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これもお料理「哲学」か?

まあ、政治や哲学の話より、こういう身近な「お役立ち記事」のほうが気楽に読めて実益があるのではないか。もっとも、私は自分の娯楽として記事を書いているのだから、これは自分自身のためのメモである。
「野菜を焼く」というのと「炒める」との違いがあるのか無いのか分からないが、「茹でると栄養分が湯に溶けて無くなる」というのは、いかにもありそうな話ではある。

私は子供のころ、カボチャの煮物が大嫌いだったが、大人になって「カボチャのソテー」つまり、「カボチャを油で炒める」と、カボチャがイモ類とまったく同じ美味さで、しかも煮物の「臭み」が無いことを知って、よく料理するようになった。ちなみに、安い豚肉をステーキにした後の肉から出た油でカボチャなどを炒めると、フライパンの油分の処理にもなり、一石二鳥である。
なお、カボチャを切るのは難事業なので、子供にはさせないほうがいい。コツは、包丁で「押し切り」せず、ちゃんと刃を前後に動かして切ることである。押し切りすると、刃がカボチャに食い込んで動かせなくなる。言うまでもないが、小さな包丁を使うのは不可である。包丁は作業によって使い分けるものだ。ペティナイフはトマトの蔕などを「刳り抜く」という作業もできる。
これもついでに言うと、私はフライパンは基本的に洗わない。油分を流しに捨てるのはタブーである。残りかすは紙で拭いてゴミ箱に捨て、フライパンは油分が膜状に残ったままにする。


(以下引用)

「アスパラガスは茹でないでください!」八百屋からのお知らせ!そのワケとは

青髪のテツ八百屋歴14年|野菜のプロ







こんにちは、八百屋歴10年の青髪のテツです。


だんだん暖かくなってきて、春らしい季節になってきましたね。


春といえば、春キャベツ、新玉ねぎ、新じゃがいも、アスパラガス、たけのこなどの山菜が旬を迎えます。皆さんはどの春野菜をよく食べますか?


今回はその中でも、年中品揃えされているけど、この時期特に美味しくなってくるアスパラガスをピックアップします。


春のアスパラガスは、甘みが強く、柔らかく、風味や香りが強いという特徴があり、とても美味しいんですよね。


そんなアスパラガスですが、個人的に茹でるよりも美味しい食べ方があるので、皆さんに共有していきます。

アスパラガスは焼きがうまい


アスパラガスは茹でて食べるのが一般的なのかなと思いますが、焼いて食べる方法がおすすめです。


フライパンに油をしいて、両面に軽く焦げ目がつくまで焼いて、塩を振って食べるだけで本当に美味しいので試してほしい。


ポイントはアスパラガスを切らないことです。下の硬い部分の皮だけ剥いて、あとはそのまま焼きます。こうすることで、アスパラガスの水分や旨み、甘みが流れ出ないので、ジューシーに仕上がります。


また、アスパラガスはビタミンCやビタミンB6などの水溶性の栄養を多く含んでいるため、茹でると茹で汁に栄養が流れ出てしまうんです。


なので、アスパラガスは茹でるよりも焼いて食べることをおすすめします。

アスパラガスはホイル焼きも最高


アスパラガスは、きざみニンニクとバターでホイル焼きにしてもめちゃくちゃ美味しいのでおすすめです。


材料(1~2人分)


アスパラガス…3本


にんにく…1かけ


バター…適量


しょうゆ…小さじ1


作り方


1. アスパラガスの根本の皮を剥く


2. にんにくをみじん切りにする。


3. カットしたアスパラガスとにんにく、バターをホイルに乗せる。


4. ホイルで包んで、180度のトースターで10~20分加熱する。


5. 焼き上がったらしょうゆをたらして完成。


とっても美味しいので、ぜひ試してみてくださいね。

アスパラガスは焼いてもうまいまとめ


今回は美味しいアスパラガスの食べ方を紹介しました。


ぜひ今回の記事を参考にして、これからの季節美味しくなってくるアスパラガスをたくさん食べてくださいね。


他にも「新鮮で美味しい新玉ねぎの見分け方」や「ブロッコリーに潜む虫や汚れをごっそり洗い流す裏技」という記事を書いているので、気になる方は読んでみてください。


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哲学と経済学

「蚊居肢」記事の一節だが、ひとつの考え方として面白いので転載する。まあ、あまりに「思想的にお洒落」すぎる印象だが、それは内容より書き方の問題かもしれない。あまりに純粋な思想は数学の理論みたいなもので、一般人には意味不明である。
我々一般人は、たとえば愛国心がなぜ全体主義や暴力や戦争と直結するのか、という具体的な問題なら考察できるが、哲学が社会を動かしたという話は聞かない。民衆を動かすのは常にデマでありデマゴーグ(扇動者)なのである。フランス革命も、哲学ではなく「スローガン」が民衆を動かしたのであり、それは大きく言えばデマが動かしたのである。
下の引用記事も理解困難だが、読み物として面白いということだ。

