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4ねよ、糞野郎




立花孝志氏、動画で自殺宣言し波紋 その後「生きてますので、心配しないで下さい」と投稿


転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1737541107/



1: muffin ★ 2025/01/22(水) 19:18:27.47 ID:bPtqUprR9
https://yutura.net/news/archives/129957
2025年1月22日 18:15

1月22日、「NHKから国民を守る党」の「立花孝志」(登録者数75万人)党首がYouTubeチャンネルを更新。自殺をすると宣言して波紋を呼んでいます。

立花は今週発売の「週刊文春」を読んだといい、「私が原因でね、僕がネット上で竹内議員のことをですね、批判したことが竹内さんが亡くなったことの原因だったということがわかりました」とコメント。

自身のうそで兵庫県警に迷惑をかけてしまったら申し訳ないと謝罪すると、「自分がこうやって叩かれてみて、きっと竹内さんもそうだったんだろうな。正しいと思って斎藤知事を責めた。でもそれが正しくないって言われてしんどくなって死んじゃったんでしょうね」と、先日亡くなった元兵庫県議会議員の竹内英明さんについて語りました。続けて立花は「僕も正しいと思って責めてたけど、そうじゃなかったんですね」と述べると、飛び降りて死ぬと宣言して締めくくりました。

この衝撃の発言に、コメント欄では、「死んで解決するのは間違いです!!」「立花さん、絶対あかんよ!死んだらあかん!」と、思いとどまるよう訴える声が多数寄せられています。

(中略)

自殺宣言の動画投稿の40分ほど後、立花はXを更新。「生きてますので、心配しないで下さい」と無事を報告するとともに「出来るだけ早く、説明動画出します!」とコメントしました。



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合理性と豊かさ

サマセット・モームの「世界の十大小説」の中で、モームがメルヴィル(「白鯨」をモームは十大小説に入れ、その評論をしている)の文章の欠点として、古風で大袈裟な言葉を使いたがることを挙げているが、それは長所でもある、と論じている。つまり、ドラマチックな効果を生んでもいるわけだ。
そのメルヴィルの使った言葉の一例としてモームが挙げている言葉が面白い。モーム自身、辞書を引いて、その言葉に普通に知られていない意味があることを知ったらしい。

(以下引用)

たとえば、”redundant hair”といった言い回しを使っているのを見て、これを「余計な毛」の意味に解すると、同じ毛でも、それが若い娘の唇に生えているというのであれば、余計でもあろうが、頭に、しかも若者の頭に生えているというのでは、余計とは言えないのではないか、と思うかもしれない。ところが、辞書を調べてみると、"redundant"には「豊かな」という第二の意味があって、現にミルトンは

(以上引用)「ミルトンは」以下は省略。

若い娘の唇の上に生えている毛、というのは、まあ口ひげだが、実は「戦争と平和」の中で、トルストイは、そういう若い女性の口ひげを「可愛らしい」と書いているのである。
それはともかく、私が問題としたいのは、同じ言葉に「余計な」と「豊かな」の意味があることだ。これは哲学的な問題ではないだろうか。
つまり、同じ物事に対して「豊かな」と見ることも「余計な」と見ることも実は可能だ、ということである。こういうことは多くの事柄に言えるのではないか。
特に「合理的」という言葉である。
これはほぼ100%肯定的に使われている言葉だが、はたして完全に肯定できることなのだろうか。たとえば、経営者の言う「合理化」とは、実は「多くの人間の首を切ること」である。被雇用者から見れば、「殺戮」に等しい行為だ。
あるいは、馘首ではなくても、「一人の人間の仕事量を増やすこと」も経営者から見れば「合理化」である。ビジネス世界では、合理化とはほとんどが従業員を不幸にするようだ。

ビジネス以外でも、実は合理的というのは、「余計な要素を切り捨てる」ことであり、あるいは「脇道に逸れることをやめる」ことである。これは、それこそ「redundant」の反対方向に進むことではないか。つまり「豊かさ」や「可能性」を放棄した、愚かな方針である可能性が高い、と言ったら屁理屈に聞こえるだろうか。まあ、少なくとも、「合理性」にはそういう側面がある、ということ、そしてその種の「切り捨て」は多くの事柄(決定や判断)に付随している可能性があることをも、人は知るべきだろう。








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日本における技術者やサービスの「誠意」の価値

今の若い人たちは気づかないだろうが、日本の「物作り」は非常に繊細な思いやりが基本にある。
物作りに限らず、公共施設や客商売の多くが利用者の便宜をとことん考えている。これらは日本人が「当たり前」と、つい思ってしまうことだが、外国人の目には驚異なのである。
私は、中身の無くなったプラスチック容器でさえ、その作りの見事さ(たとえば蓋の開閉の便宜)に、捨てるのをためらってしまうほどである。さて、企業経営者は、そうした技術者の努力と誠意に適切な報酬を支払っているだろうか。もっとも、彼らは報酬と関係なく誠実に努力するのだが、だから安給料でいい、という話ではない。

(以下引用)


●投稿主
日本の生活を便利にする数々の工夫について。
日本限定じゃないかもしれないけど自分が気づいた工夫をいくつか紹介しよう。

・ATMにつけられたカップホルダー。持っていたペットボトルを置いていくことができる

・ほぼ全ての店頭に置かれた傘スタンドとホテルの入り口にある傘乾燥機

・トイレの洗浄機能はひたすらに素晴らしい

他にみんなが気付いたものはある?

