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欧州の9月の雪、日本の極暑の秋

北極点が北極海上でヨーロッパ方向に動いているという話は前に引用したが、それは寒帯や亜寒帯がヨーロッパ側に南下している、ということになる。その結果が下の記事だろう。
それと対応して、太平洋側では熱帯や亜熱帯が北上するわけで、その結果、アジア地区太平洋側では海水温が上昇し、暑い秋になっている。

(以下「大摩邇」から転載)

イタリアでも9月の雪。しかも大雪

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=22562
<転載開始>

以下は 9月12日のイタリア各地の様子だそうです。これは、少し前に取り上げました「異常に強い寒気が北極からヨーロッパに侵入中」事象と関係していまして、ということは、今後ヨーロッパの広い範囲で相当な低温、大雨や大雪が予想されます。


進行中のラニーニャの影響を含めて、ヨーロッパは厳しい冬になりそうです。日本やアジアの冬は今のところ不明です。

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「労働」と「通俗道徳」

「徽宗皇帝のブログ」に別記事を載せた木澤佐登志という人の「通俗道徳」に関する記事の部分であるが、その前置きとして、同じ記事の一部である、シモーヌ・ヴェイユという女性思想家の「工場労働体験」を載せておく。私はこの人物が本来はどういう階級の人間なのか知らないが、その労働が「工場労働」であったことが、その体験で得た心理の大きな要因ではないかと思う。「労働」が「他(必要性という抽象存在でもいい)からの強制」であり、「当人の創造性をまったく欠如した行為」である場合、それは監獄での苦役と同じになる、ということだ。これは小学校の劣等生諸君でも同様だろう。

(以下引用)


 「わたしは、もう少しのところで、挫けてしまうところだった。わたしはほとんど、うちひしがれていた、――わたしの勇気も、わたしの自尊心も、この一時期のあいだに、ほとんど失われてしまっていた。[中略]朝は、非常な不安とともに起き上がった。びくびくおそれながら、工場へ出かけた。奴隷のように働いた。昼休みには、胸の張り裂けるような苦痛で一ぱいだった。五時四五分になると、さっそくたっぷりと眠って、朝は早く起きようという気持ちだけに心をみたされて、帰ってきた(十分眠ったことは一度もなかった)。時間が、耐えられないおもしのようにのしかかってきた。次にどんなことが起こるだろうかというおそれ――恐怖――のために心をしめつけられ、土曜日の午後と日曜日の朝にだけしか、そういうおそれから解放されなかった。何をおそれていたかというと、命令であった」(2)


 ヴェイユにとって、工場での過酷な労働は奴隷に身をやつすことを意味した。降りかかる絶え間ない怒号と命令。自分を下落させる隷従状態にある苦痛。隷属の影響は、人間の魂にまで及ぶ。悪辣な条件と環境のもとでの労働は酸鼻を極めるものであり、ヴェイユの言葉を借りればそれは「自分の中にある人間的なものを屈従させたり、むりやり押し殺したり、自分を曲げて、機械に隷属させたりするだけの暗い場所」であった(3)

(中略)

貧困は怠惰のせい? 日本の通俗道徳

 まずは私たちにとって浅からぬ関係にあるであろう日本の場合から見ていこう。


 日本において、労働の道徳化は江戸時代後期から明治時代にかけて醸成されてきた。それは日本が近世から近代へと移行していく、まさに過渡期にあたる。


 歴史学者の安丸良夫は著書『日本の近代化と民衆思想』のなかで、この時期に形作られていった労働にまつわる道徳を「通俗道徳」と名付けた。すなわち、勤勉、倹約、謙虚、孝行、さらには忍従や献身といった徳目からなる生活規範である。これらの「徳」を実践することで、富や幸福がもたらされると信じられていた。当時の大部分の日本人は、社会的な圧力や習慣によってそれらを内面化することで、これらの通俗道徳を自明の当為として生きていたという。