この部分の前に書かれた「日銀が利上げできない理由=利上げは日銀の破産を意味する」も面白いので、後で別記事として転載するかもしれないが、まあ、ご自分で読むのが一番だろう。
ただ、私は、そもそも、日銀の利上げがインフレ抑制になるという理屈がよく分からない。インフレは企業の通常の活動の結果であり、日銀金利とさほど関係があるとは思えないからだ。経済学の常識というのは、案外落とし穴なのではないか、という気もする。(大企業は膨大な内部留保があり、銀行からの借入金にさほど頼っているとも思えないから、借入金の利払いのために値上げをするとも思えない。単に、他者が値上げするから自分たちも値上げしても大丈夫という便乗値上げだろう。これも「民衆心理」のひとつだ。日銀が利上げしたらいっそう企業も値上げして大インフレ、そしてスタグフレーションになる、という可能性もあるのではないか。)*スタグフレーション=インフレ+不況
今さら言うまでもないが、私のブログはそういう「素人の寝言・戯言(ざれごと)」であることをお断りしておく。

(以下引用)




ここで、私が好んで引用してきたヴィクトル・フーゴーの言葉と柄谷注釈を掲げておこう。



故郷を甘美に思うものはまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。


The person who finds his homeland sweet is a tender beginner; he to whom every soil is as his native one is already strong; but he is perfect to whom the entire world is as a foreign place.


(サン=ヴィクトルのフーゴー『ディダスカリコン(学習論)』第3巻第19章)




こういう言葉があります。 《故郷を甘美に思うものは、まだくちばしの黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、既にかなりの力を蓄えた者である。全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である。》


これは、サイードが『オリエンタリズム』においてアウエルバッハから孫引きした、一二世紀ドイツのスコラ哲学者聖ヴィクトル・フーゴーの『ディダシカリオン』の一節です。 



これはとても印象的な言葉で、トドロフも『他者の記号学』の中でサイードから再引用しています。僕なんかが漠然と考えていたことを言い当てている、という感じがするんですね。


その言葉は、思考の三段階ではないとしても、三つのタイプを表していると思います。まず最初の「故郷を甘美に思う」とは、いわば共同体の思考ですね。アリストテレスがそうですが、このタイプの思考は、組織された有限な内部(コスモス)と組織されない無限定な外部(カオス)という二分割にもとづいているわけです。〔・・・〕



次の「あらゆる場所を故郷と感じられるもの」とは、いわばコスモポリタンですが、それはあたかもわれわれが、共同体=身体の制約を飛び超えられるかのように考えることですね。あるいは、共同体を超えた普遍的な理性なり真理なりがある、と考えることです。〔・・・〕



第三の「全世界を異郷と思うもの」というのが、いわばデカルト=スピノザなのです。むろん、ある意味でデカルトは第一、第二のタイプでもあるわけです。スピノザは、そういう意味で「完璧な人間」ですね。この第三の態度というのは、あらゆる共同体の自明性を認めない、ということです。しかし、それは、共同体を超えるわけではない。そうではなく、その自明性につねに違和感を持ち、それを絶えずディコンストラクトしようとするタイプです。それは、第一のタイプが持つような内と外との分割というものを、徹底的に無効化してしまうタイプであり、しかもそれは、第二のタイプで普遍的なものというのとも、また違うわけです。(柄谷行人「スピノザの「無限」」『言葉と悲劇』所収、1989年)



私は愛国ときくとほとんど常に悪い臭いを嗅ぐ。


 


人は共同体のネガを目指すべきである。




ゴダールは『JLG/自画像』で、二度、ネガに言及している。一度目は、湖畔でヘーゲルの言葉をノートに書きつけながら、「否定的なもの(le négatif)」を見すえることができるかぎりにおいて精神は偉大な力たりうると口にするときである。二度目は、風景(paysage)の中には祖国(pays)があるという議論を始めるゴダールが、そこで生まれただけの祖国と自分でかちとった祖国があるというときである。そこに、いきなり少年の肖像写真が挿入され、ポジ(le positif)とは生まれながらに獲得されたものだから、ネガ(le négatif)こそ創造されねばならないというカフカの言葉を引用するゴダールの言葉が響く。とするなら、描かれるべき「自画像」は、あくまでネガでなければならないだろう。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』2008年)




デカルトは、自分の考えていることが、夢をみているだけではないかと疑う。…夢をみているのではないかという疑いは、『方法序説』においては、自分が共同体の”慣習”または”先入見”にしたがっているだけではないかという疑いと同義である。…疑う主体は、共同体の外部へ出ようとする意志としてのみある。デカルトは、それを精神とよんでいる。〔・・・〕



誤解をさけるために捕捉しておきたいことがある。第一に、「共同体」というとき、村とか国家とかいったものだけを表象してはならないということである。規則が共有されているならば、それは共同体である。したがって、自己対話つまり意識も共同体と見なすことができる。(柄谷行人『探求Ⅱ』1989年)


もっとも愛国心にはナショナリズム以外に郷土愛(パトリオティズム)がある(パトリオティズムは、生まれ育った共同体や郷土を意味する「パトリア」に由来する言葉だ)。人はこの郷土愛からは容易には免れ難い。

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電気通信企業の「犯罪誘発教唆無責任営業」

楽天モバイルのこの「犯罪教唆営業」が不問に付されたら、今後は他の企業も同じ「犯罪行為」をし始めるのではないか。
まあ、スマホなどの電気通信業が犯罪の温床になる可能性があることは、最初から予見された話だと私は思っている。