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簡単に開封できて食べやすい工夫がされた食品パッケージ。
ケチャップ/マスタードのディスペンパックだけじゃなくておにぎりのパッケージはポテチの袋、コンビニのフライドチキンの包装紙など。

あとホットとアイスの両方がある自販機。
冬にコンビニと自販機にホットドリンクがあるのはまるで天の恵み。
それから紙エプロンを提供してくれるラーメン屋、飛行機が着陸する時に出してくれるお菓子も!
まだまだあるけどこういうちょっとしたことに対する気遣いが素晴しいよね。

●投稿主
↑自販機は本当に良いね。
ホットとコールドが選べるのも良い。
ヨーロッパにも置いてほしい。

●comment
レストランで食事の前に出てくる熱いおしぼり!
食べる前に手を拭けるのは素晴らしいと思う。

●comment
ラーメン屋は紙エプロンだけじゃなくて髪の長い女性にはヘアバンドも用意してくれる。
こういうちょっとしたことが重要なんだよね。

●comment
↑二郎(ニンニクマシマシのお店)に行った時に無料でブレスケアをくれた。
あと激辛カレーのお店に行ったら手洗いにミント味のマウスウォッシュが置いてあった。

●comment
レストランに荷物を床に直置きしないで済む小さな籠。
母国に帰った時にこの籠の存在が凄く恋しかった。

●comment
↑パックツアーをしてる時はこの籠に気付かなかった。
夫と2人でチームラボプラネッツに行った時に寄ったレストランでウェイトレスが籠の使い方を教えてくれた。
これ凄く良いよね。
おかげでバッグのストラップが足にぶつかったり邪魔にならなくなった。

●comment
レストランのバッグ用の籠は本当にそう。

●comment
メキシコだとレストランに行くと小さな帽子掛けみたいなのがテーブルに付いていて、そこにハンドバッグを掛けられるようになってる。
なんでアメリカでこれを採用しないのかわからない。

●comment
鉄板焼きレストランに行った時はその籠にかぶせる布も用意してくれた。
油が跳ねやすいからね。
これは嬉しかったな。

●comment
トイレの個室に付けられた棚はQOLが爆上がりした。
こっちでも女子トイレにはバッグ置きがあると聞いたことがあるけど男子トイレ(イギリスとオーストラリア)では見たことがない。
棚にバッグを置いておけるのは本当に便利だ。

●投稿主
↑トイレにフックが付いてるのも良いね。
GUとユニクロでトイレに行ったらどちらにも個室にフックが付いてた。

●comment
↑あと小便器の横には傘用のフックも付いてる。

●comment
トイレのおむつ交換台。
小便器の横の傘用フック。
幼児用のトイレとシンク。
開封しやすいパッケージ。
時間ぴったりで清潔な公共交通網。

●comment
宅配便サービス。
これが世界標準になってほしい。

●comment
↑旅行者にとってこれほど便利なものはないと思う。

●comment
↑宅配便は旅行に最高だよね。
大きい荷物を持って長距離移動する心配がなくなる。
クロネコヤマトで送ったら次の目的地まで運んで行ってくれる!

●comment
女性用カプセルホテルに泊まったらパジャマ、スリッパ、ロッカーまで用意されてて完璧だった。
シャワー室にはシャンプーと石鹸があってちゃんとお湯も出た。
ただし何かを買う時は現金のみだったけど。
あとジムにはドライヤーやメイクアップステーションまであった。

●comment
初めての日本旅行から帰ってきたところで、ちょうど妻とそういうことについて話してた。
これを”日本のイースターエッグ”と呼んでる。
自分が気づいたのはこんな感じ。

1.公共エリアの赤ちゃん用のテーブルやおむつ交換台は期待以上だった
2.食品パッケージ:おにぎりやストロー
3.タブレットでメニューを注文:これで注文することに対する恐れがかなり軽減された
4.レストランの食品サンプル:うどん屋なのかラーメン屋なのかカレー屋なのかなど一目でわかる
5.子供用ICOCQカードをタップすると流れる鳥のさえずり:これは年齢詐称してないか調べるためのものだろうけど娘が凄く気に入ってた
6.レストランのおしぼりとバッグ用の籠
7.UFOキャッチャーはかなり楽しかった。それにタイトーステーションではゲットしたぬいぐるみを真空パックでコンパクトにしてくれる(300円で)
8.歩行する側がしっかり守られていること:ラッシュアワー時のなんば駅でも驚くほど秩序が保たれていた
9.自販機がどこにでもあること:しかも無糖のものもちゃんとある
10.カプセルトイ:たくさん種類があるし空のカプセルはしっかりリサイクルできるようになってる

