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東大理Ⅲという、学歴信仰の象徴

私は20年か30年くらい前から、「暗記知識の有無や量が仕事の大半を占める職業(医師、法律家など)は、そのうちコンピュータ(あるいはAI)に駆逐される」と言ってきたが、現実もそうなりつつあるようだ。和田秀樹の下の記事がそれを裏付けている。そして、東大に入れる成績があるなら地方国立大医学部を目指すほうが賢いとも言ってきたが、東大ブランド自体はまだ社会的にはメリットはあるだろう。つまり、先輩たちの学閥に入れるわけだ。確かに官僚になるなら、東大を目指すのが最善ではあるが、官僚の仕事は、政治家の下働きである。で、政治家になるには学歴も社会常識も人格も不要であり、舌先三寸の能力、つまり平気で嘘をつく能力のほうが有利であることは橋下某などを見ていれば分かるだろう。東大の、それも理Ⅲを目指す意味は何なのか。街中の臨床医(開業医)になるのに、理Ⅲである意味などほとんど無い。
自分はどんな人生を送りたいのか、と真剣に考えた時に、東大、それも東大理Ⅲという、最難関を選ぶどんな理由があるのだろうか。まあ、「最高峰を目指す」事自体に「自分を英雄と思いたい」気持ちがあるのだろう。格闘技を学んで世界最強の男になりたい、と馬鹿な若者が思うようなものだ。まあ、そういう馬鹿の中から東大理Ⅲ合格者や格闘技の世界チャンピオンも出るわけだが、その裏には無数の死骸が転がっているのである。で、時には、例の事件のウルトラ馬鹿のように、大量殺人をして名前を売ってから死ぬことを目指すキチガイも出て来るのである。まあ、東大合格者数を誇る有名難関高校や予備校業界、東大信仰を煽るマスコミは、あの殺人鬼の共犯というか、生みの親である。

(以下引用)





 
 
 
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「医者になれないなら人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと思った」。1月15日、大学入学共通テスト初日に、高校2年生が受験生ら3人を刺傷し、逮捕された。精神科医の和田秀樹さんは「受験生の中には『絶対、東大』『絶対、医学部』といった、かくあるべし思考に陥って、それができないと『ダメな人間だ』と自分を責める人がいる。実際には他の選択肢もあり、むしろそのほうが社会的地位や収入が高いケースもあることを知ってほしい」という――。

今、日本には「死にたい」と思っている人が約40万人いる

大学入学共通テストの初日である1月15日に、試験会場・東京大学の前の歩道で高校2年生が受験生を含む3人を突然切り付けて、殺人未遂容疑で逮捕された。


私は精神科医であり、受験指導にも関わる仕事をしているためか、メディアから取材依頼の電話が殺到したが、ほとんど断らせていただいた。なぜなら、この少年が「東大を目指していた。医者になれないなら人を殺して、罪悪感を背負って切腹しようと思った」と供述している、と報じられたからだ。


これが事実なら、「拡大自殺」を考えていたことになる。拡大自殺とは、騒ぎを起こして多数の人間を殺し、死刑になることで自殺しようとする行為である。


(中略)


受験生の中に「医学部でないといけない」「東大でないといけない」といった狭い思考になっている人がいたら、どうか「ほかの道・生き方」があることを知ってほしい(これは、東大や医学部に限らず、今冬に名門校を受験する小学生や中学生にも言える)。


私自身、灘高校にいた頃、勉強のやり方を工夫することで成績が上がったこともあって、「医学部に行くなら、東大理Ⅲしかない」と思っていた。それしか頭になかった。ただ、現実に東大理Ⅲに入学し、医学部に進学し、そこを卒業したからこそ、この考え方は間違いだったと断言できる。


出身大学についてあまりネガティブなことを言いたくないが、東大医学部には組織的な問題を抱えている。医学部なら東大だ、と思い込んで受験し合格した人は卒業した後、今度は東大医学部内で偉くなろうとするかもしれない。でも、それはやめたほうがいい。

なぜ、東大医学部はノーベル賞受賞者を出せないのか

理Ⅲ=東大医学部は昔も今も受験界の最高峰であり、最難関である。しかし、ノーベル賞学者を一人も輩出していない。世の中に知られた研究成果や業績にも乏しいと言わざるをえない。


なぜか。それは、上が威張りすぎているからだ。


同じ東大でもノーベル賞学者を数多く輩出する物理学科(理学部)では、教授のことを「先生」と呼んではいけないそうで「さん」で呼び合うそうだ。研究者が対等でないと、自由な研究ができないという考えがあるからだという。


