隈研吾氏の予土線応援ベンチ 愛媛、高知県
2023年09月04日08時00分
引用元:
小学生が図工の作ったんちゃうぞ
山手線に置いてあっても電車一本待つ間にケツ痛くなるで
「ケツ痛えー!」って思ってそう
どうして国立競技場の客席はくそ狭く作ってしまうのか
気の赴くままにつれづれと。
引用元:
2022年6月28日、宮谷一彦が亡くなった。
一般的な知名度はない。手塚治虫の虫プロ商事が1967年1月に創刊した月刊マンガ誌「COM」5月号の月例新人入選作『ねむりにつくとき』でデビュー。編集部コメントで「有望な新人があらわれた。その名は宮谷一彦君。」と称賛され、同じCOM同年2月号デビューの岡田史子と並んで先鋭的なマンガ青年層、とりわけ自分もマンガを描いていた層に強烈な印象と影響を与えた作家である。
彼の訃報はSNSのごく一部で話題になったが、その多くが私と同じか少し下の世代のマンガ家やそれに準ずる人達だった。いしかわじゅん、飯田耕一郎、すがやみつる、村上知彦、矢作俊彦などがコメントし、サインやスクラップブックの写真を上げた。みなもと太郎氏も存命なら間違いなくコメントされただろう。NHKのBSマンガ夜話(1996~2009年)に触れ「夏目さんの気合いの入り方が尋常じゃなかった伝説の宮谷一彦回」の放映時の写真を上げた人もいた。
宮谷は1945年生。大阪府出身。高校卒業後、石ノ森章太郎、永島慎二のアシスタントを経て、デビュー後、当時続々創刊された青年劇画誌に作品を発表。青春物短編『セブンティーン』(COM68年)、私小説ならぬ「私マンガ」と称した『ライク ア ローリングストーン』(COM69年)、現代日本に左翼革命が起こる『太陽への狙撃』(ヤングコミック69年)、過激でシュールな性的説話『性蝕記』(同上70年)などマンガ青年にとっての話題作を連作。写真を元にした精緻な描写と削りや重ねを駆使したトーンワークを開発し、その後の劇画~マンガ制作の労力の水準を一気に上げた。それだけ業界の若手には影響が強かったといえる。60~70年代は青年マンガが急速に市場拡大をする時期で、新人発掘競争が激しく、それだけ原稿料も相対的に上昇していた。やがて原稿料は80年代以降低く抑えられるようになる。宮谷のような手間暇かかる制作体制が取れたのは、ジャンルが拡大し青田買いが起きた時期だったからだろう。
宮谷の作風はかなり読者を選ぶ傾向だったが、媒体は案外幅広く、少年サンデー、女性自身、明星、音楽専科、別冊宝石、GOROなどに作品を発表し、細野晴臣らのはっぴいえんど『風街ろまん』のジャケットなども描いている。
と業績を追っても、なぜ彼が一部の人々にこれほど影響を与えたか、おそらく伝わらない。BSマンガ夜話の宮谷回を見直したが、冒頭で岡田斗司夫(私やいしかわじゅんより10歳若い第一次おたく世代)が「何が面白いんだか全然わからない」と率直に述べている。これは番組的にお約束の役割分担でもあるが、それに対し私(50年生)やいしかわ(51年生)、ゲストの村上知彦(同上)が熱を込めて説明を試みる流れだった。いしかわも私もマンガを描く人間なので、勢いその説明は技術革新の指摘に偏ったが、問題はその稠密な画面がなぜ成立したかの歴史背景で、その点は大月隆寛と私のやりとりで映像の感性が新聞写真からTVのナマ映像へと変化する時代との関連が後半で示唆された。
私は『天動説』(漫画サンデー73年)冒頭のアクション描写や『東京屠民エレジー2 水鳥の浮かぶ哀し』(プレイコミック72年)、『同上5 嘆きの仮面ライター』(同上)の「成熟」をあげ、「これでマンガは中間小説的な水準に追いついた」という当時の感触を伝えようと「夏目の目」のコーナーで語ったつもりだった。岡田は「カッコいい!」と呟いていた。