●comment
↑タイトーステーションでぬいぐるみを真空パックできるのは知らなかった。
天才的だ!
他のところでもこういうサービスをやってほしいな。

●comment
視覚障害者のための黄色い点字ブロック。

●comment
プッシュポンプ式の洗濯用液体洗剤。
計量カップやポッドタイプの洗剤を使うよりも遥かに簡単。
帰宅したらすぐにプッシュポンプ式のボディーソープの容器に洗濯洗剤を入れたら最高に楽になった。
(量は経験に基づいてるけど)

●comment
トイレに付いてる消毒用スプレー、服を掛けられるフック。
新幹線の席に付けられたひじ掛け、コンビニで売ってるウェットティッシュ、暖房便座。
あとトイレによっては着替え用の台も付いてるね。
あと個室にベビーシートや子供用の便座も付いてた。

●comment
特に懐かしいのは駅のプラットフォームで電車が来るときに流れるジングルと横断歩道のジングル(東西と南北で音が違う)。

●comment
レストランの外で待つためのベンチ。
アメリカにもそういうベンチがあるのは知ってるけど、東京だとお店の壁沿いに並んでいて先頭に座っている人が店内に入ったら他の人が席を移動するようになってる。
これなら何人並んでるかわかりやすいし混雑することもない。

●comment
試着室で靴と素足用のエリアが分かれてること。
着替える時に靴が売り物の服を汚さないようになってる。
あとファンデーションが付かないように顔に被せるカバーも用意されてる。
(これは他のアジア諸国でも見かけた)
凄く思いやりのある対応だと思う。

●comment
母親なので公衆トイレに幼児用小便器が付いてるのは本当に素晴らしいと思った。
それに個室にはベビーシートも付いてる。

●comment
ホテルのフロントでチェックインする時に鞄を置いておくための小さな台が付いてる。
日本でしか見たことないけどこれが凄く便利だった。

●comment
トイレに幼児用便器が設置されているし個室には大人用と子供用2つのロックが付いてる。

●comment
↑ショッピングモールには子供を座らせておけるショッピングカートもあるね。
これも良かった。

●comment
ホテルのベッドボードに照明のスイッチがある。
電車の床が視覚障害者用にデザインされてる。
新幹線のシート横に服をかけておけるフックが付いてる。
電車の席の頭上にはラックがあり、ロッカーも駅の至る所にある。
親がトイレに入ってる間、幼児を座らせておけるベビーシート。
公衆トイレの音姫。
ホテルで壁に埋め込まれたクローゼット。
他にもたくさんある。
旅行中は”凄く良く考えられてるな”と思いながら旅行してた。

●comment
アーケードタイプの商店街と地下街が全国にあること。
これで暑さや寒さ、荒天でも一年中買い物ができる。

●comment
暗闇の中でぼんやり光ってる照明のスイッチ。

●comment
いろんなお店、特にデパートで発送サービスもやってること。
おかげで買った物を抱えて移動せずに済む。
車を運転しない人にとっては特に便利。
しかも基本的に同日か翌日には届けてくれる。
もし発送サービスをやってなくてもコンビニで送ることも可能。
家族が迎えに来れなかった時に空港から自宅まで荷物を送れたのが本当に良かった。

●comment
デジタル制御で1℃単位で温度を制御できる給湯器。






トイレのフックなどほんのちょっとしたことで便利になる工夫が至る所にあります。
レストランの籠は海外にも広まりつつあるようです。

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「世に倦む日々」氏お勧めの大河ドラマ原作

「世に倦む日々」記事で、お堅い印象の世に倦む氏には珍しく、趣味全開で、意外に少女漫画まで読破している。ちなみに私は漫画ファンで少女漫画のファンでもあるが、後者の趣味は偏っていて、好きな作家しか読まない。大和和紀や里中真知子は絵が苦手である。

(以下引用)前の部分を少しカットした。私のお勧めは、そのうち書く。


『光る君へ』も『どうする家康』も最悪だった。感じるのは、作り手の独善と驕慢と俳優の未熟である。『光る君へ』は特にそれが目立った。脚本家と女優の露骨な独りよがりが前面に押し出され、それをNHKやマスコミ業界関係者が忖度して美化し、ネットメディアが阿諛に加勢、拡散し、奇妙な空回りのブームを作り上げていた。何やら裸の王様的な雰囲気が漂っていたのを否めない。視聴者に共感されない、国民的評価を受ける要素のない失敗作だった。一国民の立場で言えば、日本文学の至高の天才である紫式部を、あのように手荒に乱雑に扱われるのは心外であり、幼稚に感情を噴出させる、知性と気品に欠けた軽薄なキャラクターに描かれるのは容認できない。紫式部の存在は、敢えて言えば「神聖ニシテ侵スヘカラス」な日本文学の聖人であって、安易にドラマの主人公などに設定する対象ではないし、そもそも日本史の人物としてドラマに描くほど多くの史料情報を持っていない。




