「妄想」で国を動かす総理大臣がいたのでは、……おっと、誰か来たようだ。
(以下引用)
自己中心的な国に観光客は来ない
思い込みの良くないところは、数字を見ないことだけではありません。相手の立場を考えていない、という問題もあります。
日本人を対象にした「日本のどのようなところを世界にアピールしたいか」というアンケート調査の結果によると、マナー、治安、サービスといったものが上位にきています。
でも考えてみてください。あなたが海外旅行の行き先を考えるときに、その国のマナーや治安が旅の目的になりますか? ならないですよね。だったら、なぜ日本人にとって観光の動機にならない特徴が外国人になら通用すると考えてしまうのでしょう。
マナーや治安が観光において有利というデータがあれば話は別ですが、それは確認できません。たとえば、世界で一番治安がいいとされるアイスランドの年間観光客数は、わずか80万人しかいません。
「おもてなし」を目当てに外国人観光客が来る、なんてことはあり得ないのです。実際、日本の観光客は増えていると言いますが、せいぜい1000万人を超える程度で、フランスの8分の1くらいにすぎません。しかも内訳は台湾や中国など、近隣のアジア諸国が大半です。ヨーロッパから日本に来る観光客の数は約100万人。数千万人を集める観光大国と比べると、いないも同然なのです。
それなのに、妄想を根拠にして日本のマナーやサービスが支持されていると思い込む。観光立国だと語る。それは気持ちいいことかもしれませんが、そんな思い込みに付き合わされる現場の労働者はたまったものではないでしょう。
毛沢東時代の中国では、世界一の鉄生産量を達成させるために、一度作った鉄を溶かしてまた製鉄していました。今の日本でも、あちこちで似たことをしているのではないですか。
もうひとつ気になるのは「日本のことを理解してもらいたい」という表現。これ、どうでもいいことです。
男から女に対して告白するとき、「私のことを理解してほしいから付き合ってください」とやっても、成功する可能性はほぼゼロでしょう。観光も同じです。この国のことを理解してほしいから観光してくださいと言って、誰が来るのですか? 結果としてそうなるかもしれないけれど、それは二次的な動機でしかありません。
多くの人の人生において、他者を理解するために時間を割く余裕はありません。人は刺激を体験したくて、旅行を楽しみたくて他国に来るのです。そこに「日本文化の素晴らしさを伝えたい」なんて余計なお世話ですよ。
要するに、上から目線なのです。外国人の考えに配慮することもなく、単に日本人が「強み」だと思っているものを押し付けているだけ。そういう意味では失礼ですらあります。「日本のおもてなしは世界一だ」と語ることは、間接的に「アンタの国のおもてなしはダメだ」と語っていることにもなるのですよ。
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