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気の赴くままにつれづれと。
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・同じ夜、かなり遅い時間。桐井と佐藤の下宿の前の道。
・酔いつぶれた田端兄を富士谷と栗谷が肩で支えて歩かせてこちらに向かってくる。その後ろから兵頭(着物姿)がシガーを吹かしながら悠然と歩いてくる。
富士谷「そう言えば、ここが佐藤と桐井のいる下宿ですよ」
兵頭「まだ明かりのついている窓があるな」
栗谷「たぶん、桐井の部屋でしょう。あいつは、夜はほとんど起きているという話です」
兵頭「勉強家なのか?」
栗谷「いや、歩きまわりながら、一晩中考え事をしているらしいです」
兵頭「それは面白そうだ。訪ねてみよう。君たちはそいつを宿に送り届けてくれ」(シガーを地に捨て、下駄で踏み消す)
玄関のガラス戸を叩く。
しばらくして、中から「誰だい、こんな時間に」と不機嫌そうな声がする。
兵頭「桐井君に至急の用だ。須田伯爵家からの使いだ」
・桐井の部屋の中、外からノックされる。
桐井「佐藤か?」(開ける。)
兵頭「失礼するよ、桐井君」(中に入ってくる。)
桐井「どなたですか。こんな夜中に」
兵頭「兵頭栄三という者だが、社会主義者の君なら私の名前は知っているだろう?」
桐井「ああ、アナーキストの。私はもう社会主義者じゃありませんよ」
兵頭「どうして社会主義者をやめたんだね」(勝手に、机の前の椅子に座る)
桐井「社会のことなどどうでもよくなったからです」
兵頭「自殺すると決めたからかい?」
桐井「自殺? 誰から聞いたんです?」
兵頭「まあ、そんなのはいいじゃないか。後学のために君の自殺論を聞かせてもらいたいね。僕の聞いたところでは、絶対の自由の証明は自殺だ、という論のようじゃないか」
桐井「そうです。それで終わりです。さあ、お帰りください」
兵頭「なぜ自殺が絶対の自由の証明になるんだい?」
桐井(面倒くさそうに)「神が存在すれば、人間は神の命令を聞くしかない。つまり神の奴隷であり、自殺する自由は無い。自殺することで、人間は自分が自由意思があり、自分の意思の通りに行動でき、神の奴隷でないこと、つまり自由な存在であることを証明できる。QED。はい、御帰りください」
兵頭「まるで証明になっていないとしか思えないな」
桐井「あなたはなぜアナーキストなんですか。アナーキズムの理屈を僕に説明できますか」
兵頭「君と根っこは同じさ。絶対の自由がほしいからだ。ただ、君のように神だとか何だとかには僕はまったく興味がない。神がいたとしても、神はこの世に関与していない。善悪も道徳も法律もすべて人間が作ったもので、それは人間を縛るものだ。その基盤が国家であり政府だ。つまり、国家や政府は人間から自由を奪う存在だ。ゆえに僕は無政府主義を主張する。QED」
桐井「あなたは法律や道徳をすべて破壊したいと?」
兵頭「極端に言えばね」
桐井「野獣のように力だけが支配する世界を作りたいと?」
兵頭「そうとも言える。政府や国家に陰険に縛られた世界より僕はそのほうが好きだ。何も闘争だけしなくても、穏健に話し合いで社会が作れるさ」
桐井「僕よりあなたのほうがはるかに夢想家だ」
兵頭「同じく自由を求めても、君は自分を破壊し、僕は社会を破壊する。それだけの違いさ」
桐井「まあ、警察に捕まらないように気をつけることです。さあ、お休みなさい」
兵頭「また議論したいものだね。もっと時間をかけて真剣にな」
桐井「これで十分です。あなたの考えはだいたい理解できたつもりです」
兵頭「そうか。ところで、君は須田銀三郎とは知り合いなのだろう?」
桐井(黙っている)
兵頭「須田銀三郎が田端という男に何か弱みを握られているという話は知らないか?」
桐井「どうしてです?」
兵頭「いや、田端が分不相応なカネを持っていて、それが須田銀三郎から出たカネらしいんだ。須田が田端にカネをやった理由が知りたい」
桐井「僕は知りませんね。興味もない」
