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「ぞめき」とは何か

落語関係の本を読んでいると、その中に「二階ぞめき」というのがあって、話の内容はともかく、私はこの「ぞめき」がどういう意味か分からないので、考えてみた。グーグルで調べればわかるかもしれないが、どうでもいいことを考えること自体が娯楽なのである。
最初に考えたのは、この「ぞめき」とは名詞だろう、ということだ。
いや、最初に考えたのは、確か「ぞめき」の「めき」は「~めく」という語尾の変化形ではないか、ということで、例えば「春めく」のようなものだ。では、なぜ「めく」ではなく「めき」かというと、「めく」は動詞語尾で、「めき」は名詞語尾だろうという推定である。ウ段語尾が動詞でイ段語尾が名詞形であるのは、たとえば「歩む」は動詞で「歩み」は名詞であるなど、普通にある変化だ。「微笑む」は動詞で「微笑み」は名詞など、色々ある。
では「ぞめき」の「ぞ」は何か、というのが難しい。「ぞ」という言葉で連想するのは「ぞーっとする」くらいだろう。「ぞわぞわ」とか「ぞくぞく」とか、恐怖感の表現に多い音のようだ。しかし、「二階ぞめき」の場合は、話の内容はよく覚えていないが、そういう話ではないはずだ。動詞形で「ぞめく」としても意味不明である。
まあ、恐怖感に限らず、何か、気になる物事への好奇心を表す言葉としていいのではないか。
もちろん、以上の妄想的考察は考察自体が娯楽なので、正誤は問題ではない。

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現代倫理学(2)


現代倫理学(2)人間の倫理(善悪の定義と派生的考察1)



神の存在は不可知だから、我々に可能なのは「人間の倫理」を考察することである。それによってこの世界をより良いものに変えていけるなら、そういう考察は無意義ではないだろう。

さて、倫理の基本は「善とは何か、悪とは何か」である。古い言葉で言えば「勧善懲悪」が倫理の目的だが、問題は、その「善」と「悪」が明解な定義がされていないことだ。
この定義は単純なものである必要がある。それでないと社会全体の人間の指針とはなりえないからだ。つまり、「分からないままに従う」という、従来的な倫理(神の倫理はそれである。)ではなく、社会全体が納得して従う倫理を構築する必要があると私は思っている。そういう倫理が無いから、あらゆる宗教が破綻した後にこの無道徳な世界が生まれてきたのだろう。
たとえば、「嘘をついてはいけない」という倫理は、今では子供ですら信じていない。総理大臣を初めとして嘘が平気で罷り通る社会で、誰がそんな倫理を信じるものか。
また、「なぜ人を殺してはいけないのですか」という、ある若者の質問に居合わせた大人たちが誰ひとり答えられなかった事件は記憶に新しい。それも、世界中で戦争やテロや大量殺人事件が頻発する世界では、誰も納得できる答えを持ち合わせていなかったからだろう。

私が提起する「善悪の定義」は、下のようなものだ。その定義から派生する考察課題とその答えなどを番号付けしていく。定義自体は非常に単純なものだ。

定義1:善とは生の肯定、そしてこの世界の肯定である。
定義2:悪とは生の否定、そしてこの世界の否定である。

「生の肯定」が「この世界の肯定」になるとは限らない、という意見も出るだろうが、私はこれはほぼ同義になると思っている。1-aがその説明である。
以下が、定義1から発生する考察である。