しかし誤解してほしくないのは、私らが強調したからといって、私ら世代のマンガ青年の印象や影響がそれほど一般的な現象だったわけではない、ということだ。少し年上の評論家呉智英(46年生)は「宮谷は恥ずかしくて読めなかった」と語っていたし、ツイッターのコメントでも理解できないとの、私らの下の世代の書き込みもあった。たしかに宮谷のあざとい自己顕示のナルシシズムは、読んでいて赤面するものがあった。私などは、だからあまり大声で宮谷好きを主張できない気分も当時あって、呉氏の恥ずかしさはよくわかる。それでも宮谷に、その感性や描線やディテール描写に「時代の魅力」をどうしようもなく感じていた。それはマンガを描く人間にとって斬新で、物凄く危ういバランスでありながら、常にマンガの未来の可能性に向かって開いていく感触をもたらした。
だが、彼の志向するものが決定的に時代からズレていったという印象を、ある時私たちは認識する。それは大友克洋(54年生73年デビュー)の登場によるところが、私にとっては大きかった。稠密で重く過剰な宮谷劇画の描写ではなく、白っぽく軽妙で読みの間に抜けがあり、膝カックンな外し方をする大友に時代思想の圧倒的な変化の方向があると感じ取ったのだ。それは日本が高度消費社会へと急速に変貌する瞬間であった。
現在から考えると、当時の私などには世界の転換にさえ感じられた宮谷の衝撃は、じつは本当にごく少数のマンガ読者(漫画家志望者を多く含む)が共有した感覚だった。私ら前後の圧倒的多数の人々にとっては、コアな一部読者の「幻影」に過ぎないのだろう。たしかに、私たちが宮谷に見たものは、見果てぬマンガの「夢」だったかもしれず、そういう意味ではまさに「幻影」だったのである。ただ、私の感じたマンガの可能性の「夢」は、やがて地道に変革を続けた谷口ジローによって達成されたのではないか、とも思う。いいかえると、大きくなった子供ではなく、成熟した大人のためのマンガ世界の実現である。
私としては、宮谷への私達の思い入れで後世の読者が過大な評価に陥り、誤解してほしくはない。しかしまた、その存在の意味を理解してほしいとも思う。そんな、まことに宮谷一彦に相応しいアンビバレンツな気分で、彼の死については書かざるをえないのだ。
Dr. Pierre Kory: Why We Wrote the USA Today Op-ed on Excess Deaths — and Why We Never Mentioned ‘Vaccines’
childrenshealthdefense.org 2023/08/16
USAトゥデイに今月掲載された論説の中で、ピエール・コリー博士とジャーナリストのメアリー・ベス・ファイファー氏は、なぜこれほど多くの米国の若者たちが亡くなっているのかという疑問に対して。「なぜ私たちは答えを探さないのか?」と尋ねた。
新型コロナウイルス感染症最前線救命救急同盟(FLCCC)の代表兼最高医療責任者であるコリー氏とファイファー氏は、2022年前四半期に 35歳から 44歳の勤労者が予想よりも「驚くべき」数値である 34%多く死亡したことを示す保険業界のデータを引用した。
2022年には、他の労働年齢グループの率も平均を上回っている。
著者たちは超過死亡に関するデータの多くをアクチュアリー協会研究所の 5月の報告書から引用し、「若年層の死亡の増加が新型コロナウイルス感染症が原因であるという主張は、この増加を完全には説明していない」と結論づけた。
コリー氏とファイファー氏は、
「何がこの現象を引き起こしているのか正確には誰も知りませんが、緊急性が説明できないほど解明が欠如しています。これには、協調的な調査が必要です」
と述べる。
著者たちは記事で、死亡者数増加の考えられる原因として新型コロナワクチンについては言及していない。
肺疾患と救命救急の専門家であり、ワクチンを率直に批判しているコリー博士は、ディフェンダー紙との独占インタビューで、論説を執筆した理由を次のように説明した。
「最も若い年齢層に何が起こったかを見ると、それは本当に恐ろしいことです。…一般に、安定した社会では、毎月、毎年、毎日一定の割合の人が亡くなりますが、これらの死亡率は時間が経っても変化しないものなのです」