 通俗道徳は元禄・享保期に最初に形成されはじめた。当然、そこにはそうした思想形成をうながす導因がなければならない。安丸によれば、この時代の日本人における現実的な課題、それは「どうしたら家の没落をふせげるか」だったという。


 江戸時代後期、すでに大阪などの都市部を中心に商業活動が活発化し、商人たちが商品の需要と供給を管理するための仕組みが整備されていた。商品経済が到来しつつあったこの時代、地主階級における「家の没落」はすでに珍しいものではなく、家を失った者の多くは大阪か堺に流出して、そこで都市貧民層を形成した。そうした状況のなかで、「没落」に対する恐れと不安の只中から、倹約や勤勉を「善きこと」として重んじる通俗道徳が発生してきたのだという。


 やがて、こうした諸思想は農村部でも展開され、民衆を教化する役割を担うようになる。


 一八世紀末以降、おりしも経世家の二宮尊徳や大原幽学などが各地を巡りながら窮乏した農村の復興をはかろうとしていた。尊徳によれば、農村の貧困と荒廃の原因は、農民たちの精神の内部にまで浸透した怠惰・飲酒癖・博打などの悪習であるという。尊徳は、これらの悪習をやめ、倹約と勤勉を身につければ生活を立て直すことができると農民に説いた。これは言うまでもなく通俗道徳である。

 だが実際には、農村の窮乏の原因には、封建権力と商業高利貸しによる苛酷な収奪などの経済的な要因が深く絡み合っていた。だがそうした問題はいっさい棚に上げ、尊徳は貧困の問題を農民の生活態度と内面の問題に還元させている。つまり、貧困は一方的に彼らの怠惰と努力の欠如のせいにされたのである。


 このように、地主や農村の指導者は、通俗道徳を繰り返し説くことで、農民たちに勤勉で禁欲的な生活規律を内面化させた。

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「運命」序論

幸田露伴の「運命」を、私、酔生夢人が、自分が理解できる範囲で現代日本語に直し、理解できない部分や、現代人の読む「小説」としては省略したほうがいいと思う部分は省略して「編集」してみる。この小説は明の初代皇帝洪武帝の後を継いだ二代目建文帝と、その叔父で、後の永楽帝との闘争の話で、一種の軍記物だが、露伴の批評的文章がその間にかなり含まれる。その大半も割愛することになるかと思う。特に、表記の難しい漢字は当て字にする。まあ、古典的作品のリライトによるライトノベルだと思えばいい。
私自身が疑問に思うのは、なぜ人々は戦争などをするのか、ということだ。これは古代だろうが中世だろうが現代だろうが同じことで、その戦争で利益を得るのはほんの一握りの人間であり、その戦争によって膨大な人間が死ぬのである。もちろん、そのほとんどは、自分の意思で戦うのではなく、戦いに追い立てられるのだが、では、戦争をさせる側の人間は、それで本当に利益を得るのか、というのが私には疑問なわけだ。自分から勇んで戦争に参加した人間の半分は、戦争で負けることでほとんど命を落とすし、勝った側にいた人間も、「狡兎死して走狗煮らる」となる例があまりに多い。
ちなみに、この話の影の主人公と言えるのは、「戦争の原因」を作ってしまった洪武帝だが、その洪武帝(赤貧の百姓の子から皇帝にまで上り詰めた)は「皇帝独裁制」とも言える政治体制を作った結果、一日に彼が専決する問題は600件以上あったという。どの最下級の事務員、役人でも、それほどの仕事はできないだろう。一件を処理するのに10分としても、6000分、つまり100時間が必要であり、一件1分でも10時間、つまり、起きている間はずっと事務仕事をしていることになる。あなたは、それでも皇帝になりたいか? しかも、皇帝という座は常に暗殺の危険があるのである。彼は皇帝になると共に、建国の功臣たちを、その一族も含め、何万人も死刑にした人間だ。つまり、自分の座を脅かす存在をすべて殺していったわけである。あなたは、それでも皇帝になりたいか? これは、あらゆる「英雄たち」に共通した運命である。しかし、その「運命」とは、自分で選んだ結果だ。彼らは、自分の未来が見えてはいなかった。ただ、彼らの置かれた条件や状況が彼らをその運命に導いたのである。それを「騎虎の勢い」と言う。その勢いが彼らに何万もの人を殺させ、かりそめの栄華を手に入れた後、彼ら自身をも滅亡させるのである。
かなりウェットでしかつめらしい序論になったが、幸田露伴のこの作品自体は、読み物として素晴らしいものであることは保証する。若い人なら、思考の「次元上昇」にもつながるかもしれない。



