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社会主義の本質は何か

このブログの中の「アリストテレスの政治原理」の最後の一段で、私が常々主張している「社会主義」が、まさにこれである。世界の不幸は、まさに一部の大富豪やその支配する政府による「黄金を人生の最重要物とする射利」を原因としている。
ついでに言えば、マルキシズムは資本家と労働者の闘争と革命を基本思想としたために、社会主義を世界の敵とし、本来の社会主義(マルクスやエンゲルスが「空想的社会主義」と汚名をつけた)までも汚泥に沈め、世界を悪化させたのである。つまり、マルクスは社会主義の破壊者で世界の破壊者、思想的テロリストだ。
マルクスが存在しなければ、世界は先進的な社会主義的経営者を見習って資本家が私利を抑制するようになり、労働運動が穏健に推移して資本家と労働者が関係を向上させ、20世紀のうちに人道的かつ平和的に繁栄する世界になっていただろう。まさに、「シオン長老の議定書」に言う「(我々ユダヤの使徒である)マルクス、ニーチエ、ダーウィンにお気をつけなさいww」である。

(以下自己引用)


8:アリストテレスは、政治上の公平と経済上の公平を並行させようとした。国家は多数の者に適度な富を所有させねばならない。と同時に、国家は個人の需要を超過する蓄財を抑制し、黄金を人生の最重要物とするような射利(利益追及行為)を禁圧すべきである。(注:これこそが、まさに私の言う「資本主義と社会主義の結婚」である。)

(夢人追記)これも「シオン長老の議定書」に付記した私の解説だが、上記記事本文の末段の解説として載せておく。


筆者補注:「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説がなぜ陰の支配者(と仮に呼んでおこう)にとって都合がいいのかを説明する。
まず、ダーウィンの進化論は「適者生存」の思想を人々の頭に植え付けた。つまり、生き延びた者は、生き延びるにふさわしい存在であり、滅びた者は滅びるのが当然の「無価値な」存在だったという思想である。これによって、たとえば欧米人種の行ってきた過去の悪行(他人種からの略奪行為や大量虐殺)も正当化される。弱い者、無能な者は滅びても当然であり、弱者への同情はセンチメンタルな感情でしかない、というわけだ。そして、もちろん、資本主義社会における様々な悪行(詐欺行為や非人間的な搾取)も正当化される。なぜなら、強い者が生き残るのは当然であり、資本家が金の無い人間に勝つのも「適者生存」だからである。
次に、マルクスの教説がなぜ陰の支配者にとって都合がいいのかだが、陰の支配者とは要するに、表舞台には出てこない大富豪や大財閥である。彼らは政治そのものを動かす力があるので、税金すら払わず、(いや、アメリカにおいては紙幣を印刷する権利すら持っているのだが)高額納税者(世間の人間は、これを大富豪と錯覚している)として公表されることはないために彼らの存在は世間には知られていない。しかし、誰かが搾取しているからこそ、大多数の人間は貧困から逃れられないのだと人々が思うことは避けられない。そこで、そのスケープゴートとして彼らが用意したのが表に出るレベルの富豪・資本家であり、「資本家対無産階級」という対立図式である。この資本家はあくまで世の法律に従って生産活動をする実業家に過ぎず、暴利をむさぼっているわけではない。しかし、彼らは目の前にいる、目に見える存在である。そこで貧民の憎しみは彼らに向けられ、陰の支配者の望む「混乱と無秩序」が作り出されるのである。その間に、もっと大きな金を動かして、投機市場を操作することによって、あるいは定期的に大恐慌を起こすことで低レベルの資本家の金はみな大富豪の手に入っていくのだが、それは庶民には見えないのである。つまり、マルキシズムの効用とは「分割して統治せよ」のパターンの一つなのである。
最後に、ニーチェの教説の目的だが、それはキリスト教の破壊である。キリスト教は本来、清貧と貧しい者への施しを教えており、資本主義にとっては都合の悪い思想だ。そこでカソリックやプロテスタントの中枢にスパイを潜入させてキリスト教を変質させると同時に、キリスト教の神自体をニーチェによって否定させたのである。ニーチェとはいわば、思想的テロリストである。アメリカ政府の中枢は一見、キリスト教信者が占めているように見えるが、それは、彼らが自分をキリスト教徒だと名乗っているからにすぎない。(多くの俗衆は、言葉を事実と誤認する、という「議定書」の嘲笑を見よ。)彼らの行為を見れば、それがキリスト教的精神からどれほどかけ離れているかがわかるだろう。


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DSは実は追い詰められている?

