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「努力は必ず報われる」か

まあ、努力が必要なところは多々あるだろうが、「努力万能思想」は危険性が高すぎる。100人いれば、1人が勝者で99人は敗者というのがスポーツの世界で、負けた残り99人は努力していなかったのか、という話だ。
私のように、「全員が怠けて楽しく過ごせれば天国じゃね?」というのも問題だろうが、努力絶対思想は少なくとも子供の多く(たぶん99%くらい)を精神的に痛めつけていると思う。ちなみに、親から相続したカネがあれば努力ゼロでも支配層になれるのが資本主義社会である。

(以下引用)

「努力は必ず報われる」発言で炎上した池江璃花子選手、今大会で準決勝敗退「これまでの努力はなんだったんだろう」「頑張った分、無駄だったのかな」と発言

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池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-01
■過去記事
水泳選手「努力は必ず報われる」←これを発言しただけで炎上
池江璃花子「これまでの努力は何だったんだろう。何でだろう」でも心は折れていない:中日新聞Web

池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-02

<以下要約>

パリ五輪競泳女子100メートルバタフライ準決勝に臨んだ池江璃花子選手

復帰後、初の五輪の個人種目だったが、決勝進出を逃した。

プールを上がり「これまでの努力は何だったんだろう。何でだろう」と声を絞り出した。

同じ組で泳いだ8人中6位に終わると、会場の端に座り込み、タオルで目をぬぐった。

以下、全文を読む
【競泳】池江璃花子が号泣「頑張ってきた分、無駄だったのかな…」 100mバタ準決敗退(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

池江璃花子 池江璃花子 競泳女子 パリ五輪 準決勝敗退 努力 がんばった分に関連した画像-03

<以下要約>

決勝進出はならなかった池江璃花子。

レース後の池江は「正直、頑張ってきた分、無駄だったのかなって…。

そういうレースでした」と目に涙。最後は勝負なので…勝負の世界なので。

勝てなきゃ意味ないですし。本当に、自分の力を出し切れずに終わってしまったし…」

以下、全文を読む

<この記事への反応>

意味のない努力だよ

努力はあんまり報われないって国民に伝わったぞ

努力しても大抵は無駄に終わるからな

運と才能が伴わないとな

1回負けただけでここまで落ち込むってヤバいだろ

足らぬ足らぬは努力が足らぬ

単なる努力不足だろ
甘えるな


3年間意味なかったな
無駄だった


安心してください
コネでスポーツキャスターになれますよ


なんかその考え方って傲慢な気がする
それが自分に向いてるだけならいいけど


無駄だったな
意味もなかった


今まで無双してきたやつが落ちぶれちゃうと見てられないな
五輪に出られるだけで凄いんだよ


水泳のイメージを悪くした感じがする

本人がそう思うんならそうなんでしょうね

意味無いわけ無い
病気から復帰してここまで成果出したのは同じ病気患ってる人に光を与えてくれたよ
良くやったよ 次も頑張れ


努力が足りないもっと努力しろw

なんかプライドというか努力意識が高い人って心配になるわ

努力が足りないんだろ
皆もっと頑張ってるぞ

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欧州の王族とカトリック

「神戸だいすき」パリオリンピックについての記事から、2か所を転載。
私の言いたいこともこれに尽きる。

なお、私は、日本の天皇と欧州の王族の歴史的・社会的意味はまったく違うという考えである。それについては前に何度か述べたと思う。

ただし、明治から敗戦までの天皇制(明治天皇制・帝国主義的天皇制)は日本本来の天皇の在り方とは異なる、まさに欧州的王族絶対主義思想にカトリック的な「神の利用」を加えた複合体だった。
ただし、それによって江戸幕府の欠陥(主として身分制度による)の大部分が是正されてもいる。だから日本は急激な近代化が可能になったのだ。

国民全体の福祉(生活向上)の面から見て、明治維新全否定論は愚論の極みである。

(以下引用)

あれはね、市民の祭典になっていたのよ。何世紀も自分たちを押しつぶして、窓にまで税金をかけた王族、普通の生活を拘束しまくったキリスト教。

反キリストって!ローマが、本物のキリスト教を曲げまくったのに、それに反対するのは悪魔なの?


