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「謎」の無いミステリー

私は謎解きが大好きだから推理小説もけっこう読むが、この事件は推理小説にすらならない、明白な「権力による真実隠蔽」であり、推理小説ではなく「正義は俺が執行する」という、ハードボイルドヒーローの出番だろう。まあ、女性が本当の主人公という点では大藪春彦よりは松本清張(悪に関しては男女平等主義者)向きの内容だが、爽快感重視なら権力層の悪人がどんどん殺される大藪春彦のほうがいい。

(以下「逝きし世の面影」から引用)細部を除いてほぼ同じ内容の記事が連続するので、後半は省略するかもしれない。


 

木原誠二官房副長官 妻の前夫「怪死」事件…再捜査を求める遺族の涙と“陰の総理”への不信感

2023/07/21 13:40 日刊ゲンダイ


週刊文春が3週連続で詳報した木原誠二官房副長官の妻の前夫・安田種雄さん(享年28)の不審死事件では、司法記者クラブで遺族が所轄の大塚署に再捜査上申書提出。種雄さんの父親(70)は嗚咽まじりに「テレビ局や新聞社の皆さまには、この事件に関心を持って広く報じていただきたい」と大手メディアに呼び掛けた


2006年4月、自宅でナイフを頭上から喉元に刺した失血死。警察は当初、自殺と判断したが、父親は動機が見当たらず、現場の状況にも不審点を抱いていた。


「右太ももの20~30センチ先には細長いナイフがきちんと置かれていました。傷は喉元から肺にまで達していた。自分をそんなふうに刺した上で足元にナイフをきちんと置いてから絶命することがあり得るでしょうか」(第一発見者の父親)


12年後の18年4月、警視庁捜査1課が再捜査を開始したが1年足らずで突然捜査縮小。以降、遺族への警察からの連絡は途絶え種雄さんの最後の足取りの手がかりとなる本人の携帯電話も返してもらえていない。

事件当時夫婦関係が悪化。離婚の話が出ていた。妻は後に銀座のホステスとなり、14年再婚。その再婚相手こそ岸田首相の側近で「陰の総理」と称される木原誠二官房副長官


文春は、木原氏妻が再捜査時に事件の重要参考人として事情聴取や家宅捜索を受けていたと報道。木原氏の愛人が、木原氏本人から「俺がいなくなったらすぐ(妻が)連行される」と聞かされたことを知人に打ち明ける音声もネットに公開した。


妻の父は警視庁の警察官。加えて木原氏の家族ということで妻に対する捜査のハードルが上がった──文春の見立て


会見では種雄さんの遺族も、妻への不信感をにじませた。


「事実無根」を主張する木原誠二官房副長官(日刊ゲンダイ


父親は遺体発見後に警察に通報、捜査員が駆けつけるまで現場で妻と幼かった子ども2人と顔を合わせなかった。事件当日、警察署にいた妻の兄に「嫁はどうしていますか」と尋ねると「今、事情聴取を受けている」と聞かされた


「種雄は自宅に1人でいたと思っていたら、後に捜査員から『(嫁は孫と)隣の部屋で寝ていたと供述している』と聞かされてビックリ


思わず捜査員に『(孫たちは)生きていますか』と聞き返したほどです。隣の部屋は種雄の遺体が見つかった部屋から狭い廊下を挟んで1メートルくらいしか離れていない。隣の部屋のドアは閉まっていたので、まさか(嫁と孫が)いるとは思わなかった」(父親)


その後、妻から遺体を引き取らないと電話があり、母親が「せめて葬式には孫を連れて線香の1本でもあげに来てください」と告げると、電話はプツリと切れ以来、孫2人には会えていない。

■遺族は「事実無根ではありません 皆の前で説明して欲しい」


木原誠二官房副長官は文春の個別の質問に対し、一括して「事実無根」と全面否定(回答拒否)。文春記事を〈史上稀にみる人権侵害〉として刑事告訴を行うと弁護士が書面を提出