東大医学部内には教授を頂点とする絶対的ヒエラルキーがある。だから、威張っている教授に対してご機嫌伺いするのは、部下なら当然のことだ。


私の結婚式でスピーチをしてくれた高校時代の親友がいる。彼も東大医学部に合格した。ある時、私は執筆した原稿の中で、高齢者の患者へ薬の使い過ぎではないかと彼が所属する医局の教授の批判をした。すると彼は自分の結婚式に私を呼ばなかった。以来、同窓会の案内くらいしか連絡がないような状態となっている。彼は教授のお気に入りであったせいか、現在、東大医学部教授になっている。正直にいえば、研究者としての業績が特に優れているとは思えず、その地位をなぜ手にできたかわからない。


そのくらい教授に気を使わないといけない医局が多い(もちろん、そうでない教授もいると信じているが)。今どき、そんな「白い巨塔」のような閉塞的な組織が何か成果を残せるはずがない。部下は、私生活も自由でないし、研究も自由にできるとは思えない。

東大医学部は臨床の腕を磨くのに適した環境ではない

臨床の腕を磨くにも東大医学部は決して適した環境ではない。教授になるのは、大した研究業績もないものの、論文の数だけは多い人であり、天皇陛下の手術の際も問題になったように臨床の腕のいい人が教授になることはめったにない。


残念ながら医者というのは、師に恵まれないとあまり臨床の腕は上がらない。


私が老年精神医学の分野でそれなりに自信をもてるのは、浴風会病院(東京都杉並区)という高齢者専門の総合病院で故竹中星郎先生という老年精神医学の第一人者のもとで学ぶことができたからだ。


2004年に導入された臨床研修制度も東大医学部卒の価値を下げた。この制度により、どこの大学医学部を出ていても、好きな研修先(病院)が選べる。東大を出ていないと研修できない病院などなくなったのだ。


希望した病院の研修医の応募が多い場合、選抜の試験が行われる。この際、大学在学中の成績が重視されるので、東大より偏差値の低い大学で優等生のほうが、東大の劣等生より、希望した研修先に入りやすいとされる。


ということで、東大医学部は現状、研究も冴えない、臨床の腕も大して磨かれないダメ組織という側面が強い。しかも、医学部では「金儲けに走るのは恥」といった古い価値観を植え付けられるので、大病院の経営者になったり、起業したりしてリッチになろうとする人も少ない。


医学部を希望する受験生に対して、東大を勧める気になれない。だから、私も自らが主宰する通信教育や進学塾で、医学部受験希望者に対しては無理せずに実力に見合う大学に入ったほうがいいと指導している(たまに、親のブランド志向がひどくて、指導に従わないで1年を無駄にする人もいる)。

「医学部人気」が沸騰中だが、医師の未来は明るくない

近年沸騰している受験生の間の「医学部人気」そのものにも私は疑問を感じている。


とくに首都圏以外の地方では、成績優秀な生徒が医学部を志向する傾向が強まっている。例えば、鹿児島のラ・サール高校は1985年に117人の東大合格者数を誇ったが、2021年は33人。しかし国立大学医学部合格者数は毎年80人から90人のレベルへ上昇した。私が卒業した灘校でも国公立大学の医学部の合格者数は増え、2021年で63人に達した。


地方では、成績のいい子は東大(文系含む)に行くより、国公立大医学部を選択する流れができつつある。その背景にあるものは何か。


東京に住んでいると、いわゆる六本木ヒルズ族には東大出身者が多いことを知ることになり、東大卒業後の成功モデルを実感できる。だが、地方にいると、東大に行くよりも、地元の国公立大の医学部を出て医者になるほうが安定的に高収入を得られるイメージが強い。最近のように政治家に逆らえず、不祥事が続く官僚の姿が報じられることが続くと、なおのこと東大への憧れは低下する。


頭のいい高校生はどうか視野を広く持ってほしい。進路は医学部でなくてもいいはずなのだ。医師より社会的地位が高く、安定して稼げる職種に就くことも十分に可能なのだ。

医師国家試験合格者は毎年9000人、いずれ医師余りになる

ここ数年、医学部ではない理系の研究者が昔と比べ物にならないくらい高収入を得る道が開かれているのに、そういう情報が地方に届かないのかもしれない。それを危惧した母校・灘校では、各方面で成功した卒業生が在校生に講演する会を定期的に行っているという。