(追記)これも楽天企業である。楽天Gは楽天主義から悲観主義へ方向転換か。まあ、楽天に限らず、電子取引は危険が一杯だろう。

 


楽天証券で相次ぐ不正アクセス被害
金融資産の売却と謎の中国株購入の手口
楽天証券を利用する複数のユーザーが、不正アクセスの被害を受けたとXで報告しています。


被害の共通点として、楽天銀行の口座から証券口座に資金が移され、その後、保有していた金融商品がすべて売却されるという流れがあります。


その資金で「アンバー・ヒル・フィナンシャル」などの中国株が勝手に購入されており、被害者は資産を失う事態に陥っています。


また、楽天証券側に問い合わせた被害者によると、証券会社側は補償に応じておらず、対応も冷淡だったとの声が上がっています。


こうした被害報告が相次ぐことで、楽天証券のセキュリティ対策に疑問を抱く声も広がっています。
https://sn-jp.com/archives/234924


(以下引用)記事隠し(政府の「黒塗り」と同じ)部分はカットした。
楽天モバイルは「不正請求」の温床か 被害者は「不誠実な対応」に怒り、「泣き寝入り」も

 2月下旬、警視庁は楽天モバイルの通信回線を不正に契約したとして中高生3人の逮捕を公表した。専門家は、楽天モバイル社の「セキュリティーの低さ」を突いた犯行と指摘する。業界では、同社の不正契約対策は以前から問題視されてきたという。


*   *   *

■楽天モバイル狙いに「やっぱり」

 最近、回線不正契約による被害に遭った楽天モバイルのユーザーのトモコさん(東京在住)は、中高生による事件を知ったとき、「やっぱり」と思った。


「こういう犯罪の標的になるということ自体、楽天モバイル社のシステムが脆弱なのだと思います」(トモコさん)


 読売新聞などによると、逮捕された中高生3人は昨年5月から8月にかけて、秘匿性の高い通信アプリ上で購入した11人分の楽天モバイルのID、パスワードを用いて、不正にログインし、105件の回線契約をした疑いがある。指示役の中学生は「各社の契約条件などを調べ、本人確認の甘い楽天モバイルを狙った」と、捜査員に話しているという。

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■問い合わせに4時間、「お客様の落ち度です」

 トモコさんが通信回線の不正契約に気づいたのは今年1月中旬だった。携帯電話代の請求金額を知らせるメールを開くと、画面に目がくぎづけになった。普段の20倍ちかい金額が表示された。


「『何か変な操作をしたのかな』と思った」(トモコさん)


 インターネット上の会員サポートサービス「my 楽天モバイル」を確認すると、2カ月にわたって高額請求をされていた。内訳と契約回線を見て、さらに驚いた。


「身に覚えのない電話番号がずらりと表示された。『不正請求だな』と、直感しました」(同)


 楽天モバイルの問い合わせ窓口に相談しようとしたが、チャットも電話もなかなかつながらない。相談までにそれぞれ1~2時間、計4時間近くを費やした。


 ようやくオペレーターにつながると、「my 楽天モバイル」のIDやパスワードを変更し、楽天モバイルの決済で使用しているクレジットカード会社にも調査を依頼するよう告げられた。また、楽モ社側は不正請求か否かを判断することができないという。「同社も被害者である」と告げられ、遠回しに、「楽天IDとパスワードの管理が甘いのが原因。お客様の落ち度です」という趣旨のことを言われ、ショックを受けた。

楽天モバイルは「不正請求」の温床か 被害者は「不誠実な対応」に怒り、「泣き寝入り」も

■不正請求の訴えいくつも

 相談窓口の指摘を受けて、楽天モバイル以外の楽天サービスやほかの請求書をすべて調べたが、IDやパスワードの漏洩らしきアクセスや、不審な請求は見あたらなかった。


 SNSを検索すると、トモコさんと同様な目に遭い、「複数回線を契約され、不正請求された」という内容の投稿をいくつも見つけた。返金されなかったという書き込みも見た。


<楽天モバイルで身に覚えのない契約が勝手にされていました。8回線。店舗に行ってもダメ。AIチャット、専用回線、いつもつながりません>


<不正契約されて自腹で負担になった。さすがに納得できない>


「楽天モバイルの相談窓口に『同様の被害はほかにもあるのでは』と尋ねたところ、『あります』と、言っていました」(同)

 クレジットカード会社に調査を依頼した際も、楽天モバイルに関して同様の相談があるか尋ねると、「ある」と言われたという。

■いまだ返金されず

 なぜ、楽天モバイルの回線で不正契約が繰り返されるのか。同社のシステムに欠陥があるのではないか。楽天モバイルの相談窓口に尋ねたが、「わかりかねます」と言う。


 トモコさんはクレジットカード会社の規定に沿って、カード番号を変更した。いくつもの支払い先に連絡して、番号の変更手続きを行った。


 楽天モバイルによると、カード会社が不正利用を確認し、悪用が確定した場合、支払い済みの請求はカード会社から返金されるという。しかし、トモコさんはまだ金を受け取っていない(3月中旬時点)。カード会社に問い合わせると、「楽天モバイルからの返事待ち」だという。