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さあ、「ステータスオープン!」

なるほど、我々は「膨大な数のスキル」を持っていたのかwww
まあ、「完璧主義」ひとつでも人生を失敗させる可能性大だが。
その「完璧主義」で自分自身を見れば、たいていの人は即座に自殺するだろうwww そこに「自惚れ」「自己愛」という基本スキルが与えられているから、何とか生きているのである。


(以下引用)

神さま「ワイくんか…彼には『逃げ癖』『怠け癖』『先延ばし癖』の3つの個人スキルを与えよう」→結果



界王神


1: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:34:10.35

もう終わりだよこの人生


 




14: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:47:59.87

そうして生まれたのが今週末面接なのに面接の参考書だけ買って今だに志望動機や自己PRすら空で言えないワイや


 





3: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:36:29.23

神「…ちょっと物足りないな…『完璧主義』これも加えよう」


 





9: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:44:09.77

>>3
う…きくぅ


 





4: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:36:42.19

何もかもを放り出せない程度の「なけなしの倫理観」もおまけで付けちゃうンゴ


 





5: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:38:07.20

ワイかな


 


6: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:38:32.88

何か、こう、才能みたいなものは付けてあげられないのですか?


 





8: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:41:38.41

>>6
現実逃避中のみ発動する過集中スキルをあげよう


 





7: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:39:07.58

コミュ力あればノリで何とかなるやろ


 





10: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:46:18.93

神「これだけスキル与えたんやから基礎ステータスは全部最低でええやろ!」


 


19: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:56:39.09

>>10
神「でも流石にガ○ジにするのはな…精神疾患の診断貰えない程度に留めとくか」


 





11: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:46:36.20

ワイは虚言癖があるで
助けて誰か


 





12: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:47:14.02

神が与えたんじゃなくて自分で獲得したスキルやろ
大事にするんやで


 





15: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:49:43.23

一般的なんG民


基礎ステータス最低
逃げ癖・怠け癖・先延ばし癖・虚言癖・完璧主義・なけなしの倫理観・過集中・熟慮


 


20: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:58:12.84

前世でなにしたんや


 





16: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:50:28.14

神「『人のせいにする癖』も念のために付けておこう これでワイくんは絶対に成功者にはなれない」


 





22: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:04:04.95

>>16
他責思考やねw


 





17: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 16:52:03.26

医者「うーん病気!」


 


26: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:09:40.89

>>17
病気扱いになるならまだええんやけどな


 





21: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:02:26.54

完璧主義はなんであかんの?


 





36: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:25:26.91

>>21
膨れ上がった理想に実力が追いつくことはないから
そのうち「どんなに頑張っても理想が実現できないなら初めからやらなくても同じ」と考え始めて堕落する


 





29: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:11:36.77

臆病な自尊心と尊大な羞恥心定期


 





32: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:16:25.75

それひとまとめにできない?


 





34: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:21:33.75

>>32
弱者には全てが詰まっている


 





27: 『ぶいあに』で検索! 2024/07/17(水) 17:10:26.08

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「遊び心」の宝庫としての「不思議の国のアリス」

少し前に私の別ブログに書いた記事だが、わりとお気に入りなので、ここにも載せておく。
ちなみに「ダンジョン飯」単行本第10巻64話の扉絵が「不思議の国のアリス」パロディであるのを(「木の下での読書(マルシルのエプロンに注意。マルシルはアリスでもあり、アリスのお姉さんでもある。)」で、ほとんどの人は即座に連想するかもしれないが、)分からない人がいるかもしれない。木の枝にいる有翼獅子がチェシャ猫である。まあ、同じネコ科だ。