私はこの20年以上にわたって一橋大学で医療経済学を教えているが、医者の将来が明るいものと思っていない。


医療費のほとんどが保険診療で賄われているため、政策的に「伸び」が抑えられている。それにもかかわらず、医師国家試験合格者は毎年9000人もいる。さらに今後、AI(人工知能)が進歩すると、いずれ医師は負かされるケースも出てくる。現在、多くの医師は患者への問診より、検査データや画像データを重視した診察をしている。そうなると診断能力や治療方針を決める能力においてAIに到底勝てないのだ。


先ほど東大医学部の閉塞性を指摘したが、ほかの医学部も似たり寄ったりだ。例えば、教授会での選挙で決まる精神科の教授で、私のように精神療法を専門とする医師が選ばれている大学は現在ひとつもないのはそのいい例だ。医療の中で「心の問題」が軽んじられているのだ。


これはとりもなおさず、医学部在学中の6年間に心にまつわる講義がほとんどない(精神科の講義でも神経伝達物質など脳にまつわる授業がほとんどになる)ことを意味する。


今回のコロナ禍でも、感染症学者が“自粛一辺倒”の方針を出すのに対して、大学の医学部から「これではうつ病が増える」とか、「高齢者の歩行機能や認知機能が落ちるリスクが高い」とかいった反論の声はほぼ皆無だった。


歯科医業界では勤務医が低賃金化し、開業医もその多くが経営に四苦八苦している。同じような道を、医師が歩む可能性がある。収入面でも医学部の未来は明るくなく、自由もなく、世界的研究の夢もない。これなら医学部を除いた、最先端の理系研究者になったほうがはるかにいろいろな面で有望なのではないか。


受験生のうつ状態の予防の観点から、私は声を大にして言いたい。


医学部に行かなければいけない、というのは幻想である。


ほかにもはるかに有望な道がいくらでもある。


医学部志望者(とくに東大を筆頭とした名門国立大学の医学部志望者)がもし勉強でいきづまっていると感じるなら、チャンスだとさえ言える。視野を広く持ち、自分の進路を考えてみてほしい。


---------- 和田 秀樹(わだ・ひでき) 国際医療福祉大学大学院教授 アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化した「和田秀樹 こころと体のクリニック」院長。1960年6月7日生まれ。東京大学医学部卒業。『受験は要領』(現在はPHPで文庫化)や『公立・私立中堅校から東大に入る本』(大和書房)ほか著書多数。 ----------








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リベラル(無責任野党的存在)と無責任メディアが作る馬鹿世論

「新コロワクチンは無意味だと判明したが、3回目も接種したほうがいい。接種を進めない岸田政権はダメだ」という、支離滅裂な「日刊ゲンダイ」記事である。
まあ、政権批判さえしていれば部数が稼げるという、ただのリベラル風メディアに堕したようだ。


 一体、岸田政権のワクチン対応は、先進国に比べて何周遅れているのか。

とあるが、新コロ対策とその結果における「先進国」の惨状を知っていて書いているなら最低だし、知らないで書いているのなら、マスコミの資格は無い。

(以下「阿修羅」から転載)

オミクロン株は「ワクチン4回接種」でも防げない! イスラエルの研究で判明、3回目どうする(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/22/senkyo285/msg/244.html
投稿者 赤かぶ 日時 2022 年 1 月 20 日 16:00:04: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 




オミクロン株は「ワクチン4回接種」でも防げない! イスラエルの研究で判明、3回目どうする
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/300192
2022/01/20 日刊ゲンダイ


どうすればいい?(4回目接種を受ける男性=イスラエル)/(C)ロイター

 やっぱりオミクロンには、ワクチンの効果は薄いのか。今や感染者の半数近くがブレークスルー感染だ。沖縄では、3回目の接種を完了した人も感染している。

 イスラエルで実施された研究によると、何と4回接種しても感染を予防できないという。抗体は増えるものの、4回接種後も感染した例が報告されている。

 現在、イスラエルでは、60歳以上の高齢者や医療関係者を対象に4回目接種を進め、これまでに50万人以上が4回目の接種を終えている。

 研究は、イスラエル最大級の医療機関シェバ・メディカルセンターで行われた。ワクチンを4回接種した医療関係者154人について、接種から2週間後の抗体レベルなどを調べた。3回目接種の後よりもわずかに抗体は上昇したが、オミクロン株に対しては「部分的な防御」しかもたらさなかったという。