文春の記者が司会を務めた異例の形の会見には、50人超の報道陣が詰めかけた。クラブに加盟する大新聞・TVの記者も参加していたが、会見の模様を詳細に報じる大手メディアは皆無に等しく、黙殺状態だ。このままでは遺族の無念は晴れない。


(抜粋)


木原誠二官房副長官と本妻の超ド級「未解決事件」はヘタな推理小説より面白い

2023/07/16 06:00 日刊ゲンダイ

女性は若い頃一度結婚。夫と2人の子どもに恵まれたが夫の友達で10歳年上の男と不倫。彼女は子どもを連れて家を出て不倫相手と一緒にいる彼女を、離婚することを承諾して、家に連れ戻した翌日、夫が無残な姿で自宅の居間で死んでいるのを、実父に発見された。彼女は警察に、隣の部屋で子どもといて「寝ている間に夫が死んでいた」と供述

だが実父は、ナイフで頭の上から喉元に向かって刺した自殺の仕方が不自然。息子の太ももの右に細長いナイフがきれいに置かれていたことにも疑念を抱く。

警察は遺体から覚醒剤が検出されたことから、「覚醒剤乱用による自殺」として処理しようとしたが、遺族が納得しないので「未解決の不審死事案」とした。


その後、彼女は美貌を武器に銀座の夜の蝶になり元財務官僚で有望な自民党代議士と恋仲になり、妻の座に

だが、事件から12年後、コールドケース(未解決事件)を掘り起こしていた女性刑事が、この事件を洗い直し、自殺というにはあまりに不自然なナイフの血の付き方に疑問を抱く。捜査幹部も、「当時、なぜこれを自殺と見立てたのか?」と、捜査を開始することを命じた。

彼女と不倫していた男が、事件当夜、彼女の家に向かっていたことがNシステムで判明。この男は「覚醒剤取締法違反」で逮捕され、宮崎刑務所に収監中だったが、「当夜、彼女から電話があり、夫婦喧嘩しているうちに夫を刺して殺した」と聞かされたと告白した

供述によって、特命捜査対策室特命捜査第1係を中心に30人以上の精鋭が集められ、彼女の実家をガサ入れし、彼女が暮らしている政治家の家に踏み込んだのである。

官房副長官の
木原誠二は自民党の政調副会長兼事務局長という要職。捜査員は彼女に任意同行を求めたが、“影の総理”とまでいわれる夫に配慮し、後で出頭してもらうことにした。だが、彼女は「記憶にない」というばかりだった。


それから1カ月後、突然、捜査員たちはこの事件から外されてしまうのである。捜査員は、「不倫相手の供述があって、亭主が自民党の実力者でなかったら逮捕できる。だが、殺人容疑で彼女を逮捕して、自白も取れずに起訴できませんとはいかない」とほぞを噛むのである。

しかし、この夫には本妻と同じ元ホステスの愛人がいる。自宅が家宅捜索に入られた後、その愛人に「俺がいなくなったらすぐに妻が連行される」と語った音声記録が発見されている。果たして、女性刑事は巨大な権力の壁に挑み、状況証拠はあるが、ほとんど物証のない難事件の真相を明らかにすることができるのだろうか。
(抜粋)
(「週刊現代」「フライデー」元編集長・元木昌彦)


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生活の技術(16)

実は、前回で「生活の技術」は終わりのはずだったが、「哲学」こそが生活の技術の土台だと思うので、今思いつくことを書いておく。

第7章 哲学

人生を生きるための「心の持ち方(心術)」として一番肝心な「哲学」について書く。思考手段としての「分析と総合」については、また別の機会に論じる。

人生問題、とくに「苦」に対処する手段が「心術」だが、「苦」への対処法は大きく分けてふたつある。「哲学」と「宗教」である。これはどちらかを選ぶものであって、両方を選ぶわけにはいかない。