副島隆彦の「学問道場」記事のほんの一部で、全体は非常に長文だが非常に散漫な内容で、話があちこちに飛ぶ。で、下の部分はかなり重要性が高い「今後の予測」であるので、転載する。ただし、副島の予測は単なる願望でしかないかもしれないので、「徽宗皇帝のブログ」ではなく、こちらの「趣味ブログ」「妄想ブログ」に載せる。www

(以下引用)私が強調のために赤字にした部分が、この引用部分のキモで、楽観的な予測だが、ネットで「世界の真実」がどんどんバレているのは事実だから、この予測も当たる可能性は案外高いかもしれない。


 だから今のイスラエル国民の中にもパレスチナ人の中にも、双方が停戦( cease-fire シース・ファイア)して、戦争をやめて、2国家共存で仲良くする、という考えの人々が多数派として存在するのである。私たちは、この勢力を応援しなければいけない。このことの説明が日本国でまったくされない。


だから、前述したこの3月10日の大きな動きである、中国が仲裁したイランとサウジアラビアの国交回復(仲直り)が、これからも何があろうが、中東アラブ(イスラム教)世界全体で、進んでいくのである。だから、私、副島隆彦があえて言います。


あんまり心配するな。もうアラブ人も、ユダヤ人も、戦争や戦乱を望んでいない。だからあえて、この中東地域(region  リージョン)に、歴史的に、戦争を持ち込もうとする英と米が非難されるべきだ。 英と米の超(ちょう)財界人と軍需産業からなるディープステイト the Deep State の邪悪な連中の動きをこそ、私たちは注視し睨(にら)みつけるすべきだ。


 このことを(1)中国の習近平も、(2)ロシアのプーチンも、そして(3)アメリカのトランプ大統領を支持する勢力も、よーく 分かっている。だから私たち日本からも、この大きな動きを支持し、賛同しなければいけない。今、追い詰められているのは、いつも世界中で戦争を起こさせようと、画策する、英米のディープステイトである。もう、世界中で、こいつらの悪だくみはバレて露見してしまっている。この今の世界歴史の大きな動きを、私たちは、見誤ってはならない


 他のアラブ諸国の指導者たちもこの大きな動きをよくよく分かっている。だから、ガザ戦争と、まったく同じ時期に、北京で開かれた「一帯一路(いったいいちろ。One Belt, One Road Initiative, OBOR ワン・ベルト・ワン・ロード・イニシアチブ )の国際フォーラム」(10月18日)に、150カ国の政府の代表団(デレゲイツ)が集まった。


 


ロシアのプーチン大統領も参加した。「各国首脳は、今年の一帯一路に、23人しか集まらなかった。去年は37人が来たのに」と、西側(the West =G7 =ディープテイト)は、すぐに悪口を言う。だが、150カ国の政府の外交部の代表(デレゲイツ)が集まったのだ。日本からの、鳩山由紀夫(はとやまゆきお)元首相が出席した。だが、日本政府は、G7の西側(デープステイトの惨めな子分)だから代表を送らなかった。
 このように世界は、どんどん中国を中心に動き出している。


ということは、今の国連(The UN ザ・ユーエヌ。正しくは連合諸国=ユナイテッド・ステイツ。加盟国は193カ国)をいいように動かしている英米の白人指導者たちに対して、一体、どっちが本当の国際機関か、と問えるのである。世界中の民衆と、世界の大勢は、もう大戦争(ラージ・ウオーlarge war )を望んでいない。 世界から戦争と地域紛争を無くしたい、