もし紫式部の時代を大河ドラマで描きたいのなら、思い切って大和和紀の『あさきゆめみし』を実写化すればよく、源氏物語をそのまま大河ドラマにする挑戦に出ればよかった。歴史上の実在人物が一人も登場しない大河ドラマという革命的作品になるが、別に構わないだろう。歴史に謙虚な態度を持たないNHKスタッフが皮相な思いつきで企画・構想し、不倫ドラマで売れた脚本家に間に合わせの脚本を書かせ、無理やり紫式部を主人公にして一年間長丁場のドラマを作るよりも、ストーリーが確立していて、登場人物が多彩で、物語として十分なボリュームのある『あさきゆめみし』の方が、はるかに制作しやすく、脚本も書きやすく、俳優も演じやすく、視聴者国民も興味関心を持てるだろう。監督や演出家やセット係やCG担当も、想像力を発揮しやすいだろう。源氏物語の人物群像には、まさに日本人の千年のイメージがある。キャストされた女優たちは興奮して役に臨むに違いない。




最近のNHKの大河ドラマに感じるのは、日本史へのリスペクトの欠如である。そして、アカデミーでの当世流行の歴史認識や研究傾向をそのまま大河ドラマに持ち込む安直な態度だ。過剰なジェンダー主義の強調がそうだし、日本史として一般に定着していない歴史から無理やり題材を引っ張り出してきて、視聴者国民を強引に「啓発」しようとする「教育姿勢」もそうである。二つとも脱構築主義に由来する態度であり、脱構築主義で正当化される方法に他ならない。それらの、言わば前衛的で実験的な、アカデミー迎合的な(学者が悦んで満足する)歴史ドラマは、大河ドラマとは別の枠で制作すればよく、NHKの『大奥』のように放送すればよい。大河ドラマは基本的に保守的(政治イデオロギーの意味ではなく)であるべきだ。歴史アカデミーの最先端の主義主張を投影させるのではなく、長く日本人の間に根づいてきた歴史物語をバックボーンにして、それを反復し再現芸術するべきだ。




例えば、子どもが漫画で読む日本史の学習シリーズが出ていて、小中学校の図書館に置かれ、親が子どもに読ませている。何十年に一度かは改訂されるが、基本的にオーソドックスな、スタンダードな、トラディショナルな日本史が描かれている。NHK大河ドラマは、そうした子どもの漫画日本史を基調にした歴史物語を映像化するべきで、小中学生の子どものいる家庭をキーの視聴者として想定すべきだろう。なので、同じ歴史物語を10年20年に一度繰り返して見せてよいし、そうすべきである。戦国時代と幕末維新が主要なモチーフに選ばれるのは当然で、この二つの歴史的転換期が日本史と日本人の形成・構築にとってどれほど決定的に重要かは説明するまでもない。そこにフォーカスした司馬遼太郎が、日本人にとって最も人気のある歴史作家となっていて、その作品が広範に愛読され、現代日本人の標準的な歴史教科書となっている。司馬遼太郎を超える日本史教師は当分出ないだろう。




歴史ドラマや歴史映画は、歴史作家が世に出して人気を博した作品こそをベースとするべきで、大学の研究者の評論や説教をコンセプトにするのは適当ではない。最近のNHKの大河ドラマは、歴史作家の原作を元にせず、NHKスタッフと脚本家が打ち合わせて勝手に小手先で作り、それを身内のアカデミーの学者がエンドースして権威づけ、正当化し、ネット宣伝で大衆の関心を醸成するビジネスに仕上げている。原作がなく、原作者がいないので、物語に熱と想像力とメッセージが籠もらない。それゆえ、空っぽさが見抜かれ、視聴率が低い結果に終わる。日本史を描くNHK大河は、過去から日本人が愛読して定評のある物語 - 日本人の大切な財産である日本史 - をオリジナルにして、そのリメイクに徹するべきである。その方が視聴者に馴染みがあり、展開への興味関心が維持され、高視聴率に繋がるに違いない。NHKが営業成績を重視するのなら、この批判に耳を傾けてもらいたい。




ということで鬱々と日頃思う持論を述べたが、「批判するなら対案を出せ」の命題と要請に従って、NHK大河ドラマをどう制作するべきか、具体的にプランを述べよう。


1.忠臣蔵


忠臣蔵は10年に一度のペースで大河ドラマで作品化すべきだ。63年の間に3回作品化されているが、もっと頻度を上げてよい。日本史らしい感動的な日本史であり、日本人の自己認識を前向きに確認する材料であり、まさにNHKが大事にしなければいけない珠玉の歴史物語と言える。江戸期を通じて儒学者はずっと赤穂事件を論争して理論を磨いてきた。解釈はいろいろあってよく、演出も時代に応じて変えて行けばいい。忠臣蔵はもっと世界に普及してよい歴史物語であり、世界の人々が誰でも知る史実として広まることを期待する。なので、そのプレゼンテーションに日本人(NHKや映画界)はもっと力を入れるべきだ。この物語は1年50話を制作するのに最適で十分な内容と分量があり、登場人物も適当な多さと個性がある。12月がクライマックスで、まさしくNHK大河ドラマのためにあるような物語だ。


