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珈琲道

私も「コーヒーを淹れている時間」が好きで、茶道ならぬ「珈琲道」(むかし、そういう題名の大衆小説があった。)をやっている気分である。ついでに、淹れている間は爪先立ちしたり片足立ちしたりして、一日分の「運動」もしているwww つまり、「ヨガ」の時間でもある。
しかし、何千回淹れても、「至高の味」にも「究極の味」にも至らないので、商売にはならない。まあ、もともと味覚など人間が違えば異なるものだが。
ちなみに、最初のひとくち(ひと啜り)だけはブラックで味わい、後は気分で砂糖もクリームも入れて飲む。最初の一杯は淹れたてで飲むが、後は、ポットに入れた一日分のコーヒーを電子レンジで温めて飲む(煮詰めないので味はほとんど変わらない。水や湯で薄めた超アメリカンをお茶代わりにブラックのまま飲むこともある。)だけなので、コーヒーを淹れる際の「珈琲道」は一日に三分程度である。




(以下引用)

ばりすた
ホットドリンク
脳神経内科医
@bar1star
·
これは脳の医師としてではなくただのコーヒー好きとしての感想ですが、じっくりコーヒーを淹れる時間は、ヨガや瞑想してる時みたいな程よい集中と香りの相乗効果でめちゃくちゃ充実した時間が過ごせます。おすすめ。








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老人用素人ホストクラブ素人キャバレー

読んでも今一つ現場の状況がつかみにくい記事だが、要するに、カラオケ店が「老人たちの素人ホストクラブ、素人キャバレー」になっていたということかwww
まあ、私もだいぶ前に久しぶりに再会した兄弟姉妹と昼カラオケに行って懐メロを歌ってなかなか楽しかったので昼カラにはむしろ好感を持っているが、さすがに素人キャバレー化したカラオケ店は敬遠したい。と言うか、なかなか化け物屋敷感がありそうだ。
もっとも、そういう店で新コロ感染がどうこうという話ではない。老い先短い老人たちなのだから楽しく過ごすのは結構なことで、純粋に美的感覚の問題だ。私の頭は昭和頭脳なので、老人は「東京物語」の笠智衆と東山千栄子(東山千恵子か?)みたいなのを好ましく思うのである。


(以下引用)


札幌では今月にはいって昼にカラオケができる喫茶店で、高齢者の新型コロナウイルス感染が広がっています。第2波の拡大期のあとになぜ感染は拡がったのか。クラスターが発生した店を知る女性への取材などから、複数の要因が浮かび上がってきました。

昼から気持ちよくカラオケに興じる「
昼カラ」。札幌市東区にあるカラオケ喫茶です。こちらで行っている新型コロナウイルス対策は。
(磯貝記者リポート)
「検温していただいて、さらに消毒をして店内に入りますと、このようにお客様の間には仕切り壁が設置されていて、密接しないよう対策がとられています」
この店ではマイクの除菌はもちろん、歌う際は1人で専用の仕切りの中に入るなど、新型コロナウイルスの対策を徹底しています。
(けんちゃんリズムダンス・カラオケ 阿部けんじマスター)
「年寄りになるとみんな行くところがない。みんな楽しみにしているので、伝統を伸ばそうと思う。そうしてこの対策を強化している」
これまでになかった対策をとる理由。それは他の店で起きた思いもかけない集団感染でした。
(札幌市 秋元市長)
「昼とカラオケがセットでされている。行動歴の中にこういった経歴がある方が多く散見される」
札幌及びその近郊で昼カラができる15の店で、高齢者が新型コロナウイルスに相次いで感染。そのうち2店で感染者が10人以上の、クラスターに発展しています。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「大きいですね。40人、50人が入れる店。かなりの客が入れる店。まさか本当に新型コロナが出るとは」
取材に応じたのはクラスターが起きた札幌市内のカラオケ喫茶をよく知る女性。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「カラオケ、ダンス教室もあった。歌に合わせてダンスも踊る。ダンスで気軽に体をつけてお話して。(歌って踊るのは)こういう世界では一般的です。一般常識といいますか」
札幌市もダンスを把握していて、現在感染との因果関係を調査中です。以前この店を利用した男性は。
(クラスターが起きた店を利用したことがある男性)
「カウンターとテーブルがあって、結構広い。あとステージがある。ここはすごかったよ。一番混んでいた。だいたい(客で)びっしりだったね。カラオケも30分から40分待たないと順番が来ないくらい」
また、クラスターが起きた2店は近くにあり、その両方を利用していた客もいて、「客の行き来」が感染を広めた可能性もあるといいます。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「その日は行けなくても次の日はこっちの行きつけのカラオケ。あさっては(別の店)みたいに歌っている客も少なくない。どこへでも行って違う方に会って、お話したいという人も結構いる」
昼カラでの感染が確認されたのは5月1日以降。5月と言えばカラオケボックスには休業要請が出されていましたが。
(札幌市の担当者)
「(喫茶店に)カラオケがついていると、念頭に置いた指導はなかった」
カラオケ喫茶は休業要請の対象外で、市は昼カラの対策を念頭に置いていませんでした。高齢者の憩いの場で、想定外の感染が広がっている新型コロナウイルス。感染を防ぐには店側はもちろん、利用する側の対策徹底も求められます。