1-a:生の肯定とは、世界の肯定である。つまり、この世界を「生きるに値する世界」と観じることである。
1-b:自己の生を肯定し、尊重することは、他者の生をも肯定し、尊重する「義務」を伴うべきである。
1ーc:bにおける「義務」がすなわち「倫理」である。(反論者のためにbとcを分けておく。)
1ーd:倫理は社会的存在としての人間が社会を維持する土台である。
1-e:従って、「なぜ人を殺してはいけないか」に対する答えは、「殺人は社会全体の破壊、あるいは崩壊につながるから」である。(言うまでもないが、「人を殺してもいい」という社会は全員の殺し合いになり、崩壊する。)
1-f:「なぜ社会を破壊してはいけないのか」に対する答えは、「社会は人が生きる基盤であり、そう質問するあなた自身が生きる基盤だからだ」である。
1-g:上記e、fは、貧困と抑圧、社会への不満によって「自分が死んでもいい」という自暴自棄に陥った人間(いわゆる「無敵の人」)に対しての抑止力にはならない。よって、社会は「無敵の人」を生み出さない制度、すなわち福祉制度の充実が必要になる。
1-h:ではあるが、「世界を肯定する者」は、自分が死ぬからといって世界そのものを破壊はしない。それは、彼がこの世界を愛しているからだ。(ここに文化の意義がある。文化とは本来的には世界への愛を生み出すものなのである。世界への嫌悪や破壊を促す創作物は倫理的には批判されていい。もっとも、それへの罰則を導入すると、ファシズム的社会になるので注意が必要だ。法律と異なり、倫理は本来、罰は伴わないのである。)

定義1に対する考察は以上である。

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医療が病人や病死者を増やす?

私が「健康関係記事」でいつも書いてあることが、ほとんど和田氏の言っていることと同じである。私のような素人が言うより、医者である和田氏が言うほうが耳を傾ける人が多いのは当然だろうが、残念ながら、マスコミの医学記事はロックフェラー医学界(製薬会社主導医学界)に乗っ取られているから、この手の記事は一般人はほとんど目にしない。
ひとつ、「寿命は寿命」として、じたばたせずに生きるのはどうか。まあ、私自身高血圧「治療」のために、毎月病院に通っているが、それは「治療」より、相手の医者が身内なので、隠者に等しい生き方をしている私のわずかな社会参加(人間関係維持)の目的が大きいのである。

念のために言えば、私の主張は「医学否定」ではない。「無駄(有害)な医療の否定」だけである。

(以下「大摩邇」から引用)

町から病院がなくなったら死ぬ人が減った…医師・和田秀樹が指摘する「日本の高齢者医療」の深すぎる闇

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/25621016/
<転載開始>
健康で長生きするにはどうすればいいのか。医師の和田秀樹さんは「医者が無理やり病気をつくり、本来は治療しなくてもよい人を治療するケースが驚くほど多い。医者にかかることで、かえって寿命が短くなるおそれがある」という――。

※本稿は、和田秀樹『医者という病』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。






■日本の医療は、無駄な検査と投薬が多すぎる

高齢者になると格段に処方される薬の量が増えますし、無駄な検査も増えてしまうので、医療費を増大させる要因になります。ただ、医者が正常値にこだわらず、「少しでも数値がその枠からはずれると、薬を使って数値を戻そうとする」という行為をしなければ、医療費が少しは軽減されるでしょう。



日本の医療体制の崩壊を防ぐには、何とかしてこの「正常値信仰主義」を正して、無駄な検査や投薬を防ぐ必要があるのです。そのために大切なのは、血圧の高い人が薬をやめたらどうなるのか、逆に薬を飲み続けた人はどうなっているのかを、きちんと大規模調査することです。

現状、日本の正常値にはまともなエビデンスがありません。それならば、ただの平均値±2標準偏差である正常値に頼らず、調査によって導きだしたエビデンスを元に、日本の医療のベースとなる治療方針を決めるべきではないでしょうか。


その際には、ぜひ「成人の正常値」だけではなく、「高齢者の正常値」についても調査してもらいたいものです。


私自身、もし許されるならば、健康状態を改善しつつも医療費を下げる研究などをしたいです。しかし、大学医学部の教授のように研究費がない上に、研究スタッフもいないので、自分では実施できません。現在、研究ができる立場にいる大学の教授は、非常に恵まれています。

■がん検診が広がっても、がんが「死因トップ」のまま

ところが、彼らは自分たちはろくにこの手の研究をしない上に、この手の研究をする人を選挙で教授にさせません。研究者を名乗るのであれば、研究費稼ぎのための製薬会社にこびへつらうための研究ではなく、少しでも日本の医学に貢献する研究を進めてほしいものです。


