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細川の殿様の最良の行動

「ネットゲリラ」から転載。
私は、殿様とか大名というのは山賊の親玉の成り上がりだと思っているから、その子孫もほとんど尊敬していないのだが、その家に歴史、つまり文化遺産を保存し伝えているという点だけは感謝している。皇室については、それこそ日本文化そのものだと思っているから、ひとつの時代の考えだけで断絶させるのは、それこそ法隆寺を古い建築だから燃やしてしまえというようなものだ、とは何度も言っている。ロシア皇帝家(ロマノフ家か?)だって、ロシア革命で皆殺しにせず、恩給でも与えて博物館管理人にしておけばよかったのである。そうすれば、ロシア文化も厚みが出ただろう。一時の興奮で文化資産を滅ぼすのは、子孫に対する罪だと思う。文化資産は子々孫々伝える義務があるのである。
とはいえ、今回の細川元総理のやったことは日中友好の実にスマートな形のもので、彼が現役総理の時にやったすべてのことより良いのではないかwww


(以下引用)




普段、国宝の茶碗でメシを食ってるような人

| コメント(3)

細川の殿様が、蔵書整理で、中国に4175冊というんだが、なんせ古い家なので、タララモノは山ほどある。殿様、陶芸やってるんだが、どうせ殿様の手すさびだろうと思ったら、意外に評価が高いそうで、考えてみりゃ、国宝の茶碗とかゴロゴロ転がっている家だw 普段、国宝の茶碗でメシを食ってるような人なので、目が肥えているw 中国は相次いだ戦乱で、古典籍の多くが失われた。今、中国の金持ちは物凄い勢いで神保町を買い漁っている。珍しい本だと億の値も付くらしいw アベシンゾーが馬鹿な分、こんなロートルまで頑張ってますw

2018年6月27日、細川護熙元首相が自身が理事長を務める永青文庫の収蔵する漢文書籍4175冊を中国に寄贈したことが、中国のネット上で話題になっている。
中国メディアの澎湃新聞は、北京市の中国国家図書館で26日、漢籍の贈呈式が行われたことを伝えた。
中国訪問中の細川元首相は贈呈式であいさつし、「日中平和友好条約締結40周年の節目に寄贈することができて喜びに堪えない」「研究に役立ててもらえば大変うれしい。中国の悠久の歴史に必ずや資するものと確信している」などと述べた。
中国のラク樹剛(ラクは各ヘンに隹)文化観光相は、細川元首相の日中友好事業への尽力に謝意を表明し、「新しい時代の中国と日本の文化交流と協力のモデルとなり、推進する役割を果たす」と述べた。
澎湃新聞はまた、香港・文匯網の報道を引用し、今回の寄贈について「日本から中国への漢籍の寄贈として1945年以降で最大規模のものだ」とし、「その中には、唐代末期から1000年も失われていた政治参考書『群書治要』全50巻など、中国の歴史から失われて久しい重要な書籍も含まれる」とも伝えた。

まぁ、研究者としては、デジタル化されたアーカイブがあれば本物はどうでもいいわけで、ネトウヨみたいにギャーギャー騒ぐ必要もないんだが、それにしても、マトモな政治家が出てくると、アメポチどもが寄ってたかって引きずり下ろすという現象は、そろそろヤメにしていただきたいw

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豚が肉屋を支持する理由

「混沌堂主人雑記」から、記事の一部を転載。
あるお坊さんのブログ記事だと思うが、非常に面白い内容である。一般大衆は伝統的宗教やカルト的新興宗教への嫌悪感を持ちながら、しかし宗教的叡智への関心は非常に高くなっている。そういう傾向からそのお坊さんは「post-religion」という概念を考え、これからの世界はその方向に進むのではないか、と見ているようだ。ただし、既成宗教が終わるのではなく、既成宗教に依存しないが宗教的精神を自ら考察し体現化していく人々と、既成宗教が並立していく、という形のようだ。
この考察に私も同感だ。と言うより、私がこのブログでよく書いているのはその種の考察である。ただし、考察するだけで体現はしない。人間の自己愛の強さは度し難いもので、宗教的行為は自己愛の対極にあると私は思うからだ。私にはそんな立派なことはできない。
まあ、宗教とか何とか言うよりも、その人が存在することでこの世界がほんの少しでも良くなったと評価できるなら、その人はこの世に生まれた価値がある。その逆ももちろん膨大に存在する。安部とか麻生とか小泉とか竹中とか橋下とかetc,etc
さて、下の記事の中で、私が赤字にした部分は、私が以前から書いている「組織悪」であり、実は組織悪とは自己愛の拡大化なのである。そういう観点からも下の記事は面白い。また、青字にした部分は精神分析学的に面白い。下級国民の安部自民党支持者を精神分析したらこんなものだろう。