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「天皇制」と戦うとはどういうことか(3)

検討対象の文章の、ここでの対象部分だけ先に引用する。

(以下引用)
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。
(引用終わり)

(3)から(6)は前回でも論じたが、(7)と(8)は「天皇制」打倒の方法論で、私から見ればナンセンスの極みであるが、それは後で論じる。先に(3)から(6)の疑問点から書く。

(1)引用文(3)~(5)の中の「天皇の霊性」とは何か。通常の人間には無い霊性なるものが天皇にあると言うのか。それとも、誰にでもあるのか。それなら、なぜ「天皇の霊性」だけが問題になるのか。仮に、先の戦争、あるいは明治以来の天皇制における「現人神」宣伝を筆者が問題視しているなら、今さら象徴天皇制において「天皇の霊性」が問題になるはずもないことは自明だろう。仮に、天皇が庶民の崇敬の対象となるなら、それはその天皇の人格力によるものであり、それを事々しく「霊性」と言う必要性を私は認めない。まして、その「霊性」とやらに「呪縛力」があるなどというのはカルト宗教的発想だろう。
(2)引用文(5)の中の「天皇の統治機能」は、象徴天皇制においてはナンセンスな言葉であり、天皇の精神的影響のことを「統治機能」と言うのなら、それは天皇の個人的資質によるものであって、「天皇だから」ではない。その証拠に、天皇を特に尊敬していない人間が無数にいる。他人の人格を察知し、それに影響を受けるには、影響を受ける人間の資質も必要なのである。現代人が地位や肩書だけで他人を崇敬すると筆者が信じているなら、相当にナイーブな話である。
(3)引用文(6)は、文章自体が曖昧模糊としているが、「統治形態の観念上の〈敵〉」とは、「統治形態を変革する上での観念上の敵」の意味かと思う。それとも「統治形態の観念」の上での敵、ということか。しかし、「観念」に敵がいる、というのもよく分からない。まあ、いずれにしても、その前後の文脈から言えば、「天皇制こそが統治形態を変革する上での敵だ」という趣旨だろうと思う。少し前で言ったとおり、なぜ天皇制が敵なのか、私には理解できないし、天皇制反対論者の意見で納得するものを読んだこともない。

(4)引用文(7)(8)は論じるにも値しないと思う。「隣人の作り出す関係の相互信任」という持って回ったような言い方を簡単に言えば「身近な人間同士の信頼関係」となるだろうが、それがなぜ「天皇制」という国家的体制と対峙できるのか。向こう三軒両隣が信頼関係を作れば「天皇制」が打破でき、「先の戦争」も起こらなかった、とでも言うのだろうか。(先の戦争と「天皇制」は無関係だとは私もまったく思わないが、現在の「象徴天皇制」からはそうした「君主制ファシズム」への移行はありえないだろう。)

以上で、引用した文章への批判的検討を終わる。

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「天皇制」と戦うとはどういうことか(2)

先に、検討対象の文章を、要点のみもう一度掲載しておく。

(以下引用)
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。
(引用終わり)

