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「文化防衛論」の考察(後段3)

9)~12)の考察をする。

9)日本文化の「全体性と連続性の全的な容認」が大事であり、「菊」と「刀」の一方に偏するような圧制者の偽善から文化を守らねばならない。

(考察)なぜ、「日本文化の全体性と連続性の全的な容認」が大事なのか、根拠が分からない。特に「全体性」とは、ここでは〈菊と刀〉を指すようだが、そのどちらかに偏する為政者を「圧制者」と決めつけているのも独断的だろう。普通は、戦時下の日本のように〈武〉に偏するのが国家権力なのであり、三島がこの本を書いた当時の日本は「憲法9条」によって〈武〉は米国にすべてお任せ状態だったわけだが、それは「圧制者」によってそうなったとするなら、「圧制者」は誰だということになるのか。そしてそれが「偽善」だとするのは「憲法9条」を偽善だと言う意味だと思うが、〈刀〉に偏した戦前の空気によって日本がほとんど滅亡しかけたことを三島は単なる詩人的ロマンチシズムで肯定し、「自らのタナトス(死の欲求)」を無批判的に承認する個人的嗜好を日本という国家にまで敷衍するという思想的詐欺を行っていると私は思う。



10)文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ることはできない。「守る」とは常に剣の原理である。


(考察)これも三島の主観でしかない。「剣の原理」とは「暴力」の意味だろうが、何かを「守る」とは普通、暴力(精神的な暴力や法律を基にした暴力も含む)から守ることだろう。つまり、暴力に対しては暴力でしか対抗できない、という思想で、それを否定したのが近代文明の法治主義思想である。もちろん、死刑制度のように「法律が暴力(国家の暴力・殺人)を肯定する」という矛盾も存在するが、それは現実問題としては単にプラスとマイナスの考量で決めるべき問題だろう。とりあえず、で言えば、法治国家では文化も言論も言論で守られるものである。

11)「献身的契機」のない文化の「不毛の自己完結性」が〈近代性〉と呼称(誇称)され、「自我分析と自我への埋没といふ孤立」により文化の不毛に陥る。「文武両道」とは「主体と客体の合一」が目睹され、「創造することが守ること」となり、「守ること自体が革新することであり、同時に〈生み〉〈成る〉こと」である。


(考察)「契機」とは日常用語の「きっかけ」の意味ではなく、哲学用語では単に「要素」の意味だと思えばいい。この一節は非常に思弁的と言うか、抽象的であるが、「文武両道」と「守る」ことを賛美しただけのプロパガンダ的内容だと把握すればいいと思う。「文化の『不毛の自己完結性』」は何を指しているか不明だが、おそらく近現代文学における「人間の内面の探求」を言っているかと思う。確かに、戦後文学はそればっかりだったという印象があり、その「人間」とは実は作者自身でしかないのである。まあ、哲学的自慰である。そこに「文化の不毛」を感じたのは私も同じだ。と言うか、戦後の「純文学」など、ほとんど私は読んでいない。この項目の後半はほとんど意味不明で、「文武両道」でなぜ「主体と客体の合一」が目睹されるのか分からないが、これは三島自身の作家としての姿勢だっただけではないか。つまり、戦後文学(純文学)がほとんど自我の内面への沈潜で終わるのに対し、〈武〉は常に他者(敵)が想定される行為である。〈武〉を契機とすることで主体と客体が必然的に生まれるわけだ。純文学の泥沼から逃れる手段として三島が〈武〉を選んだだけのことを、「文化というものはすべからく〈菊と刀〉であるべきだ」と強弁したのだろう。「創造することが守ること」「守ること自体が革新することであり、同時に〈生み〉〈成る〉ことだ」も、三島自身の作家としての自分の姿勢を批判者から「守る」ための韜晦的な発言だと思う。
なお、冒頭の「献身的契機」は、具体的には軍隊(軍人)をイメージしていると思う。自らの命を国家(あるいは天皇、あるいは崇拝する存在)に捧げる人間で、三島はそこに美的な価値を認めていたわけである。

12)文化伝統・言語統一のなされている日本での文化の連続性は、「民族と国との非分離にかかっている」。そして日本には真の意味での「異民族問題」はない。

(考察)この点に関しては、右翼的だと言われようが、私は三島に賛成する。日本における「在日朝鮮人」は既に「日本人」なのであり、従って日本には真の意味での「異民族問題」はない。
ただし、在日朝鮮人への「差別」はあるが、それは「日本人同胞への差別問題」なのである。日本国籍を取得していない人々に関しては「異民族問題」ではなく「滞留外国人問題」である。
日本は単一民族だ、という前提からは、「日本文化の連続性は民族と国の非分離にかかっている」と事々しく言う必要も無さそうだが、当時も今も日本における「異民族問題」は常に政治的文化的問題としてマスコミをにぎわしてきたわけだ。そしてそのことがほとんどの人の「心の棘」であったのである。繰り返し言うが、差別問題は差別問題として真剣に対応するべきであるが、それは「異民族問題」ではなく、「あらゆる日本人の法の下の平等」の問題であるだけだ。



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