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無責任主義・プロジェクトシステム・私有の否定などについて

「ギャラリー酔いどれ」に載っていた「ネットゲリラ」記事の一部だが、これは現代の時代精神というものを正確に捉えているのではないか。企業の「拝金主義」は誰でも感じていることだが、「責任を取らない」主義というのも大きなポイントとして意識する必要がある。会社だけではない。大きな組織はほとんどがそうだろう。失敗があれば、下の人間や弱い人間に責任を押し付けて、知らんふりをする。オリンピックも東京都新市場も同じ構図である。

実は、下の記事を読む前に「混沌堂主人雑記」記事の中で二つほど興味を惹かれた記事があったのだが、それはgeneumi氏の、大意「組織は恒常的に置く必要はない。プロジェクトごとに作り、問題が解決したら解散すればいい。公務員なども同じだ。固定的な役職に給料を払うのは無駄である」というような意見と、マドモワゼル愛氏の、大意「マンションのほとんどは、所有者が働きに出ている間は無人である。これは大きな無駄だ」という意見である。後者は、「所有から共有へ」という世界像を提示しているわけである。所有とは、正確には「私有」と言うべきだろうが、「私有」の否定と言うと「共産主義か」と思われそうなので、「所有」と言ったのではないか。厳密には専有(占有)だろうが共有だろうが「所有」である。
語義の話がくどくなったが、geneumi氏の意見もマドモワゼル愛氏の意見も非常に興味深い。あるいはこれからの世界を望ましい形にするヒントかもしれない。だが、同時に、それらの考えには大きな欠陥があるからこそ、現在のような形になっているかもしれない、と考えてみる必要はありそうだ。たとえば、「固定的組織」と「プロジェクトシステム」との比較をしてみて、両者の長所と短所をリストアップする作業が必要だろう。
私有の否定にしても、私有には共有では得られない長所もあるはずだ。たとえば、「これはみんなのもの」と言うのと、「これはあなたのもの」と言われた場合の愛着度の違いなどもある。愛着とは執着であり、悪だ、という仏教的人生観を誰もが持っているわけではない。愛着こそが人生の輝きを作る、というのは恋愛などを考えればわかることである。

geneumi氏の意見もマドモワゼル愛氏の意見も、いかにももっともなのだが、より大事なものを取り落している可能性は無いだろうか。あるとしたら、それは、どちらの意見も「無駄の排除」という点に立脚していることから生じているのではないか、と思う。つまり、結局は企業の論理と同様の経済合理性が目に見えない縛りになっている可能性はあると思う。




(以下引用)




自前で雇うより割高なのに派遣を使うのは何故か? 
それは「責任を取らなくていいから」です。
企業は雇った従業員を食わせるために仕事をしている、
という意識がなくなった。
その場の銭儲けのために、必要な人数をかきあつめるだけ。
どんな大企業でも、みんなその日暮らしの経営になってしまった。
これからも、意外な大企業がどんどん潰れて行くだろう。
未来を見据えていないんだから、当然だ。





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