疑問点を挙げておく。

(1)この文章によれば、「天皇制との闘争の目的は国民国家日本の統治形態の転倒である」とされている。つまり、「革命」である。しかし、なぜ革命が必要なのか、その理由は書かれていない。安倍政権の政治に不満なら打倒すべきは安倍政権であるだろうが、「革命」ならば、日本の政治形態そのものを「転倒」する必要があるわけだが、その政治形態のどこが問題なのか、書かれていない。つまり、「天皇制」さえ無くせば、無条件で地上の天国が出現するらしい。
(2)上記(1)から生じる疑問として、「天皇制」の無い社会のどこがどのように今より優れた社会なのか、読み手には分からない。
(3)「天皇制」の問題点は、天皇という「権威」が国家権力のアシストをしている点にある、というのが筆者の考えらしい。(引用文(1)による。)現在の象徴天皇が(悪い意味で)国家権力のアシストをしているという事実があるか。
(4)引用文(3)~(6)は、国民の中に存在する天皇への崇敬の念自体の批判である。要するに、それは「内面化された奴隷制度」だと言いたいらしい。(7)で言う、「幻想の呪縛」とはそういうことだろう。なぜ崇敬の念自体は批判されないのに、「天皇への崇敬」は批判されるのだろうか。それとも筆者は上長への敬意そのものが悪慣習だという意見だろうか。もちろん、天皇は上長ではないが、それだけにいっそう無私の崇敬であり、尊い、という考えはおかしいのだろうか。

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「天皇制」と戦うとはどういうことか(1)

某ブログに引用されていた文章だが、「天皇制」(私はこの言葉自体に懐疑的であり、現在の象徴天皇制を、まるで天皇が権力の中心であるかのように錯覚させる言葉だと思う。)を打倒することを切望する人もかなり存在しているのはネットを見ても分かる。だが、その「根拠」として納得のいく意見を私は見たことがない。
参考までに、この文章を「『天皇制』批判の一例」として分析しようと思うが、残念ながら、この文章は「なぜ『天皇制』を打倒する必要があるのか」ではなく、「いかにして『天皇制』を打倒するか」という方法論のようだ。まあ、大方の「天皇制批判論者」の考えは「民主主義社会において、なぜ天皇だけが『特権的』存在とされるのか」という、素朴な感情であり、その感情の半分くらいは、「上級国民」への嫉妬や嫌悪や不満が、天皇という「象徴」への嫌悪と置き換わったのだろうと私は思っている。
まあ、とりあえず、検討の対象となる文章(要点部分だけ)を引用する。何回かに分けて論じるかもしれないが、シリーズタイトルは、あえて、私が批判の対象とする下の文章とほぼ同じにする。もちろん、意味は正反対である。下の筆者は「天皇制」と戦え、と言っており、私は「なぜ『天皇制』と戦うのだ?」と疑問を呈しているわけだ。

(以下引用)
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第八回(最終回)
Ⅷ.国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ
菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)
■ 隣人相互の信認へ
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。

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あの人は逮捕されず、退職金を得て無事退職だったような記憶が……

えっ、賭け麻雀って違法だったんだ。
あの、法の番人である検察局の偉い人が………。

(以下引用)



 札幌市のマンションの一室で賭けマージャンをした疑いで、暴力団幹部ら5人が逮捕されました。
 逮捕されたのは指定暴力団山口組系誠友会の幹部、高橋哲雄容疑者と八木俊幸容疑者、そして札幌市内の会社役員の男らあわせて5人です。高橋容疑者らは11日夕方、札幌市中央区にあるマンションの一室で、金を賭けてマージャンをした疑いが持たれています。警察は5人の認否を明らかにしていません。警察は、チップを現金で購入する形で1日に数万円から十数万円が動き、常習的に賭博が行われていたとみていて、事件への組織ぐるみの関りがあったのか調べています。

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新コロ利権と血液利権

「春曲丼より混沌丼」から記事の一部を転載。
良記事だが、長いので一部のみ載せる。とある対談の書き起こしらしいが、発言者の名前は動画を見るしかないようだ。そのうちのひとりは確か、どこかの大学の教授だと思う。
私には、コロナの話よりも輸血利権の話が面白かった。この件は私も疑問に思って、記事を書いたことがある。血液代わりに生理的食塩水で十分だ、というのも昔どこかで聞いた記憶がある。