 主任研究員は、リスクの高い人への4回目接種は支持するが、対象を全国民に広げることには慎重な姿勢を見せている。

 これから日本は3回目の接種をスタートするが、あまり予防効果は期待しない方がいいのか。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏(内科医)はこう言う。

「現在、使われているワクチンがオミクロン株に対して効果が低いのは、すでに分かっていたことです。やはり、オミクロン株に対応する新しいワクチンを打った方がいいでしょう。すでにファイザーは、オミクロン株に対応した新しいワクチンの生産を開始し、3月にも提供する予定です。恐らくイスラエルは、すぐに新しいワクチンの接種を始めるはずです。いずれ新型コロナのワクチンも、インフルエンザワクチンのように型に合わせて打つようになると思います。mRNAワクチンは、変異に応じた新製品を容易に開発できるメリットがある。でも、日本に新しいワクチンが入ってくるのは、まだまだ先でしょう。何しろ既存のワクチンの入手も難しい状態です。でも、たとえ効果が低くても、打たないよりは打った方がいいい。3回目の接種を進めるべきでしょう」

 一体、岸田政権のワクチン対応は、先進国に比べて何周遅れているのか。


関連記事
二年間の努力の結果 : 4回目のブースター接種を開始したイスラエルが過去最大の感染数を更新(地球の記録)
http://www.asyura2.com/21/iryo8/msg/318.html




1. 2022年1月21日 00:20:00 : 8GDyZLZrEk QnoxVUJUN3FyNU0=[5]  報告
どうするも何も、4回も打って防げないのに3回打つ必要はないというデータでしょ。

2. 2022年1月21日 00:38:09 : 8GDyZLZrEk QnoxVUJUN3FyNU0=[7]  報告
4回目なのは、3回じゃダメだったからで、3回目は2回じゃダメだったからで、2回は製薬会社が言ってることだが確か最初は1回でも効果が認められたとか言ってましたよね。

で、その4回目が効かないのだからもう推して知るべし。





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「アホPCR検査」をしてれば、「インチキ感染者数」は天まで昇る

そりゃあ、「風邪」を新コロ感染者としていたらこうなるのは当然だwww
リベラル系メディア(「リテラ」など)は、オミクロンを風邪扱いする人間を「新自由主義者」呼ばわりである。そうか、私は新自由主義者だったのかwww


(以下引用)


       
       
       
1: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:04:56.61 ID:xEh/CVIqr
no title

no title

引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1642586696/

2: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:05:36.27 ID:PMFxhj+X0
そらそうなるやろ
3: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:06:06.62 ID:uvXzTRkgr
セールスマンかな?
4: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:06:36.07 ID:vzdB5Ug50
一周しそう
5: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:07:57.03 ID:b1Dbooh8a
な?「アナログ」だろ?
6: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:08:19.03 ID:BVZuuv1ex
営業成績かな?
7: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:08:38.24 ID:L19uhkRJd
グラフにする意味
8: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:09:23.43 ID:IdlYi41u0
しゃーない
9: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:09:38.40 ID:ufJokexT0
壁はいいけど天井は諦めて良かったのでは
10: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:09:48.66 ID:FQEIheth0
あーあ壊れちゃった
11: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:10:26.43 ID:S6/Jf++60
税金で何してやがるんだ
てかこんなおふざけができる余裕はあるんだな
12: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:10:41.30 ID:tjoIDl1Tr
楽しそう
13: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:10:48.35 ID:FQEIheth0
マジックて…
14: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:11:04.05 ID:DF4RIh4N0
一か月後には部屋一周してそう
16: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:11:22.38 ID:GfBqOmhG0
こいつらどんだけアホなん?
17: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:11:43.39 ID:Hqx1/y3I0
息抜きや
19: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:12:18.01 ID:ZdVUVI59a
天井まで貼るよりグラフ作り直した方が早そう
20: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:12:20.21 ID:EyPNifkQ0
そんなんしてる暇あったら仕事しろ
21: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:12:45.27 ID:rbkPyj+0d
これで給料貰ってんのかよ…
22: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:12:59.00 ID:SaaaaG/L0
これだれも何も言わないんか
いい大人が男子校の悪ふざけレベルやん
23: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:13:11.36 ID:HOHmtpD10
でかい紙に手書き棒グラフとか小学生の頃の発表でしか見てへんわ
24: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:13:44.84 ID:3e4M0s+a0
笑いながら仕事してそう
25: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:13:44.97 ID:xpqX3dSX0
(テレビ来るしこれやったらウケるやろなぁ…w)
28: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:14:13.75 ID:8917CMh60
エクセルで作ったら、小さい棒はほぼゼロみたいに表示されるんやろ
この方が合理的や
30: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:15:35.30 ID:tjoIDl1Tr
マジでこんなアホなことしないとやってられんのかもしれんやろ
31: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:15:41.22 ID:B8iq0xNT0
ふざけてんのは保健所じゃなくて感染してる日と馬鹿どもだろ
34: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:16:18.75 ID:DNTc3hq/0
色んな感情が溜まってそう
職員ほんま大変やって聞くわ
37: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:17:53.25 ID:SR1aNtZV0
ちょけてて草
40: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:18:53.75 ID:tWLVetvN0
職員が疲労困憊で全員真顔でこれを書いてたと思うと涙が出てくる
49: 名無しさん 2022/01/19(水) 19:21:57.16 ID:Z4+zm/uNd
青天井やんけ