「ベースラインよりも多くの人が死亡した場合、それは超過死亡とみなされます」
「もし新型コロナワクチンについて言及していたら、論説は日の目を見ることはなかっただろう」
コリー氏はサブスタックへの投稿で、論説執筆の着想の目的は、公の場での議論の中で見落とされていると彼らが確信している問題への全体の意識を高めることだったと述べた。
「パンデミック後の膨大な数の死者は、パンデミック管理に誤りがあったと確信しているデータ専門家、科学者、医師、ジャーナリストたちだけが関心を寄せています」とコリー氏は書いた。「なぜこの問題が緊急に必要とされる高レベルの調査が行われず、驚くような沈黙を招いているのだろうか?」と。
コリー氏によると、本来のテーマの中心は新型コロナウイルスワクチンだったという。しかし、論説でワクチンの名前を言及することはできなかった。
そうすれば「決してあの論説は発表されなかっただろう」とコリー氏は語った。
コリー氏は以下のように述べる。
「この超過死亡の原因として、地球温暖化が原因だというような本当に愚かなことを主張する人たちもいます。しかし、地球温暖化が 2021年の第 3四半期に突然始まったとは思えません…殺虫剤や環境毒素について話される場合もありますが、殺虫剤や環境毒素が、2021年第 3四半期に突然世の中に放出されたわけではありません」
コリー氏はまた、ロックダウンが原因であることを否定した。
「なぜロックダウンが、突然、最も若いアメリカ人たち、特に雇用されているアメリカ人たちに不当に大きな影響を与えるのでしょうか?…他の誰よりも、労働力の外にいた人々よりも多く亡くなったのは、若い働くアメリカ人たちだった。ロックダウンが若者たちの死亡数の増加とつながる理由がわかりません」
コリー氏はまた、超過死亡数が最も大きく増加したのは 2021年の第3四半期で、この時期は「アメリカでは、すでに、少なくとも 1年以上ロックダウンが行われていませんでした」と指摘した。
「私たちは超過死亡の問題を最前線に出したかっただけです」とコリー氏は語る。
「私たちは答えを出すのではなく、ただ質問してみたかっただけなのです。この質問が、何かを変えるきっかけになるかもしれないと」
「2021年第3四半期、社会の最も健全な部門における人たちが加入している生命保険金請求額が突然、前例のないほど増加しました。団体生命保険に加入している労働年齢のホワイトカラーのアメリカ人たちの死亡数が突然増加したのです」
「当時、ホワイトカラーの職場で何が起こったのか? このような突然の増加を説明できる可能性は何でしょうか? 大きなテロ攻撃があったでしょうか、戦時動員があったでしょうか。それはありません。あったとすれば、企業によるワクチン義務の拡大です。私が覚えている限り、それだけです」
彼は、ザ・ディフェンダーにこう語った。
「 2021年の第3四半期といえば、9月から、大学、企業、連邦政府が新型コロナウイルス感染症ワクチンの接種を義務付け始めた時期です」
「私の意見では、超過死亡の説明はその一つしかありません」
前例のない超過死亡数に「警報が鳴るはず」
コリー氏は、2020年から超過死亡が明らかに見られたが、違いは「性質と亡くなる年齢層でした」と語った。
「 2020年の超過死亡はほとんどが高齢者でした」と彼は語った。「しかし、2021年からは、若者の死亡率が大幅に増加し始め、それは 2021年の第3四半期と第4四半期に、これまでに見たことのない率で突然起こったのです」
「 2020年から 2022年にかけて、ブルーカラー労働者よりもホワイトカラー労働者の超過死亡が比例して多かった」とコリー氏は USA トゥデイに書いた。
「 2022年第4四半期には、トップクラスの従業員の間で格差がほぼ 2倍になった」
コリー氏は、同じ期間にホワイトカラーの死亡者数が通常よりも 39%増加したことをデータが示していると述べた。全従業員の死亡者数はベースラインより 34%高かった。35~ 44歳の死亡率は、パンデミック前の 3年間の基準値を 101%上回る、つまり 2倍の「驚くべき」水準に達した。