簡単に言えば、「哲学」とは、「神は存在しない」という前提で、人生の諸問題に対処する手法であり、「宗教」は、「神が存在する」という前提で人生に対処する手法である。(というより「来世に期待する」という、アホな生き方だ。)
私の考えでは、仏教は哲学であって宗教ではない。つまり、「仏」は愚衆を導くための方便であり、悟りのための便宜的道具であって、存在する必要のないものである。もちろん、悟った状態を「仏」と言うなら話は別だが、仏像に象徴されるような「外物としての仏」など存在しない。

そして、人生の「苦」に対する哲学的対処は、「般若心経」の最後の一句に尽きる。

すなわち「厭離一切転倒夢想 究竟涅槃」である。
すべての「思考の転倒」や「夢想(勝手な思い込み)」を克服すれば「涅槃(悟りの境地、心の平和)」に至るわけだ。
これは「神」も「仏」も不要な心術だから、宗教ではなく哲学だと言うのである。

では、どうすればすべての思考的転倒や夢想を克服できるか、と言えば、これも般若心経の前の部分にある「色即是空 空即是色」を納得すればいいのだが、別にそれを納得しなくてもいい。要するに、自分の前に現れる諸問題は、あなたがそれを「重大だ(色:意味を持った現象)」と思えばそう思えるし、「たいしたことじゃない(空:意味の無い現象)」と思えばそう思えるだけのことだ。
いつでもこの世からおさらばできる「色即是空 空即是色」の感覚を持った人間には、人生は苦の世界ではなく、素晴らしいプレゼントなのである。基本的に、人は自分で世界を「苦の世界」にしているのである。これが「転倒」であり「夢想」である。

寺田寅彦の俳句に、こういうのがある。

好きなもの 苺コーヒー花美人 懐手して宇宙見物

こういう気持ちでいれば、世界のすべては好運な贈り物だとなるだろう。我々の生は宇宙見物の素晴らしい機会を与えられたということなのだ。

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ススキノ首無し遺体事件(最終回)

この事件の概要はだいたい判明したと思うので、この件について書くのはこれで終わりにする。遺体の首が切られて犯人がその頭部を持ち去ったということの猟奇性に過剰に反応する人が多いと思うが、問題は殺人とその事情にある。事情に関しては、前に書いた推測が下の記事で強化されただけで、特に訂正することは無い。

(以下引用)

《ススキノ首なし遺体》被害者が「瑠奈容疑者宅に押しかけトラブル」新証言、父が娘を実行犯にした理由


配信

NEWSポストセブン

職業不詳・田村瑠奈容疑者と被害者男性





「犯意は父、実行は娘」娘を守りたいゆえか


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フェミニストはどちらを応援するか

おそらく動機は怨恨だろうと思っていたが、下の記事はそれを裏付けるようだ。もちろん、加害者の家族の証言だから、100%信じるわけにはいかないが、異常な殺害(死体損壊)や一家破滅を覚悟していたような加害者両親の協力に関するある程度の論理的説明にはなりそうである。

(以下引用)

札幌の首なし事件、動機は不同意性交⁉「瑠奈は男が大っ嫌いなんさ。相手が女装してたから油断してホテルに…」

 
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1: 風吹けば名無し 2023/07/26(水) 07:14:31.93 ID:GJULSraAdFOX
札幌・すすきののホテルで男性Aさん(62)=北海道恵庭市=が首なし遺体で見つかった事件で、道警が死体遺棄などの容疑で24日に逮捕した職業不詳、田村瑠奈容疑者(29)=札幌市厚別区=の自宅からAさんのものとみられる頭部が見つかった。道警は共犯者で父の精神科医、田村修容疑者(59)も含めて容疑者の認否を明らかにしていないが、集英社オンラインの取材で、Aさんの性的嗜好にもとづいた「不同意性交」が事件の動機につながったかもしれない可能性が浮上した。