 トモコさんが腑に落ちないのは、楽モ社から「次回以降、同様のお問い合わせをいただいた場合には対応ができかねます」と告げられたことだ。


「楽天モバイル社のシステムが脆弱なゆえのトラブルだと思っています。同様のことが起こる恐れがあるのに、1回の対応に限る理由がわからない。不誠実の極みじゃないでしょうか」(同)

楽天モバイルは「不正請求」の温床か 被害者は「不誠実な対応」に怒り、「泣き寝入り」も

■「問題があるのでは」とライバル社

 同一名義での大量不正契約をされた携帯電話は特殊詐欺などの犯罪で使用されてきた。そのため、警察庁や電気通信事業者協会は、「原則として」、個人による契約回線数を5回線までに制限してきた。


 NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの契約数は5回線までで、追加契約には本人確認が必要だ。一方、楽天モバイルは1つの楽天IDで最大15回線まで契約可能で、追加契約には本人確認書類の提出は不要となっている。逮捕された中高生はこの脆弱性に目をつけ、回線を不正に契約したとみられる。なぜ、楽天モバイルでは他社に比べて回線数の上限が2倍以上多く、本人確認も甘いのか。スマホジャーナリストの石川温さんは、こう語る。


「楽天モバイルは新規参入の会社なので、他社スマホからの乗り換えに特に力を入れ、とにかく契約者数を増やそうとしています。そのため、回線数の上限も本人確認も緩和したいのでしょう」


 楽天グループの三木谷浩史・会長兼社長は「乗り換えの手間が煩雑」だとして、本人確認の簡略化に力を入れてきた。


 楽天モバイルは2023年7月、楽天カードの所有者に対して、本人確認書類の提出が不要な「Rakuten最強プラン(データタイプ)」の提供を開始した。


 これに対して、ソフトバンクの宮川潤一社長は、次のように述べている。


「ちょっと問題があるのではないか。本人確認については犯罪防止の観点から非常に重要だと理解している」(24年8月4日の決算発表で)


 楽天モバイルの音声通話の契約についても、楽天銀行、楽天証券、楽天生命に提出しているいずれかの本人確認情報を「Rakuten最強プラン」申し込み時の本人確認に使用することが可能となっている。

■不正契約発覚は氷山の一角か

 2年前、三木谷氏が「本人確認をしないで他社から乗り換えられる仕組みを導入する」と発言したとき、「そんなことをして大丈夫なのか。業界内では懸念された」と石川さんは言う。


「結局、楽天モバイルが本人確認書類の提出が不要なプランを導入すると、回線が不正契約される事案が発生し、同社は注意をうながすようになった。やっぱり、そうなるよな、と思いました」(石川さん)


 楽天モバイルは不正を検知するモニタリングを24時間365日実施しており、不正に契約された回線を検知した場合、パスワードのリセット、契約者への通知、回線の利用停止、契約解除などの対応を随時行っているという。


「今回の不正契約について、通知は一切なく、こちらから問い合わせて発覚した。不正契約に気づいていないユーザーは相当数いるのではないか」と、先のトモコさんは怪しむ。

楽天モバイルは「不正請求」の温床か 被害者は「不誠実な対応」に怒り、「泣き寝入り」も

■楽天モバイルの回答は

 記者は楽天モバイル社に次の質問を送付した。①スマホの不正契約の相談はどのくらい寄せられているのか。②警察庁の「上限5回線」の要請にもかかわらず、なぜ契約回線の上限を15回線に設定しているのか。③追加契約には本人確認書類の提出が不要なことや、本人確認書類の提出が不要なプランの提供は、犯罪防止の観点から問題ではないか。④不正契約があっても、契約者にそれが通知されない事案が最近あった。不正を検知するモニタリングは機能しているのか。⑤不正契約への問い合わせは1回だけしか対応しないのはなぜか――。


 これに対して楽モ社は以下のように、回答した。


 ①回線不正契約の相談については、「個別に対応しておりますので、詳細の回答は控えさせていただきます」。②契約回線の上限を15回線にした理由は、「お客様の様々なニーズに対応するため」。③④については、「今後も不正検知のためのモニタリングや不正防止のための仕組みの強化など、継続的かつ多岐にわたる対策に徹底して取り組んでまいります」などとし、実のある回答は得られなかった。


 ⑤については、「被害に遭われたお客様には、基本的に1回まで救済措置についてご説明させていただいておりますが、再度被害に遭われた場合などは個別に状況を確認させていただいたうえで、柔軟に対応させていただいております」。


 スマホの回線はいまや社会インフラだ。それが第三者に契約され、長期にわたり不正請求の温床になっているとしたら、由々しき事態だ。楽天モバイル社の倫理観が問われている。


(AERA dot.編集部・米倉昭仁)