2.竜馬がゆく


日本史最大のヒーローは坂本龍馬である。龍馬はこれまで2度主人公で登場しているが、率直に足りないと思う。15年に一度は作品化すべきで、司馬遼太郎の原作を映像化するのがよい。確実に視聴率を取れる。原作が世に出て62年になるが、この物語は忠臣蔵と同じ日本人の古典のポジションを獲得したと言っていい。大河ドラマの困難は、主人公の生涯を50話で追いかけたとき、どうしても尺が余る点だ。45分x50話の脚本を書くほど誰も豊富な材料を持っていない。ところが龍馬だけは別で、わずか33歳の生涯を描くのに45分x50話では足りないのである。100話ぐらい要る。それだけ、龍馬の一日一日は濃く、転換期の激動に関わって政治を動かしている。ゲバラが尊敬する革命家。女性陣も華麗に登場する。司馬遼太郎が描くキャラクターは明確で、認知度も高く、女優も男優もオファーを受けて演じたいだろう。


3.関ケ原


司馬遼太郎ばかりで恐縮だが、『関ケ原』は未だ大河ドラマ化されていない。日本史上最大の政治カリスマである徳川家康。家康はこれまで3度主人公となっているが、『関ケ原』の原作で描くのが最も説得的な像を提供できると思われる。登場人物もバラエティに富み、個性と戦略と心理がくっきりで、原作に沿って諸武将の動向を丹念に描くことで、いわゆる「ご当地大河」のリクエストにもサブセット的に応えられる。戦国が総決算される日本史のダイナミズム。やはり、司馬遼太郎が最も分かりやすく物語にしていて、これ以上の関ケ原論はない。関ケ原と家康を思い、脇役諸将を思うと、あらためて日本史は大型で魅力的だと感じ入る。日本史の魅力を描き伝えるのがNHK大河ドラマの使命である。真田広之の功績によって、この時代に興味を持った外国人も多い。ぜひ、世界の観客を意識した『関ケ原』の大河ドラマをNHKに制作してもらいたい。


4.天上の虹


以前から推挙している里中満智子の作品。この名作は絶対に大河化すべきだろう。42年前に世に出て以来長く愛読され、『竜馬がゆく』のような準古典と言うか必読書の地位を得ている。子どもたちの古代日本史学習を支援し、その世界への興味関心を誘う補助教材として役割を果たしてきた。同時に、雄渾で豊穣なジェンダーの古代史の提起と説得のチャレンジでもあった。偉大な文化的業績を称える意味でも、作家が元気な裡に大河ドラマ化を果たしてもらいたい。大河ドラマの難点である45分x50回の脚本ネタ不足の問題は、『天上の虹』にはない。登場人物は多く、教科書に載っているキャラクターが華麗に舞う。恋愛と陰謀があり、詩歌の叙情があり、革命的内乱があり、国際情勢の激動がある。人は屡々、戦国と幕末ばかりを大河でやるなと非難を言うのだが、ならばなぜ『天上の虹』を後押ししないのだろう。この時代を知ることも日本人の自己認識にとって不可欠だ。


5.あさきゆめみし


これは上に書いた。何と言っても累計部数1800万部のベストセラー。堂々たる実績があり、国民の間に広く定着している。外国語版(英・独・仏・韓・中)も多く出版・発売されている。源氏物語は過去に何本も映画制作されてきたけれど、基本的に、あの長編物語の分量を考えると、2時間や3時間の映画単作の枠内で収まるものではない。そのため、中途半端なつまみ食いで終わってしまう。そこから考えれば、源氏物語を描くのに最も適しているのは、一年50話が長々と続く、そして予算と俳優のリソースをふんだんに使えるところの、NHK大河ドラマの仕様と環境だと言えるだろう。宇治十帖含めて物語全体を大河に完成してもらいたいし、それこそが日本人の、特に映像文化業界に携わる者が果たすべき使命であって、紫式部への現代日本からの恩返しと思われる。20年に一度のペースでローテーションするとよく、ここから新進気鋭の大型女優を発掘・育成すればよい。


6.国盗り物語


これまた司馬遼太郎の戦国作品で恐縮だが、やはり日本人の歴史認識に欠くべからざる物語だと思われるので、20年に一度の頻度で再現芸術化をお願いしたい。斎藤道三、織田信長、明智光秀の3人が描かれている。信長、秀吉、家康の3傑は、それぞれ20年に一度は大河ドラマに登場するのが自然で、愛知県の3傑が日本史を作っている。それは否定しようもない事実だ。信長という日本史における例外的存在の革命児については、やはり20年に一度は注目し、復習して意味を再確認してよい。信長が生きていたら日本はどうなったか、天皇制はどうなったか、その設問が視聴者に突きつけられる。本能寺の変のドラマは日本人にとって重要な歴史であり、信長と光秀の物語は各自が青壮老の人生の過程で解釈し直し、再び興味を惹かれ、自分なりの歴史像を作って納得する問題に違いない。高橋英樹と近藤正臣、松坂慶子と中野良子が競演した1973年の前作はとても面白かった。