出会ったのはカラオケなのかディスコなのか、そういうところ

Aさんは「女性」として瑠奈容疑者に近づき、安心させた後、突然ひょう変した可能性がある…修容疑者の父であり、瑠奈容疑者の祖父がそういった趣旨のことを証言した。

「瑠奈は結婚もしたことないし、男が大っ嫌いなんさ。私が知る限り家族以外の男に気を許してるのを見たことないからな。そういう特殊な性格を持った子なんだ。そうだよ、瑠奈は襲われてるんだよ。相手が女の格好してたから瑠奈は女だと思ってたの。それで2人でいいところあるから行こうって言われてラブホテルに入って、入った途端に相手は男になったわけさ。出会ったのはカラオケなのかディスコなのか、そういうところだと聞いてます」

祖父は「不同意性交」がいつの出来事かについては聞いていなかったが、修容疑者とその妻がAさんと話し合った末、「決着がついた」と聞いていたという。

「俺は2人に『なんでそのときに警察に言わなかったんだ』と厳しく言ったんだけど『本人がもうやらん、二度と姿を現さんって言うから表に出さず自分たちで決着つけた』と。修も奥さんも、それで安心してたんだろう」

しかし、Aさんはこの約束を反故にして瑠奈容疑者に再び連絡をとってきたという。
♯3でも報じたが、女装愛好家のAさんは通っていたすすきのの“特殊”なバーでトラブルを起こしており、出入り禁止の処分を受けるなど“界隈”では有名人だった。瑠奈容疑者は、そんなAさんに恨みをもっていたと思われる。祖父が続ける。

「今回、瑠奈が会いに行ったのは、正直殺すつもりだったんだと思う。修と奥さんが被害者に話をつけて『2度と現れない』と言ったのに現れたから…。襲ったこと自体はそりゃあ許せない。けど殺すのは別問題だろ」

祖父が瑠奈容疑者も含め、息子一家と最後に顔を合わせたのは3年前で、「不同意性交」も含めた一連の顛末を聞いたのは、逮捕当日の7月24日のことだったという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/df119c29bec67ce8c721a3736368ab0765a89824

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生活の技術(15)

かなり昔に書いた文章なので、以下の部分にはその後考えが変わったものもある。その度合いが激しい部分だけ削除して、無難なものだけここには載せておく。

(以下自己引用)「スポーツ」とは競技的な運動、単に体を動かすことは「運動」と定義する。


第六章 健康法


 


 どのような優れた才能や人格を持っていても、健康に恵まれなければ、その人の一生は苦しいものになるだろう。健康は、良い人生の第一条件と言ってもいい。そこで、健康について述べよう。


 健康の留意点は、若い時期と中年以降では異なる。若い頃は体そのものを作る時期だから、運動と栄養摂取が健康法の中心になる。だが、中年以降は逆に、運動の危険性に留意すること(運動しすぎないこと)と、節食(栄養を摂らないこと)が中心になるのである。


 若い頃は、体そのものが頑丈で柔軟性があるから、極端な不摂生をしない限り、運動や食事の健康への害は無い。多少の過食も十分に消化される。


 だが、中年以降はそうはいかない。健康法も、より細心さが必要になる。若者へのアドバイスという当初の目的からいきなり外れるが、ここでは、私自身が現在興味を持っている、中年以降の健康法を中心に述べよう。


 


 


1 健康の基本は、節食である。


 


(長すぎるし、考えもかなり変化したのでほとんど削除する。)


 以上が、「胃袋を縮小することでダイエットをする」という方法である。


 


2 運動は、健康に寄与する場合と阻害する場合がある。


 
(この節も、長すぎるし、考えが変わったところが多いので大部分削除する。)


  


 現代社会では、学校生活が終了すると、運動の機会はほとんど無くなる。だが、我々の胃袋は、身体の最盛期の容量のままなのである。そして、我々の食欲は、胃袋の容量によって決まる。つまり、我々は、自分の体が必要としている以上の量を常に摂ることになる。これが、20歳過ぎから30歳にかけて体重が増加する原因である。それは「肥満」なのだが、若い体ならば多少の無駄肉がついてもそれほど見苦しくはならないので、多くの人間はこの体重増加をほとんど気にしない。そして、中年以降になると、今度は体型が変化してくる。つまり、上体の筋肉が落ち、下腹部に脂肪が溜まった見苦しい体型になるのである。この時になって、初めて自分の肥満を意識し始めるのがたいていの人間である。そこで、ダイエットのために運動などを始めるのだが、それでダイエットに成功した人間など見たことがない、というのは前に書いた通りだ。


