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「成功確率」を考えて「挑まない」ことの愚

「aproach to innovation」というブログに引用されていた為末大のツィートを転載する。
私は学校教育における体育やスポーツのあり方を批判することが多い。小さい頃、運動神経が鈍くて周囲に笑われた(と自分の心の中で想像した)ことで(勝手に)傷ついて、それ以来、スポーツへの努力などしたこともない。当然、運動音痴として半生を過ごした。学校生活では運動のできる者以外には存在価値は無いようなものだから、学校そのものも嫌で嫌で仕方がなかった。そのあたりから、「学校教育というのは、なぜ人を競わせ、人を序列化するのだろう」という無意識の疑問が生まれたような気もする。
誰であれ、頭の出来は、ふだんはあまり目立たない。テストの成績など、「俺はガリ勉しないから出来ないだけで、頭自体はいいのだ」と思っていれば済むことだ。冗談などがうまい人間は、「こいつは本当は頭がいいのではないか」と思われもする。しかし、スポーツでの「序列」はあまりに明瞭であり、言い訳もできない。そもそも、才能が最初から問題になる世界であり、生まれつき運動神経に欠陥のあるような人間にとっては別世界である。
というわけで、スポーツは、「見る対象」としては好きだが、「自分でやるもの」としては嫌悪の対象でしかなかったわけだ。まあ、一人で体を動かしていればいい、というなら嫌いではないが、他人の目の前でやらされるのは断然、お断りである。老人になることの利点は、そういう屈辱から逃れられたことであり、ヨイヨイの老人になるのも、そういう意味では悪くない。(笑)
さて、そういう人間が言うのも何だが、下の為末大の言葉は、実に素晴らしいものだ。
子供の頃の私がこの言葉を聴いていたら、人生そのものが変わったかもしれない。もちろん、才能の差はどうしようもないから、運動上手にはなれなかっただろうが、努力して人並み程度にはなれたかもしれない。そうすれば、女の子とも付き合う自信も生まれて、云々。
まあ、すでに大半が終わった人生を悔やむ気はないし、自分の気質から言えばそう悪くもない人生だったが、あるいは、まったく別の人生を歩むのも面白かったかもしれない。一般的に言えば、「努力しない人生」「逃げるだけの人生」よりは、努力する人生、チャレンジする人生のほうがいいだろうから、世の若者たちのために、下の言葉は学校教科書やサブテキストに載せるべき「黄金の言葉」だろう。


(以下引用)


為末 大         @daijapan

スポーツをやっていると、結果が全てだと強く思っている人に時々会う。基本的にはそれは動機の強さにつながっていい効果が多いのだけれど、あまりにも結果に潔癖になりすぎると、皮肉な事に結果にこだわりすぎて結果が出なくなったりする。


結果に潔癖な人は成功するというより、成功しそうな事しかやらない。だからチャレンジの数が人生で少なくなっていく。チャレンジは自分に限界を超えさせて、成長を促す。そのチャレンジが不足するという事は長く見ると成長が滞り、結局結果が出なくなっていく。


為末 大         @daijapan


絶対負けない方法がある、それは戦わない事。やるからには結果を出さないという価値観が強すぎる人は、いずれやらなくなる。やらないから経験がなく、全て頭で考えた世界で生きる。プライドが肥大化し、そして現実とどんどん剥離する。

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それだけで人生は生きるに値します。

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