こういう記事があるのだが、宮台真司という人間への憎悪が、あの事件を起こしたのかもしれない。
宮台真司氏が指摘する、 年間3万人が孤独死する日本の切実な問題
宮台真司と読み解く「孤独死と自己責任論」——特殊清掃の現場で起きていること #1/5
宮台:ちょうど5年くらい前に、「恋愛できないんじゃなくて、恋愛しないんだ!」とか「一生結婚せず、恋愛もしないで、一人で生きる時代、いいじゃないか!」という発言が、インターネット上に目立つにようになりました。孤独死も同じでして、「独りで死ぬのも、いいじゃないか」などといった、僕に言わせると「クズ発言」が出てくるようになりました。クズであることは簡単に証明できます。
もし、みなさんに、心が豊かで親しい友達がいて、その友達がそういうことを言い始めたら、どう思いますか?
「こいつはなにか諦めて、それを後から正当化しているな」と必ず思うはずです。人間は認知的な整合化をする動物です。自分に不可能なことを望み続けると傷ついちゃうので、傷つかないように「もともとそういう望みを持っていないんだ」と自分を言いくるめるんですね。
そうすることで、叶わない望みを求め続けることによって尊厳が傷つくことを避けようとするわけです。精神科医や精神病理学者であれば、誰もが知っていることです。みなさんも御存知のはずですね。
「誰とも付き合わないで、独りで生きるのが気楽なのさ」と言っている人たちは、なにかを諦めざるを得ない状況に追い込まれているのだと想像しなければなりません。その上で、本当にそれを諦めなければならないのかを、考えるべきなのです。
「幸せな孤独死」は自己欺瞞から生まれる
菅野:私は『東洋経済オンライン』という媒体で、年末から複数回に渡って孤独死の記事を書いています。毎回、大きな反響があるのですが、Twitterやブログなどの反応を見ていると、「孤独死の何が悪い!」という反応が一定数あります。あとは「将来の自分が孤独死するかもしれない」というものも多いです。この孤独死がなぜ悪いのかという問いの答えを、宮台先生にぜひお聞きしたいです。
宮台:いま申し上げたことを、別の言葉で言うと、見たくないものを見ないことによってセルフイメージを持とうとする、浅ましい人たちが多いということです。「諦めたから、仕方なく一人で過ごすことを苦しくないように工夫しよう」というのであれば、マシです。自己正当化を自覚していないことが浅ましいのです。
逆に、浅ましくなくて、「孤独死は自分の将来の望ましくない問題だな」と意識できる人には、そのあとに「でしょう? だったらどうしたらいいと思う?」というコミュニケーションを続けることができます。ここにいらっしゃる方々がそうです。
だから、「幸せな孤独死」などと真顔で言うような自己欺瞞的な人間は、自らコミュニケーション回路を閉ざしてしまっていると言えます。残念としか言いようがありません。
その意味で、本を読んだ第一印象は、孤独死を特殊な現象として描いているのではなく、誰もが自分事として納得ができるようなユニバーサルな問題として描き出しているな、ということ。誰もが「すでに」向き合っている切実な問題を告げ知らせてくれます。つまり、死ぬかどうか以前に、尊厳を失ったアローンな生活を続けている膨大な数の人々。ウヨ豚とか糞フェミとかはほとんどがそうだという印象があります。
この間も、ニコ生のコメントを1個1個全部拾って、「友達いないだろう」「あんたみたいなクズを恋人にする人はいないぜ」「ひとり寂しく死ね」と罵倒していきました。相手の反応を引き出すためによくやる手です。すると、「そうだよ! 俺は孤独だよ! 独りで寂しく死ぬんだ!」と大勢が返してきます。
「お前のために死んでくれるやつはいるかい?」「いないよ!」みたいな感じ。結局、ウヨ豚は価値観じゃなく症状ですが、こういう症状を呈するようになったら、もう手遅れだと思います。