兵頭「そうか。夜分お邪魔した。今日はこれで失礼しよう。SEE YOU AGAIN」(人好きのする笑顔。椅子から立ち上がる。)
桐井「もう来なくていいですよ」
・兵頭を送り出す。
(このシーン終わり)
第十三章 フロス・フェリの野望
グエンたちが寝ている間も酒宴は続き、その話題は当然あの虎の頭の男のことである。しかし、フロス・フェリは何か他の事を考えているらしく、他の連中の話には上の空だった。
「どうしたんだい?」
アンバーが聞いた。
「いや、何な。あの子供たちのことだ」
他の者たちには聞かれないように、低い声で答える。
「ありゃあ、おそらくサントネージュの姫君と王子様だな」
「へえ、なるほど、そう言えば、数日前にサントネージュの王宮が陥落したという噂が伝わってきたねえ。王子と姫は一緒に死んだとも、脱出したとも言われていたけど、確かに、あれほどきれいで品のいい子供たちは、貴族にも滅多にいないね。……、で、どうするつもり? まさかユラリアに売り渡すつもりじゃないだろうね?」
「べつにサントネージュに恩義は無いが、ユラリア、トゥーラン、タイラスを含めた四つの中では一番善政が敷かれていた国だ。その中で最悪のユラリアに味方しちゃあ、俺の人気に関わるな」
「どうせ山賊なんだから、人気はどうでもいいだろうけど、見るからにいい子供たちだから、敵の手には渡したくないねえ」
「まあな。それに、ここが考えどころなんだが、あいつらがここに来たのは、俺たちにとって、もしかしたら途轍もない幸運になるかもしれねえ」
「まあ、考えていることは想像つくよ。あの連中を神輿にかついで、サントネージュ再興の軍勢を作ろうとでも言うんだろう? でも、簡単なことじゃないよ。山賊仕事と戦とはまったくべつだからね」
「それは承知の上だ。だがな、もしもこれが成功したら、お前、一気に公爵伯爵さまも夢じゃないぜ」
「反対はしないよ。でも、緑の森の盗賊は今、全部で11人だけだし、これから知り合いを集めてもせいぜい20人くらいだろう? とてもじゃないけど、軍隊にはなりゃあしないよ」
「まあ、見ていろ、物事には勢いってものがある。その勢いを作れば、今は10人程度でも、それが100人1000人にふくらむさ。それに、実はとてつもない隠し玉もある」
「何だい?」
「アベンチュラの事だよ」
「ああ、あいつか。今頃どうしているかねえ」
「旅から旅の風来坊をやってるだろうよ。だが、俺の睨んだところでは、あいつはタイラスの貴族の息子だ。あいつの持っている剣は、そんじょそこらの騎士が持てるような物じゃないぜ」
「なぜタイラスだと?」
「言葉つきだな。軽いタイラス訛りがあった」
「ふうん。でも、多分貴族社会が嫌で、風来坊になった人間なんだろ? 好んで貴族のいざこざに巻き込まれることがあるかね」
「そりゃあ、話してみないと分からん。だが、面白い勝負じゃないか。運命という奴は、こういう好機をつかむか見逃すかで決まるものさ」
「占ってやろうか?」
「いや、やめとく。占いって奴は嫌いだ。俺は自分の手で運命を切り開きたいんだ。運命に操られるのは御免だ」
「それにしても、ここにはいないアベンチュラを当てにするんだから、占いよりももっと雲を掴むような話だね。まあ、夢は寝てから見るもんさ。私はおいしい酒とおいしい御馳走があれば世の中はそれで十分だと思うがねえ」
「そうでない奴もいるさ。お前の妹のモーリオンもその一人じゃねえか」
「あの子は小さい頃から私とは違っていたからね。あいつも起きていて夢を見る人間さね。ご苦労なこった」
第十四章 ランザロート
グエンがフロス・フェリに「ランザロート」という町の名を言ったのは、そこがタイラスの首都で、フォックスたちはそこに向っていると聞いていたからである。「薔薇色の大地」という言葉から生まれたのが町の名前で、確かにこの町が存在する一帯は薔薇色の土からできていたが、オリーブとオレンジとブドウ以外にはあまり作物が無く、地味が肥えているとは言えなかった。地味が痩せていることはタイラスという国全体に言えることで、タイラスは周辺の国々に比べても、やや貧しい国だった。西のサントネージュは肥沃な土地に恵まれて、農業が栄えており、北のユラリアには森林資源や鉱物資源が多い。また南のトゥーランはエーデル川の下流域に当たり、ここも肥沃な平野が広がっている上に、多くの漁港にも恵まれている。
