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気の赴くままにつれづれと。
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まぁ。私はトランプ派なので、
トランプには踏ん張ってもらい所ですが…
私の漠然とした感覚では、
暴動の主体となっているのはANTIFA(アンティファ)と呼ばれる騒擾集団で、
これは中東で暗躍していたISIS(イスラム国)と同根のプ武装ロ組織という感じがします。
中東を実質的に追い出されたISISが、コロナ騒動と相まってアメリカに再集結(里帰り)し、いよいよ本丸であるアメリカ合衆国を乗っ取るために活動をはじめたといったところでしょうか…
この、ISIS(イスラム国)という国際テロ集団も、もともとがオバマや(ヒラリー)クリントンたちが育てた武装組織と見る向きもあり、国家横断的に活動し各地で国家破壊工作を繰り広げてきたと思われます。
現在、アメリカで破壊工作の中核となっている(とされる)ANTIFAですが、
表向きは「アンチファシズム」ということで、(右派的)全体主義に対抗するリベラルな正義の味方としての仮面を装っていると考えています。
しかし、こうしたリベラルで解放的なイメージというのは意外と硬直化した原理主義的なもので、人種差別反対とかジェンダーフリーといったマイノリティ擁護思想をはじめ、地球環境(反温暖化)保護思想、さらに反原発思想や反戦平和思想などの(表向きリベラルな)民主的平等イデオロギーを原動力として、活動の幅を広げていると見られています。
こうしたことから、どちらかといえば、国家主義的なものを超えた汎地球主義(国際主義)を理想とした集団ということで、割合、偏差値度の高いインテリには受けが良いムーブメントとなっている感があります。
これが理想的なものとして発展すると、カントが提唱した「世界共和国」といったものができるのでしょうが、現状のまま拡大していくと、いわゆるNWO(ニューワールドオーダー)的な、人類丸ごと個性を剥奪された(奴隷)管理のシステムの中に閉じ込められる恐れがあります。
また、今回のアメリカの騒擾騒乱と中国をはじめとした諸外国とは、全く関係のない間柄だという見方もありますが、
ANTIFA、さらにそれと同根とみられるISISなども、前述のようにオバマ&(ヒラリー)クリントンのアメリカ民主党・前アメリカ執行部が育てた組織という説もあり、
そのオバマ&ヒラリー時代の民主党自体が、中国の資金援助によって生み出され運営されてきた、利害を共有するお仲間同士の集団であると見る向きもあります。
もっとも、トランプにしても、(ヨーロッパ)ドイツ・ルーツの市民層やキリスト教の宗教ファンダメンタリスト集団のバックアップ、さらに、娘、娘婿のユダヤ教のアシストなどが噂されていますので、全くフリーな存在であるとは言えないのも確かですが…
中国のコロナ封じ込め成功に関しては、武漢から中東、ヨーロッパ、ロシアを経由してきた第2波が、ウラジオあたりから吉林省(旧満州)エリアまで回帰してきているという話もありますので、今後どうなるか予断を許さないものがあると思われます。
中国に限らず、コロナ第2波は日本にとっても同じ注意が必要です。
ということで、
今回のアメリカ騒擾は、裏から資金を貰って煽っているプロ連中は別にして、
叛乱に参加した多数の一般群衆は、財布の中の自前資金が底を着いたあたりで撤収・解散し、騒動は次第に収まっていくような気がします。
給与と生活がとりあえず保障されていて、いつまでも戦える警察官や軍隊とは、そもそも経済的な基盤が違いますからね。
さて、この物語のポイントはここである。扉から出てきたのは虎だっただろうか、それとも女だっただろうか?
この問いかけを熟考すればするほど、答えるのは難しくなる。この問題は人間の心についての研究題目を含んでおり、それは様々な情熱の混迷の中に我々を導いて、そこから抜けだすことを困難にさせる。賢明な読者よ、お考えいただきたい。この問いかけの決定はあなた自身が下すのではなく、あの熱い血を持った、半野蛮な王女にかかっているのである。彼女の魂は絶望と嫉妬の白い炎に焼かれている。彼女は彼を失った。だが、誰が彼を得るのか?
いかにしばしば彼女はその覚醒と眠りの中で、激しい恐怖に襲われ、我が手で顔をおおっただろう。彼女の恋人がもう一つの扉を開け、そこに残酷な虎の歯が待っていることを想像して!
彼にとっては、即座に死んで、祝福された半野蛮な来世で彼女を待つ方がよいのではないだろうか?