(以下引用)文中の「人口」は当然「人工」の誤記だろう。

PCR発明者はそのような事態を憂慮したのではないか?病気は遺伝子の改変で作れることだ。これはPCRがなければできない。遺伝子を創造すれば病人を大量に生み出せ、治療薬と称する薬のメーカーが儲かる。
詳細は語っていないが、病気の創造を彼は怒ったのでは無いかと思う。想像に過ぎないが。
これは人工的なものか?
ウイルスを作るのは結構大変で、人口の跡は必ず残る。ウイルスベクターを使わないと無理なので、その部分はどうしても残る。完全なものは難しいし、しかも強い毒性を維持して沢山の人にかかるものは無理だと思う。
通常は強い病原性でも、ある程度の人が亡くなると、それ以上は広まらない。隔離されるからだ。それほどうまく行くものではない。やってみないとわからない。今回のように世界中に広まり、たくさん死亡するのは事実上無理だろう。
そうではなく、検査法で広まるという方がよっぽど簡単。私が思うに、この騒ぎは、紙の上でデザインし、PCRで病人が出たと騒いでるにすぎない。
例えば、人口ウイルスをばらまいても2,3年で収束する。次は別のタイプをばらまかないといけないので大変だ。
であれば、有名ではない常在ウイルスの遺伝子情報があれば、机上で一時間でデザインできる。それが論文で発表され、WHOのお墨付きを得る。後はマスコミを扇動し、対策当局者を何とかすれば世界中に広まる。あくまで可能性だが。このトリックにはなかなか気が付かない。
「おかしい」と言ってしまうと抑圧されるだろう、現場は特にだ。既にたくさんの利権が絡み、金もばらまかれている。
もしPCR発明者が警告を発していれば、このような騒動にはできなかっただろう。彼の死を待ってから始まったということになる。
感染研の嘘
感染研は、ウイルスの病原体を患者からとり、クローン化し、それを米国の遺伝子バンクに載せたが、自分で削除している。エラーにより訂正されることはあるが、この場合はまるごと取り消した。普通ではない。これは論文自体がなかったことにしたという意味。
武漢の場合と異なり、感染研はウイルスを完全にきれいな形で、遺伝子を決めたという。それならば、ウイルスの感染性、病害性もわかるし、遺伝子も確実にわかるはず。感染研が99.9%の同じ遺伝子を見つけたとすれば、とり下げることはありえない。したがって、99.9%ということ自体、嘘をついていたことになる。
ただ、取り下げたとは言ってもデータベースには残っており、取り下げた事実自体も残る。海外からは「やらかしたな」と見られているはず。日本では報道されていない。
であれば、彼らがクローン化したということ自体も嘘になる。なぜ嘘をつかねばならないのか、その動機までは不明。
感染研の過去
感染研は国立予防衛生研が発展したものだが、これはもともと731部隊だった。歴代所長はずっと731部隊のメンバーがつとめていた。731の人が今でも医学部や製薬会社の主要ポストを占めている。ミドリ十字などだ。
(服部)日赤も全く明細が出てこない。血液を無料で買い、それを有料で販売する会社がミドリ十字と言われている。
どこまで輸血が必要なのかもほぼ検討されていない。輸血利権というものがある。儲けだけではなく、他人の血液を入れると白血球まで入ってしまう。これは良くない。生理食塩水の方が負担が少ないケースが結構あるはずだし、輸血の量もはるかに減らせるはずだが、研究されていない。タブーだ。
ネズミの実験でわかっているが、人間の場合、何リットル抜いても生きていける、少々生理食塩水でも入れれば、色は白くなるが元に戻る。血液を抜いてすぐ死ぬようなものではない。循環する液体があれば補填される。
誰も実験をしない、タブーなのだろう。
遺伝子組み換えワクチン
新型コロナも利権がらみで考えるとわかりやすい。マッチポンプだ。
こう考える者がいればどうだろう?手間をかけずに、情報操作と金をばら撒き、結局元をとるということだ。世界中でワクチンを作っているのでわかるが、利権にあずかろうとしている。病原体が明確でないのに、ワクチンというのは普通やらない。
SARSでもMERSでも1,2年で収束してしまうので、ワクチンを作っても儲からない。今回は収束するかわからない状態で各社競ってワクチンを作るというのは、そもそもおかしい。しかも、DNAワクチンやmRNAワクチンなど、これまで使ったことも無いものだ。DNAワクチンなど、要するに遺伝子組み換えである。
遺伝子組み換え食物の場合は、口から腸へと、ある意味身体の外だが、ワクチンの場合は針で入れてしまう。どうなるのかわからない。誰も調べていない。
本来、組み換えを研究する場合には、外部に出すことはできないことになっている。しかるべき措置をすることになっているが、ワクチンだとこの規制をはずれる。人間の身体に(直接)入れるものは規制しなくて、身体に(直接)入れないものは規制されているというおかしな話になっている。
普通はこういったDNAワクチンをやろうといえば誰もが嫌がるが、今回は非常事態ということになっている。これはある種の人体実験だ。ボランティアでもやれないものだが、非常事態、戦争のような状態ではやむを得ないことになっている。
人体実験は普通はできないが、そういう演出をしている。チンパンジーにしても今は動物愛護云々で難しい。
何が変わったかといえば、皆が洗脳されているという、それだけのこと。
先の731部隊と同じようなことが、全国民対象、世界的にやることになった。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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