息子が見ていたTV版ドラえもんのお話が的確かつ鋭利すぎて……
2018/11/05 02:25
ようやく息子(3歳)も「人間を退廃させるランキングNO.1」の四次元ポケットの素晴らしさが理解できるようになったようで、近頃ドラえもんにハマっている。
毎日のようにAmazonプライムにかじりついて、TV版も劇場版も、何だったら旧声優版も含めて楽しんでいるのだが、先日見ていたお話の内容がとても鋭く、「オトナにこそ広めたい内容」だった。
2014年1月31日放送「ことばきんしマーカー」
学校からの帰り道、しずかがため息をついていた。聞くと、ピアノのレッスンでミスするたび、先生から「ダメね」と言われ、よけいにうまくひけなくなってしまうという。
しずかをかわいそうに思ったのび太が「人のやる気をなくすような言葉なんて、なくなっちゃえばいいのに!」と話すと、ドラえもんは1本のマーカーを取り出す。
それは『ことばきんしマーカー』という道具で、このペンで辞書に線を引くと、印をつけた言葉が使用禁止となり、禁じられた言葉を使うとカミナリが落ちてくるという。
のび太は、さっそくしずかのピアノ教室に行き、ことばきんしマーカーで、辞書の中の「ダメ」という言葉に線を引くが…!?
このテレ朝公式のあらすじを読んだだけで、おそらくどういう話か伝わると思うのだが、これは ”言葉狩り” に対する強烈なアンチテーゼである。
しかも、アニメ界きってのクソ野郎・のび太のダメ過ぎる言動により、言葉狩りの何がどうして危険なのかを、可能な限り丁寧に描写している。
話は大きく分けて4ブロックに分かれているのだが、展開が実に見事で、11分間という短い時間の中で、普段表現規制反対派が口を酸っぱくして言っている "IF" の殆どが詰め込まれていた。
『のび太、しずかのために言葉狩りを開始』
上のテレ朝のページにもあるように、物語はのび太がしずかの嘆きを聞き、それを解決しようと「ことばきんしマーカー」に手を出した事から始まる。
辞書に載っている「駄目」の部分にマーカーで線を引くと、しずかのピアノの先生が「ダメね」と発した途端に落雷が。
これで「しずかを助けた」と達成感を覚えてしまったのび太は、お約束のように暴走を始める。
『のび太、神様気分で言葉狩りを開始』
当初の目的は達したはずなのに、ことばきんしマーカーを手放さないのび太。お次はジャイアンとスネ夫に失敗を責められた悔しさから、自分に向けられる罵詈雑言を片っ端から禁止して回る。
ノロマだマヌケだバカだアホだとのび太をなじる度に、雷を落とされるジャイアンとスネ夫。
その後のび太は「この世の中から汚い言葉が全部なくなっちゃえばいい」という思想で、街中で耳にした悪い言葉や、自分が知らないorよく分からない言葉を、神様気取りの勝手な判断で禁止ワードにして回る。
このブロックで秀逸なのが、相手を悪く言う目的ではなく、単に聞こえ方が悪いだけで、相手に対する情の籠った言葉であっても、使用者が雷に焼かれるという描写だ。
具体的には、口の悪いラーメン屋の主人が、思ってたより盛りが多いという客に対して、「若いのがそれくらい食えなくてどうすんだ、べらぼうめ」と言葉を発するシーン。
これをのび太は「よく分からないけど(耳障りだから)べらぼうめを禁止しよう」と、マーカーで消してしまう。
すると、若いヤツを腹いっぱいにしてやりたいだけのラーメン屋の店主に、無情にも雷が落ちて来るのだ。
『のび太、正義(狂気)の暴走』
のび太はドラえもんに「街が大変な事になっている」と言われても、「汚い言葉が使えなくなって住みやすくなったでしょう?」と返す始末で、自分の行為がいかに危険か全く理解していない。
そこに現れたのは一度痛い目にあっているジャイアンとスネ夫。ドラえもんとのび太の会話で全てを理解した2人は、褒め殺しでのび太をおちょくるという反撃方法を思い付く。
「テストで0点を取れるなんて、のび太は天才だ」