昔はタイラスを治める国王たちは自国の貧しさから脱するためにしばしば他国の富を求めて、土地を接する国々への侵略を繰り返したものだが、10年戦争と呼ばれる長い戦争の後、ユラリア・タイラス・トゥーラン・サントネージュの四カ国が和平条約を結び、この12年の間、平和が続いていたのである。それが破れたのが、ユラリアによるサントネージュ侵略だった。
和平戦略の一環として、この四カ国の間には政略結婚も幾つか行われていたので、この平和はまだしばらく続くかと思われていたのだが、縁戚関係の無いユラリアとサントネージュの縁談が不成立になり、その怒りに任せてユラリアが一気にサントネージュを攻め滅ぼしたわけだが、その直接の原因は第四王位継承者、アルト・ナルシスの陰謀にあった。王を暗殺し、ユラリアから政権を預かる形でサントネージュの王位に彼が就くというのが、あらかじめの約束であったが、もちろんユラリアはその約束など反古にするつもりだし、アルト・ナルシスもそれくらいは読んでいた。だが、平和の眠りが終われば、戦乱の中で自分が王位に就く機会はいくらでもあるというのがアルト・ナルシスの考えだった。
「たとえ、失敗に終わっても、その方が面白いじゃないか」
夜の闇の中で、ランプを灯したテーブルに頬杖をついて、彼は夢想に耽る。その瞳には他人の命を平気で賭け事のチップにできる人間の深淵がある。
フォックスたちがタイラスの首都ランザロートに行くことの予想は彼にはついていた。この国に安全な場所の無い彼らは叔母のエメラルドを頼っていくしかないはずだ。だが、タイラス国王はユラリアの縁者でもある。
早馬の密使を送り、彼らが王宮に来たらすぐに身柄を拘束するようにとナルシスは伝言してあった。ユラリア侵攻軍を指揮するセザールとグレゴリオからも同様の伝言が行っているだろうと予測はついているが、同じ内容なのだから問題は無い。
「あわれなサファイア姫、ダイヤ王子よ、お前たちは自分を待ち受ける罠の中に、自分から飛び込んでいくのだ」
ナルシスの瞳に嗜虐的な笑いの色が浮かんだ。
第十二章 緑の森の盗賊たち
「地面に伏せろ!」
グエンは焚き火に革袋の水をかけて消し、消し残った数本を川に放り込むと、他の者たちに指示した。
地面に伏せると、彼らに近づく者は夜空を背景にすることになり、姿が見える。
あたりは漆黒の闇に見えたが、地面に伏せた態勢からだと、案外と背景との違いが見える。それに、目が闇に慣れ始めてきた。
相手の数は3名、とグエンは数えた。大人の男が3名だ。べつに忍び足ではなく、普通の足取りで近づいてくる。殺気は無いようだが、グエンは用心深く見守った。
「おおい、そこの方たち。俺たちは敵じゃない。まあ、まともな人間でもないが」
のんびりとした調子で、相手のうちの一人が奇妙なことを言った。
「緑の森の盗賊団というのが俺たちの名だが、貧しい者や弱い者からは奪わないのが俺たちだ」
「緑の森の盗賊団?」
フォックスが呟いた。
「知っているのか?」
「ええ。タイラス、トゥーラン、サントネージュの三つの国の国境近くに住んでいる盗賊団です。今言ったように、金持ちや貴族からしか金は奪わないのですが……」
「しかし、お前たちも貴族ではあるわけだな」
「はい。どうしましょう」
「まあ、あいつらの話を聞いてみるさ。こちらの正体は明かすこともあるまい」
グエンは立ち上がった。
闇の中でも相手を威圧するようなその巨体に、彼らに近づいた3人は驚いたようだ。
「俺たちは、国境破りをしてきた者だ。だが、お前たちも盗賊なら、俺たちの仲間のようなものだろう。俺たちをお客として扱うか? それとも獲物として扱うか?」
グエンは淡々と言った。怯えてもいないし、激してもいない、その声に、相手は予想が狂ったようである。
「ほほう、なかなかの豪傑のようだな。そういう男は大歓迎だ。我々の宿に案内しよう」
3人の中の兄貴分らしい年配の男が言った。