下の記事に関係して言えば、福島正実氏は、(たぶん絶版である)岩崎民平訳を、名訳だ、と書いている。新訳かならずしも好訳ならず。むしろ改悪が多いと私は思っている。特に児童文学で、海外の名著を最初に軽薄、不誠実な新訳で読んで、その誤解のまま一生を送る子供が気の毒である。その手の訳(野心家の若手に多い)を世間に出すのはほとんど犯罪だろう。子供は、手にした訳書がその作品のすべてになる。価値の高い翻訳と、愚劣な翻訳の区別がつかないのである。私自身、岩崎民平訳の貴重さを知らずに、おそらく大学入学時の引っ越しの際に手持ち本の大半とともに処分したのが残念だ。

(以下引用)

dear →ears→ whiskers




あまりに暑いので、頭がぼうっとしており、まともな読書ができないので、「不思議の国のアリス」の英語原書と、その翻訳数書を、半分寝ぼけながらちらちらと眺めていると、興味深い箇所に出遇った。
話の冒頭でアリスが追っかけていた白兎が、アリスが穴に落ちた後、再度前方を駆けていくのをアリスが目撃する場面で、その時、兎は

"Oh my ears and whiskers,how late it's getting !"

と言うのだが、手持ちの翻訳はこの部分をそれぞれこう訳している。

「ああ、なんてこったい、すごく遅れちまった!」(河合祥一郎訳)
「やれやれ、どうすんだい、たいした遅刻だよなあ!」(矢川澄子訳)
「なんてことだ、よわったな!どんどん遅くなっちまう!」(福島正実訳)

ごらんのとおり、どの訳者も「my ears and whiskers」の訳から「逃げている」。
それも当然と言えば当然で、これは翻訳不可能だからだ。
勘のいい人は、白兎が最初に登場する場面で、

”Oh dear! Oh dear! I shall be too late!"

と言ったのと、この「my ears and whiskers」がつながっていることに気づくだろう。で、どの翻訳者も、それは分かっていたと思うが、ここはほとんど翻訳不可能なのである。つまり、英語の洒落なのである。
dearに感嘆詞としての用法があり、「おや、まあ」などと訳せることは、中学生でも知っている人もいるかもしれない。そして、帰国子女などは、その変化形で「dear me!」という表現があることも知っているかもしれない。これも「おや、まあ」なのだが、my dearとなると、「私の愛しい~」となるのは、それこそ中学生でも知っていることだ。そこで、「my dear」が、兎が話し手なので「my ear」となり、兎には頬髯があるので「my whiskers」と続くわけである。
つまり、英語の二重三重の連想が、洒落となっているわけで、これは翻訳不可能ということになる。
 

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「努力万能主義」の発生機序

小島(児島だったか?)アジ子さんという漫画家が、某ドラえもん映画について書いた批判的論評(当人はかなりのドラえもんマニアらしい)の一部で、教育論、社会心理論として面白い。

(以下引用)二つめの赤字は夢人による強調。この指摘は非常に面白い。なぜ、「努力万能論」「努力全肯定論」が人間社会にはびこっているか(そのために膨大な不幸をも作り出している。)を見事に説明している。これに近い現象として、「人間は〇ふたつの下に一本線があるのを見ると、それを人間の顔と認識する」というのがある。つまり、或る種の警戒本能の結果だろうが、それは「認識のバグ」でもある。(面白いし、それを利用するのが漫画の基本でもあるが)

のび太くんとのび太を取り巻く環境(圧力)がドラえもん的ではない。『劣った人間や他と違う人間は人一倍努力してようやく社会の一員として認められる』というような、ストーリーの背景にある思想について。