だがしかし、あの恐ろしい虎、その叫び声、あの血!
彼女の決定は即座に示されたが、しかしそれは幾つもの昼と夜を経た恐ろしい熟考の中で作られたものである。彼女は自分が尋ねられるということを知っていた。彼女は自分がどう答えるかも知っていた。そして、ほんの少しもためらうことなく、彼女は手を上げて右の方を指したのであった。
彼女の決定についてのこの質問は軽々しく考えられるべきものではないし、私自身がそれに答えうる唯一の人間だとも主張する気はない。そこで、私はその答えの判断をあなた方に残すことにしよう。開いた扉から出てきたのはどちらだろう。女か、それとも虎か?
「女か虎か」完
*話はこれですべて終わりである。「女か、虎か?」という問いに答えるのは読者であるあなたである。このように、話の結論を謎のままに残す話をリドルストーリーと言うが、この「女か虎か」は、その中でもっとも高名なものであり、リドルストーリーの代名詞のようなものだ。しかし、案外と誰も話自体を読んではいないはずだから、ここで掲載したわけである。どうだっただろうか。
王国の虎の檻には、もっとも野蛮で冷酷な野獣の中でも選り抜きの獰猛なものが何頭か集められ、また、若者の運命が野獣の餌食になるものでなかった場合に備えて、若者の花嫁になるのにふさわしい、国中でもっとも若く美しい乙女たちのランク付けが適当な審判者たちによって注意深く進められていた。もちろん、誰もが、この若者が何の罪で告発されたかは知っていた。彼は王女を愛し、そしてそのことを否定するつもりは彼にも彼女にも、他の誰にもなかった。しかし王は、自分に絶大な喜びと満足を与えるこの裁きのシステムに、いかなる「事実」をも介入させるつもりはなかった。事件の内実がどうであろうが、この若者は闘技場での裁きによって処理され、彼が王女を愛するという悪事を働いたか否かに関わらず、王は若者の運命を決定する裁きの儀式を見ることで、美しい喜びを得ることになるはずだった。
指定された日が来た。遠くからも近くからも人々が集まり、この偉大な闘技場を満員にした。建物の中に入りきれなかった者たちは、闘技場の外壁に向かって立ち並んでいた。王と廷臣たちが例の二つの扉に面した所定の席についた。運命の関門――同じ見かけのゆえに、かくも恐ろしいその二つの扉に向かって。
準備はすべて終わった。合図が下された。王族席の下方にある扉が開き、王女の恋人が闘技場の場内に歩み出た。背が高く、美しく、端正なその姿は観衆の称賛と不安の低い物音で迎えられた。観衆の半分ほどは、これほどに素晴らしい若者が彼らの間に存在していたことを知らなかった。王女が彼を愛したのには何の不思議もない! その彼が今、この場にいるというのは、何と恐ろしいことだろう!
そして、彼の、素早く、答えを切望する目が「どちらだ?」と聞いた。その問いかけは、まるで彼が自分の立っている場所から叫んだかのように、彼女には明白だった。一瞬も無駄にはできなかった。その問いかけは瞬時のうちに行われたが、返答も瞬時に行われねばならなかった。
彼女の右手は座席の前のクッションのついた手すりの上に置かれていた。彼女はその手を上げ、かすかな素早い動きで右を示した。彼女の恋人以外の誰も彼女を見ていなかった。すべての人々の目は闘技場の中の男を注視していた。
彼は向きを変え、自信に満ちた、素早い足取りで競技場の空間を横切って歩いて行った。すべての心臓は鼓動をやめ、すべての呼吸は止まり、すべての目は動けないままにその男に固定された。ほんのわずかなためらいもなく、彼は右側の扉に歩み寄り、そしてそれを開けた。
彼に採用されたアイデアの数々によって、彼はその野蛮性を撒き散らしたのだが、その中には公共の闘技場があって、そこで人々は男らしさや恐るべき勇気を観衆に見せ、そしてそれによって王の臣民たちの心は洗練され陶冶されるのであった。
だが、ここにおいてすら、王の巨大で野蛮な夢想が姿を見せていた。王の闘技場は、死に行く兵士の最後の言葉を人々に聞かせる機会を与えるためや、宗教的意見と飢えた顎の争闘の不可避の結末を観衆に見せるためではなく、もっと有益な目的、すなわち人々の精神的な活力を拡大し向上させるために建てられたのであった。この広大な闘技場は詩的な公正さの代行者であり、ここには、偏りもなく買収されることもない機会があり、その裁定によって罪は罰せられ、美徳は報酬を与えられたのである。