もしまともな研究をしないならば、もっと向学心のある若者に道を譲って、引退していただきたいです。


各種検査の中で、「これは不要ではないか」と私が強く思うのは高齢者の「がん検診」です。


日本人の死因の一位となるがんで死ぬ人が増えるほどに、マスコミなどを通じて「がんは怖い病気だから、がん検診を受けよう」と喧伝(けんでん)されがちです。しかし、世界中を見ても日本でがんの死者数が多く増え続けている理由の一つは、「がん検診のしすぎ」だと感じています。


昨今の日本では、腫瘍マーカーなどの血液で簡単にできる検査をはじめ、がん検診が広く行われるようになりました。しかし、がん検診がどんどん普及しているのに、がん患者の数が増え、がんによる死亡者数も増えています。


なぜこんな不思議な事態が起こっているのでしょうか?


それは、検診で見つけなくてもよいがんを発見しては、無理やり治療するからこそ、がん患者やがん死者が増えているという大きな矛盾が存在するからです。


■高齢者にがん検診は必要ない

そもそもがんは治療せずに放置していても、死の直前までは痛みなどを感じづらく、晩節を穏やかに過ごせるため、「最も幸せな病気」と言う医者もいるほどです。余命があと数年という患者さんのがんを見つけて、それを無理に治療してつらい思いをさせる必要はないと私は思います。


また、どんなに対策していても、高齢者になるほどにがん患者の割合は増えていきます。そもそもがんという病気は、細胞の老化によって引き起こされる要素があります。私がかつて浴風会病院という高齢者専門の総合病院に勤務していた際、患者さんの遺族の許可を取り、毎年100例ほどの遺体の解剖が行われていました。


解剖してみたところ、80代後半の方で、体の中にがんのない患者さんはほとんどいませんでした。それでも、がんが死因だった人は三分の一くらいで、残りの方はご自身ががんであることを知らずに亡くなっていきました。


高齢者であれば、がんが体内に発生したとしても、無理やり早期発見をして、治療する必要はないともいえるのです。

■一番怖いのは「がんもどき」を無理やり治療する行為

「病気は早期発見するほうが良い」と思われるかもしれませんが、検診によって恐ろしいのが、本来は治療しなくてもよい「がんもどき」を発見することです。「がんもどき」を最初に提唱したのは、近藤誠先生です。がんには、ほかの臓器への転移や浸潤(しんじゅん)する能力を持つ危険ながんと、これらの能力を持たない「がんもどき」の2種類があります。


危険ながんの場合は、手術などで取り除いても再発を繰り返しますし、手術や抗がん剤治療などを行うことで体への負担が強くなり、死期が早まることもあります。


しかし、がん検診で見つかる早期がんの大半は、「早期治療したほうが良いがん」ではなく、治療する必要のない「がんもどき」だというのが、近藤先生の考え方です。悪さをしない「がんもどき」は、転移はしないので、ご自身が症状を自覚するようになってから治療しても、決して遅くありません。


「がんもどき」の代表的なものといえば、スキルス性以外の胃がんや前立腺がん、甲状腺がんなどです。これらのがんは、手術や抗がん剤、放射線などで治療しようと試みられがちですが、放置しても問題がないことも多いので、無理に治療してQOLを下げるほうが問題だと私は考えています。


何が言いたいのかというと、がん検診を受けても、数種類のがんをのぞけば、大半のがんは見つけても助からないか、放置しても問題のないもののどちらかしかないということ。ですから、日本では数多のがん検診が行われているものの、がんの死亡者数がちっとも減らないのです。

■がんと一緒に生きる選択肢もある

早期発見したとしても、深刻ながんの場合は、寿命を1、2年延ばすことはできても死を防ぐことは難しいのです。


非常に残念なことですが、転移するタイプのがんは、10年ほどの年月をかけて、1センチほどの大きさへと成長していきます。その頃になってようやくがんを発見できるわけですが、すでにその時点で、がんは体中のいろいろな場所へと転移しています。


