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藤原正彦による「論理の否定」論

米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」の中で、右翼的数学者の藤原正彦の「国家の品格」からその思想を幾つか抜き出してある。これだけ読めば「国家の品格」を読む必要も無いかもしれないwww まあ、私は読んでいないのだが、しかし、米原万里が抜き出した、藤原の思想は、或る意味数学者らしい「論理性に基づく、論理の否定」という趣があって面白い。そして私はその思想に共感する。ただし、私は右も左も肯定し、また右も左も否定する人間である。
で、その「抜き出し」を、少し短縮して紹介する。

1:先進国で進行する荒廃の根源に近代的合理精神、西欧的な論理の偽善と破綻がある。
2:共産主義も市場原理も実力主義も徹底していくと人間社会は必然的に破綻する。
3:あらゆる論理には4つの限界が内在する。
①人間の理性には限界があるため、論理の本質を見抜けず、大衆に行き渡るのはワンステップの単純化された論理で、論理以外のファクターは排除されるため、愚かな論理がまかりとおる。
②人間にとって最重要なことは論理だけでは説明できない。たとえば人殺しはいけないということは論理的には説明不能で、「駄目だから駄目」という論理以前の基本的倫理に属する。
③論理には出発点が必要で、この出発点の選択は、論理ではなく、人間の情緒という、人間の総合力から生まれる。(情緒力が無く、論理だけの人間は最悪。)
④純粋論理は0か1かの二者択一の世界だが、一般の世の中には絶対的な正しさも絶対的な間違いも存在しない。だから論理では人間社会の深淵に到達できない。

*論理の出発点が情緒だというのが面白い。まあ、これは「何を問題とするか」という部分だろうと思う。同じ問題が或る人には死ぬほど切実に思え、他の或る人にはまったく関心を呼ばないというのはよくあることである。たいていの人には他人の不幸は他人事で、自分の不幸は、それが足の小指の痛みでも最大の問題である。他人への共感力(情緒力)の無い人間が社会の上位にいる社会は一種の地獄だろう。



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