(以下引用)色字部分は夢人による強調。


しかし、その叡智がどんなに素晴らしいものであったとしても、人間の営みである以上、求める人の行列ができれば、それを我が物にしようとする人、そこで商売を始めようとする人が出てきます。そこに、神や仏の威を借るキツネによる権威生成のための抑圧装置としての宗教組織が生まれます。聖性や霊性に対する人々の素朴な祈りが組織化され、少数の権威者のエゴを満たすため、商業利用や政治利用されていきます。信者を組織につなぎとめ拡大する常套手段は、罪悪感や不安や恐怖を植え付けた上で、その解放の唯一の方法として信仰を示すことです。抑圧構造の中で無力感を育てられた被抑圧者は、抑圧を自分自身が望んだものとして肯定することで自意識を保とうとするため、自ら抜け出すことはできず、依存関係が完成します。
そのような抑圧は、多かれ少なかれあらゆる宗教組織に見られます。宗教組織に限らず、人間である限り避けることのできないカルマといっても良いかもしれません。あえて言えば、この抑圧がマイルドなのが伝統宗教で、極端に出たのがカルト宗教です。マイルドなキツネを選ぶか、カルトなキツネを選ぶか? もちろん、どちらも選ばないで済むなら、それに越したことはないでしょう。だからといって、「無宗教」を選択することもノーリスクではありません。なぜならば、抑圧は人間社会の隅々まで浸透していて、ほとんどの人がそれを自分の中にも無意識に内面化しているからです。
無宗教によって、自分のエゴというキツネによる抑圧で自縄自縛に陥っている人も大勢います。「俺には宗教なんて必要ない。そんなものは弱い奴が信じるものだ」という人ほど、自分自身がすごく縛られています。宗教ではなくても、たとえば科学教だったり、お金教だったり、多くの人が無意識の中で何かに縛られて、自分で自分の枠を作り、自家中毒的に生きている。なりたい自分になりたいけれど、なれない。常に欠乏感に襲われ、自分で自分を無意識に縛りつけている。そのことに無自覚な人ほど案外コロッと、何かのきっかけでカルトにはまってしまったりするものです。

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入院は天国か地獄か

「女だから言えること」というブログから記事の一部を転載。(別ブログにもこの記事は載せたが、特に下の引用部分について考察したい。)
下の記事の筆者自身も精神病院への入院経験があるだけに、書かれた内容に事実の持つ重みがあるが、入院患者は入院によって明らかに病状が良化するにも関わらず、患者の大半は入院生活を嫌がる、ということについて考えてみる。