つまり、がんの種類が悪ければ、早く見つけて治療してもうまくいかないですし、がんの種類が悪さをしないものであれば、治療をしなくても長生きできるのです。


もちろん若い人ならば手術や治療に耐えられる力はあると思うので、早期発見によって治療する選択肢も悪くはないでしょう。ですが、ただでさえ体中の細胞ががん化しやすい上にその進行が遅い高齢者については、早期発見したせいで治療を行うことになり、抗がん剤や手術で体を壊したり、入院によって足腰が弱ったり、体力が大きく落ちてしまったり……との弊害が起こりがちです。



私自身が見てきた多くの高齢者たちの中には、がん検診を受けず、自分ががんだと知らなかったがゆえに、最後まで人生を楽しみ、穏やかに亡くなった方々が大勢いらっしゃいます。


どちらを選ぶかは価値観次第ではありますが、検診を通じて無理にがんを見つけて戦おうとするのではなく、もしかしたら体にいるかもしれないがんと一緒に生きるという人生を選ぶことも、一つの手段だと思います。

■過度な医療の介入は健康を損なう

現在の日本の医療は、事前に病気を防ごうとする予防医療が中心です。ですが、そのやり方はあまり意味がないのではないかと、私は常々思っています。


そう思う根拠の一つに、1974年から1989年にわたってフィンランドの保険局で行われた大規模な調査研究があります。この調査では、40歳から45歳の循環器系が弱い男性が約1200人参加し、健康管理をされたグループと何も介入しないグループとに分けて、その後15年間にわたって追跡調査を行いました。


最初の5年間、健康管理が行われたグループは、4カ月ごとに健康診断を行った上で薬剤が処方され、アルコールや砂糖、塩分の管理など食生活に関する指導も行われました。何もしないグループでは、健康調査票への定期的な記入以外は、放置されたのです。


その後、6年目から12年目については、健康管理は自己管理にしてもらい、15年後に両者の健康状態がどうなっているのかを検査しました。多くの方は、最初に健康管理されたグループのほうが、十五年目の健康状態は良いはずだ……と考えるのではないでしょうか。


しかし、結果はその予想を大きく覆すもので、がんをはじめとする各種の病気の死亡率や自殺者数、心血管性系の病気の疾病率や死亡率などの数値は、きちんと健康管理が行われていたグループのほうが高かったのです。


この結果を見て、「過度な医療の介入は健康を損なうのではないか」と感じる人は少なくないでしょう。

■欧米で集団検診が廃止になったワケ

ただ、私が驚いたのは、このフィンランドの研究が発表された後の日本の医者たちの反応でした。本来ならば、多くの医療関係者たちがこの衝撃的な結果に対して真剣に向き合うべきだと思いますが、日本の多くの医者たちは「調査の仕方が間違っているのでは」といって検証もせず、バカにするだけ。


医者たちが科学者である以上、調査で自分が納得のできない結果が出たのならば、きちんとその原因を精査すべきではないでしょうか? 調査の仕方が悪いというのであれば、それを修正した上で何がおかしかったのかを具体的に挙げるか、自分たちが同じ実験を行って、「このデータは間違っている」と指摘するべきです。


科学的なデータには科学的な反論が必要です。ですが、日本の医者の大部分は、こうした作業を怠り、自分たちの常識と違うデータは、検証もせずに排除する。国立大学にしても私立大学にしても、彼らの研究には国からの補助金も出ています。当然ながら、補助金は国民の税金から成り立っているのですから、研究費をもらう以上は公共の利益に還元されるような研究をするべきです。


ですが、彼らはこれまでの常識を覆す実験や調査結果に文句ばかり言って、自分たちでその結果を調査することはしません。これでは、日本の医学がいつまでたっても進歩しないのは当然です。だからこそ、日本は、アメリカよりも医学の進歩が10年(下手するとそれ以上)遅れてしまうのでしょう。