逆に、「この期間の米国の新型コロナウイルスによる死亡者数は、 2021年の前回の流行波より 40パーセント減少しました。これは、他の要因が関与していることを示唆しています」とコリー氏は述べている。
新型コロナウイルス感染症による死亡者のほとんどは高齢者で記録されているが、現在、高齢者の超過死亡は横ばいとなっている一方、伝統的に社会で最も健康な集団である健常者の若者や雇用者では超過死亡が急増している。
「若者の死亡率が大幅に増加し始めたと共に、社会の最も健全な分野でもそれが起こったのです」とコリー氏は語った。
保険会社ワンアメリカ社のスコット・デービソン最高経営責任者(CEO )は、2021年第3四半期の 18~ 64歳の生命保険金請求額が 40%増加するという 2022年1月の声明で、2021年の超過死亡の増加に言及した。デービソン氏は、これは「このビジネスの歴史の中で最も高い死亡率だった」と述べた。
コリー氏はデービソン氏の発言を引用しながら、「超過死亡の 10%増加という数値でも、200年に 1度ない出来事なのです」とディフェンダーに語った。「 2021 年の第 3四半期の 38%の増加というのは、保険業界ではそんな数値は見たことがないし、戦時中以外ではないことです」
占領米軍の性暴力に触れた増田に影響されて「帝国日本の戦時性暴力(京都大学,2013)」という論文を斜め読みし始めたんだけど、第1章のテーマが、いわゆる「銃後の妻」の浮気についての話でそっちが面白くなってしまった。そもそも、出征した兵士も自分の奥さんが浮気してんじゃねーかと気になって仕方なかったみたいで、前線から実家近辺の警察とかに問い合わせる奴が相次いだらしくてまあ悲喜劇なんだけど、「このままじゃ兵士の士気がヤバい!」てことで、全国で警察が極秘に、予防のための講習会を開いて妻らを組織化したり、名簿作って「浮気してないか」監視をしたり周辺に聞き込みしたり、妊娠したら本当に旦那の子か調査したり……と、隣近所、地元、妻同士、警察と何重にも監視の目を行き届かせたらしい。その上、いざ実際に浮気が起きたら兵士本人には知らせず、かといって姦通罪は親告罪であるため、間男を「住居不法侵入」という名目で処罰していた(たとえ妻が了承しても「戸長」たる夫の許可がない住居の立ち入りは不法侵入にあたるという理屈らしい)とか、いろいろ苦労して浮気を防ごうとしたらしい。ああ、「銃後の妻の貞操」つーのは、こうやって国家が必死こいて作り出した神話だったのかー……という奇妙な納得と言うか感心というかが得られて、なかなか有益だった。
いや、なんか当時を扱った小説とかでも、戦時中の出征兵士の奥さんてなんか妙に貞淑に描かれてるイメージがあるじゃん? で、それが「戦前の道徳教育」のおかげ(逆に言えば”戦後風俗の乱れ”)みたいなこっちの勝手な思い込みがあったんだけど、そんなの思いこみだよ、と頭を小突かれた気分で、やっぱそういう”美しい”話というのは大体神話に過ぎないということを再確認させられたのだった。
なお、実際のところは、そうやって警察が取締りしてさえも、結構な数のかーちゃんが浮気したらしい。まあ、生命の危険のある状況に若い男女がおかれたらそらそうなるやろ、って感じで浮世の道理である。下は内務省資料、引用は上記論文から。
出征兵士の奥さんで浮気する奴がいていろいろヤバいので、こっそり呼び出して注意したり間男を転勤させたりとかヤバい処置したけど、その件数が全国でもうヤバい。
(原文)
不義の悪評ある留守宅に対する措置
応召者妻にして留守中素行不良にして風評に上る者ありて一般遺家族への影響及出征者の士気等も顧慮し適切なる方策を講ずる要あるもの時に発生する状況にあり、因つて之に対し隠密の間に説諭を加へ、或は姦夫の雇傭主と懇談を為し之を他に転ぜしむる等の方法を講じて遺家族及び出征者の名誉保持に善処したる事例は瀧川警察署管下其の他に於て相当数に上り居れり。(内務省警保局,1939)
