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こういうふざけた論を出すくらいなら「天皇廃止」論のほうが潔い

私は紙屋高雪氏を非常に尊敬しているが、下に書かれた論は(タイトルからしてふざけ半分だが)あまり感心しない。だが、どこがどうと考える気力も無いので、考察資料として保存だけしておく。ただ、自分の意志によって皇族をやめることもできる、というようにするのは悪くないような気もするし、人権的に必要な気もするが、深く考察したわけではない。元号については廃止ではなく、公的書類だけは西暦に統一したほうが便利だろうが、元号を残したほうが後世の歴史にとってはむしろ便利だということになると思う。
まあ、天皇を選挙する、などは愚論だと思う(それだと総理以外に天皇を置く理由が無い。)が、もともと天皇という存在に存在価値を認めていない人の論だろう。

(以下引用)


紙屋研究所


ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい


 日本国憲法第1条は


天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く


 っていう具合に「日本国民の総意に基く」わけだから、天皇という制度自体はそもそも基本的人権や平和主義のように「永遠に」動かせない原則じゃなくて、国民の意思で憲法を変えて制度をなくしたり根本的に変更したりすることもできる。


 だけど、憲法を変えず、今の憲法の範囲内でも、「日本国民の総意に基」いて、天皇のあり方をもっと自由にデザインできるし、してもいいんじゃねーか。


 めざすところは、

  1. 天皇個人・皇室のメンバーをもう少し自由に生きさせてあげたい。人としての尊厳=人権を保障するというか。
  2. 明治憲法を引きずるような神的性格・権威的性格を削って、実権のない、しかし親しみと実感のわくシンボルとしての役目=「1日駅長」「〇〇県ぶどう大使」くらいのゆるさにしたい。
  3. 政治家が政治利用をできないようにしながら、同時にその地位が国民の総意に基づくことを制度上きちんと組み入れたい。
  4. 「こいつこそ、ニッポン!」的な統合象徴性はできれば大事にしたい。

といったあたりだ。憲法で定まっていないことは、法律や皇室典範を変えたらいいんだから、思い切ってそこをゆるやかにやるべきだということである。


 

天皇をやめられる・キョヒれる

 まず、天皇がイヤになったら・しんどくなったら交代できる、お休みできる。そういう制度にしたい。即位も拒める。老舗の跡継ぎじゃないんだから「将来はお前に店をまかすぞ」ってな具合に人生を縛られるのは誰でもイヤだろう。


 そこで、女性天皇女系天皇などを取り入れる。


 だけど、それでも順番を強制的に回される方はたまったもんじゃない。「え、〇〇宮がイヤって言ってんの? じゃ、じゃあ次は俺しかいないじゃん!! ちょ、待って待って待って待って。やだよ、おれ……やりたいことあるもん」。


 町内会の輪番、PTAの役員と同じである。 


 

養子をOKにする

 しかし、そこでネックになるのが第2条だろう。


皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


 世襲かあ。世襲じゃあなあ。


 たとえ女子や女系を許容しても、受け継げるメンバーは限られてしまう。


 そこで養子ですよ。


 皇室典範第9条、


天皇及び皇族は、養子をすることができない。


 を変えればいい。まあ、養子構想ってすでにあるみたいなんだけどね。


 民間人で天皇になりたい人がいたら手を挙げてもらって、民主的な手続きでそれを決めて、養子縁組をするのである。歌舞伎の芸養子っぽく。


 AKBメンバーとか、スーパーボランティアの人とか、清原和博とか、ホリエモンとか、イチローとかが手をあげるのである(決め方は後で言う)。


 そして、そういう民間人出身の天皇は、退位後天皇家にいたくなければ離脱する(養子離縁)。


 

天皇を休める

 「しばらく天皇、休みたい」。


 そういう場合は、摂政にやってもらうのである。


 摂政は皇室典範第16条で


第1項 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
第2項 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。


となっているんだけど、これでは摂政を置く条件が狭すぎる。これを例えば「天皇が、やむを得ない事情で、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」とかに改正したらいいのでは。


 

天皇について選挙する

 今の天皇の制度は、天皇になる順番をあらかじめ厳格に決め、有無を言わさず生物的に死ぬまで天皇をやらせるところがあって、それゆえに政治が介入する余地が少ない。つまり首相などの政治家が国民にウケるタイミングで即位させたり、気に入らない天皇を退位させたりといった具合に、皇位継承や退位などで政治利用しにくいのである。


 これを皇族や天皇の自由意志でやらせたり養子を取ったりするようになると、今度は政治利用の可能性が高まってしまう。


 そのあたりのジレンマをどうするか。


 そこで、天皇の選挙、もしくは信任投票をしたら?


 3人くらいの候補者の中から選ぶ。


 もしくは1人について信任投票する。


 最高裁裁判官みたいに、直近の国政選挙のときに一緒にやる形で。


 まあ、元来皇室の人は信任投票にして、民間人出身で養子を取る場合は選挙にしたらいいのでは。


 こうすれば、政治家による政治利用も防げて、「日本国民の総意に基く」も制度に組み入れられるわけですよ!


