うちの母親はスポーツと縁がなかった。父親はスポーツ万能だったが仕事人間だったので、息子の躾にはほとんどタッチせず、ときどき殴るくらいだった。
小学校でも中学校でも、勉強しなさいとは言われたが、スポーツ部活をやりなさいとは言われなかった。そもそも体育はできなかった。
高校は甲子園の優勝校だったが、野球選手は別世界の人間だった。クラスメートには2人の野球選手がいて、2人ともそれなりに野球界に名を残した。私は仲が良かったがそれだけのことだった。部活は生物部に入った。1年生の担任が部の顧問だったが、なぜ入ったのかよくわからない。週に2回の緩い部活。勉強第一の学校だったから、必死に部活をするのは軟式テニスとか、硬式野球とか強い体育会系だけで、あとはのんびりしたものだった。私は生物部で軟球やテニスボールでしょっちゅう草野球をしていた。今、人気時代劇作家になっている上田秀人も、生物部ではなかったが、似たような部活をやっていて、顔見知りだった。電車の中づり広告などで写真が出ているが、高校時代と全く変わっていない。
ライターになって、25年ほど、いろんな中学、高校の部活を取材するようになって、世の中には私が学んだ高校とは別世界の部活があることを知った。
平成に入ってから、部活は過熱している。多くの高校で、体育会系の部活は、強い部も弱い部もほぼ毎日練習している。文科系でも全国大会に出るような吹奏楽部や美術部、書道部などは、体育会系と変わらない。
ある私学では部活を「強化部活」と「一般部活」に分けている。一般部活の放送部などは、お気楽そのものだが、強化部活は夜になっても練習を続けている。
指導者は「休みは正月とテスト前だけ」と誇らしげに言う。部員の高校生も「少しでも長く練習がしたい」という。中には寮に住み込んで、選手と24時間生活を共にする指導者もいる。
そういう取材をするたびに私は、絶対に学校の教員は嫌だと思った。プライベートも自分の時間もない。教師としてのスキルアップもできない。家族の時間もない。
しかし学校はそういう教員を「学校の宝」だと言ってきた。「教育にすべてをささげている」と。
そして親も、部活にすべてをささげる教員を「熱血教師」「人生の師」と讃えてきた。
こういう「絶賛」には、ある種の「下心」がある。思春期になって扱いが難しくなった子供を、長期にわたって預かって、面倒を見る指導者は、学校にとっても親にとってもありがたい存在だ。ややこしいことを全部押し付けることができる。要するに責任放棄をしているのだ。
しかも教員には、給料+雀の涙ほどの手当てを与えているだけだ。頼みもしないのに勝手に長時間子供を指導してくれるのだ。こんなにありがたい存在はない。
熱血指導者は、学校や親におだてられ、煽られて、一人で勝手に重荷を背負っていると言えなくもない。自分では「志」をもって指導しているつもりだが、学校や他の教員、親の責任まで押し付けられているという見方もできるのだ。
その最大の被害者は生徒だろう。甲子園などに出て将来が開けるのはほんの一握りだ。多くは時代錯誤の軍隊式の指導で、創造力や思考能力を十分に養うことなく、「スポーツ馬鹿」と言われる人間になっていく。
そういう境遇で育たなかったこともあり、私にはおぞましいことにしか思えない。
ようやく「部活改革」の機運が高まってきたが、少々スポーツが弱くなっても構わないから、一刻も早く日本の部活を解体すべきだろう。
高校は甲子園の優勝校だったが、野球選手は別世界の人間だった。クラスメートには2人の野球選手がいて、2人ともそれなりに野球界に名を残した。私は仲が良かったがそれだけのことだった。部活は生物部に入った。1年生の担任が部の顧問だったが、なぜ入ったのかよくわからない。週に2回の緩い部活。勉強第一の学校だったから、必死に部活をするのは軟式テニスとか、硬式野球とか強い体育会系だけで、あとはのんびりしたものだった。私は生物部で軟球やテニスボールでしょっちゅう草野球をしていた。今、人気時代劇作家になっている上田秀人も、生物部ではなかったが、似たような部活をやっていて、顔見知りだった。電車の中づり広告などで写真が出ているが、高校時代と全く変わっていない。
