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「天皇制」と戦うとはどういうことか(2)

先に、検討対象の文章を、要点のみもう一度掲載しておく。

(以下引用)
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。
(引用終わり)

疑問点を挙げておく。

(1)この文章によれば、「天皇制との闘争の目的は国民国家日本の統治形態の転倒である」とされている。つまり、「革命」である。しかし、なぜ革命が必要なのか、その理由は書かれていない。安倍政権の政治に不満なら打倒すべきは安倍政権であるだろうが、「革命」ならば、日本の政治形態そのものを「転倒」する必要があるわけだが、その政治形態のどこが問題なのか、書かれていない。つまり、「天皇制」さえ無くせば、無条件で地上の天国が出現するらしい。
(2)上記(1)から生じる疑問として、「天皇制」の無い社会のどこがどのように今より優れた社会なのか、読み手には分からない。
(3)「天皇制」の問題点は、天皇という「権威」が国家権力のアシストをしている点にある、というのが筆者の考えらしい。(引用文(1)による。)現在の象徴天皇が(悪い意味で)国家権力のアシストをしているという事実があるか。
(4)引用文(3)~(6)は、国民の中に存在する天皇への崇敬の念自体の批判である。要するに、それは「内面化された奴隷制度」だと言いたいらしい。(7)で言う、「幻想の呪縛」とはそういうことだろう。なぜ崇敬の念自体は批判されないのに、「天皇への崇敬」は批判されるのだろうか。それとも筆者は上長への敬意そのものが悪慣習だという意見だろうか。もちろん、天皇は上長ではないが、それだけにいっそう無私の崇敬であり、尊い、という考えはおかしいのだろうか。

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