 だが追い詰められた英米の超財界人たち(ディープステイト)は、これからも、まだ、何をするか分からない。核戦争の可能性にまで私たちは注意を続けなければいけない。このことは、日本でも行われた、2020年の1月からの、コロナウイルスと、それに続く、危険なワクチンの強制(2021年の3月から始まった。まず医療関係者、それから老人たちに接種した)による、日本国民殺しの動きとも関連する。


 それから、大国である、フランスとドイツの動きでである。フランスは、つい最近、200年間に渡って、アフリカの赤道地帯を植民地にしていた。だが、遂(つい)に、この地域(リージョン、region レジオン)から、撤退した。 ニジェールという国にいたフランス大使と400人のフランス外人部隊 が、9月に撤退した。これが象徴的だ。


フランスはアフリカ諸国54カ国(AU。African Union アフリカ連合)への関与をあきらめて、投げ捨てて、今後は、自分の利益としてのアフリカの天然資源を奪い取る(搾取する)ことを諦めた。マクロン大統領が〇月〇日に宣言を出した。

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日本の農業はどうするべきか

「紙屋研究所」最新記事の冒頭部分である。
私は「紙屋研究所」のそれほど熱心な読者ではないし、日本共産党支持者でもない(好意的ではあるが、マルキシズム以前の社会主義こそ本当の社会主義という私から見れば、そもそもマルキシズムが「社会主義として異端」という考えである。)が、ここに書かれた内容には同感する。日本の農業について私がこれまで書いてきた内容にも通じると思う。

(以下引用)




『最新版 図解 知識ゼロからの現代農業入門』


 日本の農業をどうしたらいいんだろうか。


 福岡市でもちょうど高齢化した農家が世代交代の時期となり、田んぼがどんどん消えて宅地に変わっていっている。自分の近く、目の前でそうした現実を見せつけられる。素朴な素人感覚で申し訳ないが、そういう事態が進行していってこのまま日本の食料は大丈夫なのかという思いに駆られるのだ。


 




福岡市内を流れる川と田んぼと宅地

 知り合いの農学者が2050年にむけた日本農業の政策提言を考えていて、それを見せられる機会があった。食料が足りなくなるという危機意識をもとにいろんな方策が書いてあるのだが、水田は畑と違っていったん宅地にすると元に戻すのが難しいということや、ひこばえを使った収量の増加などは興味を惹かれた。


www.agrinews.co.jp


 他方で、物価高騰である。日々ぼくらが買う食べ物は、輸入にモロに影響を受ける構造なんだとなあという現実を嫌というほど示してくれた。


 ぼくが今のところ考えているのは、結局食料の生産+国土保全機能をあわせた死活的な役割を農業が担っていることを公に認めて、そこに税金を支出して支えるということである。


 ビジネスを支えるのではなく、農業+国土保全機能(田んぼ・水路・里山などを維持する)をやってくれる多様な担い手の生活を支えるために、お金を払うということだ。一種の公務員とみなすつもりで。


 共産党の提言を見ると、農業所得に占める政府補助金の割合は、スイス92.5%、ドイツ77%、フランス64%にに対し、日本が30.2%にすぎないという。


 「農業なら生活ができる」という見通しを持ってくれれば、担い手は増やしやすい。大きな法人や組織体だけでは限界があるし、農業は日本(の国土)のごく一部しか占めないものになってしまうだろう。



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国民の祝日と天皇誕生日

今日、11月3日の「文化の日」は「明治天皇誕生日」が名前を変えたものだ、ということを知らない人も多いだろうから、某サイトから転載する。
天皇制があと2000年続き、その間、平均して20年に一度代替わりすると仮定したら、2000年後の国民の祝日は100日増えることになるwww まあ、「日曜日+祝日」だけで週休三日制が自動的に誕生するわけだ。
これは天皇制のメリットか?