ライターになって、25年ほど、いろんな中学、高校の部活を取材するようになって、世の中には私が学んだ高校とは別世界の部活があることを知った。
平成に入ってから、部活は過熱している。多くの高校で、体育会系の部活は、強い部も弱い部もほぼ毎日練習している。文科系でも全国大会に出るような吹奏楽部や美術部、書道部などは、体育会系と変わらない。
ある私学では部活を「強化部活」と「一般部活」に分けている。一般部活の放送部などは、お気楽そのものだが、強化部活は夜になっても練習を続けている。
指導者は「休みは正月とテスト前だけ」と誇らしげに言う。部員の高校生も「少しでも長く練習がしたい」という。中には寮に住み込んで、選手と24時間生活を共にする指導者もいる。
そういう取材をするたびに私は、絶対に学校の教員は嫌だと思った。プライベートも自分の時間もない。教師としてのスキルアップもできない。家族の時間もない。
しかし学校はそういう教員を「学校の宝」だと言ってきた。「教育にすべてをささげている」と。
そして親も、部活にすべてをささげる教員を「熱血教師」「人生の師」と讃えてきた。
こういう「絶賛」には、ある種の「下心」がある。思春期になって扱いが難しくなった子供を、長期にわたって預かって、面倒を見る指導者は、学校にとっても親にとってもありがたい存在だ。ややこしいことを全部押し付けることができる。要するに責任放棄をしているのだ。
しかも教員には、給料+雀の涙ほどの手当てを与えているだけだ。頼みもしないのに勝手に長時間子供を指導してくれるのだ。こんなにありがたい存在はない。
熱血指導者は、学校や親におだてられ、煽られて、一人で勝手に重荷を背負っていると言えなくもない。自分では「志」をもって指導しているつもりだが、学校や他の教員、親の責任まで押し付けられているという見方もできるのだ。
その最大の被害者は生徒だろう。甲子園などに出て将来が開けるのはほんの一握りだ。多くは時代錯誤の軍隊式の指導で、創造力や思考能力を十分に養うことなく、「スポーツ馬鹿」と言われる人間になっていく。
そういう境遇で育たなかったこともあり、私にはおぞましいことにしか思えない。
ようやく「部活改革」の機運が高まってきたが、少々スポーツが弱くなっても構わないから、一刻も早く日本の部活を解体すべきだろう。
スポーツ庁の有識者会議がまとめた運動部活動に関するガイドラインには「1日の活動時間は平日2時間、休日3時間程度。休養日は週2日以上設ける。週の活動上限を16時間未満とする」とあります。
今月1日には文化庁が中学校や高校の文化部活動についても「1日の活動時間は平日2時間、休日3時間程度。休養日は週2日以上設ける」の目安を盛り込んだ指針案を同庁有識者会議に示したとのこと。
ただこの対象となるのは都道府県立の公立中高が対象で、政令指定都市の市立中学は後追いで、私立学校は参考扱いで強制力は無いとのこと。
なので私立学校では「休みは正月とテスト前だけ」の状況は変わっていないように思いますが?
私立学校の生徒が「休みは正月とテスト前だけ」の状況を変えようと、部活指導の顧問やOBOG、学校の教師に「1日の活動時間は平日2時間、休日3時間程度。休養日は週2日以上設ける」の目安を盛り込んだ指針案に変更してくれ、と要望したらどうなるか?
「嫌なら辞めろ。部活は勿論だが、ウチの学校(私立)も辞めてもらっていい。ぬるま湯の指針案がいいなら公立にも行ってくれ。和を乱す奴はウチの部活にも我が校にもいらない」と顧問や教師にも言われるのが現状ではないか。
平尾誠二著「理不尽に勝つ」
山崎武司著「今、意味がないと思うことに価値がある」
こういったパワハラや暴力、虐めや差別を若いうちに経験することで「人を鍛える、人間的に成長する」主旨の本が近年目立ちますね。
これらを許容賛美する文化や土壌が「旧日本陸軍・海軍」「ブラック企業」「ブラック校則」が産まれる元凶になっていることを、一人一人が認識すべきだ。