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私立青嵐高校(2)



同年2024年の秋には、私立星嵐高校の話題はほとんど聞かれなくなっており、9月の学園祭にわざわざ千葉の山奥まで行くような物好きは稀だと聞いていたから、千葉秀作がその学園祭に行ったのも自分の意思ではなく両親の命令と友人の勧誘によるものだった。そして、彼はその偶然を運命に一生感謝することになる。

両親が彼に星嵐高校を見てこいと言ったのは、当然、彼が学校での劣等生だったからだったが、あるいは学費無料というのが真実の理由だったかもしれない。学費無料のため、そして一応は高卒の資格が得られるために、去年の入学希望者は定員の3倍以上あったのである。
だが、進学科の定員が40名しかないということで、大半の生徒が馬鹿だろうというのが世間の評判であり、それは中学生の間での定評にもなっていた。子供には自分で判断するだけの知識も知性も無いのが普通なのである。
秀作の友人の大木賢哉がなぜこの高校の学園祭に誘ったかと言うと、彼の従兄の矢島武則という、柔道は馬鹿強いが学校の成績は最悪の快男子がそこに通っていて、なかなか愉快な学生生活を送っているという話をしていたからのようだ。もちろん、大木賢哉も従兄同様の劣等生である。

学園祭は三日間にわたって行われるが、その間、1時間に1本の送迎バスが学園から一番近いS駅までのピストン輸送をする。これも無料で、しかも学園祭では、いろいろな屋台で食べ放題だと聞いていたので、初秋の、あるいは晩夏の一日を山奥までピクニックに行くのも悪くはないと、この新奇な学園の学園祭に物見遊山気分で来る中学生や父兄も結構いるようだ。と言うのは、行きのバスは、まだ朝の8時の段階でほぼ満員だったからである。まあ、それでも50人定員のバスだから、半日稼働してすべて満員でも250人程度にしかならないだろうが。

駅から20分程度でバスが星嵐高校に着いた。(思ったよりはるかに早い到着で、確かに周囲は林に囲まれているが、時間だけの印象だと山奥というほどでもないようだ。)学園の外観は、巨大な捕虜収容所という印象であり、その異常に広大な敷地(かつてのゴルフコース全体)を保安名目で鉄格子と金網の長大な壁が囲んでいる。そして、その上端はご丁寧にも鉄条網である。つまり、一度中に入ると、校門以外からは出入不可能なようだ。後で聞いた話だと、その上端の鉄条網には電気が流れているという噂もある。

「私立星嵐高校」と独特の字体の漢字が刻まれた黒い大理石のような石の看板の嵌った白い門柱の校門を入ると、ヴェルサイユ宮殿のような外観の学園本部まで100メートルほどの白い砂利の道があり、本部前は幾何学的な印象の樹々の並ぶ庭に囲まれた広場になっている。車はそこから校舎の傍の駐車場に入るようだ。つまり、自動車のような不細工な物体は人目につかないようになっている。
本部前の庭園は不思議な印象を与える。非日常的というか、超現実的な雰囲気である。本部の前には高さ40センチほどの低い石の壁(縁石)に囲まれた人工の池があり、噴水が水を高く空中に噴き上げている。その水が初秋の朝の日光によって、空に小さな虹を作っているのを秀作は眺め、この本部前の庭園を見ただけでもここに来た甲斐はあったな、と思った。
しかし、それはこの日の遭遇の序の口であったことを彼はまだ知らない。