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ビールが筋肉老化抑制?

2012年という古い記事だが、エイプリルフールのジョークでも「虚構新聞」でもなさそうだ。
これまでも毎晩安ビールを飲んでいたが、これからは毎日83リットル飲むかwww
一升(1.8リットル)を2リットルと概算したら、一升瓶41本半である。

(以下引用)


ビールが筋肉老化抑制 毎日83リットル飲めば

徳島大、寝たきり防止に期待




ビールの原料のホップに多く含まれる「プレニル化フラボノイド」が、寝たきりの原因になる筋肉の老化を抑えるとの研究結果を徳島大の寺尾純二教授(食品機能学)のチームがまとめ、20日付の米オンライン科学誌プロスワンに発表した。


今回の動物実験の結果をヒトにあてはめると、筋肉の老化を防ぐにはホップの乾燥粉末では毎日1キログラム、ビールに換算すると83リットル~2万リットルと大量に摂取する必要がある。寺尾教授は「プレニル化フラボノイドを豊富に含む健康飲料や薬の開発が期待できる」と話している。


チームは、脚をまひさせ寝たきりのような状態にしたマウスで実験。


プレニル化フラボノイドを多く含むホップが入った餌と、ホップを含まない餌を2週間与えた結果、ホップ入りを食べたマウスの方が筋肉量の低下が抑制された。プレニル化されたフラボノイドの方が、そうでないフラボノイドよりも、まひした脚の細胞に約10倍多く蓄積し、効果を示しやすいことも確かめた。


プレニル化フラボノイドは、宇宙の無重力空間や、けがをして手や脚などを長く固定されて起きる筋肉の萎縮の抑制にも有効という。チームは健康飲料の開発などにつながるとしている。〔共同〕






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明月飛鳥氏の「日本国憲法」嫌悪

「反戦な家づくり」過去記事だが、明月飛鳥氏の「日本国憲法否定論」「革命(独立戦争)肯定論」を思考素材とするために転載する。まだ深く考えていないが、私はそのどちらにも否定的である。
もちろん、日本の「独立」は完全に肯定し、希求するが、その手段と当然の帰結(闘争と、それに当然伴う人命の多数の毀損や投獄など)を考えると、闘争ではなく、「議会を独立の意思を持つ政党で過半数を占める」という迂遠だが平和的な手段で目的を達したほうがいいという考えだ。そもそも、闘争で死ぬのが他人ならいいが、自分や自分の家族なら御免だwww 
まあ、あと100年後くらいに独立できたらいいのではないか。それ以前に、まず国内の膨大な不都合(格差社会など)を解消しないと、独立しても何のメリットも無いだろう。つまり、日本人が今の奴隷根性のままでは独立しても新たな支配者ができるだけだろうし、「独裁的大統領」が生まれるだけだろう。とりあえず、米国と堂々と交渉できる政治家を生み出すことだ。まあ、自衛隊が米軍の指揮下にある現状で、独立闘争など不可能に決まっている。それが「国軍」と名を変えても実体は変わらないだろう。
少し思ったのだが、ここに書かれた明月飛鳥氏の思想は、「天皇」関係以外は安倍や日本会議の思想とさほど変わらないのではないか。

(以下引用)

「戦わない日本」は正しかったのか?

タイトルに反戦を掲げるブログが、いったい何を言ってるのか?と思われるかもしれない。
ついにあいつは極右になってしまったのか、とリベラル諸氏に唾棄されるかもしれないが、やはり言わずにいられない。

「戦わない日本」は正しかったのか?