(以下引用)


歴代天皇が生まれた日も、現在と同様に天皇誕生日として祝日となってきました。では、現在その祝日はどうなっているのでしょうか。明治、大正、昭和、それぞれの天皇の誕生日についてみていきましょう。


 


・明治天皇の誕生日「文化の日」
明治天皇の誕生日は11月3日でした。現在の「文化の日」です。明治天皇が1912年に崩御された後、「明治天皇の功績を世に伝えたい」という国民の声が上がり、1927年に「明治節」という祝日が制定されました。1948年の国民の祝日に関する法律制定により、明治節は廃止され、11月3日は「文化の日」になりました。


 


・大正天皇の誕生日
大正天皇の誕生日は8月31日です。現在祝日としては定められておらず、平日となっています。大正年間は8月31日が天長節でしたが、暑さが厳しい時期に式典を行うことが難しく、10月31日が「天長節祝日」として祝日が設けられたそうです。現在まで祝日として残っていない理由としては、大正天皇の在位が短かったことや、祝日を作ろうという動きがなかったことなどが挙げられます。


 


・昭和天皇の誕生日「昭和の日」
昭和天皇の誕生日は4月29日でした。現在、この日は「昭和の日」として祝日に制定されています。2006年までは、昭和天皇が自然を愛していたことから「みどりの日」として祝日になっていました。2007年の改正祝日法により「みどりの日」は5月4日に移され、4月29日は「昭和の日」と改称されました。ともにゴールデンウィークを構成する祝日になっています。


平成の天皇誕生日はなぜ祝日にならないの?


明治天皇や昭和天皇の誕生日が現在も祝日になっていることから、平成の天皇誕生日はなぜ祝日にならないのか疑問に思う人もいるかもしれません。


 


これについては、存命中の上皇陛下の誕生日を祝日にしてしまうと、今上天皇との間で「二重権威」が生じる懸念の声があるためといわれています。逝去後に検討する可能性はあるとしても、少なくとも上皇陛下がご存命中は祝日にならない見込みです。そのため、12月23日は2020年に引き続き2021年も平日のままとなります。


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哲学の宗教化

「梟通信」というブログから、記事の一部を転載。
ハイネによるカント批判である。まあ、カント批判というよりカントの文体批判で、これについては異議は無いと思う人が多いのではないか。しかし、日本でも西洋でも、「その文体だからこそいい」と考える人も多いとも思われる。中には「何事のおわしますかは知らねども有難さ(かたじけなさ)に涙こぼるる」と感動して読んでいる哲学の使徒もいるのではないかww

(以下引用)

カントの「純粋理性批判」が味気なく、ひからびた包装紙のような文体であることについて。
もしも軽快な、やさしい明るい文体で述べられたら、哲学はその威厳をいく分損ずるだろうと考えたのだろう。だからカントは哲学にしゃちこばった、抽象的な形式をあたえた。それは思想の低い階級には、とうていしたしめない冷たい形式である。カントは、きわめて下世話な、はっきりした表現をねらっていた当時の通俗哲学者とは自分をいばって区別しようとして、自分の思想を宮廷くさい、冷えきったお役所言葉でよそおった。この点にカントの俗物根性が、はっきりあらわれている。けれどもまた一面から見れば、カントは自分の丹念にきめられた精確な考え方をあらわすためには、やはり丹念にきめられた精確な言葉が必要だったろう。
しかし、カントはそのために紋切り型のお役所言葉よりもすぐれた言葉はつくり出せなかった。
天才だけがあたらしい思想に、あたらしい言葉をあたえる。ところが、イマヌエル・カントはけっして天才ではなかった。カントはあのまじめなロベスピエールとおなじように、自分は天才ではないと感じたからこそ、天才にたいしては一そううたがいぶかかった。カントは「判断力批判」という著書で、こういいきっている。
「天才は学問には用がない。天才の活動は芸術の領域にかぎられている。」
カントによってドイツの哲学革命が引き起こされたのは、その著作の内容によるよりも、むしろその著作を支配している批判精神によってであるとハイネはいう。
容易なことではうごかないドイツ国民は、いったん何かの道をとってすすむとなると、きわめてしつこく辛抱づよくその道を、とことんまでつきすすんでいく。
宗教革命も、哲学革命も、政治運動も。