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沖縄・日本・世界

冷笑系コメントの多い「はてな匿名ダイアリー」記事だが、ここに載せたのはかなり真面目な考察で、沖縄県民(あるいは沖縄人)の私もほぼ同感である。ただし、私のように方言も話せない人間には、沖縄文化ごり押しの地方色にはむしろ違和感のほうが大きい。
私が受けた学校教育の内容も、本で得た知識も、すべて「日本文化」なのであって、「沖縄文化」ではない。そして、文化こそがその人間の国籍を決めるというのが私の思想なので、私は「沖縄人」であるよりは「日本人」であるようだ。さらに言えば、それらを超越して「世界市民」である。なぜなら、私の頭は世界文学や世界的思想でも形成されているからだ。ただ、そこには「絶滅した人種・民族・国家」の「文化的痕跡」のフラグメント(断片)はほとんど無い。そこは、暴力は文化を歴史から抹殺するのである。

ちなみに、私は尊皇主義者だが、それは「天皇は国家機関として有益性のほうが大きい」という「天皇機関説」によるものであり、さらに言えば、聖徳太子の「十七条憲法」や明治天皇の「五箇条の御誓文」は、時代的制限部分を除けば、今の「日本国憲法」と大きく乖離することはない、「人民への慈愛と国家首長としての責任」と「協和思想(注:共和ではない)」に基づく、優れて先進的な思想だと思っている。これは現在の「民主主義の腐敗と崩壊」の世界的状況を直視すれば、考えるべきことを含んでいるだろう。
私は、政治体制としては今の「象徴天皇制」こそが天皇制の伝統に近いと思っているが、さらにそれを進化・活用できないか、と考えている。具体的には「重大な政府決定への差し戻し権」を(一種の国民代表として)天皇に与えてはどうか、ということだ。ただし、その後で国民投票によって最終決定をする、というものだ。それには、学識経験者による「天皇参与」という役職を作るべきだろう。
まあ、単に、今思いついただけの妄想だが、政府独裁というよくある事例を防ぐ、わりと優れたアイデアではないだろうか。これは天皇という存在の伝統を持つ日本以外では不可能なアイデアだろう。

(以下引用)

台湾中国じゃないなら沖縄日本じゃないんじゃないかと思ったり

去年の夏、初めて沖縄に行った(厳密には2回目だけど1回目は物心ついてないくらいの歳頃だからノーカン)。


そして思った。


ここは近代国家日本併合した属州では?


誤解のないよう断っておくが、別に沖縄を見下してるとか差別してるわけではないからね。


感覚としてここは同じ日本ではないなと思ったという話。


  


人が異国を感じる時って、大きく分けて3つあると思う。


言葉が通じない時、見た目が違うとき、同じ歴史を共有してない時。


沖縄って日本語通じるし、見た目も変わらないしで、一見すると同じ日本に住む日本人って感じがする。


だけど、これまで歩んできた歴史全然違うんだよね。


  


明治に入ってしばらくするまで沖縄琉球王国だった。


から沖縄には平安時代もなければ戦国時代もない。なんなら江戸時代すらない。


それってつまり遣唐使もなければ関ケ原合戦もないし、戊辰戦争はもちろん、歌舞伎浮世絵落語もないってこと。


これってすごいことだよ。


日本本土だったら大体北から南までどこいっても神社があったり城があったりして、「この寺社西暦云百云十年の頃○○の守の何たらがこの地を訪れ開闢した。うんぬんかんぬん・・・」みたいな説明が書かれている。


どんな山奥のへき地であってもせいぜい西暦1000年くらいまでにはそういう開闢の碑みたいのがあって、しかも大抵天皇の親戚か偉い坊さんか、地元豪族武士の名が刻まれてて「あーここは日本なんだな」って実感するわけ。


  


それが、沖縄には、ない。


代わりにあるのがグスク(城)やウタキ(御嶽神社みたいなもん)、ウドゥン?(王家の墓)


行ってみたが、あまり日本のそれ(城・神社古墳)と違う。


説明書きを読んでも全然よくわからない。きっと日本本土歴史殆ど差してないから予備知識が足らな過ぎて理解しづらかったのだと思う。


  


これってよく考えたら当たり前の話で、沖縄って1872年から1945年までの73年間、そして1972年から現在までの53年間、あわせてたった120年くらいしか日本」だった歴史がないんだよな。


字面で思う以上に肌感覚としてここは日本じゃないんだなって衝撃だった。


   


よく「日本神の国天皇の国だ」と愛国心の強い人はいうけども、沖縄の人は絶対ピンとこないと思うんだよ。


しか日本本土まれ日本本土育ちの日本本土人が多数を占める日本本土で培われた風習建造物、しきたりは歴代天皇が君臨してきた日本歴史と切り離せないから、思想上の賛否は置いといても一定そういう感覚を覚えるものだと思うのだけど、


こと沖縄に関しては第二尚氏が君臨してきた時代が圧倒的に長くて日本編入されてから時代も短いしであんまり天皇の影響力を感じられないんじゃないか


からもし今後沖縄人が台湾人中国人批判するのと同じロジック独立を主張してきてもおかしくないのかもなとちょっと思った。


まあ経済的にも軍事的にもあり得ないだろうけど。


    


(ちなみに北海道には何度も行ったことあるが、あっちもアイヌ文化的意味で似たようなもんではあるんだけど、あそこは植民の影響で現地アイヌの人たちがほとんど残ってないかあんまり異国感ないんだよね。


住民ほとんどが日本本土から移民末裔で、アイヌ文化とは完全に断絶してるからだと思う。


沖縄は元々日本人じゃない人たちが今でも多数住み続けて文化継承しているからより異国感が強いんだと思うわ。)