 なんだろう、自分の受け取り方の問題なのかもしれないけれども、この映画ドラえもんのび太の新恐竜ののび太は、ずっと、社会や自分自身の内面から、『頑張って普通になれ』という圧力を受けている感じがする。努力して頑張って成長しろ、そうするべきことが正しい、というような世界観をこの映画から感じる。それはとても道徳的に正しい。道徳の教科書に載るくらい正しい。
 でも、ドラえもんって、そういう話ではない。ここはもう、本当に、絶対に譲れないポイントです。
 ドラえもんっているお話は、できない、どうしようもないことを肯定する話で、できないことや無理なことを便利な道具で解決する話で、どこまでも他力本願な話だし、そうあるべきだと思ってる。80年代には、ドラえもんはのび太が道具でなんでも解決してしまうから不道徳だと糾弾されたこともある。でも、ドラえもんって、本来不道徳の話です。ギャグマンガだし。あんな夢こんな夢を不思議な道具でかなえてくれる話です。そこに自助努力はない。ポケットを開くと簡単に道具が出てくる。
 また、藤子F不二雄作品において、『努力の効用によって成功、成長する』といった類の話というのは(ほとんど)存在しないんです。自分の観測範囲なので、もしあったら教えてください。(時門と、ウマタケのエピソードで努力して結果を出している、という指摘をいただきました…。たしかに……。)ドラえもんでも、のび太が、『よし!努力するぞ!』と決意しても決意するところで終わって、机の前に座ってるところでだいたい終わります。努力の効用によって、のび太が成績が良くなったとか、スポーツがうまくなった、とか、そういう、努力によって結果を得る、というシーンってほとんどないんですよ。(練習したり頑張ったりしてるシーンはある)藤子作品全般に漂う『努力の効用の否定』については、いろいろと自説があるんですが(終戦を体験した作家であるとか、F先生自身が努力が嫌いとか)それを書き出すとまたそれで1万文字くらいかかるので……。
 そんなわけで『劣った人間や他と違う人間は人一倍努力してようやく社会の一員として認められる』ということに対しては、とても藤子的てはないな……、という感想を持ちます。エスパー魔美で、魔美の父親が疎開先で、祖父が青い目をしているせいで、外国のスパイとしていじめられます。その時に父がとった手段は、『逃げる』でした。
 TPぼんのエピソードで、原始時代に行って、狩猟採集をしている部族で狩りが下手な若者、狩りが下手で組織の成員として認められない若者を助ける話があるんですが、その時の方法は、『打製石器の作り方を教える』でした。
 基礎的な能力が足りなくて組織で認めらない人間は、逃げるか、別の能力を発揮するか。飛べない鳥に飛べ!という必要はないんです。
 そして、今回のドラえもんについて。たぶん、(進化と適応の学術的な話をしらない)普通の人がみて、この作品から得られる感想は、劣った存在でも、人一倍努力して、みんなと同じように、空を飛ぶことができる。努力の賛美。だと思います。それ自身はいい(あんまよくないと思うけれども)。ただ、その努力の賛美というものは、『できない人間に対する努力の強制』に容易に結びつくし、できない子供自身に対しても、彼を内面からさいなむことになります。でも、ドラえもんってそんな話じゃないじゃん?困ったときに他力で助けてくれる話じゃん?
 ついでに。最近の教育の考え方としては、そういうスパルタ的な教育はあんまり効果がないんじゃないかって否定され始めてます。今は所謂、ほめて伸ばす、というような、まず自己肯定感をアゲておいて、そこから能力を伸ばしていくというような方向が効果があるという、根拠ある調査結果もあります。スパルタとその成長の物語は、物語として見ていて面白いし感動するし、泣けるんですけれども、子供向きで、これをみて、自意識が作られるであろう子供、周りと比べてできない子供にたいして、この映画はあまりにも配慮がないのではないかと思うんですよ。ドラえもんの本当のターゲットである、『のび太』みたいな子供に対して、この映画はあまりにも厳しい。




 あと余談ですけれども、なんで努力して頑張って成功する話で感動するのかっていうと、因果を認識する人間のバグなんですよ。物事に因果関係を勝手に見出してしまうバグが人間にあります。そして、支払った分が大きく、リターンが大きい、と出来事ほど、人間は”感動”してしまうようなバグがあります。このバグを利用して、感動できる話とその演出がなされるわけです。人間が感動して涙を流すのは、大体バグによるものです。SFという、科学、分析、世界を切り分ける概念が深い部分を流れているジャンルと、泣ける物語というのは、基本的に相性が悪い。それでも無理に泣かせる、感動させる、エモーショナルな話にしようとすると、どこかで話とテーマが脱臼する。
 