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私立星嵐高校(1)

私の別ブログに書き始めた、「私立星嵐高校」という小説の第一回である。まあ、何となく「青春小説」を書いてみたくて書き始めたもので、何の構想もプロットも無いのだが、この回に書いた藤村某の発言は私の考えそのままなので、こちらにも載せておく。案外、数年後に、同じような主旨の私立高校が出て来るかもしれない。

(以下自己引用)


千葉県の某ゴルフコース跡地を、藤村隆行という、一般には無名の企業家兼投資家が買って、私立高校を設立すると発表されたのは2023年の春で、その高校(名前は星嵐高校)の内容がかなりユニークだと一部で話題になったが、全国的にはほとんど知られていない。
一番の話題は学費無料という点である。
二番目には、コースがユニークだということである。
大きく四つのコースに分かれ、A:難関大進学コース(定員10人)、B:普通進学コース(定員30人) C:健康科学科(定員30人) D:自由科(定員30人)だ。ちなみに、健康科学科は、医療・看護・薬学、あるいはその研究の道に進みたいという者が対象だ。
入学試験は、1:学科試験 2:推薦書 3:面接 と、いたって普通である。

さすがに、学費無料は話がうますぎると用心する父兄や生徒は多かったが、その学費無料の魅力もまた大きく、2024年2月から3月の間に行われた入学試験は、300人の応募者が集まった。

この高校の説明会は、2023年の春と秋に行われ、そこで創設者藤村隆行の挨拶と設立趣旨説明が行われ、その後、質疑応答があった。その要点はつぎのようなものだ。

質問「日本に有益な人材を作りたいというのが設立趣旨だったが、それはエリートを作りたいということか」
応答「答えはイエスであり、ノーでもある。今の日本の官僚や政治家や経済界や学界が日本をむしろ汚染しているのは多くの人が感じているだろう。彼らをエリートとするなら、エリートは唾棄すべき存在である。つまり、答えはノーだ。私が「有益な」と言うのは、日本国民全体をより幸福にすることであり、その意味で有用な人間をエリートと言うなら、答えはイエスだ」
質問「自由科とは何か」
応答「言葉そのままである。この科では、大学入試のための授業はまったく行わない。生徒が進学したければ、自分で勝手にやるか、仲間同士で教えあえばいい。そのための施設、教材、参考図書の類は自由に利用できるし、教師の援助も受けられるが、基本的に『授業』は無しである。つまり、生徒はこの学校のすべての設備や制度を利用して、自分自身の人間的可能性を自由に広げ、作っていくというコースだ。たとえば、音楽家や絵描きや小説家などを目指すのもいいし、プロスポーツ選手を目指すのもいい。研究者や実業家になるのもいい。もちろん、3年間、いや、5年まで延長可能だが、その期間をだらだら遊んで過ごしてもいい。すべて自己責任である。そういう意味での『自由』だ。自由は責任を伴うものだというのが私の考えである。つまり、すべては我が身に跳ね返ってくるということだ」
質問「星嵐高校という命名には何か意図があるか」
応答「実は、最初に考えたのは「青い嵐」の青嵐だ。青春という嵐の季節を、精一杯に味わってほしいという意図だったが、同名の高校が実在するので、この名前は諦めた。そこで、『この地球という星に嵐を起こしてほしい』という願いをこめて、この漢字にした」

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春と修羅?