 本当は退位もそういう選挙で認めるかどうか決めるのがいいんだけど、そこまでやると「もうしんどいからやめさせて……」的なことが無理になるので。そこは内閣が出したオッケーが政治利用でなかったかどうかを国政選挙で審判下すしかないわな。


 


 ここまでで、「ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい」はだいたい終わり。


 あとは、「できれば実行したら?」程度のプラスアルファの提案。 


 

プラスアルファ1:国事行為だけやってね

 天皇の仕事は、本来、憲法に定められた「国事行為」だけにすべきだ。


 それ以外は「公的行為」とされている。例えば共産党だって、公的行為は“憲法の範囲を逸脱しないものはいい”という形で認めている。「公的行為」を認めるという憲法学者は「国事行為の憲法のリストはあくまで『例えば』ってことだから、それ以外もやっていい」と言っている。


 しかし、「公的行為」なんて憲法には規定されていない。「公的行為」なんて認めない、という憲法学者も少なくない。


 憲法第4条はわりとはっきり書いてある。


天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。


 だから国事行為以外をやめさせたほうがいい。


 

プラスアルファ2:ニッポンの象徴にふさわしく

 「これぞニッポン」的な象徴のあり方を模索してほしい。


 さてここが難問である。


 例えば、民間養子天皇の場合、AKBメンバーが天皇になったり、スーパーボランティアが天皇になったりする。「オタクこそ今の日本だ」と思えばAKBのメンバーがやってもいい。スーパーボランティアの精神こそ日本的だと思うなら、尾畠さんみたいな人がやってもいい。天皇の仕事は憲法通りだから、国事行為しかやることはない。それ以上はやらなくていい。やってはいかん。でも、こういう元民間人の養子天皇の場合はすでにイメージがあるので、国事行為だけこなしていても大丈夫である。


 しかし、もともと皇室の人、つまり生まれながらに天皇家の人は、なかなかそういう具体的な象徴性を示しにくい。


 「天皇家の人というだけでいいじゃないか」という人がいるかと思うが、前天皇明仁)はそこから脱却し、狭義の「国事行為」のみならず、いろいろ「公的行為」を駆使して動き回って、「感情労働」をこなすことで「平和憲法の理念を受け継ぐ象徴」という、国民全体はもとより、左翼の中でもけっこう人気の統合イメージを得たわけだから、「公的行為」を禁じた上で「天皇家の人というだけでいいじゃないか」とするのは、何となく抵抗を覚えてしまうのである。


 だけど、しょうがないよね。そこは、がまんしてください。


 まあ、どうしてもっていうなら……「公的行為」を多少認めてもいいけど。


 

プラスアルファ3:元号をやめる

 「明仁天皇やめるってよ」みたいなことが頻繁に起きるかもしれないので、元号はコロコロ変わってしまう可能性がある。


 昔の元号みたい。ウィキペディアとかで確認しただけど、2年とかで変わるもんな。特に鎌倉時代のひどさに草。2年で終わった元号が12もある。「天福2年」だってw   三波伸介かよ。


 だから元号の公式利用をもうやめる。混乱するだけなので。西暦だけにする。


 元号は、天皇家が私的に発表するだけにしておく。LINEのメッセージとかでさりげなく使うと、「お、マニアなもん、知ってるね」みたいに、ちょっとおしゃれでプレミアなクール感☆が漂うかも!



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涙をふるって馬謖を斬る

便利な時代である。まあ、孔明以外に需要がどれだけあるか、またカット済み馬謖にどんな用途があるかは知らん。





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馬謖を斬るときにどうしても涙が出てしまい困っています、という軍師の声に応えてメーカーが開発したのがカット済み馬謖














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正しい尻の拭き方は習ったか

そのうち、「正しいガッツポーズはこうだ!」「正しい鼻の孔のほじりかたはこうだ」とか言われるようになるのではないかwww
なお、私は尻の拭き方は誰にも習っていないが、前から後ろに拭かないと不衛生だろう、と常識的に判断している。



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戦後すぐの国会解散時の万歳はこう。「万歳のとき手のひらは内向きに」というのは1990年以降に始まった、新しい作られた(偽の)伝統なので「正しい万歳の作法は内向き」とか言ってる奴は偽書にまんまと騙されたアホなのでアホとして見守ってやりましょう








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「存在の意味は時間である」の意味

筒井康隆の「誰にもわかるハイデガー」を読了したが、思考素材として面白い。まあ、「存在と時間」というハイデガーの代表的著書の解説だが、確かにかなり分かりやすく解説している。
ただ、巻末付録の大澤真幸による補足的解説によると、「存在と時間」はハイデガーが書く予定だった内容の半分も書いていないらしく、本題の「存在と時間」そのものについてはほとんど触れていないようだ。そして、その根本的な狙いは「存在の意味は時間である」というテーゼを証明するところにあったらしい。だが、それに触れる前にこの著書は未完のまま終わったという。
この、大澤真幸の解説もかなり興味深いもので、私の印象で言えば、結局は「存在と時間」という書物はキリスト教的な意識がその根底にある、「キリスト教哲学」ではないか、と思われる。つまり、終末論的な見地から人生の意義や倫理の根拠を探そう、というものではないか。簡単に言えば、「死を見つめることで生の意味を考える」ということで、要するにキリスト教世界で昔から言われてきた「メメントモリ(死を忘るな)」を土台にした哲学だろう。要するに、キリスト教倫理学だ。