中年以降の運動は、スポーツではなく柔軟体操を主体にするのが良い。その方法については第4節で詳述するが、ここでは、「スポーツは不健康のもとだ」と、スポーツ万歳の世間の風潮への嫌みを言っておくだけにしよう。


健康法についての基本は、以上の2節で述べたので、後は簡単に説明していくことにする。


 


3 節食は、食欲というストレスとの戦いである。


 


 ダイエットの大敵は空腹感であり、それも実際に腹が減っていることによる空腹感ではなく、腹が減ってなくても「腹がはち切れるほど食いたい」という心理的空腹感である。そして、この心理的空腹感は、仕事などのストレスが強いと、生じやすくなる。つまり、何はともあれ、腹が一杯だというのは、「満たされた状態」なのである。たとえ精神的には不幸であっても、腹一杯食ったその時だけは、何らかの満足感はある。そこで、生活の他の部分で満たされない人間は食い物による満足感(充足感)を求め、そして肥満への道を進んでいくことになる。肥満に悩む人間は、自分の食欲が、そうしたストレスの結果でないかどうか、我が身を顧みて、もしそうならそのストレスの根本を断絶することである。もっとも、生きること自体がストレスみたいなものではあるが。


 


4 運動は、鍛錬よりも調整を主とせよ。


 


 運動の目的は、年代によって異なる。成長期には、頑健な身体作りと運動能力の向上を運動の目的としてもいいが、成長期が終われば、日常生活を快適に生きるための健康体の維持が運動の目的となるべきである。その目安は、「疲れるほどは運動しない」と言うに尽きる。かりに、ハードな運動で運動能力を向上させたとしても、しばらく運動をやめれば、また元の黙阿弥である。若い頃に体を鍛えれば、(特に、強い骨格を作れば)それは一生の財産になるが、中年以降に強い運動をやることは百害あって一利無しである。調整程度の運動ならば、わざわざフィットネスクラブなどに行かなくても、毎日の小さな身体行動の中でできる。たとえば、爪先立ちや片足立ちを数秒続けることや、両腕を大きく後ろにそらして、胸を張る動作をするだけでも十分である。犬や猫を飼っている人は、彼らがしばしば大きく伸びをするような動作をしていることに気がつくだろう。そうした「柔軟体操」が、もっとも大事な運動なのである。つまり、同じ姿勢を続けがちで、体が萎縮しがちな現代人には、体の可動域を広げ、体を柔軟にするのが、望ましい運動であり、跳んだりはねたりする能力は不要だということだ。


 


5 良い姿勢と、柔軟性が、望ましい体調を作る。


 


 良い姿勢とは、背筋の伸びた、歪みの無い姿勢である。よく言われることだが、頭の上から一本の糸で頭を吊り下げられたイメージを常に持つと良いだろう。体全体がリラックスし、無駄な力・無理な力が入っていない状態が望ましい姿勢である。


 座業の人間は、特に姿勢が悪くなりがちである。パソコンの画面を近々とのぞき込み、背中は猫背、首も前傾して曲がっている。こうした状態が続くと、まず頸骨の変形が生じ、神経が骨に触るようになる。そうなると、医者のお世話にならざるを得ない。当然、首の変形だけでなく、肩こり、視力低下など、いろいろな障害が起こる。


 対策としては、常に自分の姿勢を意識し、定期的に修整するだけである。


 視力については、時々、遠くを眺め、まぶたを手でもみほぐすなども効果があるだろう。


 体の柔軟性を保つことも大事である。


 現代社会では、人は体をある範囲でしか動かさないため、関節の可動域がどんどん小さくなる。ダンサーやバレリーナほどの可動域は不要だが、可動域が大きいほうが、怪我をしにくいのだから、柔軟体操を時々やるのはいいことだ。