■集団検診が義務化されているのは、日本と韓国くらい

また、そもそもの集団検査自体も、国際的には不要論がささやかれています。


日本では、集団検診をして、血圧や血糖値、コレステロール値を見て、異常値があれば、検査データを正常にするために薬を出すやり方が主流です。ただ、世界的な研究で、集団検診は結果的には患者の寿命をあまり延ばさないということが近年わかってきました。


欧米ではいち早くこの事実に気が付いたため、集団検診は廃止になっています。現在のように、日本のような集団検診が義務化されているのは、日本と韓国くらいです。


2019年2月の日経新聞の報道によれば、OECDも日本の集団検診には見直しを求めているほどです。この事実について、もっと多くの日本人は知っておくべきではないかと私は思います。

■医療行為をしないほうが死ぬ人は減る

日本でも、医者いらずのほうが、寿命が延びた例はあります。その有名な例として挙げられるのが、「夕張パラドックス」でしょう。


2006年、北海道の夕張市が財政破綻し、市民病院が廃止になり、19床の診療所となったため、夕張市民たちが病院で医療行為を受ける回数が格段に減りました。病院に行けないのであれば死者数は増えるのでは……と思われるところですが、なんと夕張市では、がんで死ぬ人と心臓病で死ぬ人、脳卒中で死ぬ人の数がすべて減り、老衰で死ぬ人の数だけが増えたのです。


この夕張市の事例は、医療行為をしないほうが死ぬ人は減るし、病気にならずに老衰で死ねるという疫学的な根拠になったといえます。


コロナ禍でも、医療行為をしなかったゆえに死亡者数が減るという現象がありました。新型コロナウイルス感染症が日本にやってきた最初の年である2020年、実は日本全体の死者数が驚くほどに減りました。2020年は死亡数が約138万人で死亡数は11年ぶりに減少しました。


本来、少子高齢化が進んでいますから、死者数は毎年増えるはずなのに、2020年は前年より死者数が約9000人も減ったのです。

■医者が無理やり病気を作り出しているのではないか

多くの方は、コロナ禍には人がバタバタと亡くなっていったと思いがちですが、コロナが流行ったせいで医療機関に行かなくなった患者がものすごく増えました。何しろ熱があったらコロナだとみなされ、病院に拒絶されることが多かったのですから。


和田秀樹『医者という病』(扶桑社新書)

その後、2021年と2022年は史上最大の死者数を更新しました。これは、以前と同じように医者の治療を受けていたら死んでいた人たちが、一年間寿命が延びた結果だと考えれば、医者に行かなければ一年くらい寿命が延びるという大きな推定根拠になったと思います。


そして、もう一つの特徴は老衰が大幅に増えていることです。これも医者に行かないと、病気で死なないで自然に死ぬことができるということでしょう。


医者が無理やり病気をつくった結果、本来は治療しなくてもよい人が治療する羽目に陥っているケースが驚くほど多いことが、これらの事例からよくわかるのではないでしょうか。


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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
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(精神科医 和田 秀樹)

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バルセロナの風が語る言葉

「スペインのむかし話」という児童書から転載。真実と虚偽についての(あるいは社会というものについての)比喩として卓抜だと思う。

 「真実の鳥は、この城のおくの鳥小屋にいる。鳥小屋にいくと、うつくしい色にきかざった鳥たちがじぶんこそ真実だと、いっせいにさけぶだろう。でも、そんな鳥は、一わだって、とらえてはいけないよ。白い小鳥をとらえることだ。この小鳥は、すみっこにおしやられて、ほかの鳥たちから、いつもいじめられているんだ。死ぬようなことはないがね。かわいそうに、死ぬことさえできない鳥だからさ……」

「バルセロナの風」は、とあるギター曲で、私はジャズギター奏者ウェス・モンゴメリーのレコードで知ったが、そのアルバムの中で一番好きな曲である。(ユーチューブで聞けるかもしれない)この昔話がバルセロナの民話らしいので、記事タイトルの一部に借用した。引用した話の中では風が語るのではなく、ミミズクが語る。「ミネルヴァの梟は(やっと)夕暮れに飛び立つ」ように、梟は叡知の象徴だろう。その出現は遅く、その姿は夕闇の中に隠れている。