オリンピック一色のマスコミは、閉幕と同時に今年もアリバイのように戦争関連の番組を流すのだろう。そして、8月限定の「非戦の誓い」を誰もが口にする。
それで1年分の免罪符を手に入れて、残りの11ヶ月を安穏と過ごす。
 
日本の侵略戦争が極悪であり、二度と繰り返してはいけない ということには、何の異論も無い。
日本が受けた原爆や空爆という無差別殺戮も、決して許してはいけない。
その反省が、日本国憲法に込められているというのも、ウソではないと思う。
 
しかしそこには、重大な誤魔化しがあるのだ。
戦わない日本は、戦えない日本になった。
戦わない日本は、戦争の責任をとらない日本になった。
戦わない日本は、戦争と戦わない日本になった。
この事実から、誰もが目をそらし、知らないふりをしている。
 
それとこれとは別問題だろう と言う方にはお聞きしたい。
憲法に1条と9条が共存しているわけを。
護憲派の皆さんは「1条はちょっとモゴモゴ」と口を濁しながら、「9条最高!」と声を上げるが、そのモゴモゴは何なのか、はっきりさせてもらいたい。
 
1条と9条が共存している憲法など、学生時代に障がい者の同級生を虐待し、それを面白おかしくメディアで語っていた外道が、「ボクちゃん反省したので平和の祭典やっちゃいます、テヘ!」と言ってるようなもんだ。
これまで護憲派の皆さんに忖度してあまり口にしなかったけれども、私は日本国憲法を見ると胸くそが悪くなる。
 
日本を平穏に武装解除したいマッカーサーと、天皇制を護持したい幣原喜重郎のあうんの呼吸でできたのが日本国憲法だということについては、細部はともかく大枠はほぼ定説になっている。
 
もちろん、その背景に侵略された国の怒りはもちろん、多くの日本人の反省もあったことは確かだ。
しかし一方で、マッカーサーをして
「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れないものがある。まず占領軍を大幅に増大することが絶対に必要となってくる。それは最小限10万の軍隊が必要となろうし、その軍隊を無期限に駐屯させなければならないような事態も十分ありうる」(上記記事より引用)
と言わしめるほどの、国体護持=戦争の反省などしていない世論があったということだ。
 
つまり日本国憲法は、戦争をしない非戦の誓いだけから生まれたのではなく、戦争を反省しない非省の意思も込められているのである。
そのことから目を背け、「憲法バンザイ 大好き!」と言っている時点で、すでに戦争との戦いを放棄しているのだ。
 
自らの手で、自らの戦争犯罪を裁くことが出来ず、憲法をその身代わりにした日本は、戦争と戦うことを放棄したばかりか、主権そのものを放棄してしまった。
数人のA級戦犯に責任をおしつけ、昭和天皇を筆頭に膨大な戦争犯罪、戦争責任を不問にしてもらうことと引き替えに、自らのことを自ら決める主権を放棄したのだ。
その象徴が在日米軍である。
敗戦直後にマッカーサーが「天皇を起訴すれば10万の軍隊を無期限に駐屯」することになると言っていたが、何のことはない天皇が存続し76年経った今でも、4万の軍隊が事実上無制限の権限をもって無期限に駐留している。そして、そのことにごく少数の人以外は違和感すら感じていない。
 
安倍晋三が悪行の限りを尽くしても、菅義偉がいかに無能無策を続けても、利権にまみれたオリンピックのためにコロナ激増で医療崩壊を招いても、温和しくお行儀良く言うことを聞く「戦わない日本」の姿は、戦争犯罪を自ら裁くことをせず、その代わりに憲法というまやかしをもらって喜んできたことの帰結だ。
原発が目の前で爆発しても、ほんの数ヶ月で忘れてしまう「戦わない日本」は、原爆を落とされた被害者が「過ちは繰り返しませぬ」と言ってしまう日本の延長線にある。

NETFLIXで、映画とドラマをみた。
映画は「タクシー運転手」。ドラマは「ミスター・サンシャイン」。
いずれも韓国の制作で、前者は1980年の光州事件(蜂起)を、後者は19世紀末から20世紀初頭の抗日義兵がテーマとなっている。

とくに後者についてはネトウヨが反日だと言って叩きまくっているが、抗日義兵の話なのだから反日なのは当たり前だ。バカじゃないか、と思いつつ、没入度200%で見入ってしまった。
光州蜂起については、2007年に作られた「光州5.18」のほうがよりリアルに伝わってきたように記憶するけれども、この作品も普通のオッチャンの目を通して描くことで、心に響く映画になっている。