他にも「平家物語」とか「宮本武蔵」とか「翔ぶが如く」とか「子連れ狼」とかあるが、長くなるので一旦止めたい。


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風邪で死ぬか貧困で死ぬか

何かがあることは証明できるが、何かが「ない」ことは証明できない。後者を「悪魔の証明」と言う(言ったと思う)が、先端医療のほとんどは後者を利用した疑似科学ではないか、というのは私も疑問に思っているところだ。ただし、「細菌(病原菌)」の存在自体を否定する気はない。実際に、細菌の存在を前提とした近代医学以降に多くの病気(感染症)が治療可能になったと思うからだ。
おそらく、ウィルスは「病気の原因」ではなく、「病気の結果」(細胞のウンコ)ではないか、というのが私の推理だが、下の記事のようにウィルスそのものが存在しない、という説も蓋然性は高いと思う。
なお、風邪やインフルエンザには「病原菌」も存在しないと私は思っている。というのは、誰とも接触しない生活をしていても、体に悪寒を感じ、そこから風邪が始まることはよくあることだからである。つまり、風邪は冷気に対する体の自動的反応だ、ということだ。これは「病気」ですらなく、むしろ、食べ物を口に入れたら唾液が自動的に出る類のものではないか。ただし、老人には風邪が命取りになることも多いはずで、それは、食べ物を喉に詰まらせれば死ぬこともあるのと同じことである。
要するに、冬は体を冷やさず、風邪の予感があったら家で寝ていればいいだけだ。問題は、そうすると生活費が稼げないという、日本の貧困状態にある。

(以下引用)

ウイルスは存在しない、なぜそれが重要なのか

マブハイさんのサイトより
https://memohitorigoto2030.blog.jp/archives/26692819.html
<転載開始>

ウイルスは存在しない、なぜそれが重要なのか



Viruses Don't Exist and Why It Matters - Dr Sam Bailey

私たちは現在、COVID-19詐欺に4年以上関わっており、多くのことが変化している一方で、混乱が依然として支配的なテーマとなっています。パンデミックは存在しなかったという認識を持つ人が増えている一方で、「生物兵器」や「機能獲得」に関する主張を強める人も数多くいます。また、この中には「ウイルスの存在は重要ではない」という新たな迂回的な主張も登場しています。

2020年、私たちはウイルスモデルの調査を開始し、SARS-CoV-2は存在しないという結論に達しました。実際、1800年代後半の文献や、いわゆるタバコモザイク「ウイルス」にまで遡っても、ウイルスが存在したという科学的証拠は何もありませんでした。ウイルス学を批判する人々は、ウイルスの説明に合致する実体が物理的に分離されたことは一度もないと指摘しています。この幻想を維持するために、ウイルス学者たちは「ウイルス論争の決着」声明で提案されているような、適切に管理された実験を行っていません。実際、ステファン・ランカ博士は、ウイルスの証拠として主張されているさまざまな間接的な発見は、実験方法自体によって生み出されていることを示しています。
2022年、マークは『A Farewell to Virology (Expert Edition)』「ウイルス学への別れ」(専門家版)を出版し、ウイルスモデルのほぼすべての側面を正式に否定しました。ウイルスなし」の支持者たちが発表した他の論文と同様に、この論文全体に対する直接的な反論は一切ありませんでした。代わりに、話題を変えようとしたり、確立された用語の定義を曖昧にしたり、反証不可能な新しい仮説を導入しようとする試みが見られただけです。

ウイルスの存在に関しては「第三の道」などなく、この詭弁は、いかなる種類の「病原体」も存在することが証明されていないという事実から目をそらすだけです。インフルエンザや風邪などの病気を引き起こす「感染性」の存在を証明しようとした現実世界での人間や動物を使った実験は、大失敗に終わりました。

このビデオでは、ウイルスが存在しないと認識することが、恐怖を軽減し、より良い社会を築くための重要なステップである理由を検証します。

メモと関連動画はこちらでご覧いただけます。

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解熱剤という馬鹿薬

昔から「馬鹿は風邪をひかない」と言われているが、私はあまり風邪をひいたことがなく、風邪をひいても風邪薬は飲まない。ただ、脳卒中の予防に降圧剤とアスピリンを飲んでいるが、アスピリンの副作用のことも知ってはいる。解熱剤として処方されることも知っているが、解熱剤として使用したことはない。風邪やインフルエンザの発熱は体の自己防衛機能だと思っているからだ。そもそも、風邪で体温を測ったことは、生まれてから一度もない。
まあ、冬場は体を冷やさないようにしていれば、風邪をひくこともほとんど無いと思う。人込みの中に出ることもなるべく避けたほうがいい。
電車の中で咳をしたら、咳恐怖症のお医者さんにアイスピックで脅されたという事件がこの前あったばかりであるwww アイスピックを持ち歩いているほうがキチガイだと思うが、まあ、世の中、いろんな人がいる。街中のほうがジャングルより危険かもしれない。

(以下引用)

