前に、「トレント最後の事件」について少し書いた気がするが、検索しても出てこないので気のせいだろう。この小説を読み始めてたぶん半月くらい経つが、あまり熱心に読んでいないので、まだ全体の3分の2程度しか読んでいない。というのが、「小説としては面白いが、推理小説としては変だ」という小説なのである。で、先ほど、その「推理小説としては変なところ」が、この小説の推理の鍵かもしれないと思い当たって、最初不熱心に読んだ冒頭部分を読み返してみて、ある推理に至ったので、書いてみる。
先に、「小説としては面白い」という説明からする。全体の3分の2までのその半分くらいが、主人公の素人探偵トレントが、犯罪の容疑者のひとりであるマンダースン夫人(殺人被害者の妻)に恋をする、その心理描写になっているのである。まあ、「若きウェルテルの悩み」のような「片思い小説」という点で文学性はあるわけだ。しかし、事件そのものの説明はあまりに漠然としている。推理小説としてはこれはおかしすぎるだろう。
そこで、最初の部分を読み返すと、最初の一文がこう書かれている。
ほんとうに重大なことがらと、外見だけのものとを正確に判別することは、我々凡人にとっては至難のわざというべきであろう。
これで、答えが分かった、と私は思ったので、この一文を書いているのである。ちなみに、第一章は、この殺人事件の被害者マンダースンという世界的大富豪の生涯や人物像の紹介になっている。そして、第二章以降は、まったくその種の話は出て来ないので、読者はこの第一章の内容や冒頭の第一文を絶対に忘れるのである。マンダースンは若いころは冒険的な投機家で、中年以降は堅実な金融資本家となっていたが、投機家的精神は老年になっても残っていた、とある。
もう、これで明白ではないか。
つまり、殺人事件は「ほんとうに重大なことがら」ではなく、「外見だけのもの」であるから、事件自体の経過の描写がほとんど無かったわけだ。
この小説にはG・K・チェスタトンへの献辞がある。その献辞によれば、チェスタトンなら、この作品を楽しく読んでくれるだろう、とされている。つまり、この作品自体がチェスタトン的な作品だ、と暗示しているわけだ。すなわち、正統的な推理小説ではなく、かなりトリッキーな「変則的推理小説」だと推定できる。
この作品で「本当に重大なことがら」は、第一章であり、そこに事件の真の鍵がある。そして、殺人事件は「外見だけのもの」であるとしたら、事件の真相は、「この殺人事件の死体はマンダースンではない」となるだろう。そして、マンダースンの死という(フェイク)大事件で起こる株式市場の大暴落と、それを利用した投機行為(底値で投げ売りされた株を買い占めること)こそが事件の真相だったわけだ。そして、本当の「殺人」被害者は、株式大暴落で財産や職を失い自殺した多数の人々だ、となる。
まあ、この推理が当たるかどうか、楽しみである。
(些末な部分で言えば、「マンダースンの死体」が義歯をはめていないのは、それが本物のマンダースンの死体ではないからだろう。警察は、死体が義歯をはめていないことに気がつきもしない可能性は高い。そもそも、マンダースンが義歯をはめていたことなど警察は知るはずがない。実際にマンダースンを知っていた人間が警察にいるはずもない。まあ、多少の不都合はカネで誤魔化せるだろう。)(犯罪の一番の「協力者」がマンダースンの妻であるのは言うまでもない。妻が、「この死体は夫ではない」と言えばすべておジャンである。だから、名探偵の恋情が捜査の邪魔になるわけで、そこに作者の皮肉がありそうだ。)(死体の片目が拳銃で射られたのは、その片目が何かマンダースンと異なる特徴を持っていたからだろう。)
(後記)最後まで読んだが、私の推理は大外れだった。だが、「正解」が、無理だらけで実につまらないもので、「探偵」が真犯人やその容疑者の不法行為を見逃すという、オマケ付きである。解説によると、作者自身、この作品は「推理小説への嘲笑として」書いたようだ。とにかく、筆致に騙されるが、登場人物の行為がすべて不合理すぎる。ヒロインなど、世界最大の遺産を受けながら、それを放棄して「探偵」である(たぶん二流か三流の)画家と結婚するらしい。財産に目がくらんで結婚した女が、それを放棄して、あまり冴えない男と結婚すること以上の不自然、不合理はない。不合理行為が「当たり前」なら推理は不可能だ。まあ、「女性心理」はどうでもいいが、億万長者が、さほど愛情を持ってもいない妻の浮気を疑って、その間男容疑者に罪を着せるために、自分が自殺して男を犯人に仕立て上げるという「計画」が、世界一の金持ちのすることか。大金持ちというのは、自分の行為で何百人が死のうが何とも思わない精神を持っているからこそ阿漕な商行為ができるのである。それは、すべて「自分の利益」のためだ。そういう男が自殺などするか。(なお、この「自殺」は、ありえないようなアクシデントで「他殺」になるが、その殺人者は、小説中でほとんど動向が描かれなかった人物である。そういう人間が「真犯人」だ、といきなり言われても、推理でそこにたどり着くのは無理だ。だからこそ、この作品は「推理小説への嘲笑」なのである。)いろいろネタバレしたが、推理小説としては最低の作品なので、ネタバレも罪にはならないだろう。まあ、今さら誰も読まないような古い推理小説なので、私のこのエッセイでかえって興味を持つ人がいるのではないか。