そもそも朝鮮半島は大国の中国に常に圧迫されながら、なんとか独立を保ってきた歴史がある。中国依存派と独立派の対立は、歴史物語のメインテーマと言ってもいいのかもしれない。
19世紀末、そこに割って入ったのが日本だ。1880年代から干渉を強め、1894年の日清戦争から日本は李氏朝鮮(大韓帝国)を事実上の支配下に置き、王妃を暗殺し、朝鮮軍を解体し、ついに1910年には国をまるごと潰して併合してしまう。いわゆる日韓併合である。

この日本の傍若無人の行いに対して、朝鮮各地で義兵が決起する。あるときは散発的に、あるときは大挙して戦い、いずれも勝利はしなかったけれども、その歴史は世代を超えて受け継がれていく。
1919年の三・一運動から戦時中の抗日独立運動、1960年の四月革命、1980年光州蜂起、1987年民主化闘争と続き、やっと植民地と軍事独裁からの解放を勝ち取った。
義兵の戦いや三・一運動は日本軍に鎮圧され、独立運動は李承晩と金日成という独裁を生み出し、四月革命は朴正煕のクーデターに倒れ、光州蜂起は全斗煥のクーデターで新たな独裁に終わってしまった。それでも諦めずに戦いを受け継いだ結果だ。

今の韓国の政体がすばらしいということではなく、日本人が戦争責任をとらず、主権を放棄したかわりに棚ぼたで手にした形ばかりの「民主主義」を獲得するために、韓国ではこれだけの戦いを経てきたということを言いたいのだ。
そして、どちらかと言えばこれが世界史の「普通」なのである。

憲法1条と同じように、護憲派やリベラル諸氏が口を濁すのが「独立」だ。
「対米従属はアカン」とか「日米安保粉砕」とかは言うのに、なぜか「日本独立」になると、それはモゴモゴといたって歯切れが悪い。

独立について書き始めると長いので、今日は簡潔に書くけれども、要するに「日本独立」は極右のスローガンだと思っているのだろう。
しかし、実質植民地にされていることは、政治に関わっている人たちは、とくに安保粉砕などと口にする人は、皆よ~く知っている。だったら、独立闘争しかないではないか。
植民地に内実のある民主主義など成立しっこない。独立して、自分たちのことは自分たちで決める、と国民が腹をくくってはじめて、民主主義は機能する。
なんとなく極右に間違われるから なんていう情けない理由で、本質から目をそらせてはいけない。

私が、自由党を支援したのも、いろいろ言いながらもれいわ新選組の近くでウロウロしているのも、一番大きな理由はじつはここにある。
小沢一郎さんの言うところの「自立と共生」は、私の解釈では「独立と民主主義」だ。
「戦わない日本」を手に入れるために、主権を放棄して戦争とも「戦わない日本」になってしまった戦後日本の姿を、ラディカルに揺さぶり目を覚ます可能性が、まだきっとあると信じたい。

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バートランド・ラッセルの「マルキシズム批判」

今、バートランド・ラッセルの「怠惰への賛歌」(平凡社新書)を断続的に読んでいるのだが、彼もまた「社会主義」と「共産主義」を明確に区別して論じており、自分自身社会主義者の立場で、共産主義(マルキシズム)を批判し、そしてそれと共に、当時勃興しつつあったヒトラーやムソリーニの全体主義を批判している。1932年に出されたエッセイだ。
「社会主義と共産主義の区別」とは、つまり、私とまったく同じ思想であり、その当時は社会主義全般とマルキシズムを区別するのは当たり前であったわけで、たとえばG.B.ショーやH.G.ウェルズなども社会主義者だったはずだし、当時の欧米の知識人階級では社会主義者は珍しくなかったはずだ。前に、「足長おじさん」の話を書いたが、「良心的資本家」で社会主義者であった人間はかなりいたのである。そもそも、初期社会主義者(マルクスの侮蔑した「空想的社会主義」者)たちは資本家か上流階級だったのだ。もちろん、その当時でも社会主義を危険思想と見做す人はたくさんいた。
「社会主義」全体の評判が地に落ちたのは、「共産主義と社会主義の同一視」と、「マルキシズムが社会主義の代表と見做されたこと」による。つまり、ソ連の政治の実態が知られ、「ソ連=社会主義政治の代表」とされたからだろう。だが、ソ連の政治とは「恒常的ファシズム」にすぎない。ラッセルは社会主義の条件のひとつを「民主主義的であること」としているが、ソ連の政治と民主主義ほど乖離したものは無い。ナチスの自称する「国家社会主義」も同様に偽物である。(私は「国家社会主義」自体は否定しない。国家が政治制度として社会主義を採用したら、それは「国家社会主義」としか言えないだろう。問題は、「社会のすべての人間の幸福を増進しているか」というその内実だ。)
「怠惰への賛歌」の中から引用したい箇所はたくさんあるが、訳が不適切なのか、原文が曖昧なのか、理解困難な箇所もある。全体的には明瞭な文章なので、これは訳者の下手さによるのだろうと私は推測している。
下に引用した部分の最後の一文は「共産主義(マルキシズム)は、一般大衆にこそ嫌悪された」という事実を道破している。(「道破」の「道」は「言う」と同じ。「破る」は固陋な考えを破る意味。)