まあ、実にグロテスクな話である。とーちゃんを兵士に送り出して浮気するかーちゃんがグロテスクなんではない。間男でも、それを取り締まる警察でもない。ただ、それらを含んだ戦時の風景が全体としてグロテスクとしか言いようがないんである。戦争を美しいというのは、よほど頭のネジがぶっ飛んでいるか、それともメディアに手もなく踊らされている奴だけだ。
戦争という巨大な暴力が人間世界に生み出す風景は、常にグロテスクなのだ。だから僕は戦争が嫌いだ。
前回夏目漱石のことを取り上げたので、その勢いで「夢十夜」の第六夜について考えてみたい。この第六夜は地味な話であるが、難解なことについては他と同様である。以下あらすじをご紹介するが、短いので「青空文庫」ですぐに読める。
なお、これまで当ブログでは第一夜と第十夜を取り上げて書いたことがある(夢十夜(第一夜) 夏目漱石)、(夢十夜(第十夜) 夏目漱石)。
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第六夜
運慶(平安末~鎌倉初期に活躍した仏師。名匠。)が仁王を彫っているという評判なので行ってみると、鎌倉時代と思われる護国寺の山門で、明治の見物人が大勢集まっている。
運慶は見物人を気にすることなく、ノミと槌で一生懸命に彫っている。自分が「よくあんなに無造作にノミを使って、眉や鼻ができるものだな」と独り言のように言うと、一人の若い男が、「あれはノミで作るんじゃない。木の中に埋まっている眉や鼻を掘り出しているんだ。土の中から石を掘り出すようなものだ。」と言った。
自分は、彫刻とはそんなものかと思い、それならば誰にでもできるはずだと考えた。そして、自分も仁王を彫りたくなり、見物をやめて家に帰った。
道具箱から金槌とノミをとり出し、裏庭にあった薪にするつもりで置いてあった手ごろな大きさの樫の木を選んで、勢いよく彫り始めた。しかし、不幸にして仁王は見当たらなかった。その次のにも、3番目のにも仁王はいなかった。次々と彫ってみたが、どれにも仁王はいなかった。
結局、明治の木には仁王が埋まっていないと理解した。それで、運慶が今日まで生きている理由もほぼ分かった。
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これだけの話であるが、意味を汲み取ろうとすると難しい。おそらく、標準的な解釈などはないように思う。そこで、上の要約を私なりにさらに短くして箇条書きにしてみる。
① 昔の名人が一生懸命彫刻をしていたが、見ている限りにおいては簡単に見える。
② 自分にもできそうだったのでやってみたが、うまく行かなかった。
③ 今の時代でうまくやるのは無理で、それゆえ昔の名人が生き残っているのだろうと思った。
上記①と②であれば、誰しも思い当たることがあるはずだ。 彫刻に限らず、絵でも、スポーツでも、料理でも、ピアノでも、ゲームでも、上手な人がやっているのを見ると、大体は簡単に見える。あんな程度なら、自分もいつでもできるのではないかと思える。
しかし、実際にとりかかってみると、全く歯が立たないということがほとんどである。子供ですらバカにできないことが多く、ある程度熟練した子供というのは恐ろしく上手だったりする。
ところで、第六夜の運慶が彫刻を「掘り出している」という表現を見ると、運慶の作業がかなり定型化されているような印象を受ける。つまり、彫るに当たって一々構図を考えたり、彫りの深さや曲線を吟味したりすることなく、あらかじめ定型化、定式化された方法に従っているように思える。
これは、武道だと分かりやすい。柔道でも空手でも、繰り出す技は決まっている。戦うに当たって、一回一回自分で考え、編み出した技を使っているのではなく、すでに身に付けた型の中から選択してとっさに繰り出している。