まあ、死を土台に置いて人生の意義を考えるというのはべつにキリスト教の専売ではないと思うし、たとえば「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」など、まさに死を前提とした人生哲学で、ただそれが武士だけに限定されているだけだ。
しかし、死を直視することで生きることの苦難を克服するというのは武士ではなくとも可能だろうし、仏教の偉大な僧なども、始祖の仏陀をはじめ、「生病老死」の四苦の精神的克服が人生の課題だったわけだ。武士などは、まさに「いつどこで死ぬことになるか分からない」という、死の本質に向かい合うこと自体が生きる覚悟であったわけだ。
現代の人間でも、たとえば癌などで余命宣告された人間が実に穏やかにその運命を受け入れて死んでいったという事例は多いはずである。それこそ、偽宗教家には真似のできないことである。

いろいろと考察したいことはあるが、「存在の意味は時間である」というテーゼについてだけ考えてみる。では、空間はどうなるのだ、と誰でもすぐに疑問を持つだろうが、このテーゼ自体は正しいと思うし、むしろ空間を排除したところに私は面白さを感じる。
もちろん、一般的な存在というのは空間的存在だ。だが、すべての存在が空間的というわけではない。つまり、非空間的な存在を含めるなら、むしろ「存在とは時間的かつ空間的なものだ」と言うほうが誤りだろう。たとえば、我々の想念というのはまったく非空間的なものだ。では、それは存在しないか、といえば、立派に存在しているのである。しかも、ひとつの想念は次々に新たな想念を生んでいく。我々の頭はまさに無数の想念が生起し存在しているのだ。
或る想念が生じたために、別の想念が生まれるというのは、まさに我々の頭脳、あるいは心の中で想念の「縁起」がほとんど無限に続いているということであり、その中には我々を善に向かわせる想念もあれば悪に向かわせる想念もある。まさしく、我々は自分で自分の心の中に善の種や悪の種を植えているのである。
では、「存在の意味は時間である」というテーゼそのものはどういうことか。
まあ、単純に、「或るものが生じて、それが消滅するまでを存在と言う」という解釈でいいのではないか。それは、時間の経過を必然的に伴い、また変化を特性とする。
そこからまた何かの哲学が導き出せそうだが、ここで筆を止めておく。


















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追悼吾妻ひでお

なかなか貴重なコラボなので転載しておく。合掌。
ひばりくんの絵が、江口オリジナルのタッチを残した吾妻ひでおの絵であるのがいい。

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4年前のトークショーの時に吾妻先生と合作した絵。

















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昔は金持ちが葉巻を吸い、今は貧乏人が葉巻を吸うwww

「ネットゲリラ」からの転載だが、紙巻きたばこというのは実は巻いてある紙が燃えることで有害物質が出るという話も聞いたことがあるような無いような、ぼんやりとした記憶があるのだが、まあ、煙草そのものがニコチンやタールを出しているのは間違いない。美味さという点では紙巻きたばこよりもむしろシガリロのほうが美味いのではないか、と、吸った経験は無いのだが想像する。私は気管というか、喉が弱いので煙草をあまり吸えないが、好きなだけ吸えたらいいな、といつも思っている。煙草を吸う時の、あの悠然とした平和な気分は、「簡便な禅」だといつも思っている。




安煙草は葉巻に

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DSC01972.jpg

相次ぐタバコの値上げで、このところ急に出て来たのがミニシガーの煙草で、紙の代わりに煙草の葉で巻いてあるわけです。ミニシガーというと高級品みたいだが、紙巻たばこより安いのが取柄で、だからエコーやわかばまでもがコレになった。何で安いのかと言うと、税制の違いからです。紙巻きは一本幾らで税金がかかるのに対して、葉巻はグラム単位の課税です。結果として、一本あたりでは葉巻にした方が安くなる。葉巻といっても、葉を加工して巻きやすくしているので、紙巻きと変わらない。むしろ紙臭さがなくて、味は向上しているようだ。北海道限定だが、ゴールデンバットも出ているらしい。



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注文の多い居酒屋

実に気持ち悪い店であり、この貼り紙でそういう店主の店であることが分かったのは良かったのではないか。
自分の店でどんな独自ルールを作ろうが構わないが、一見の客がうっかり入ったら、最悪の体験をすることになる。まあ、この貼り紙を外に出しているならむしろ客への親切だろう。これで店主の理想とする店になり、繁盛もするのかどうか、成り行きに注目だ。
最近、この類の、「お客様は神様じゃねえ」と主張する店が居酒屋などに増えてきたのか、一部の店が目立っているのか知らないが、居丈高な店に文句も言わず通う客も客である。マゾヒストか。





その他

笹塚の居酒屋に貼ってあった。 めんどくせぇもう行かねえよ


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