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酔生夢人の沖縄案内

私は、上位の3都府県とも住んだことがあるが、東京はカネが無いと住めないし、住む意味も無いところだろう。海外の人間が観光に行くには最高かもしれないが、日本人が観光するところではない、と思う。京都は住むにも観光にもいいところである。それは沖縄も同じだが、沖縄で暮らすには「仕事がほとんど無い」から、まあ、観光と、そして小金のある隠居老人が老後を過ごすのにベスト、といった評価か。その気になれば、つまり、少し我慢すれば冷暖房無しでも生きていける「気候的天国」だ。田舎では放置家屋が多いから、それ(が買えるかどうか知らないので、要は中古住宅)を安価で買ってDIYで改修して住むのが一番安価で、老後の趣味としてもいいかと思う。とにかく、窓から庭木や空や自然が見える家がお勧めだ。観光のついでに沖縄の田舎を見て回ったらいい。

観光に関しては、近年、沖縄県内の多くの「無名」の場所が整備されていてお勧めできる。
特に、穴場は「中城公園(中城城址)」と勝連城跡である。後者は単なる地元びいきで、「海中道路」をドライブするついでに立ち寄るといい。GWなら、高台を吹き抜ける風が最高に気持ちいいだろう。時間制限は無いから、城跡の木陰で瞑想するのもいい。中城城址は、これはたとえばイギリスの城跡(ほとんどは遠くから見ただけだが)と比べてもはるかに見るに値するものだ。沖縄がほとんど一望できる。なお、城跡と城址(じょうし)の違いは私は知らない。たぶん、同じである。
古跡に興味の無い人には、やはり「海洋博公園(美ら海水族館含む)」がお勧めか。公園内にはとてもきれいな泳げる小さなビーチもあるが、GWでは泳ぐにはまだ早いだろう。海水温は気温より上がるのが遅いのである。そのほか、東南植物楽園が私にはお気に入りだったが、まだ存続しているかどうかは不明である。私には未知だが、子供連れの観光旅行なら新しくできたジャングリラなども行ってみてもいいかもしれない。その他、万座毛や、読谷の公園(臨海公園と言ったか)も眺めがいい。もっとも、「眺め」だけなら、沖縄はほとんどすべての土地、特に海岸近くの崖や高台は眺めがいいのである。ただ、子供や若者が「眺め」だけで満足しないのは大人は心得ておいたほうがいい。

小さな子供連れで一日を遊ぶなら、中城とうるま市の中間にある「運動公園」で自転車を借りたりして遊ぶのもいい。海岸近くの広大な公園で、海岸に近い所は周遊道路もある。確か入場無料で、その気になれば手弁当持参でタダで一日遊べると思う。午前は中城城址を見て、どこかで昼飯を食い、午後は半日ゆったりと運動公園で過ごすか、海中道路まで足を延ばしてドライブするのもいい。その途中に勝連城跡もある。
だが、老人や子供連れなら詰め込みスケジュールはあまりお勧めしない。距離的には沖縄の南端(那覇)から北端(北部山地。海洋博公園など含む)まで1時間半くらいで行けるとは思うが、車に乗っている時間そのものが無駄と言えば無駄ではある。いい風景を見ながら心が解放され、のんびりできるのが沖縄の最大の特長だ。自然の風の気持ちよさを味わえない人間には、沖縄の味は分からないかもしれない。


旅行したい「都道府県」ランキング。北海道や京都、大阪を抑えた1位は。観光に人気のあの土地だった© ハフポスト日本版

 


ゴールデンウィークが近づいてきました。次の旅行先は決まっていますか?


R&Gは全国の500人に「次に行ってみたい国内の旅行先」についてアンケート。ランキング形式でまとめた結果を3月19日に発表しました。


早速、結果を見ていきましょう。

次に行ってみたい国内の旅行先ランキング TOP7

7位 大阪府(3.8%)


5位 福岡県(同率・4.0%)


5位 広島県(同率・4.0%)


4位 長崎県(4.4%)


3位 京都府(4.6%)


歴史的建造物や名所の多い京都府が3位です。「修学旅行で行きましたが、学生では行けるところが限られていたので、自由に観光したい」「清水寺や金閣寺、銀閣寺など歴史的建造物を見てみたい」などのコメントが集まりました。


2位 北海道(16.0%)


豊かな自然やグルメが魅力の北海道が2位にランクイン。投票した人からは「函館山からの夜景を見たい。美味しい海鮮を食べまくりたい」「知床。夏と冬にそれぞれ訪れたことがあり、その時の自然の美しさに圧倒されたので、また見に行きたい」などの声が寄せられました。


1位 沖縄県(16.8%)


沖縄県が1位に輝きました。「一度でいいので、綺麗な海を見てみたいし、美ら海水族館も行きたいです。現実から離れて楽しみたい」「暖かいところが好き。沖縄独特の雰囲気を味わってみたい」など、沖縄県ならではの温暖な気候や、美しい海を評価するコメントが集まりました。





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未来は今、そこまで来ている(社会の進化と受益・受難する人々)

