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気の赴くままにつれづれと。
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二つ目は、現役兵の徴集率、つまりその世代で徴兵されたのはどれくらいの割合なのか、という数字である。
一九三七年の陸海軍現役徴集者数(志願兵を含む、以下同様)は、一八万七〇〇〇認で徴兵検査受検人員に占める割合は二五%、四一年は三八万六〇〇〇人で徴集率は五四%、四三年は四一万三〇〇〇人で徴集率は五八%、四四年は一一三万六〇〇〇人で徴集率は七七%である(『徴兵制』)。(吉田p.86-87)
学徒出陣が1943年だったことは知っていたけども、日中戦争が開始された年に徴集率が3割を切り、真珠湾攻撃の年にようやく半分、というのは驚きだった。
「国民皆兵」とは言いながら、ずいぶん徴兵からは逃れていたんだなあと。
対馬に配属された若い兵士を描いた大西巨人『神聖喜劇』には、帝大出の主人公が健康診断を受けた際に、軍医から「お主、胸を患っておるのう」と告げられ(実際には健康体なのに)、明らかに好意的に「即日帰郷処分」にしてくれようとする場面が出てくる。
一体、どのようにして徴兵逃れができたのかを、本書は一端であるが、酒匂という軍医の証言を引いて次のように書いている。
酒匂の仕事の一つは、召集兵の入営時の健康診断だったが、「軍需工場の重要な要員」が召集されてくることがよくあった。そんなときは、「誰々を頼むとだけ書かれた紙片」を渡され、酒匂は「その要員にちょっと聴診器を当てて、姓名のカシラに、『レ』印をつけて、傍に、『右肺浸潤』とだけ書けば、」、すぐに除隊になった(『あゝ痛恨 戦争体験の記録』)。(吉田p.103)
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