解熱剤アセトアミノフェンの「気づかない中で陥ってしまう過剰摂取」について米国の大学が警告を発する

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/acetaminophen-overdose-warning/
<転載開始>

medpagetoday.com

アセトアミノフェンの過剰摂取に陥るメカニズム

日本ではカロナールとしても知られる解熱鎮痛剤のアセトアミノフェンは、現在のように風邪やインフルエンザなどが流行している中では、解熱剤として一般的に処方されます。


「アセトアミノフェンは比較的安全」というような神話が広がっている中での話だと思いますが、先日、アメリカのラトガース大学当局が、


「知らないうちに多くの人たちがアセトアミノフェンの過剰摂取に陥っている」


ということを警告していました。


今回は、その記事をご紹介したいと思いますが、「なぜ過剰摂取になるのか?」ということに関しては、非常に単純な話であり、


「多くの一般的な風邪薬にもアセトアミノフェンが含まれているから」


です。



これは市販薬でも処方薬でもあまり変わらず、たとえば、風邪などの際によく処方される「 PL顆粒」という白い顆粒の薬がありますが、この PL顆粒にもアセトアミノフェンが含まれています。


それどころか、 PL顆粒には、アスピリンと同様の働きを持つ解熱効果のある成分(サリチルアミド)が含まれています。


PL顆粒の成分

kegg.jp


つまり、カロナールなどのアセトアミノフェンの解熱剤と、このような PL顆粒などを同時に飲むと、極端に書きますと、


「 2倍のアセトアミノフェンと、他に同時にアスピリンを服用したのと同じようなことになる」


わけです。


この時点で、すでに、やや過剰摂取なわけですが、しかし、市販の風邪薬の多くにもアセトアミノフェンが含まれています


カロナールを飲んで風邪薬を飲んで、ということを一日繰り返していると、自然と過剰摂取の傾向となるわけです。


このように、「知らないうちにアセトアミノフェンの過剰摂取」に陥る人が、少なくともアメリカでは大変に多いようです。


そのための大学からの警告です。


ちなみに、アセトアミノフェンは「インフルエンザ脳症・脳炎になりにくい」と言われていますが、まったく起こらないわけではなく、他よりやや率が低いというだけです。


以下は、名古屋大学医学部などによる 1999年の研究です。


解熱剤の種類による脳炎での死亡率

indeep.jp


結局のところ、発熱による何らかの緊急事態に陥っているのでなければ、できるだけ解熱剤は使わないのが最良と言えます。それが風邪なら、暖かくして寝ていれば、熱はおさまります。


ここからラトガース大学の警告についての記事です。

大学当局が、インフルエンザ流行期にアセトアミノフェンの過剰摂取について警告

University Officials Issue Warning on Acetaminophen Overdoses Amid Flu Season
Epoch Times 2025/01/14


「アセトアミノフェンが多くの医薬品に含まれていることを知らないため、アセトアミノフェンを過剰に摂取するリスクがあることにほとんどの人たちが気づいていない」と当局者は言う。



米ニュージャージー州のラトガース大学関係者たちは、インフルエンザのような症状の治療に使われるタイレノールの有効成分であるアセトアミノフェンの過剰摂取に関する中毒管理関連の通報が増加していると警告した。


ラトガース大学ニュージャージー医科大学のダイアン・カレロ氏は 1月10日の声明で以下のように述べた


「風邪やインフルエンザの季節は、インフルエンザのような症状を緩和するためにアセトアミノフェンを過剰に使用したという理由で中毒管理センターに寄せられる電話が増加する時期です」


「ほとんどの人は、アセトアミノフェンを過剰に使用しているリスクに気づいていません。なぜなら、この成分が多くの薬に含まれていることを知らないからです。市場にはアセトアミノフェンを含む製品が 600種類以上あります


同大学はニュースリリースで、同大学の医療センターが、症状を治療するために同薬を過剰摂取したニュージャージー州の住民数名を治療しなければならなかった事例が複数あったことを受けて、この警告を出したと述べた。同大学は、治療を受けている患者らは「肝不全や死亡を防ぐ」ためのケアを受けていると付け加えた。


当局は、偶発的な過剰摂取は肝臓毒性、肝臓損傷、あるいは不全を含む重大な健康問題につながる可能性があると付け加えた。


英国やその他の国ではパラセタモールと呼ばれるアセトアミノフェンを、すべての医薬品を合わせて 1日 4,000ミリグラムを超えて摂取しないよう勧告されている。


中毒管理当局は、過剰摂取や肝臓障害の可能性を軽減するために、アセトアミノフェンをあまり短い間隔で複数回服用すべきではないと述べている。


「過剰摂取は多くの人が考えるよりもずっと簡単に陥るもので、アセトアミノフェンを過剰に摂取すると、その結果はすぐに現れ、重度の肝臓障害や肝不全、腎不全、死亡などの生命を脅かす緊急事態につながる可能性があります」とニュージャージー州中毒管理センターのブルース・ラック所長は声明で述べた。


カレロ氏は、「ほとんどの人」はアセトアミノフェンの過剰摂取がもたらす害を認識しておらず、服用している薬の有効成分を確認するべきだと付け加えた。


アメリカ国立衛生研究所(NIH)は、アセトアミノフェン中毒の主な治療法は、NAC としても知られる市販のサプリメントである N-アセチルシステインを投与することだと述べている。NIH によると、アセトアミノフェンを摂取してから 8時間以内に NAC を投与すれば「ほぼ100%有効」だ。アメリカ食品医薬品局(FDA)は、アセトアミノフェンの過剰摂取の治療に NAC を承認している。