「ケンカも強いしスポーツ万能でオレ負けちゃう」
などと、口々にのび太を誉めつつ、小馬鹿にする態度を見せる。
これにより頭に血が上ったのび太は、遂に「すごい」「天才」「ハンサム」など思い付く限りの誉める言葉も禁止ワードにしてしまう。
そんなのび太に対してドラえもんは「問題なのは言葉自体じゃなく、それを使う人間の気持ちなんだよ」と諭すが、発狂のび太は聞く耳を持たない。
ちなみに、何度ものび太を止めようとしたドラえもんは、のび太を咎める言葉を発する度に、それがすでに禁止ワードになっており、雷に打たれて気絶するという「止められない説明」がされている。
『のび太の孤立と街の破滅』
そんな事を繰り返す内に、親子ですら本音で言葉を交わす事が出来なくなり、街中では機械的な、全く感情の籠っていない短い言葉のやり取りしか行われなくなってしまう。画面も急に色が抜け、寒々とした描写に。
のび太は自分の思い通りの「汚い言葉のない世界」が実現したというのに、「こんなはずじゃない」「何かが違う」とでも言いたげな、寂しそうな表情で力なく歩く。
後半に差し掛かると、ジャイアンとスネ夫がのび太に対して更なる対処法を見せ付ける。街の惨状を見て凹んだのび太が、自ら2人に寄って行ったところ、完全に無視。去り際に「余計な事を言うと雷が落ちて来るから、もうお前とは話さない」と吐いて捨てる。
これによってやっと自分の過ちに気付いたのび太は、ドラえもんにマーカーを返そうとするのだが、話はこれでは終わらなかった。充分に痛い目(というか孤独感)を味わったのび太に対して、さらなる追い打ちが。
珍しくテストの成績が良かったとのび太を褒めに来た母親が、禁止ワードに引っ掛かって雷に打たれ、オチに繋がるアクシデントが発生してしまう。
『言葉や表現手段を消しても意味はない』
本編中でドラえもんが発した「言葉を使えなくしても意味がない」という言葉が、この回のテーマの全てを表現している。例え特定の単語が無くなったとしても、その単語を使いたいという衝動や感情、いわば「使用者の気持ち」が無くなる訳ではない。
また、自分勝手な判断や独善的な価値観の押し付けで言葉を殺して回ると、世の中が窮屈になり、人々の生気が失われる。
この回のシナリオで白眉だと感じるのは、ジャイアンとスネ夫の煽りを受けて、のび太が「誉める言葉すら禁止ワードにしてしまった」事だ。
今の世の中、様々な放送禁止用語があり、使用が自粛されている単語も数多い。その中を掻い潜って「本来そういう意味ではない単語」に別の意味を持たせて隠語として使ったりと、あの手この手のイタチごっこが続いている。
こうした隠語として使用されている単語は、そもそも何の問題もない意味で広く使われていた言葉が殆どであり、それを禁止してしまうとあちこちに問題が生じる。
例えば、AV業界で性行為を指す「本番」という単語が気に入らないからと「本番を使用禁止にします」となったらどんな混乱が起きるだろうか。
そういう言葉狩りのナンセンスさや「表現弾圧には終わりがない」という恐ろしさを、この回はごくシンプルな筋書きで表現してのけたのだ。
何よりリアルで怖いなと感じるのが、当初の動機こそ「しずかのため」であったが、すぐに「のび太の感情」が全ての価値基準となった点だ。
これなど今の偽フェミの大暴走や、少し前の反レイシズムを騙るしばき隊の大失敗そのもので、放送日を教えられなかったら、4年前じゃなくついこの間流れたのかと思えてしまう。
最初は息子に付き合って見ているだけだったのに、気付けば肝心の息子は話がイマイチ面白くなかったのか他の玩具で遊び始めており、43歳のオッサンが真顔でドラえもんに釘付けになるという、悪夢のような展開になってしまった。
声優が変わってからのドラえもんは流石に見ていなかったのだが、相変わらず風刺の効いたブラックな話をやってるんだなあと、藤子不二雄作品の何たるかが失われていない事に感動してしまった。