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「凡庸さ」について


小田嶋隆を小田嶋師と呼ぶほど尊敬している私だが、日本的な自然や日本人の季節感を土台とした詩的感性による文芸を何より愛好する者としては、この言葉には激しく反発せざるを得ない。
まあ、小田嶋氏がツィッターを炎上させて自分の知名度を上げる戦略を取るほど下種な人間だとは思わないが、それでも私の中の氏への評価は著しく低下した。
なお、「凡庸であること」への軽蔑も私は嫌悪する。凡庸さこそは庶民の美徳の土台だろう。自分の凡庸さを知るから謙虚になり、優れた存在を尊敬し、自分同様に凡庸な周囲の他人に同情的になるのではないか。
もっとも、「凡庸であることを軽蔑しているのではなく、自分が凡庸であることに気づいていないことを軽蔑しているのだ」と言われるかもしれないが、やはり根底は凡庸さを見下す姿勢だろう。それは人類のおよそ半分、あるいは8割くらいを軽蔑しているということだ。

なお、澁澤龍彦のある随筆の中で、日本人が「便所の中に花を飾ること」を軽蔑する一文があったが、私はそれこそが日本人の素晴らしさだと思っている。日本人の美意識はほとんど常に自然と結びついているのが大きな特徴だろう。



(以下引用)俳句という文芸への批判ツィートに続くツィートである。


「季節感に淫していない」分だけ、川柳の方が好ましいですね。個人的には、季節への敏感さに酔っている自分たちの凡庸さに気づかずにいること(「四季が日本にだけあると思っていたり、日本人の季節感の繊細さは世界一」と考えていたり)こそが、戦後の日本人の一番みっともない点だと思っています。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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