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放課後悪魔クラブwww

引用記事の最後の一段が面白い。アメリカ人にとって共産主義は悪魔と同じか、それ以上に悪い存在だという固定観念があることが分かる。社会的貧困や暴力や犯罪(言い方を換えれば、資本主義におけるあらゆる悪)は容認しても共産主義だけは絶対的に否定する、というのがアメリカ人の精神らしい。この精神がどのようにして形成されたか、興味深い。

(以下引用)

米カンザス州立高校で「放課後悪魔クラブ 」の部活動が承認される

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/satan-club-everywhere/
<転載開始>

2016年のイースターにアリゾナ州に出現した高さ170mの噴水のシルエット。indeep.jp
(今回の記事とは関係ないです)

全米の小中高に広がる「放課後悪魔クラブ」の承認

最近は、欧米などで、学校のプログラムに悪魔関係の授業や、課外活動プログラムといったものが増えていますが、カンザス州のオレイス・ノースウェスト高校というハイスクールで、


「悪魔クラブ(サタンクラブ)の放課後活動が承認された」


と報じられていました。


学校承認の正式な部外活動です。


日本でいう「部活」ですね。そこに、悪魔崇拝を奨励するようなイメージをいだかせるクラブが学校から承認されたという話です。


現在、米国では全国の学校に悪魔クラブの設置が進んでいることを、今回ご紹介するエポックタイムズは伝えていますが、イギリスでも、10月に、大学で「魔女、魔術、オカルト科学の修士号の授与を開始する」と報じられていたこともあります。


(記事)英国のエクセター大学等が「悪魔の魔術の修士号」を制定する見込み
BDW 2023年11月6日


12月には、米アイオワ州の州都デモインにある州議会議事堂に「悪魔の祭壇」が設置されたことが報じられていました。


(記事)米アイオワ州議会の議事堂に宗教団体「悪魔教会」により「悪魔の祭壇」が設置される
BDW 2023年12月12日



アイオワ州の州議会議事堂に設置された悪魔の祭壇

wnd.com


米国の宗教的団体である「悪魔教会」が設営したものです。担当者は、この悪魔の祭壇は「約 2週間設置される」と述べていましたので、クリスマスシーズンまで設置されていたのかもしれません。


そんなこんなで、悪魔崇拝的活動が活気づく状況となっている米国で、カンザス州において、子どもたちの「悪魔崇拝クラブ」が始動したようです。


シュタイナー学派などによれば、地上に受肉したアーリマンが登場するのは、2030年過ぎとされていまして、時期的にもうすくですし、いろいろ準備も必要な時期にきているのかもしれません。


(記事)シュタイナーが「悪魔的存在が人間の姿に化身して地球に生まれるのは2001年」と述べていたことを知り、そのアーリマンが表舞台に立つ2033年までの「地球が悪魔に支配されるまでの」道のりを大公開しまーす
In Deep 2020年9月23日


カンザス州の悪魔クラブについて、エポックタイムズの記事をご紹介させていただきます。

カンザス州立学校が、生徒と保護者の反対を押し切って「悪魔クラブ」を承認

Kansas School Approves ‘Satan Club’ Over Objections of Students, Parents
Epoch Times 2023/12/27



カンザス州のオレイス・ノースウェスト高等学校。


カンザス州オレイス学区が部の創設にゴーサインを出した後、「悪魔クラブ (Satan Club / サタン・クラブ)」が、州立オレイス・ノースウェスト高校の課外活動に組み込まれることになった。


このクラブの承認は、子どもたちが悪魔崇拝を奨励されることを懸念し、他の生徒や保護者からの反対が強まる中で行われた。


悪魔クラブの停止を求める嘆願書には、この記事の出版時点で 7,800 を超える署名が集まっていた。


「最近、オレイス・ノースウェスト高校に悪魔崇拝/悪魔テンリスト・クラブを設立する計画があることを知りました。学校は悪魔の教化や物議を醸す行為の場ではなく、教育と成長の場であるべきだと私たちは信じているので、このことは私と私たちのコミュニティの他の多くの人たちを深く悩ませています」と、オレイス・ノースウェストの学生であるドリュー・マクドナルドさんは請願書を作成する際に書いた。