「シロクマの屑籠」記事の一部で、長いので前半は省略した。
かなり誠実に書かれた記事だと思うので参考までに転載するが、私自身はAIとお付き合いする気はまったく無い。人間と付き合うのも億劫だが、AIはそれ以上に「面倒臭い奴」という感じをこの文章から受ける。だが、これから社会に出る人には今後必須のツールになるだろう。気の毒と言えば気の毒である。

(以下引用)

課金開始:あまりの便利さ、可能性に度肝を抜かれた 

 
 
で、課金した。
世界が変わった。
無料AIではなかなか手が届かなかったところにスッスッと手が届くと感じた。
 
まずテンプレ的文章づくりを試した。
形式のしっかりした文章なら、AIに書いてもらって遜色ないことが判明した。音声入力との相性も良い。私の文章を幾つか読み込んでもらい、それを手本にしてくださいと依頼するといい感じに真似てくれた。
 
なにこれ、本気で省力化できちゃうぞ?!
AIが、いきなり私の秘書的存在&口述筆記の召使になった。指が痛い時、PCの前まで移動したくない時、就寝前に思いついたアイデアを簡単にまとめてもらいたい時、AIは痒いところに手が届く仕事をしてくれる。現時点ではAIに文章づくりを完璧に任せきれないし、そこまでAIを使いこなせる目途も立たない。それでも、込み入った文章を書いた後に助言をもらうにせよ、下書きしてもらって私が仕上げるにせよ、AIがあるのとないのでは雲泥の差だ。「支援してもらう」ことに徹するぶんには、私にとってのAIは既に強力なツールだと思う。これだけで月額課金の元を取った気持ちだ。
 
次に、イラストの作成。
イラストは、はじめに想像していたよりもずっと上手く作成してくれている。細かいことを言えばきりがないし、たぶん、その細かなことに注文をつける使い方こそが肝心なのだろう。けれど、まったくの初心者でもある程度は使いこなせることがわかった。幾つかのAIを比較検討してみたい分野でもある。
 
図像の作成も悪くない。イラストもそうだが、AIは人間とは異なる目を持っているらしく、AIが出力するものと人間が満足するものの間にはしばしばギャップがある。そのギャップを埋めるには、AIに事前にあれこれ条件を付け加えるだけでなく、生成された図像について、追加の指示を出さなければならない。現在の私では、完成までフルにAIにお任せしようとすると時間効率はそこまで良いとは言えない。でも、中途までAIにお任せして、残りを自分で完成させるような「支援してもらう」使い方なら、もう十分に使えるレベルになっている。
 

 
それから調べごと。
楽しい! 家庭のこと、調べたい資料のこと、天候のこと、専門領域のこと、どれもgoogle検索よりも簡便に、柔軟に色々なことを教えてくれる。google検索やPubmed検索で私自身がうまく拾えなかったURLや資料を、AIは見事にひっかけてくれた。ときどき空想上の資料を提言してしまうことがあるが、それはご愛敬。そういう時のAIはなんとなく雰囲気がわかるし、そのとき参照した資料やデータベースの提出をお願いすれば見当がつく。
 
その際、質問に次ぐ質問をとおして疑問をもっと深めたり、関連する課題を芋づる式に発見するのに向いている。
AIは、google検索やwikipediaの豪華版みたいな使い方に加えて、「やりとりをとおして最初の質問の周辺について見当をつける」使い方もできる。この過程が楽しく、とても参考になる。夢中になりすぎると時間と体力を消耗してしまうのがぜいたくな悩みだ。
 
 


PCやネットが初めて「使える」と思った日を思い出す

 
こんな具合に、課金AIは初日から威力をみせてくれた。ファイルの変換、紙媒体の変換、斜め読みしたい資料の翻訳や要約もいけている感じだ。完璧ではないかもしれないけれども、完璧ではないと割り切り、支援ツールとして手伝ってもらうぶんには十分すぎるほど実用的だ。
 
そして面白く、刺激的だと感じる。
この面白さ、この刺激的な感触は、遠い昔にPCやインターネットを初めて「使える」と感じた日に似ている。それか、初めてgoogle検索を使った日や、初めてwikipediaを熟読した日の感触にも似ている。AIは私にとって新しい玉手箱で、過去に新しい玉手箱として体験された諸々にどこか似ている。そして、それら同様、今後の私自身の習熟とAIの成長を期待せずにいられない。
 
それから、AIとの付き合いは私のものの考え方やものの作り方を徐々に変えていくと思われる。ただちに影響はないとしても、このようなツールと長く向き合うことの影響を私が免れるとは思えない。後日、そのあたりについては別稿に書くつもりだけど、私がAIとの間柄をとおしてどうなっていくのかも、よく観察しておきたい。きっとAIは、インターネットが来た後やSNSが来た後に私が変わっていったのと同じように、私自身を変えていくだろう。おそらく他のユーザーもだ。
 
そうした諸点について懸念するよりもまず、希望をもってAIとお付き合いを続けていきたい。
 
 


だけど、こうも考える

 
他方、私の年齢や経験のためか、古き良き時代にPCやインターネットに抱いたような夢をみるには至らなかった。
 
第一に、私がAIに耐えられていないという課題。
AIは面白いのだけど、面白いがために、私はすぐに飽和状態になってしまう。私は、面白過ぎる文献や小説を読んでしまった時に頭と心がいっぱいになって何もできなくなってしまうが、それに似たことがAIでも起こり得る。そのことを抜きにしても、AIは疲労を呼びやすい。AIを使っていて疲労するのは、画像生成などで根気よく指示を繰り返す時だけではない。AIが好ましい出力を連発してくれても、だんだん疲労が蓄積する。これは、AIに対して判断力というリソースを投下しているせいだろうか?
 