もちろん、精神病院への入院は世間体が悪いという昔からの社会風潮が最大の原因だろうが、私の想像では、「他人に決められたパターンで生活しなければならない」ことの苦痛が最大の理由ではないかと思う。これは私が特にそれを苦痛に思う人間だからだろう。
朝昼晩の食事、服薬、運動、休憩など、すべてが決まった時間に決まったやり方で行われ、患者はベルトコンベアの上の品物のように流されていくだけである。
それを楽だと思い、「ここは地上の天国かよ」と思う下記記事筆者のような人もいれば、「他人に命じられたこと、決められたことをやるのは死ぬほどいやだ」と思う人もいるのではないか。私などはそうである。自分の意志でぼんやりと無駄に時間を過ごすのは大好きだが、病院(せいぜい高血圧の薬を貰いに行く程度だが、最近はそれもやめている。)などで「強いられて」無駄な待ち時間を過ごすのは不快そのものである。
つまり、そこに「自分の意志」(たとえば、就職や入学などのように、会社や学校という場に入ることで生じる不自由さを受け入れることへの同意も、一応は自分の意志がそこにあるということだ。)があればいいのだが、自分の意志がまったく認められず、他人の決めたルールの中でしか動けない、というのは、自分が生きた人間ではなく死体か物体であるような気がするわけだ。
だから私は、約束事とか予定というのも大嫌いなのである。嫌いだが、「生きる上で仕方がないからこれは受け入れておく」と決めたことだけ受け入れるのであり、嫌いであることは変わらない。なぜそれほど自由が好きなのか、自分でも分からない。自由であってもロクなことは何ひとつしないのだが、ロクなことをしないでいられるというのも自由だからこそである。
念のために言うが、私の政治信条の上での最大の敵は「新自由主義」であるwww



(以下引用)

入院したら状態が良くなるという現実


 精神病患者の家族会の人たちの話によると、発達障害からの二次障害で精神病になる人も少なくなく、特に統合失調症の患者さんは薬を飲みたがらない、あるいは全力で拒否する人も多く、どんどん悪化させていたりします。



 結局、家族会の方々のお話によると、入院して退院した直後が一番、状態が良いとのことです。(ただし、正しい治療を行っている病院に限る。)私も精神病棟に何回か入院していますが、入院すると休養が取れる上に、治療に集中できるので非常に状態が良くなりました。早く退院したいという患者さんもいましたが、1人暮らしの精神病で働くことも、食事も、服薬も、自分ではコントロールできない状態だった私としては「三食昼寝付き、エアコン付きで、掃除も風呂洗いもシーツ交換も他人がしてくれるなんて、ここは天国かよ。」と思ってました。



 さらに、精神病棟での、初期から中期の統合失調症患者の回復具合は目を見張るものがありました。また、私の父のような重度の人が少ないのにも驚きました。早期発見早期治療ができている人たちが入院していたためでしょう。また、慢性の人も父ほどの症状の人はいなくて驚きました。



 精神病者をどこかに閉じ込めるなんて良くないみたいに考える人もいるかもしれませんが、本人の病状は滅茶苦茶良くなるし、家族は患者の面倒を見なくて良くなるしで、いいことずくめに見えました。ただ、問題なのは本人が入院生活を嫌がって早く退院したがること。精神病院は食事の時間も決まっており、栄養バランスの良い食事を3食食べ、外出禁止の人は買い食いできません。さらに薬も決まった時間に必ず飲ませるので、良くなるのだと思いますが、本人がそれがとても良い環境だと気づけないことは残念なことだったりします。




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安倍政権とは皿の上に蛆が湧き、それを蓋で抑えている状態

「混沌堂主人雑記」から抜粋転載。
混沌堂主人さんがよく引用する「神戸だいすき」さんが安倍政権について易を立てたところ、「山風蠱」の卦が出た、と書かれていて、それだけでも「おおっ。実にぴったりの卦だな」と思ったのだが、その後に書かれていた「山風蠱」の説明が実にナイスである。

「容器の中の腐った空気が蓋に閉じ込められた状態」というのは、まさに今の日本の政治状況、そして社会状況そのものだろう。当然、中には蛆が湧いているというのが、「山風蠱」である。「蠱」は皿の上に蛆の湧いた状態を表わす漢字。もちろん、蛆は経団連や官僚や自公政治家。


(以下引用)