私の別ブログに載せてある「風の中の鳥」という冒険小説の一章だが、まあ、小説というより随想的な部分、あるいはほとんど論文に近いような部分もある、「トリストラム・シャンデー」的な、我儘小説である。
エロ描写も少し(少しでもないか)あるため、家族に読ませないために、このブログには載せていないわけだwww

(以下自己引用)一文ごとに行が開くのは、転載による「事故」である。



第三十八章 春と死体



 



 やがて春になった。



 雪解け水が、割れた雪の間を流れ、黒い湿った土があちこちに姿を現し、草や木の緑の芽生えが伸び始めた。



 太陽の光も輝きを増し、風に春の匂いが漂いだしている。つまり、草木と土の匂いである。太陽の匂いさえもするようだ。



 ミルドレッドのお腹はずいぶんと大きくなっていたが、出産にはまだ間がありそうである。



 フリードは、ミルドレッドが欲しがっている台所の品物を手に入れるために、山を下りて近くの村へ行ってみることにした。



 ある村の近くまで来た時、フリードは異様な気配を感じた。この季節の村は、春の農耕の準備で活気に溢れているはずだのに、村の近辺がひっそりと静まり返っているのである。



 村に入ったフリードは、そこである物を目撃して、思わず顔をそむけた。



 道端の、露出した黒土の間に転がっているのは、腐乱した人間の死体であった。



 よく見ると、あちこちに人間の白骨が転がっている。しかし、そのほとんどは、手足や頭部がばらばらになった物である。肉がついて腐乱したものは、最初に見た一体だけだ。



 フリードは、事情を理解した。つまり、この村は、飢饉のために同じ村の人間同士が食い合ったのである。



 フリードは幾つかの家に入って、どこにも食糧がひとかけらも無い事を確認し、自分の想像が誤っていない事を確信した。家の中にも、白骨死体があちこちにあった。その多くは子供や幼児の白骨である。まず子供や幼児が食われ、最後に大人たちが食い合ったのだろう。



 フリードは、小さな子供の白骨を見下ろして眉根を曇らせた。



 この子供たちは、何のためにこの世に生まれてきたのだろうか。この世に生まれることに何の意味があったというのだろうか。彼らがこんな目に遭わねばならないどんな理由があるというのか。神は、こういうことをお許しになるのだろうか。



 フリードはもともとあまり信心深い人間でもなかったが、この当時の人間の常として、神の存在自体は疑った事はなかった。



 しかし、目の前の光景は、もしも神がこの世界を作ったのなら、その神は人間の理解する善や悪とは無縁の、非人格的な存在でしかないだろうと思わせるものだった。



 このような事をフリードは概念的に思考したわけではなく、ただ漠然と考えただけであったが、神への疑いの気持ちが生じたことは確かであった。また、神の宣伝者である、僧侶たちへの疑いも彼の中に生じた。確かに、僧侶たちの中には善人も多く、人々への施しをすることもある。しかし、彼らに十分の一税を納めるために人々が苦しんでいる事を考えれば、雀の涙ほどの施しなど、何の意味も持たないだろう。彼らは貴族と同じ特権階級であり、この世の寄生者である。



 彼自身、国王として人々を苦しめていたのではないかと考えると、フリードは目の前の子供の白骨が、自分のせいであるような気持ちになった。



 この世は、神が作った世界かもしれない。それは確かめようのないことだ。しかし、この世はこのような悪と悲惨に満ちている。それを変えられるのは、神ではなく、人間である自分たちだけだ。神はこの世のことに関与しないのだ。



 フリードは、重苦しい気持ちを抱いて山の家に戻って行った。


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オランダ王家とナチス、あるいはDSの関係

「大摩邇」から転載。記事前半は真面目記事だが、後半には真面目顔でのジョークが幾つかあるのでご注意。しかし、ベルンハルト王子(オランダ)のことは初めて知った。こちらは嘘でも冗談でもないはずである。

(以下引用)

セカンド・オピニオンは得るべきか? Dr Vernon Coleman

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/bioweapons/second%20opinion
<転載開始>