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欧米の没落の根底にはモラルの喪失がある

「隠居爺の世迷言」から記事後半を転載。前半も面白いし、その方がむしろ「酔生夢人ブログ」向きかもしれないが、後半の記事の中にはなかなかの卓見があるというか、表現しにくいものを見事に表現していると思うので転載する。


強盗だけをして身を立てていくことはできない



というのは、実に至言である。世間の馬鹿が勘違いをしやすいのもそこである。犯罪行為は、一生を犯罪者(前科者)として生きることが必然的に起こる重大な決断なのである。アメリカはまさにそうなっている。(ただし、経済犯罪は、その刑罰が異常に軽く設定されているため、経済犯罪を重ねて大物になることも可能なようだ。まあ、犯罪とまではいかなくても不道義がかなり伴うものである。だから、儒教的な人間序列が「士農工商」なのである。商取引は、常に不道義と利益の相克だ。)


(以下引用)


 そうやって改めて眺めてみると、欧米は、政治でも、経済でも、軍事力でも、技術力でも、文化でも、豊かさでも、道徳でも、すっかり劣化してしまった。いや劣化したというよりも、他国と比較して相対的に優位性を失ったのだろう。

 欧米が地盤沈下してきたのは、欧米以外の国が発展してきたことが原因になる。欧米の製品でほしいと思うものはもうさしてないだろうなあ。日本で最後に売れた欧米製品はiPhoneだろうけれど、そのあまりの価格の高さに私などにとってはもはや非現実的なものになった。つまり、現段階で欧米は世界から必要とされる存在ではなくなったといえる。

 ところが、それでは困るというのが欧米の立場になる。特にアメリカは世界の覇権を握っていると思いこんでいる国であるために始末が悪い。自分たちが支配的な存在でなくなったことを受け入れられない。実力もないくせに格好をつけて空威張りをしようとする。

 欧米の一番欲しがっているものは昔から一貫して"金(カネ)"になる。世界の覇権を握っている証として、自分たちは世界一の裕福で贅沢な暮らしをするべきと考えており、そのためには金が必要になる。しかし、現在の欧米は真面目に働くことで人並み以上の金を稼げる能力を失っている。

 ならばどうするか。3つの選択肢がある。1つ目は、新たな発明なり発見なりによって、他国以上に儲けられる産業を創設すること。2つ目は、犯罪的な手段を用いて、強引に他人の富を略奪すること。3つ目は、そのままズルズルと貧困に落ちていくことになる。

 1960年代を中心としてアメリカが順調に成長していた頃は、第1の方法で国を維持していた。例えば自動車産業、鉄鋼産業、住宅産業、宇宙産業など。このようなときのアメリカは鷹揚で付き合いやすい魅力的な国だった。

 しかし、近年コンピュータ産業の成長が一段落してしまうと、アメリカには売るものがなくなってしまった。そして、それをカバーしようとして犯罪に手を染めるようになり、今のアメリカに至る。人間苦しくなってくると、自殺する者、路上生活者になる者、精神異常になる者などが現れてくるが、中には犯罪者になる者も生じる。アメリカの場合は国そのものが犯罪者になった。

 最近のアメリカの犯罪は、まず4年近く前に新型コロナ騒動を起こし、不良品のワクチンを売りつけるところから始まった。不良品を売りつけるのだから、その儲けは大きい。大昔、イギリスが中国にアヘンを売りつけたのと同じようなものだ。

 次いでアメリカが始めたのが戦争ビジネスになる。アメリカは以前から戦争ビジネスに熱心な残虐な国だったけれども、騙しも騙し、ペテンもペテン、詐欺も詐欺というロシア・ウクライナ紛争を始めた。もちろん詐欺だけで終わらせるつもりはなく、ロシアという国ごと強奪することが最終目標だった。