内卦は巽で風です。
外卦は艮で山です。

風というものは流通振作の性質があります。

風は空気を移動させ、あらゆるものに清新な感触を与えていく働きがあります。

しかし、この卦においては、艮の山の麓に押しとどめられてしまい、吹きぬけることができません。

それにより、空気を濁らせ、湿気をよび、カビを生えさせたり、物を腐敗に導いたり、ついにはウジの湧くような状態にまで至らせます。

たとえば洋服を風に当てることをせずタンスの奥深くにしまい込んでいたりするとカビが生えたり虫に食われたりします。

その場合は艮が箱の蓋で、巽は腐った空気です。

艮の蓋のある容器に、巽の臭い風が閉じ込められていれば、いやでも物を腐敗させるようになります。

蠱という字は、蟲が三匹、皿の上にある文字で、この皿の上の蟲はしまいには必ず同類相喰む状態となるのは当然のことです。

そういう意味で蠱の字は「そこなう」」と訓読みし「みだれる」と
解します。

さらに「まどわす」「ふるし」「やぶる」です。

予、隨、蠱と配されるのも「喜びを以て人に隨うものは必ず事あり」ということです。

平和に馴れ、楽しみに泥み、向上進取の気力を失ったため、更新されない空気の中に色々な弊毒が生じたのが蠱弊なのです。

ですから、このまま放任しておかず何とか正していかなくてはなりません。

「大川を渉に利ろし」とはそのことで、重大な覚悟をもって改新の策を施さなくてはならないことを教えているのです。

そして各爻も、旧弊是正の意味を見ています。

「蠱は元いに亨る」とありますが、蠱は蠱のままで亨るわけではありません。

蠱の状態にあるものは、その弊毒を更新し大いに打開の道を建てることが先ず主題とならなくてはなりません。

その方法が「大川を渉る」「甲に先だつこと三日。甲に後るること三日」なの です。

「大川を渉る」ほどの一大決心が無ければ蠱弊は是正できません。

また「甲に先だつこと三日。甲に後るること三日」とは、これを改めなくてはならないと分かっていても、いきなり実行に移すのではなく、まずは蠱の生じた由縁を調べ、そして悪しきを削り取り、再び蠱を生み出さない用意を充分にしていくべきである……そして、事を起こす三日前に用意を整え、事を起こしたら、その三日後には功を挙げるくらい速やかに、徹底的に行うべきということです。

(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)

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梅雨の随想

別ブログに載せた文章だが、ここにも載せておく。最後の一行だけ削った。




読みかけの本の中に、ある女学校の国文学教師が、授業中に窓の外の雨を眺めて、雨を見ると万葉集のこの歌を想起する、と言って、次の歌を呟く情景がある。


うらさぶる心さまねし 久方のあめの時雨の流らふみれば



このエピソードを読んで、言葉を知り詩を知り文学を知っていることが我々の人生に与える幸福さ、あるいは価値の大きさを思ったのだが、実は私はこの歌が昔から好きだのに、その解釈は読んだことがないので、ここで自己流の解釈をしておく。(あるいは解釈を読んだこともあるのかもしれないが、記憶が漠然としている。)


「うらさぶる」は「心さびしい」の意味で、「うら」には、「心」の意味と、「何となく」の意味があるかと思う。
「さまねし」は「遍(あまね)し」で、あちこちに広がることだろう。「さ」は接頭辞で、ここでは語調を整える働きかと思う。
「ひさかたの」はもちろん「天(あめ)」に掛かる枕詞で、意味を考える必要は無いが、「ひさしい」「永遠」を連想させるとすれば、「さまねし」と、響き合っている。私がこの歌を読んで感じるのは茫漠とした時間と空間の広がりだが、その理由はこのへんにありそうだ。
「時雨」は俳句では初冬の季語だが、万葉の時代から初冬に限定されていたとは思えない。(その辺は専門家の研究を見ないと分からない。)私は、この歌ではむしろ梅雨を連想した。
「流らふ」は、もちろん「流れる」であり、ここでは「天から流れ落ちる」意味だと思うが、あるいは「地上で川となって流れている」という解釈もあるのかもしれない。しかし、「天の時雨」と、わざわざ「天の」を入れていることから、そういう解釈は難しいのではないか。
見落としがちなのが、「流らふ」の「ふ」で、これは時間の継続や経過を表わす言葉で、つまり「経(ふ)」である。この時雨は、長時間降り続けている雨なのである。