Should You Get A Second Opinion? Dr Vernon Coleman


https://www.vernoncoleman.com/secondopinion1.htm


多くの患者は、医師が常に正しいに違いないと思い込んでいる。しかし、それは致命的な間違いである。


良い医者と悪い医者を区別してきたのは、常に診断技術であった。病人を治療するのは簡単だ。もしあなたが医者で、患者のどこが悪いかわかっていれば、2分で正しい治療法を調べることができる。しかし悲しいことに、多くの医師は正確に診断する能力を失っているようだ。


 


1. 心臓発作を起こしたと死後に判明した100人の死亡患者の医療記録を研究者が調べたところ、心臓発作の53%しか診断されていないことが判明した。さらに憂慮すべきは、患者の半数が心臓病の専門家に看取られていたという事実である。


2. 1,800人の患者を治療した際に医師が下した診断と、患者が死亡した後(より詳しく調べることができるようになった後)に医師が下した診断を比較した32の病院にわたる調査によると、医師のエラー率は20%近くであった。


3. 無作為に選んだ131人の精神科患者を調査したところ、患者の約4分の375%)が間違った診断を受けていた可能性があることが示された。


4. 多くの場合、患者は深刻な精神医学的問題を抱えていると診断され、その治療を受けている。病棟全体が精神分裂病と診断され、治療され、分類されているにもかかわらず、実際には処方箋に満足した医師が投与した薬物による副作用に苦しんでいる。


5. 80人の医師に女性の乳房のシリコンモデルを検査させたところ、隠れているしこりを半分しか見つけられなかった。医師たちは自分が検査され、観察されていることを知っていたにもかかわらず、50%の失敗率であった。 *別の研究では、医師は瀕死の患者の診断を4分の1まで見逃していた。専門家は、正しい診断がなされていれば、死亡した患者の10人に1人は生きていただろうと結論づけた。


6. 別の研究では、死亡した患者の3分の2において、重要な、以前は診断されていなかった病態が死後解剖室で発見されたことが明らかになった。


7. 病理医が400件の死後検査を行った後に発表された報告書によると、半数以上のケースで誤った診断がなされていた。134例中65例の肺炎が発見されず、心臓発作を起こした51例中18例で医師が診断に失敗していた。


 


このすべてが恐ろしい。医師が正しい診断を下せなければ、どんなに素晴らしい薬を持っていても意味がないからだ。


今日の医師が正しい診断を下せない理由はたくさんある。


医学生に、生きた患者ではなく、臓器や組織について教え、骨や血管、病理学的詳細についての膨大なリストを記憶する能力について試験し、身につけた情報を活用する能力について試験することはない。


そして、医師は不快に感じる患者を相手にするとき、最悪の状態に陥るという研究結果もある。狭い範囲でのトレーニングは、医師がさまざまな人を不快に感じることを意味する。人種、性別、社会的背景が「異なる」人々と関わり、話をしたり、情報を得たりすることに困難を感じることが多い。


さらに大きな問題は、現代の医師がテクノロジーに頼りすぎており、自分自身の診断能力を高めることをあまりにも軽視していることである。


昔ながらの医師は、患者から聞いた話や自分の目、耳、鼻、指先から聞いた話に頼っていた。そして何よりも重要だったのは、医師が長年の臨床経験を通じて身につけた第六感だったのかもしれない。


現代の医師は、しばしば欠陥があり、校正が不適切で、誤解を招くことの方が多い機器に頼りすぎている。


例えば、X線写真の読影における医師のエラー率は、ほとんどすべての研究発表で20%から40%とされている。ある大病院に勤務する放射線科医は、胸部X線写真の解釈について56%もの確率で意見が異なっていた。また、41%の報告書に重大な間違いがあった。X線写真を2度読み直した場合でも、最初のエラーの約3分の1しか発見されない。


つまり、ここでの教訓は非常に単純なもので、医師の診断が正しいに違いないと自動的に思い込まないことである。診断に少しでも不満があり、医師が間違っているかもしれないと感じたら、セカンドオピニオンを求めることである。