 


6 高血圧と診断されたら、薬を飲め。



(内容がつまらないので削除する。) 


 


7 血糖値が高い場合は、体重を減らせ。


 


 (同上)


 


8 腰痛にも体重を減らせ。


 


(同上)


 


9 同一姿勢の連続は体調悪化の原因。


 


 身体の不調は、同一姿勢の連続からくることが多い。前に書いたことと重複するが、特にデスクワークを長時間している場合、同じ姿勢を続けていることが多く、鬱血、筋肉の凝り、骨格の変形などの原因になることがある。たとえば、私の背骨は左右に湾曲しているが、これは子供の頃の机に向かう姿勢が悪かったためである。つまり、いつも左腕の肘を机の上に置き、それで顎を支えて本を読んでいたのである。気が付いた時には、中学1年で脊柱側湾症である。普段は意識して背骨をまっすぐに保っているが、油断すると、右肩が下がった状態になる。


 現代では、デスクワークの一つが、パソコンの画面に向かうことだが、これは言うまでもなく、視力を悪化させる原因となる。我々は毎日、自分の体の悪化と引き替えに、デスクワークをしているのである。パソコンのキーボードを打つせせこましい姿勢も不愉快なものだが、それをカッコいいと思っている人間もいるかもしれない。だが、健康に良くないことは確かである。


 


10 感覚器官のコンディションも整えよ。


 


 私は、右目は1.0、左目は0.1くらいの視力だが、メガネをかける習慣は無い。このくらいの視力なら、社会生活を送る上でまったく不便は無いからである。一方、私の二人の子供は、視力が悪化し始めた頃からメガネをかけるようになり、メガネ無しではほとんど生活ができない。子供たちはどちらも早い時期からパソコンに接していたから、そのせいで視力が悪化した可能性は高いが、メガネをかけること自体、視力の悪化を促したのではないかという気がする。近視が軽い間は、なるべく視力矯正訓練で視力を回復するのが望ましい。つまり、読書などのように近い距離の物を長い間見ることを避けて、一定時間ごとに遠くを見て眼筋の運動をさせ、水晶体の厚さ調節運動を行うのである。健康な目は一生の財産であり、メガネをかけないと物が見えないというのは障害者の一種であると考えるべきだろう。つまり、日本人の半数以上は障害者なのである。だが、文明人である限り、目の酷使は避けられない。まだ近視になっていない人間は、自分の健康な目の価値を自覚するべきである。(目に限らず、我々の体の一つ一つの部品は、金で買うとしたら、巨額の金額になるだろう。我々の体そのものが、大きな財産なのである。)


 聴力については、私は何も言う資格は無い。音の判別能力という点では、かなり低いレベルの人間である。味覚も鈍い方だろう。嗅覚は普通か。だが、「普通」の感覚を持っていることは、それ自体財産ではある。人間に五感が無ければ、生きる楽しみの大半は失われる。音楽、美術、美食、薫香などは人生を豊かにするだけでなく、しばしば人生の目的の一つとなる。ならば、それらの感覚器官を大事にするのは当然だろう。

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「暴力」と法律

以下は、この事件から何となく連想的に考えただけの一般論である。この事件の関係者には何の関係もない話だ。要するに、「法とモラル」ということへの考察から始まって、「法と暴力」という主題になった論考である。