私が、この歌を実に雄大で、かつメランコリックな歌だと思うのは、「うらさぶる心さまねし」とは、「何となく寂しい私の心が世界全体に広がる」ということだと解釈するからである。そして、その世界全体に広がった心の見る風景は、どこもかしこも「雨、雨、雨」である。
世界全体が雨で灰色一色に塗りつぶされている。
そして、それは私の心がうらさびしい心だからだ。

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「あれかこれか」となる理由

まあ、普通の人(消費者)にとっては時間もカネも有限だから、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」になるのは仕方がないが、作る側が、Bという商品を売るには既存のAという商品を駆逐しなければならないと考えるのはおかしいわけで、そういうことをすると文化がやせ細る。
ネットで文章を読むのと紙の書物で文章を読むのとでは、私の場合は読み方も印象の受け方も違う。どちらも私には必要だ。いくら電子書籍がシェアを増しても、紙の本のメリットが存在しなくなるわけではない。
ただ、兎小屋に住む下層階級(私)には、家に本を置くスペースが無いから書物をほとんど購入しなくなっただけである。その分、市民図書館にはお世話になるわけで、税金というのはそういう部分に支出してもらいたいと思う。それも「福祉政策」のひとつだ。



(以下引用)


  1. 僕らは何というか、生活実感的に「パイの大きさは変わらない」と考えがちで、それは文化的な面でも「デジタルよりアナログ」とか「電書より紙本」みたいな分捕り合い思想でものを考えてしまいそうになる原因なんじゃないかと思ったり。>RT

    デジタルもアナログも電書も紙本もどれもありよ。


  2. さんがリツイート

    最近メディアに取り上げられることが多くなったボードゲームも取材時に「デジタルゲームよりも良いもの、優れたもの」と言う前提で演出やコメントを求められたりすることがあるそうです。なぜデジタルの方を貶める必要があるのか。デジタル、アナログどちらも好きな立場としては残念です。














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関ヶ原で豊臣恩顧の大名たちが東軍になった理由

別のブログに書いたものだが、私にはまったく新しい知識(小西行長の謀略)を含むので、備忘的にここにも載せておく。
いくら考えても、加藤清正ら豊臣恩顧の大名たちが徳川方についた理由は今一つ納得できなかったのだが、その疑問が解けたような気がする。






司馬遼太郎の随筆「遠藤周作氏『鉄の首枷』について」の中に、小西行長の異常な計画への言及がある。
たぶん史実だと思うのだが、秀吉の朝鮮出兵の時、この戦争の失敗を予期していたと思われる小西行長は明朝廷に家来の内藤ジョアンを送り、日本を明の属国とし、秀吉を封じて日本国王とさせようとしたというのである。もちろん、秀吉のあずかり知らぬことで、行長の独断だろうが、その「講和内容」に、さらに驚くべきことが書かれていて、秀吉に次ぐ「大都督」として五人を封じてほしいとしていると言う。その五人の筆頭が小西行長、以下、石田三成、増田長盛、大谷吉継、宇喜多秀家となっているらしい。つまり、関ヶ原の戦いの西軍の中心メンバーだ。
仮に、この申し出が明に受け入れられていた場合、大大名を含め、諸大名はこの五人の下の立場になるわけで、もしかしたらこの申し出の内容を漏れ聞いた諸大名が、小西石田以下のメンバーへの憎悪と危機感を抱いたのが、関ヶ原の戦いの真の原因だったのかもしれない。
通常言われているように、朝鮮出兵時の「後方にいて、自分たちは指図口や干渉や上から目線の戦闘評価をするだけの文官グループへの憎悪」だけでは、豊臣恩顧の諸大名がほとんど東軍に付いた理由は説明できないわけで、この「小西行長の陰謀」こそが、関ヶ原の戦いの真相だったのではないか。(司馬遼太郎もそれに近いニュアンスを述べているが、そこまで明言はしていない。)

秀吉の朝鮮征伐、さらには明の征服という誇大妄想的計画の失敗を早くから見抜いていた「官僚グループ」が、明への服属をあらかじめ申し送り、朝鮮出兵失敗後の自分たちの地位を確保しようとしたのは官僚の習性としてよく理解できる。つまり、第二次大戦後の官僚たちのアメリカへの服属と同じである。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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