 


世界的ベストセラー『医者に殺されない方法』(バーノン・コールマン著)より引用


『医者に殺されない方法』はペーパーバックと電子書籍があります。


 


Copyright Vernon Coleman October 2023



プレスニュースを停止しよう Dr Vernon Coleman

Stop Press News Dr Vernon Coleman


https://www.vernoncoleman.com/pressnews1.htm 


1. ロングCovidという架空の病気に苦しんでいる数百万人に加え、ロングカゼに苦しんでいる数百万人がいることが正式に決定した。あらゆる種類の病気が長引く可能性があるようだ。数日以内に、ロングフケに罹患したNHS職員、警察、その他の公務員は、その症状が治癒するまで仕事を休むことができる、という発表があると思う。


2. BBCはウェブサイト上の重大な誤りについて謝罪した。「警察に指名手配されていない白人男性の写真をうっかり掲載してしまいました」と、スポークスマンは述べた。「このミスを遺憾に思います。責任のあるスタッフは処分されました。」


3. BMAは病人の扱いをやめるよう求めている。BMAのスポークスドクターは、「病気の人の面倒を見るには、かなりの時間とお金がかかります。患者への無駄遣いをやめれば、医師の給料を350%上げることができ、医師は家でネットフリックスを見ることができる。」


4. 今後のすべての選挙で、投票用紙には選択肢が追加される。有権者は「Fuck Them All」と書かれたボックスにチェックを入れることができるようになる。


5. ベルンハルト王子[Prince Bernhard]は間違いなくナチであったことが、主要メディア(昨年のニュースしか載せない)によって発表されたばかりだ。このことは、私の新著『Their Terrifying Plan(彼らの恐るべき計画)』の読者には何のニュースにもならないだろう。ビルダーバーグの項にはこう書いた。19545月に共謀者たちが初めて集まったホテル(オランダのビルダーバーグ・ホテル)にちなんで名づけられたこのグループは、オランダの有力実業家であり、ロスチャイルド家の友人であり、元ナチス親衛隊のストームトルーパー(突撃隊員)で、ヒトラーのために働いたことをとても楽しかったと語り、第二次世界大戦後もオランダ社会の著名なメンバーであり続けたオランダのベルンハルト王子によって創設された。興味深いことに、ベルンハルトはクラウス・シュワブの父親と同じ時期にナチスだった。」 『彼らの恐るべき計画』の中で私は、1973年の第3WEFダボス会議の名誉スポンサーがオランダのベルンハルト皇太子(元ナチスでビルダーバーガー会議の創設者とされている)であったことも指摘した。来年、主要メディアが何を書くかについては、拙著『彼らの恐るべき計画』をお読みいただきたい。


6. 使い捨てPPEはプラスチックで作られているため、使い捨てプラスチックの禁止はかなり奇妙だ。 (プラスチックの横断幕を掲げている人たちは、そんなことは考えもしなかったに違いない)


7. どこの国の政府にとっても、30代以下の安楽死を導入することは理にかなっている。今にも導入されそうだ。「30代以下は60代以上よりはるかにエネルギーを消費する」と、スポークスマンは言うだろう。彼らの多くは何年も生き、石油やガスを大量に消費する。どうせすぐに死んでしまう高齢者を安楽死させるより、30代以下を安楽死させる方がはるかに理にかなっている。」


8. スタフォードシャーの漁師が調理済みのマスを釣り上げた。川の水は魚を調理するのにちょうどいい温度だった。「サンドイッチを捨てて、マスを昼食にした。本当にご馳走だよ。」 同じ川に入った2人の野生の川泳ぎは、重度の火傷で手当てを受けている。「水がとても熱くて、水着が溶けてしまった」と1人のスイマーは訴えた。


 


Copyright Vernon Coleman October 2023

 

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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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