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撫育資金から特別会計へ

「春曲丼より混沌丼」から転載。
現在の特別会計(いわば秘密会計である。)の金額が国家予算の八割を占めること、その制度の淵源が荻藩(長州)の「撫育資金」制度にあったのは初めて知った。さすがに苫米地英人は只者ではない。城狐社鼠による「国家犯罪(税金泥棒)」の根本はここにあると言えそうだ。

(以下引用)


さなぎ日記 (あさなぎ心療内科のブログです)
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
萩藩(長州:現在の山口県)が幕府に勝って成立しました。
萩藩は官僚制度を作り、それが現在まで続いて日本を支配しています。
萩藩出身の総理大臣は8人、19代います(在位期間は40年近くになります)。
・伊藤博文;初、5,7,10代
・山縣有朋;3,9代
・桂太郎;11,13,15代
・寺内正毅;18代
・田中義一;26代
・岸信介;56,57代
・佐藤栄作;61~63代
・安部晋三;90,96,97代
(第94代の菅直人氏は父の転勤でたまたま山口県で生まれたので、ここには含めません)
萩藩が幕府を倒せたのは、武器を買う莫大なお金があったからです。
萩藩は毛利家がおさめていました。
毛利家はかつては中国地方10か国をおさめる有力な大名でしたが、関が原の戦い(1600年)で徳川方に負けて、長門(萩藩)と周防(徳山藩)の2か国を治めるだけになり、120万石の石高が5分の1とすっかり貧乏になりました。
それを立て直したのが、7代目の藩主・毛利重就さんです。
重就さんは策士でした。
まず、検地(宝暦検地。土地の再調査)を行って、年貢(固定資産税)を大幅に増やしました。当時は所得税や消費税はなく、農地の広さによって税金(石高)を決めており、
宝暦検地によってあぜ道も農地に認定することで6万石増えました。萩藩はその内2万石だけを公表(本繰)し、4万石を裏金(撫育資金)として隠しました。
撫育資金は極秘資金で、藩主直轄の撫育局が運用しました。これは一般会計とは連動せず、自分たちが勝手に使える金です。
撫育局の収益は、なんと本繰の4倍でした。
その運用方法は以下の3つです。
・倉庫業(越荷方):大阪の米の値段が安い時に倉庫に保管して、高くなった時に売る。
・金融業:米を担保に商人に金を貸す。
・密貿易:上海や朝鮮と。
その運用益で武器を買ったわけです(坂本龍馬が武器を手配し、買ったのが撫育局の、伊藤博文、高杉晋作、井上薫、大村益次郎、木戸孝允です)。
<ミニエー銃4300丁、ゲベール銃3000丁、木造蒸気船3艘、鉄製蒸気船1艘を(15万205両、1865年~1966年のことです)。維新前後で萩藩は100万両から150万両(現在の100兆円)使ったと言われています>
維新後、明治新政府(と官僚制度)は萩藩の撫育局出身者が作りました。最も需要な総理大臣と大蔵大臣は萩藩が独占しました司法大臣もです(警察官僚は薩摩藩ですが)。
官僚制度はエリートによる権力支配です。それ以来、これを打破しようとする試みは1度も成功していません。政権を握った民主党のチャレンジもことごとく跳ね返されましたよね。
第二次大戦後に日本を統治したGHQも官僚制度を温存しました。国民全体を直接支配するより、官僚を支配する方が効率的だと考えたからです。
萩藩が作った官僚機構の大きな特徴は、
撫育資金という打ち出の小槌を温存したことです。特別会計と名を変えて。
国家予算500兆円のなんと80%の400兆円が特別会計(2013年)です。特別会計は国会の承認を必要としない、官僚や政治家たちが自由に使える金です。
補助金として特殊法人に分配され、会計監査もなく政治家や官僚に戻って来る金です。
これを国会議員の国政調査権によって調べて、暴露した民主党の石井紘基さんは暗殺され、その後、国政調査権は秘密保護法によって事実上無くなりましました。
<「明治維新と言う名の洗脳」(by苫米地英人)を参考にしました。目から鱗でした>

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