作品の無理や不合理を心の中で批判しながら小説を読むというのも、なかなか面白いのである。
先に、「小説としては面白い」という説明からする。全体の3分の2までのその半分くらいが、主人公の素人探偵トレントが、犯罪の容疑者のひとりであるマンダースン夫人(殺人被害者の妻)に恋をする、その心理描写になっているのである。まあ、「若きウェルテルの悩み」のような「片思い小説」という点で文学性はあるわけだ。しかし、事件そのものの説明はあまりに漠然としている。推理小説としてはこれはおかしすぎるだろう。
そこで、最初の部分を読み返すと、最初の一文がこう書かれている。
ほんとうに重大なことがらと、外見だけのものとを正確に判別することは、我々凡人にとっては至難のわざというべきであろう。
これで、答えが分かった、と私は思ったので、この一文を書いているのである。ちなみに、第一章は、この殺人事件の被害者マンダースンという世界的大富豪の生涯や人物像の紹介になっている。そして、第二章以降は、まったくその種の話は出て来ないので、読者はこの第一章の内容や冒頭の第一文を絶対に忘れるのである。マンダースンは若いころは冒険的な投機家で、中年以降は堅実な金融資本家となっていたが、投機家的精神は老年になっても残っていた、とある。
もう、これで明白ではないか。
つまり、殺人事件は「ほんとうに重大なことがら」ではなく、「外見だけのもの」であるから、事件自体の経過の描写がほとんど無かったわけだ。
この小説にはG・K・チェスタトンへの献辞がある。その献辞によれば、チェスタトンなら、この作品を楽しく読んでくれるだろう、とされている。つまり、この作品自体がチェスタトン的な作品だ、と暗示しているわけだ。すなわち、正統的な推理小説ではなく、かなりトリッキーな「変則的推理小説」だと推定できる。
この作品で「本当に重大なことがら」は、第一章であり、そこに事件の真の鍵がある。そして、殺人事件は「外見だけのもの」であるとしたら、事件の真相は、「この殺人事件の死体はマンダースンではない」となるだろう。そして、マンダースンの死という(フェイク)大事件で起こる株式市場の大暴落と、それを利用した投機行為(底値で投げ売りされた株を買い占めること)こそが事件の真相だったわけだ。そして、本当の「殺人」被害者は、株式大暴落で財産や職を失い自殺した多数の人々だ、となる。
まあ、この推理が当たるかどうか、楽しみである。
(些末な部分で言えば、「マンダースンの死体」が義歯をはめていないのは、それが本物のマンダースンの死体ではないからだろう。警察は、死体が義歯をはめていないことに気がつきもしない可能性は高い。そもそも、マンダースンが義歯をはめていたことなど警察は知るはずがない。実際にマンダースンを知っていた人間が警察にいるはずもない。まあ、多少の不都合はカネで誤魔化せるだろう。)(犯罪の一番の「協力者」がマンダースンの妻であるのは言うまでもない。妻が、「この死体は夫ではない」と言えばすべておジャンである。だから、名探偵の恋情が捜査の邪魔になるわけで、そこに作者の皮肉がありそうだ。)(死体の片目が拳銃で射られたのは、その片目が何かマンダースンと異なる特徴を持っていたからだろう。)
(後記)最後まで読んだが、私の推理は大外れだった。だが、「正解」が、無理だらけで実につまらないもので、「探偵」が真犯人やその容疑者の不法行為を見逃すという、オマケ付きである。解説によると、作者自身、この作品は「推理小説への嘲笑として」書いたようだ。とにかく、筆致に騙されるが、登場人物の行為がすべて不合理すぎる。ヒロインなど、世界最大の遺産を受けながら、それを放棄して「探偵」である(たぶん二流か三流の)画家と結婚するらしい。財産に目がくらんで結婚した女が、それを放棄して、あまり冴えない男と結婚すること以上の不自然、不合理はない。不合理行為が「当たり前」なら推理は不可能だ。まあ、「女性心理」はどうでもいいが、億万長者が、さほど愛情を持ってもいない妻の浮気を疑って、その間男容疑者に罪を着せるために、自分が自殺して男を犯人に仕立て上げるという「計画」が、世界一の金持ちのすることか。大金持ちというのは、自分の行為で何百人が死のうが何とも思わない精神を持っているからこそ阿漕な商行為ができるのである。それは、すべて「自分の利益」のためだ。そういう男が自殺などするか。(なお、この「自殺」は、ありえないようなアクシデントで「他殺」になるが、その殺人者は、小説中でほとんど動向が描かれなかった人物である。そういう人間が「真犯人」だ、といきなり言われても、推理でそこにたどり着くのは無理だ。だからこそ、この作品は「推理小説への嘲笑」なのである。)いろいろネタバレしたが、推理小説としては最低の作品なので、ネタバレも罪にはならないだろう。まあ、今さら誰も読まないような古い推理小説なので、私のこのエッセイでかえって興味を持つ人がいるのではないか。
作品の無理や不合理を心の中で批判しながら小説を読むというのも、なかなか面白いのである。
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