王の臣民の一人が、王を面白がらせるのに十分な重要性を持った罪で告発されると、ある予定された日に、告発された臣民の運命が王の闘技場で決定されるという公告が掲示された。この建築物は「王の闘技場」という呼び名に恥じないものであった。なぜなら、その形態やプランこそはるか遠い所から借りてきたものではあったが、その目的は、あらゆる点で王であるこの男一人に出たものであり、自分自身の愉快な夢想以外にはいかなる伝統にもその起源を負うてはいなかったからである。そして彼はこの闘技場で行われるあらゆる事柄に、彼の野蛮な夢想による豊かで拡張されたアイデアを付けくわえたのであった。
すべての人々が闘技場に集められ、王が廷臣に囲まれて、闘技場の一方にある、王の尊厳を表す高い玉座に座ると、王は合図をし、玉座の下にある扉が開けられて、告発された廷臣が歩み出る。罪人の向こう正面の側には仕切られて閉ざされた空間があり、そこにはまったく同じ形の二つの扉が並んでいる。この扉にまっすぐに歩み寄ってどちらかの扉を開けるのが裁かれる人間の義務であり、特権であった。彼は自分の望み次第でどちらの扉を開けてもよいが、自分がこの扉を開けることで公正な裁きの機会を得るのだとあらかじめ述べられる以外には、その扉の向こうに何があるかについて何一つ案内も暗示も与えられていなかった。もしも彼がその一つを開けた場合、手に入る限り最も獰猛で冷酷で腹をすかせた虎がそこから飛び出して彼を襲い、彼の罪への処罰として即座に彼を八つ裂きにする。罪人の判決がこのように下った瞬間、鉄でできた鐘が悲しげに鳴らされ、闘技場の端に位置した雇いの泣き女たちの泣き声が沸き起こり、無数の観客たちは、若く美しい人間や年を取って尊敬されていた人間がかくも恐ろしい運命を受け取らざるを得なかったことを深く悼み、頭をうなだれ、悲しみの心とともに、足取りも重く帰途に就くのであった。
しかし、もしも告発された者が別の扉を開けたならば、そこからは一人の美女が出てくる。告発された者の年齢と地位にもっともふさわしい美女で、国王陛下が彼のもっとも美しい臣民の中から選りぬいた女である。そして被告人は彼の無罪への報酬としてこの女と即座に結婚することになっていた。彼がすでに結婚し、家族を持っているかどうか、あるいは自分が結果的に選んだこの女に愛情や好意を持つかどうかはまったく問題とされなかった。王は、自分が描いたこの偉大な報復と報酬の図式に対するいかなる変更も介入も許さなかったからである。この、もう一方の扉が選ばれた場合には同じ闘技場が即座に儀式の場に変わった。王の玉座の下の別の扉から、合唱隊の少年たちと、楽しげに黄金の角笛を吹き鳴らしながら踊る少女たちを伴った僧侶が進み出て、被告人とその伴侶となる女が並んで立っているところまで歩み寄る。そして結婚式がすぐに、楽しく執り行われる。そうして真鍮の鐘が鳴り続け、人々の歓呼の声に送られて、その通路に花を撒く子供たちに先導されながら、無罪を勝ち取った男はその花嫁を自分の家へと導くのであった。
これが、王が正義を執行するやり方であった。その完璧な公正さは明白である。被告人は、どの扉から美女が出てくるか知ることはできない。彼は、その向こうに何があるかまったく知らぬままに自分の好きな扉を開け、次の瞬間、彼は食われるか、あるいは結婚する。ある時は扉から虎が出てくるし、ある時には美女が出てくる。この裁きでの判決は公正であるだけでなく明確に決定されたものである。告発された者が、自分が有罪だと知ったその瞬間に彼は処罰され、無罪なら、彼がそれを好もうが好むまいが、その場で無実の罪の償いを得る。この王の闘技場の裁きから逃れる術は無かった。
この制度はとても人気のあるものだった。この偉大なる裁きの日に集められた人々は、自分たちが血生臭い死に立ち会うのか、楽しい結婚式に立ち会うのか、けっして知ることはない。この不確かさの要素が、さもなくば持ち得なかったような面白さをこの儀式に与えていたのである。こうして大衆の大部分は楽しみ、喜んだし、国民の中の思慮深い人々も、このやり方を不公正のゆえに非難することはできなかった。なぜなら、告発された人間の手に、すべてはゆだねられているではないか?
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