ここらへんは、本当に個人的な好き嫌いなので、あの、それの部分が好きだっていう人がいたらごめんなさい。

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call,calling,recall

政治用語でリコールという言葉があって、中学社会科くらいで習うと思うが、言うまでもなく「一般投票で公務員を解職する」ことであり、(たぶん)ほとんど日本では実施されたことの無い制度であり、死語である。それが死語であることが、民主主義がこの国では機能していないことの証明だろう。
だが、ここで私が言いたいのは、この制度がrecallと呼ばれていることの不思議さだ。
これは、第一義的には「思い出す」意味だからである。第二義に「(~を)呼び戻す、回収する」意味があって、これが政治用語としてのリコールに近いだろうか。つまり、政治的に不適切な人間を公職に就けてしまったことが分かって、その人間を一般人として「呼び戻し」「回収する」わけだ。
しかし、racallの第一義が「思い出す」であるのは、このrecallの中のcallが「呼びかけ」であり「訪問」だからだろう。つまり、racallとは、自分の記憶からの呼びかけであり、記憶への再訪だ。

私が一、二番に好きな昔のポップスの中に「Too Young」という歌があり、その歌詞の最後は、こうである。

And someday they may recall
We were not too young at all

このrecallは、自分の記憶から再び呼びかけられることであるわけだ。

そんなことを目覚めの寝床の中で朦朧と考えていると、乙一に「calling you」という短編小説があって、それをこの前読んだばかりであるのを思い出した。つまりrecallした。
この小説は「失はれる物語」という短編集の冒頭の作品で、(古文文法的には「失はるる物語」か「失はれし物語」とすべきかと思う。)名作が詰まった作品集だが、その最初の作品が「calling you」で、これは親から携帯電話の所持を許してもらえない女子高校生が頭の中で理想の携帯電話を克明に想像してそれを「持ち続けて」いると、或る日、その頭の中の携帯電話が鳴る、という話である。その呼び出し音(着メロ?)が「calling you」という曲で、これは「バグダッド・カフェ」という映画の主題曲であるらしい。私はこの映画を見たことがないし、曲も知らないが、題名から想像すると「私はあなたを呼び続ける」という趣旨の歌だろうと思える。この「calling」という「現在進行形」には、そういう印象があるわけだ。

(追記)念のために「バグダットカフェ」の「calling you」を聞いてみたが、ほとんどsummertimeのアレンジというか、パチモンであり、がっかりした。誰もそのことを指摘した人はいないのだろうか。過去作品(古典)への無知とは恐ろしいものである。

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とても面白い、「退屈な話」

チェーホフの「退屈な話」読了。非常に面白かった。
話の内容は、まあ、ベルイマンの「野いちご」である。つまり、偽善的に、あるいは自己欺瞞的に生きてきた人間の、老年における精神の荒廃だ。
ここで自己欺瞞的というのは、自己節制的、と言ってもいい。つまり、自分の欲望を抑えて理性的に生きてきたわけだ。ところが、すべての欲望がほとんど消滅した老年に残るのは、不満感だけであるわけである。黒澤明の「生きる」も、同じテーマである。まさに「命短し、恋せよ乙女」なのである。
まあ、快楽主義的に生きてきた人間の老年期の精神的荒廃は、もっとひどいかもしれないし、人間は自分の精神が導くようにしか生きないのだから、この種の話は或る種の「警告」にはなるかもしれないが、特効薬にはならないだろう。要は、話としてそれが面白いかどうかだけで、私などには面白い。30代でこれを書いたチェーホフ自身の晩年の精神的状況がどんなだったか知りたいものだ。
この「退屈な話」が退屈かどうかは読む人による。「退屈な話」というタイトルだけで敬遠する人も多いだろう。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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