※ コメント / NAC については、このアメリカ国立衛生研究所のウェブサイトにある 2024年の論文をこちらで翻訳しています。


消費者ヘルスケア製品協会によると、アセトアミノフェンは米国の市販薬に最も多く含まれる薬剤成分だ


最新の政府データによると、先週、約 40州で呼吸器疾患の発生率が高水準、あるいは非常に高水準と報告されたことを受け、ラトガース大学は警告を発した。


「季節性インフルエンザの活動は引き続き増加しており、国内のほとんどの地域で上昇している」とアメリカ疾病対策センター(CDC)は今週初めの通知で述べた。


CDC の最新の入院データやその他の指標は、インフルエンザウイルスが他の病原体よりも増加傾向にあることを示していると、CDCの研究員キャリー・リード氏は今月初めに述べた。季節性インフルエンザの複数の株が感染者数を増加させているが、優勢なものはない、と同氏は述べた。


CDC の推計によると、今シーズンこれまでに少なくとも 530万人がインフルエンザに罹患し、6万3000人が入院し、少なくとも 11人の子供を含む 2700人が死亡した。

 

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多くの人は正しい立ち方も正しい歩き方も知らない

「神戸だいすき」ブログ記事だが、70数歳になるまで歩き方も立ち方も分からなかったという正直な告白が面白い。それは私も同じで、この件は何度もこのブログに書いている。
「土踏まずで立つ」というのは「意識の持ち方」であって、要は多くの人がやっている「踵で立つ(踵に重心を置く)」ことの戒めだろう。特に武道では、踵に重心を置くことが危険であることは私も指摘している。ちなみに、ボクシングでは試合の間じゅう踵はほとんどリングにつけないらしい。つまり、私が前に書いた、足底前部立ちである。(足底後部はいわゆる土踏まずで、これは現実には偏平足の人以外は着地不可能である。もっとも、人によっては足底後部を踵としている人もいるかもしれない。私は足底と踵を別としている。)

(以下引用)


私は、歩き方に自信がないのです。

それどころか、まっすぐ立つことも、定かではない


別にモンローウォークができないと言っているのではありません。

ちゃんと立つって、どうすることか、よくわからないのです。

猫背になるからと、胸を張ると、重心が後ろに傾いてしまう。だからといって前かがみになれば、重心は前に行きすぎる。

それどころか、「産後のゆがみ」を、直してもらうまでは、右肩が下がって、左腰があがって、傾いていた。

なので、あっちを訂正したり、こっちを訂正したりして、体はぎくしゃくして、すっきり立てなかった。

それがね、今回、ようやく、すっきりと、重心を垂直に落とす方法が、わかりました。

つま先立ちして、かかとを「どすん」と、落とす運動は、簡単すぎて、運動とも言えない、いくら、運動音痴の私でも、難なくできるから、大切な動作だと思っていなかった。

ところが、これを三回ドスンドスンドスンと、やると、いわば、紙袋に入った粉を平らにするときに、おしりをとんとんと、平面にたたきつけてやると、バランスがとれるように、

これで、そのまますとんと、立てば、まっすぐなのよね。

その際、重心は「土踏まず」に落とすんだって。
そして、頭のてっぺんを紐で釣り上げられているように、真上に引き上げると完璧なんだって。

土踏まずに落とすと言っても、土踏まずは、そもそも土についていないから、実際には、土踏まずは床につかないんだけど、その部位が床につくんだという気持ちで立つ。

77年も生きて、ついに、立ち方が分かった!!

嬉しくて、防災訓練に行ったとき、そばにいた、老人会の会計さんに声をかけた。

「まっすぐ立てる?」すると84歳の彼は、「立てるよ」と、自信満々。

すっくと背筋を伸ばして「重心をまっすぐ下に下ろしたらええねん」

「まっすぐ下って、足のどこに下ろすの?」

「土踏まずや」

「え?え~?」なんで、知ってるの~

すると、その84歳は、手を刀のようにかまえて「太極拳やってたからね」と、ポーズをとった。

太極拳で一番基礎になるのが、この土踏まずに重心を落とす立ち方。

軽々と、体重なんかないように、飛ぶがごとくに動くためには、この重心の落とし方を身につけなければならない。


太極拳て、すごいね。ものすごい科学的、

ヨガもすごいよ。

東洋の哲理は優れていると思う。

西洋には、こういうすぐれた武芸はないよ。

この感覚はね「ほんもののお笑いは上方にしかない。東京ものの、漫才のしょうもないこと!!という感覚と似てるわ。


東京ボン太なんか、何が面白いのん?
私は今でも、東京の芸人なんか、芸人じゃないと思う。

そもそも、私は、重心が後ろに傾いて、かかとで、どすどす地面をたたいて歩く癖があります。
なので、友人から、足音であんたとわかるといつも言われていました。

思うに、私の骨密度が高いのは、この、一歩歩くごとに、どんどん!と、骨に刺激が行くからかもしれないわ

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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