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学校の存在意義

「混沌堂主人雑記」から転載。
教師の過重労働を減らすために学校業務を大幅に減らすことには大賛成だが、減らすべきものは授業内容そのものではないか。大学入試のための授業が高校の授業内容であり、高校入試のための授業が中学の授業内容であるという現状をそのままにしていて、生徒の人生そのものが幸福なものになるのか。
一番の癌は、「一流企業」や「大企業」が入社資格を大卒に限定していることであり、そのために仕方なく誰もが大学入試を目指すことになる。頭の程度から言えば、文学書を一冊も読んだ経験も無く、あるいは二次方程式も理解できないような連中まで大学進学を目指すという状態の方が狂気なのである。私自身、小学校中学校の理科や社会の授業内容などほとんど理解できないまま高校大学(こちらは中退したが)へと進んでいる。当たり前の話だ。自分に何の関係も興味も無い植物や動物や物理化学の知識、年号や地名や社会制度の知識が理解できるはずはない。まともに理解できたのは国語だけである。その国語も、教科書に載っている小説が面白かっただけの話だ。
それはともかく、部活や学校行事による教師負担を減らすこと自体には大賛成である。なぜ教師が教科外のことまでいちいち関わらないといけないのか。授業以外のことは生徒にすべて一任し、「自主管理」させたほうが生徒も楽しいし、教師も楽だろう。「部活計画書」「行事計画書」だけ生徒に提出させ、教師はそれに目を通すだけでいい。それで事故が起こったら、生徒の責任でいいのである。文句を言う親は「モンスターペアレント」だと指弾する風潮を作っていけばいい。
私自身は部活経験も学校行事への参加経験もほとんど無いが、学校の存在意義のひとつは、青春の一時期の「思い出」を作ることである。だからこそ、人は大人になっても学校が舞台のアニメや漫画や小説に特別な感慨を持つのではないか。つまり、学校とは、目に見えにくいが「日本文化の一部」なのだ。ひとつの風物詩なのである。子供の人生にとっては世界そのものだ。
我々が考えるべきことは、その世界がどうすれば子供や教師や親全員にとって幸福なものになるか、である。
学校行事や部活そのものを無くせ、という意見には私は与しない。むしろ、授業は午前中だけにし、午後の4時間くらいは教師の関与無しに部活と自由研究(特に研究したいことが無ければ図書館で読書などすればいい。)の時間にし、校門は5時に確実に閉めるようにしたらいい。


(以下引用)



戦闘教師「ケン」 激闘永田町編  より

上記文抜粋
・・・・・・・・
人を使い潰して増員を要求する無能者

【公立小中学校の教員数 全国で700人以上不足】
 全国の公立の小中学校の教員の数が、ことし4月の時点で定数より少なくとも700人以上不足し、一部の学校では計画どおりの授業ができなくなっていることがNHKの取材でわかりました。これまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足が要因と見られ、専門家は「国や自治体は早急に実態を把握し、対策を検討すべきだ」と指摘しています。
全国の公立の小中学校の教員は、国が学校ごとの児童や生徒の数に応じて毎年、定数を算出し、それをもとに各地の教育委員会が配置しています。
 NHKが全国の都道府県と政令指定都市、合わせて67の教育委員会に教員の定数とことし4月の始業式の時点での実際の配置状況について尋ねたところ、全体の半数近い32の教育委員会で定数を確保できず少なくとも717人の教員が不足していたことがわかりました。
 このうち福岡県内では担当教員の不在で技術や美術の授業をおよそ2か月間実施できない中学校があったほか、千葉県内では小学校の学級担任が確保できず教務主任が兼務する事態も起きています。
専門家によりますと、背景にはこれまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足があるということで、教員の配置に詳しい慶應義塾大学の佐久間亜紀教授は、「臨時採用など非正規の教員は雇用が不安定で給料が低く確保が難しい状況にある。国や自治体は早急に事態を把握し、採用計画を見直すなど対策を検討すべきだ」と指摘しています。
(7月4日、NHKから抜粋)

これは日本型組織の無能の典型例。徒に若手教員を使い潰して「人手が足りない」と増員を要求する様は、補給のあても無い太平洋の島々に兵を送り込んで餓死させておいて「兵が足りない」と騒いでいた旧軍と全く同じだ。

全体状況としては、「少子化だから」と教育予算を抑えられているにもかかわらず、教員の平均年齢が高くなって人件費が高止まりして、正規職員の新規採用が十分ではないのは間違いない。
だが、正規採用を抑え、非正規教員を増やした結果、正規採用された新人教員は十分な教育訓練も受けられないまま、担任はおろか部活動の顧問まで押しつけられ、保護者からの過剰な要求も相まって、過重労働とストレスにさらされ、3~5割が数年で退職、休職するという事態になっている。
また、非正規教員は超低賃金の上、正規教員とほぼ同じ職務が要求され、時間給に直すと500円以下になっている。しかも、夏休みなどの長期休暇中は、給料も出ないのに部活動や行事への参加が強要されるという。結果、臨時職員は募集しても応募者が不足、定員割れが常態化している。
東京都の場合も、10年前には6倍前後あった募集倍率が、今では3倍を切っている。高偏差値大学の教育学部では、教員志望者が1割を切っているというから、応募者の質は推して知るべしであろう。

まさに日本社会、企業文化を象徴する話で、低賃金&ブラック労働を放置して、人材を使い潰しておいて「人手が足りない」と大騒ぎしている財界や政府の姿そのものなのだ。

本ブログでは何度も言っていることだが、まずは部活動と学校行事を全面廃止し、終業時間になったら生徒を全員校外に出して閉門、保護者からのクレームや相談は担任教師が受けるのでは無く、専門の窓口(担当者)を設置して対応することから始めるべきだ。
学校が「子守機関」「監視機関」となってしまっているからこそ、教員の過重労働が悪化し、教育指導の質も低下、学力の低下に直結している。あくまでも学校は「勉強するところ」であるべきであり、それ以上を求めるべきでは無い。社会や保護者が「あれもこれも」学校に求めた結果が、現在の惨状であることを認めない限り、いかなる解決もできないだろう。

【追記】
根源的には様々な学校行事や部活動など、学校に過剰なサービスとスペックを求めた結果、運営コストが上昇していることに起因しており、その自覚を持たずに、ただ「教育費が高い」と批判したところで無責任であろう。運動会や文化祭、修学旅行などの学校行事と部活動を全廃すれば、授業料は10~20%削減できるはずだ。また、本来目的外の過剰なサービス要求が、本来の「商品」であるはずの学力教授水準を低下させ、それを補うために塾に通うという「ムダ」を生じさせている。この点でも、行事と部活動を廃止して、全資源を学力向上に投入すれば、塾に通う必要がなくなり、教育費の自己負担を大いに削減できる。どこに「ムダ」があるかは明白すぎるはずなのだが、それを認めないところが「すでに終わっている」のであり、ここは強権を駆使する必要があるだろう。




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