(以下引用)

今日、大多数の社会主義者は、カール・マルクスの弟子で、彼から次の信念を引きついでいる。それは、社会主義を生み出すことができるただ一つだけある政治的勢力は、財産を奪われたプロレタリアが生産手段の持主に対して抱く怒りだという信念である。このことをきくと、プロレタリアでない人々は、どちらかといえば殆ど例外なく、必然的な反動で、社会主義は反対すべきものであると判断しているし、また自分たちはプロレタリアでないものの敵であると自ら宣言する人々が唱えている階級闘争のことをきくと、プロレタリアでない人たちは、まだ勢力を持っているあいだに、自分たちの方から戦いをしかけるのがよさそうだと感ずるのは当然である。ファシズムは共産主義に対する反抗、しかも侮りがたい反抗である。社会主義をマルクスの言葉で説いている限り、甚だ有力な反対が起こるので、文化の進んだ西欧諸国で、社会主義が成功することは日にまして見込みうすになって来る。勿論、社会主義はどんな場合も金持から反対を受けているだろうが、この反対はそう強烈なものでもなく、そうひろがりもしなかっただろう。(同書第七章「社会主義の問題」冒頭部)

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「左翼文学」と「右翼文学」

ただの思い付きだが、「左翼文学」はあっても「右翼文学」はない、と言うか希少である、というのは何を示しているのだろうか。もちろん、文学そのものから政治性を排除した作品のほうがはるかに多いが、第二次大戦後の世界の文学潮流は左翼文学が席巻したと言えるのではないか。
まあ、左翼文学というのの定義は曖昧だろうし、それ以前に「文学」という言い方もかなり抵抗を人に与えるとは思う。しかし、「右翼文学」はほとんど存在しない、というのは面白い事実ではないだろうか。三島由紀夫は幾つかそれらしいものを書いてはいるだろうが、彼以外には思いつかない。それは、「右翼とは何か」という問題を考えるヒントになるかもしれない。
右翼が「保守主義」と近しいと言っても、たとえば古典に題材を取れば右翼というわけでもない。芥川龍之介は初期に古典を題材にした作品をいくつも書いたが、まったく右翼的ではない。
では、左翼はなぜ文学と親和性が高いのか、と言えば、それは明らかに「政治や体制への不満」は文学化・作品化しやすいからだろう。もちろん、「現在の体制」だけでなく、「世界が進みつつある方向への懸念」もSF的な文学となる。オーウェルの「1984年」などがそれだ。
つまり、右翼は現在の社会や現在の政治や伝統を肯定しており(あるいは不満を特に持たず)、左翼のように文学と政治を結び付ける(文学を社会改革の道具とする)ことを好まないのではないか。三島由紀夫も「政治思想」としては他者に理解不能な文章しか書けなかった、というのは前に私が書いた文章で明白だろう。
まあ、右翼というのは要するに「反左翼」として発生したもので、その心情を単純化すれば「社会全体の根底的改革は有害無益だ」となるのではないか。そんなのは当たり前であり、現在の文化というのは過去を土台としており、その土台を変えれば、ビルの一階部分を破壊するようなもので、ビル全体が大破するに決まっている。どんな社会も細部は欠点があるが、それを修繕するのが政治であって、社会全体の体制の破壊は利益と被害とどちらが大きいか分かったものではない。おそらく「革命」の結果は新しい利益集団が生まれ、新しい支配者が生まれるだけだろう。
ちなみに、オーウェルは「社会主義者」だったが「共産主義」には断固として否定的だったようだ。その点では私とまったく同じである。

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