 しかし、アメリカにとっては残念なことに、他の国にとっては幸いなことに、計画はものの見事に失敗に終わった。アメリカは振り上げた拳の行き場に困り、急遽イスラエルでの戦争に変更した。そんなやっつけ仕事をしていては、成功することは難しいだろう。

 それにしても、こうやって整理してみると、文化というものが実に大切なものであることが分かる。人々を支配したり、コントロールするためには飴と鞭が必要になってくるが、その飴が文化になる。その魅力で人々を引きつけ、納得させ、引っ張っていく。大航海時代においては、宣教師がその役割をになった。キリスト教は先進文化そのものだったから。

 そして、人間社会をまとめるためには、残念なことに鞭も必要になるらしい。つまり"軍事力"になる。そのことは戦争嫌いの私も渋々認めざるを得ない。どうも人間というものは、そこにお宝の山があった時に、一番強い奴がそれを独り占めし、残りの者はおこぼれにしかありつけないというあり方が好きらしい。

 それでは、軍事力が世の中を決めていく全てかと、逆の問いを発するとそうではないことが分かる。軍事力だけが強くても何の役にも立たない。その理由を考えると、お宝を奪うためには軍事力が必要であっても、強盗だけをして身を立てていくことはできないからだ。この点に関しては日本人も誤解してしている人が多い。

 富を運用して増やす、自分でも生産をする、より効率的な生産手段を開発する、他国と交易をするなどのことによって、はじめて国全体を豊かにすることができる。現在のアメリカはそこで失敗している。あまりにも軍事力や、詐欺などの犯罪的手法に頼りすぎるようになった結果、国が傾いてきてしまった。

 額に汗して働くということは、現代の世の中にあっても、最も基本であり正統派の考え方であるといえる。それを忘れてしまうと、アメリカのように世界中に出かけていって不要な戦争を仕掛け、詐欺で騙し、それでありながら自国が沈んでいくことになってしまう。


 


 以上常識的なことを書いたつもりでいる。常識の欠点に、常識ばかりに囚われていると飛躍ができない、発展性に乏しいということがある。どこまで常識に沿うか、どこで常識から外れるかの判断は、結果が出るまでその成否が分からない。

 ただし、アメリカは明らかに常識から外れすぎて失敗しており、また、日本の総理大臣も逐一挙げるのが面倒なほどの非常識ぶりを発揮している。欧米と一緒に沈んでいく気満々といったところだろうか。

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「目の前の死」3



「可哀そうなシャッツ」私は言った。「可哀そうなことをした。それは、マイルとキロメーターのようなものなんだ。お前は死なないよ。温度の単位、つまり決め方が違うんだ。フランスの単位だと37度が普通の体温で、こちらだとそれは98度なんだ」
「それ、確かなの?」
「絶対に確かだ」私は言った。「それはマイルとキロメーターの違いと同じようなことなんだ。知ってるだろ? 車で70マイルの速さが何キロメーターになるか」
「ああ、そうなんだ」彼は言った。
ゆっくりと、彼がベッドの足元を見る視線は和らいでいった。彼を包んでいた緊張も緩んでいき、翌日にはとてもリラックスして、些細なことに簡単に泣いたりしたが、それにはもう何の重要性も無かった。







(追記)無様な掲載の仕方になったのは、途中で、強調のために色字を使ったところ、残りのすべてが色字になり、その変更ができず見苦しいので編集画面そのものを変えたからである。まあ、そのために、前回の最後の一文(ここが強調したかったところ)が自然と強調されたから良しとする。
9歳の少年が死を目の前にするのは、大人と同じ、あるいはそれ以上の巨大な恐怖だろう。その原因が、摂氏と華氏の違いという、それだけだとコントのような話だが、死を目前にする恐怖は、たとえそれが誤解に基づいていても、本物の恐怖である。
ちなみに、摂氏と華氏の変換式を、この前アニメの「ピーナッツ(チャーリー・ブラウンとスヌーピー)」の中で見たが、あちら(米国)では小学低学年で習うようである。それはこんなものだ。

F=32+9/5C

たとえば摂氏40度だと、華氏104度になるわけである。(9/5は5分の9の意味)

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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