そんな人間に「自己実現」されては困るという連中もこの世界には膨大におり、私なども若いころの夢が実現していたら、世界はとんだ迷惑を蒙っていただろう。何しろ、絶対的権力者になって、ハーレムを作りたい、というのが夢だったのだからwww
むしろ、世間の人間がそういう不埒な「夢」を持たないことのほうに驚いてしまう。大きくなったら社会の役に立つ仕事をしたい、などと本気で考えている若者がいること自体(本当にいるとすればだが)、私には不思議に思える。社会の役に立つ仕事をしたい、ではなく、好きな仕事をして、その結果、それが社会の役にも立つならいいな、くらいがせいぜいではないだろうか。本気で、「社会の役に立つ」のがそういう人々の人生の第一義なのだろうか。
- そんなわけなので、「自己実現」は、「欲望実現」とか「煩悩実現」といったあたりの、もう一段階浅ましい感じの言葉に言い換えてほしい。
- 「自己実現」という言葉を使う人たちがなんとなくイメージしているに違いない「努力や経験によって自己を実現していく」ニュアンスが好きになれない。「自己」なるものが仮に実在するのだとすれば、それはものごころついた時点で既に「実現」していると考えるべきなのではあるまいか。
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