それからAIが出力してくれた情報は、単体で値打ちがあるというより、もう少しAIに追加で質問を重ねるか、AI以外の手段で裏取りしたほうが値打ちのあるものが多い。AIの出力がAIの出力だけで完結することはあまりなく、また、完結させるべきとも思えないから、どれほどAIが素早く素晴らしい出力をくれたとしても、人間がその後始末や裏取りをするにはそれなりの手間暇がかかる。少なくとも現在の私の使い方では、そういう手間暇を惜しまないほうが良い気がする。それもまた疲れる。
 
こんな風に疲れるものだから、私はAIを長時間使えないし、へたに使ってしまうと体力が危なっかしいと感じる。もし、私がもっと若い頃にAIに出会っていたらもっと長時間向き合えたかもしれないし、逆に夜遅くまで使ってしまったりして心身を壊してしまったかもしれない。AIは人間離れしているが、ユーザーである私は今でも脆弱な人間のままだ。
 
第二に、「結局これもユーザーの使い方次第なんだろうな」的な予測。
ちょうど、google検索がユーザーの検索ワード次第なのと同様に、AIも、ユーザーの入力の巧拙によって出来ることが大きく違ってきそうな予感がプンプンする。実際問題、華麗にAIを使いこなしている人の、華麗に使いこなしているさまに私自身が追いつけるとは、現時点でもなかなか信じられない。AIが革新的なツールであることはわかった、けれどもそのツールでできることの質や量は不可避的にユーザーの力量に左右される。「服屋で服を買うための服がない」ならぬ「AIで知識を仕入れるための知識がない」的な状況も起こりそうで、上を見ても下を見てもきりがない。
 
昔の私だったら、こういう素晴らしい玉手箱を見かけた時に「人類の進歩!」などと叫びたくなっただろうけれども、今は醒めてしまってそういう気持ちにはなれない。どうせAIも、多く持つ者をより豊かにし、そうでない者との格差を広げるのだろうな、と思う。もちろんそれはAIが悪いというより、社会が悪いとか、娑婆が悪いというべき何かだろう。AIに限らず、革新的なテクノロジーは誰かを押し上げると同時に誰かを没落させるのが常だ。AIによって社会はきっと変わるが、その果実の分配が平等になることはない。
 
最後に愚痴っぽいことを書いたが、それでも私自身の出来事としてはAIとの出会いはエキサイティングだった。もっと習熟し、もっと使い方を広げて、これからの生活や文章づくりを支える相棒にしたいと思う。AIは、華麗に使いこなせていなくても十分面白いツールだったんだね。でも、今はもっとうまくなりたい。
 


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恋愛遊戯の手段としての相問歌

「新古今和歌集」の夏の歌の最後に紀貫之のこういう歌がある。

みそぎする河の瀬見れば唐衣ひもゆふぐれに波ぞたちける

特に優れた歌でもないとは思うが、この歌を見て、何か気づかないだろうか。
言うまでもなく、少し前に雑談として書いた、藤原清輔の歌である。


おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに

この歌を推理して、「ひもゆふぐれの」の「ひも」が夏衣の縁語で、「ゆふぐれ」は上の「紐」に続けて「紐を結う」と、「夕暮れ」を掛けていると考察したわけだが、これとまったく同じと言っていいパターンで紀貫之も歌を作っているわけだ。「夏衣」と「唐衣」が違うだけと言っていい。
では、これはどちらかがどちらかの真似をしたのか、と言うと、別にそうではなく、こういうのは当時の「共通に利用できる知識」だったわけだろう。「衣」ときたら「紐」で、「ひも」ときたら「夕暮れ」と続くわけだ。
要するに、和歌とは当時の優雅な遊びだったというだけの話である。

これと関連して言えば、恋愛も遊びだったと思う。上級国民にとって結婚と恋愛はまったく別の話で、結婚は家と家とを結ぶのが第一義である。恋愛感情の有無はほとんど問題にならない。
では、和歌にはあれほど恋愛歌が多いのはなぜかと言うと、これは「恋愛ごっこ」という遊びだからである。男が「私はあなたをこれほど愛しています」と詠むと、女は「どうせそれは軽いお気持ちだったのでしょう。それに真剣になった私はこれほど惨めに泣いています」と返すわけだ。このパターンがあきれるほど多いのである。「相問歌」というのは、ほかに詠み様は無いのか、と言いたくなるほどだ。

上級国民(地位と財産が第一義である)の間では恋愛が遊戯化するというのは洋の東西を問わない。
上古の宮中の女性は、高級キャバレーのホステスのようなものとでも思えばいい。ただ、上品に歌のやりとりができるのが現代の上級国民やその相手女性との差だろう。





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それだけで人生は生きるに値します。

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