私は、法的な犯罪以上に悪質な、法では裁きにくい道徳的悪というのもあると思っている。つまり、状況によっては、相手を殺すしかない、ということは戦場に限らず普通の社会でもある(たまにある、いじめ事件のいじめの残虐性はそれだ。)という考えである。(戦場での殺人だけは許容されるという思想そのものが不道徳の極みだろう。)法律で裁けるのは、あらゆる悪の一部だけである。カネや権力の力で法的な処罰から悠々と逃れている社会的名士やその眷属・関係者は無数にいるだろうし、いただろう。維新前の維新の志士など、当時の社会ではテロリストである。そして新選組は、体制側のテロリストだ。悪政に対するテロを革命と言う。つまり、正義のテロもある。
私は平和主義者であり、当然殺人を基本的には否定する者だが、法と刑罰による国家の「暴力の独占」が社会を悪化させている(社会的弱者が常に泣き寝入りになる)面があるとは思う。少なくとも「悪事に対する報復は大きく情状酌量するべきだ」という考えだ。もっとも、それが報復だという証明が難しいから、一律処罰になるのが法的には、あるいは政治的には楽だろう。



(以下引用)

「こんな格好でも普通に男です!」 ススキノ頭部切断事件、被害者が人気者だった「民宿女装パーティー」


配信



デイリー新潮

事件当日に利用した部屋(ホテルHPより)





“君、女装が似合いそうだよ”

家族はどう思っていたのか




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大人4人で子供1人を暴行殺害

産経新聞

6歳男児を複数の凶器で殴打か きょうだい4人を送検「暴行繰り返した」

昨日 20:59




殺人容疑で再逮捕され送検される穂坂大地容疑者=24日午前、神戸市西区の神戸西警察署
殺人容疑で再逮捕され送検される穂坂大地容疑者=24日午前、神戸市西区の神戸西警察署© 産経新聞

神戸市西区の保育園児、穂坂修(なお)ちゃん(6)を殺害したとして、母親の沙喜容疑者(34)や叔父の大地容疑者(32)らきょうだい4人が殺人容疑で逮捕された事件で、修ちゃんが複数の凶器で多数回殴打されたとみられることが24日、捜査関係者への取材で分かった。きょうだいのうち1人が「暴行を繰り返していた」という趣旨の供述をしていることも判明。兵庫県警は大地容疑者が主導し、4人がいずれも修ちゃんに暴行を加えたとみて調べている。


再逮捕されたのは沙喜、大地両容疑者のほか、双子でいずれも叔母の朝美(30)、朝華(30)の両容疑者。県警は同日、殺人容疑で4人を送検した。

4人の送検容疑は共謀し、先月17日午後8時ごろ~同19日午後4時55分ごろまでの間、自宅で修ちゃんの背中を鉄パイプのようなものなどで多数回殴るなどし、同日ごろ、外傷性ショックで死亡させ殺害したとしている。17日夜、自宅周辺の防犯カメラに修ちゃんが家族と帰宅する様子が写っており、その後、死亡につながる暴行を受けたとみられる。


修ちゃんの背中のあざの状態や供述などから、4人は17~19日の間、断続的に暴行を加えた疑いがある。県警は自宅から、鉄パイプのようなもののほか複数の棒状のものを押収。4人が複数の凶器を使って修ちゃんを殺害したとみて、凶器や詳しい暴行内容の特定を進める。

(以上引用)

記事をコピーして載せたら、上の方に何も書き込めなくなったので、ここに夢人の感想を書く。最初に写真を見て、殺された6歳の子供の兄弟にしては、ずいぶんお兄さんだな、と思ったのだが、これが「大人4人兄弟で6歳児を集団暴行して殺した」と知って唖然とした。逆に、写真の男は32歳にしては見かけが若すぎる。どう見ても高校生か大学生程度の見かけだ。精神年齢も見かけ同様、「大人ではない」のだろう。いったい、大の大人が4人で6歳児を殴り殺す、どんな理由があったのか。複数の人間で暴行すれば、誰の殴打が直接の死因となったか分からなくなり、個々の量刑は軽くなるという法律でもあるのだろうか。
何はともあれ、大人4人による子供殺しというのは陰惨である。
ひとつ疑問なのは、なぜ写真が叔父の写真だけなのか。ひとりだけ男だから、フェミニズム的に他の女3人の写真掲載は見合わせたのか。




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それだけで人生は生きるに値します。

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