「俺の名は、フロス・フェリ、緑の森の盗賊団の頭だ」
「俺はグエン、後は俺の家族だ」
「サントネージュから来たようだな。とすると、亡命貴族か」
「貴族というほどではないが、ユラリアによる残党狩りから逃れてきた」
「そうか。まあ、俺たちについて来い。悪いようにはせん」
フロス・フェリと名乗った男は、くるりと後ろを向いて歩き出した。他の二人もそれに続く。
グエンは後ろの三人に頷いてみせて、フロス・フェリたちの後から歩き出した。
森の茂みの中を歩くのは昼間でも厄介だが、まして夜の闇の中だと、前に行く者の跡をしばしば見失いそうになる。しかし、グエンの鋭い聴覚は、前を行く者たちの居場所を常に把握していたから、足弱な子供たちが追い付くのを待ちながらでも、行く先を見失うことは無かった。
やがて森の中の空き地に出た。それは、周りを木々に囲まれた草の原であった。ここでは穏やかな初夏の夜風が草や木々の匂いを運び、上空に空いた空間には三日月と星空が見えている。そして、この空き地には天幕が10ほど張られ、その中央では焚き火が焚かれていた。焚き火を囲んで、7,8名ほどの男たちが座っている。手には土器の酒杯をそれぞれに持っているようだ。
「お頭が帰ってきたぜ」
「お帰り、お頭!」
口々に声が上がる。
「獲物は無かったが、客人を連れてきた」
フロス・フェリの言葉に、その仲間たちは彼の後ろから近づいて来るグエン一行を見る。闇の中であるから、その姿はすぐには分らない。
しかし、焚き火の明かりの中にグエンの全貌が現れた時、フロス・フェリも含めて盗賊たちから一斉にどよめきの声が上がった。
身の丈2マートルという、滅多にない身長にも驚くが、それよりも、その広い肩幅と、さらにその上にある虎の頭は、度胸のある盗賊たちにも、ある畏怖の気持ちを起こさせた。
「お、お前、何者だ」
「仮面をかぶっているんだろう?」
盗賊たちは口ぐちに言う。
「だが、すげえ体だな。酒樽モンマスよりもでけえや」
「おい、モンマス、あいつに勝てるか?」
盗賊の一人に声をかけられたのは、こちらも身の丈2マートルに近い大男だが、逆三角形の筋肉質の体をしたグエンとは違って、かなりの肥満体の男だ。だが、固肥りの体で、力強い感じである。
「虎と戦ったことは無いが、まあ、得物を持って戦うなら、勝てんことはないだろう」
モンマスは、髭面をグエンに向けて値踏みするように見て、そううそぶく。
「そう焚きつけるな。こちらはお客さんだからな。まあ、こちらへ来な」
フロス・フェリは焚き火の上座らしい席に座ると、グエンに声をかけた。
焚き火の中に浮かび上がったフロス・フェリの姿は、年齢は40前後と見えた。長身でたくましい肩をし、角張った顔形に黒く長い髪、黒い口髭を生やしている。快活そうな明るいブルーの目をしているのだが、夜の今は、その色合いまでは他人にはわからない。
かついでいた弓と、腰の剣は、今は体の傍に置いてある。
グエンはフロス・フェリが示した座席に腰を下ろし、その側にフォックスと子供たちも座った。
「これはまあ、きれいなお姉ちゃんだ。あんたの奥さんかい?」
「まあな」
グエンの返答に、フォックスは一瞬微妙な表情になったが、そう質問した盗賊に笑顔を向けて頷いた。
「まだ若いのに、大きな子供がいるんだな」
「ああ。こう見えてもこの女はもう40近いんだ」
グエンはそうとぼけたが、フォックスはむっとした。
ソフィとダンは、今の役割を必死で理解した。
「お父ちゃん、お腹空いた」
ダンが言った。
「ああ、そうか。どうかこの子たちに何かやってくれないか」
「おお、これは気が利かなくてすまなかった。おい、チャルコ、そのシチューと鹿の焼肉を子供たちに出してやれ」
「へい」
フロス・フェリの命令に、盗賊の中の下っ端らしい若者が従う。
錫で出来た皿にシチューを入れて、子供たちに与える。
「あんたたちはその辺のものを勝手に食べてくれ」
「かたじけない」
グエンは言って、腰のナイフを抜き、焚き火の側の焼き串に刺さっている、でかい鹿の焼肉を大きく切り取る。
まず、フォックスに手渡し、次に自分の分を取る。
「塩もあるぞ。それに、キノコ入りのソースもな」