型だから柔軟性や融通性に乏しいということでもない。私たちは普通は何の苦労もなく歩いているが、歩く動作も型というか、技というか、術というか、そんなものである。無意識で決まり切った体の動かし方をするが、石があればよけ、溝があればまたぐなど自由自在である。
おそらく、第六夜の運慶は、私たちが歩くがごとく仁王を彫っていたに違いない。加えて、歩く際に石をよけ、溝をまたぐがごとく、木の性質に合わせてノミを当てるのだろう。そのせいで面白いようにスムーズに木が削れ、まるで木の中に隠れていた仁王が出てきたように見えるのではないか。
ということで、①と②は名人の素晴らしさを書いたものということでひとまず納得しておく。残りの③はどのようなことになるだろうか。第六夜に則して言えば、「鎌倉時代の運慶が、生まれ変わって今の時代に再登場することはない」と理解していいかもしれない。
私などは、特に意識はしないものの、昔よりも今の時代は進歩していると漠然と思ってしまう。たしかに、科学技術の進歩により、様々なことができるようになった。遠くに行けるようになった、おいしいものも食べれるようになった、快適な家に住めるようになった、情報もたくさん手に入るようになった。
しかし、疑わなくてはならないことは、いろいろなことができるようになった分、できなくなったこともあるのではないかということである。例えば、江戸時代には車がなかった。人々は、東京から京都に行こうとしたときには歩くしかなかった。そして、江戸時代の人々は、東京から京都に歩いていくのに必要なものを身に付けていた。
歩く旅はつらく危険なこともあっただろうが、今とは違った旅の楽しみもあったに違いない。現在の私たちは簡単に短時間で長距離の旅をすることができるようになった一方で、東京から京都まで歩いて旅をする能力も、体力も、楽しみも失っているのである。
ここまで書いてふと思いついたのは、医者の能力低下である。今の医者は検査で病状を判断する。しかし、昔は検査などなかった。あったのは体温計、血圧計、聴診器、触診くらいのものである。まずはそれで判断を下した。今の検査漬けの医療と較べて精度は低かったはずだが、医者の直感力は何倍も鋭かったはずである。
それで、今回の新型コロナウイルス騒動も理解できる。さして役にも立たないあんなPCR検査をなぜ必要と騒ぐのか全く理解できなかったが、今の医者は検査がなければ何も分からないのである。また、新型コロナウイルスのように未知の病となると、データがないせいで何もできないのである。
私など、専門家でも何でもない者が、なぜ医者よりも新型コロナウイルスのことをよく分かるのか不思議でならなかったが、あるいは、医者はなぜ素人よりも能力が低いのか不思議でならなかったが、検査が発達した分、医者の能力が低くなったと考えていいのではないだろうか。昔の医者なら、新型コロナウイルスに感染した人を見て、その様子を観察して、どうすべきか判断できたが、今の医者はそれができなくなった。
能力が低くなったのは、医者ばかりではなく、政治家も、官僚も、マスコミも、国民もである。おそらく、50年前なら今回の新型コロナウイルスは何の騒ぎにもならなかったはずだ。なぜなら、被害が生じていないからである。50年前の日本人なら、被害のゼロのことで騒ぐことはなかったように思う。
ところが、現在は被害がなくても騒ぐ。私は昔の人間なので、その気持ちがちっとも分からないのだが、昔に較べて、ある面では日本人全体の能力が低くなったのではないかと思う。
私たちは、進歩した社会に暮らせば暮らすほど、また、便利で豊かな生活ができればできるほど、自分自身の人間としての能力を失い、理解や判断のできる範囲が狭くなっていると考えた方がいいのかもしれない。
時代を遡れば遡るほど、人間は生きていくのが大変だったはずである。しかし、その分、人々は神経を研ぎ澄まし、感覚を磨いて、できるだけ自分自身の能力を高めようとした。それゆえ、昔の方が今の人間よりも能力が高かったとしても不思議はない。
愚かになった現在の人間をもっと賢くするために、何かうまい解決法はないものだろうか。