「ほう、これは御馳走だ。山賊というのはいい暮らしだな」
「それなりの危険はあるがな。まあ、土地に縛られた百姓の暮らしよりはいい。どうだ、お前たちも仲間に入らんか?」
「申し出は嬉しいが、タイラスのランザロートに女房の親戚がいて、そこを訪ねる予定なのだ。まあ、行ってみて歓迎されないようなら、その時は考えてみよう」
「女房持ちじゃあ、この山犬たちの間で奥さんの身が危ないよ」
背後の影からそう声がかかった。
闇の中から現われたのは、年の頃は20代後半くらいの女で、浅黒い肌に放浪民特有の派手な重ね着をしている。首の周りの大きな首飾りが目立つ。
「アンバー姉さん、俺たちにだって仁義はあるぜ。仲間の女房など寝取るものか」
山賊の一人が不平そうに抗議する。
「わかったもんかね。お前はモーリオンのことであやうくジャスパーと殺し合うところだったじゃないか」
「まあ、あれは、モーリオンが俺とジャスパーに二股かけていたからだ。ジャスパーとはもう仲直りしたからいいじゃないか」
「それに、モーリオンはもうとっくにここにはいない人間だ。昔のことはいい」
フロス・フェリがとりなすように言う。
アンバーと呼ばれた女は、グエンとフロス・フェリの間に割り込むように座った。
「へえ、その頭、本物かい?」
「ああ、そのようだ。外すことはできぬ。この牙もすべて本物だ」
「珍しいねえ。名前は?」
「グエンだ」
「聞いたことが無いねえ。私は、あちこちの国に行ったことがあるけど、あんたのような虎の頭の人間の話は聞いたことが無い。もちろん、神話のミノタウロスやセイレーンなど、人と動物が合体した生き物の話はあるけど、あれはまあ、伝説だからねえ。ちょっと触っていいかい?」
許可を待たず、アンバーはグエンの顔に触れた。遠慮なくその皮膚を引っ張り、唇をめくって牙を確認する。
「本当だ。この頭は本物の虎の頭だよ。奥さん、虎とキスするのはどんな気持ちだい?」
「ま、まあ、慣れてしまったから」
「言っちゃあ悪いけど、よく結婚する気になったねえ。まあ、頼もしいと言えば、これほど頼もしい男もいないだろうけどね。私が見た感じでは、この人は、相当の勇者だね」
「ええ。この上無い勇者です」
「お話の途中だが、子供たちは疲れて眠そうだ。この子たちを寝かせる場所はあるかな?」
グエンが口を挟んだ。これ以上会話が続くと、余計な詮索をされると思ったからだ。
「アンバーの天幕を貸してやれ。アンバーは俺の天幕に来ればいい」
「ああ、いいよ。四人寝るくらいの広さはあるから」
「有難い。では、途中で退出するのは失礼だが、俺たちはもう寝かせて貰おう。俺も女房も少々疲れているのでな」
アンバーの天幕に入るとグエンはまずフォックスに謝った。
「先ほどは済まなかった。女房ということにしておいたほうが、山賊たちもあんたに手を出しにくいだろうと思ったのでな」
「いい考えだったわ。でも、私はまだ24ですから」
「40近いと言ったのも、あいつらのあんたへの興味を無くさせるための方便だ」
「多分そうだとは思いましたが、私、そんなにふけて見えます?」
「いや、若々しいと思う」
「なら、いいです。これからは、私は38歳で通します」
「済まんな」
グエンとフォックスの会話を興味深げに聞いていたダンが言った。
「フォックスとグエンは結婚するの?」
「いや、これはお芝居だ。我々の身を守るためのな」
「グエンとフォックスが僕たちのお父さんお母さんだなんて、何だか変な気分だな」
「ダン、これはお芝居ではなく、本当にそうなのだと思って行動するのですよ」
ソフィが姉さんらしく教える。
「はあい」
「じゃあ、もう寝ましょうか」
奥にダン、その次にソフィ、その次にフォックスが横になり、入口の側にグエンがその巨体を横たえると、天幕がほぼ一杯になった。
やがて天幕の中に寝息の音が立ち始める。グエンも眠ったが、彼は寝ていても、かすかな気配で目を覚ますことができることをすでに自覚していたので、就寝中に敵に襲われることは心配していなかった。
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