「私たちはカンザス州オレイスの関連当局、学校管理者、地区職員、地元の代表者たちに対し、悪魔クラブ承認の決定を再考するよう強く求めます。私たちは、それが子どもたちや地域社会にとって最善の利益ではないと確信しています」


署名者の中には、クラブに反対する理由としてキリスト教の信仰を指摘する人もいたが、一般的な道徳的懸念を挙げた人たちもいた。それでも、クラブの存在は合衆国憲法修正第 1条によって保護される可能性が高いことを認める人もいた。


「私はそれ(悪魔クラブの承認)に同意しませんが、彼らが集まることは米国憲法の修正第 1条の権利の範囲内なのです」と地元の保護者グレゴリー・オースティン氏は書いた。「他の学区では、法廷でこの戦いに負けています」


オレイス公立学校の広報副部長エリン・シュルテ氏はエポックタイムズに対し、志願者が 10人異状おり、関心のある生徒のサポートなど、必要な基準をすべて満たしていることを確認したため、学区がクラブを承認したと語った。


シュルテ氏はまた、学区の決定を正当化する根拠として連邦政府の平等アクセス法を挙げた。この法律は、学校が宗教、政治、哲学、その他の言論に基づいて生徒の課外グループへの平等なアクセスを拒否することを禁止している。


この規定によれば、学校が授業時間外に学校敷地内で非学術的なグループの会合を許可する場合、他の同様のグループも許可する必要がある。


オレイス・ノースウェスト高校にはすでにクリスチャンクラブの部活動「AWAKE」があり、学生たちが放課後に集まっている。


 


悪魔崇拝が台頭している?


この新しい悪魔クラブは、悪魔の神殿の推進の一環として近年、全米の公立学校に誕生している他の米国放課後悪魔クラブ (ASSC) のリストに加わった。


先月、ペンシルベニア州のソーコンバレー学区は、ヘラータウンにあるソーコンバレー中学校での放課後悪魔クラブの承認を取り消すという決定を巡って、悪魔教会(サタニック・テンプル)が起こした訴訟で和解した。


一方、メンフィス・シェルビー郡学区は最近、テネシー州コルドバのチムニーロック小学校に別の放課後悪魔クラブを設立することを承認した。このプログラムは 1月10日に始まり、春学期まで続く予定だ。


無神論的な宗教であると主張する悪魔教会は、12月26日のフェイスブックへの投稿でカンザスの悪魔クラブの承認を祝った。


悪魔教会のウェブサイトによると、悪魔クラブの提携クラブは「永遠の滅びの脅威から解放され、子どもたちが自分の興味を探求し、創造性を伸ばすためのスペース」を提供していると述べている。


悪魔教会は、子どもたちを悪魔崇拝に改宗させることに興味はないと主張しているが、代わりにクラブの活動を「自由な探求と合理主義」に集中させることを選択している。


しかし、弁護士エミリー・ミムノー氏のような批評家たちは、こうした主張は欺瞞的だと主張し、以下のように述べる。


「これらのクラブの主催者からのメッセージの一つは、『私たちは実際には悪魔崇拝を奨励しているのではなく、信教の自由と思想の自由を奨励するためにここにいる』というものです」


「私の意見では、それは毛主席が共産主義を推進するためではなく、さまざまな経済理論を探求するために共産主義クラブを設立すると言っているようなものです。それはまったくナンセンスであり、私たちはそのことを認識する必要があります」



<転載終了> 

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生活保護支給停止という「殺人未遂」行為

9か月分で32万円少しというのはひと月で4万円にも満たない金額で、それでどのように生きていけるのだろうか。おそらく、家族からの援助が無いからこそ生活保護受給になっているかと思われ、他に収入があったとも思われない。で、そのわずかなカネを支給停止したのは、ほとんど「殺人未遂」であると言っていいのではないか。
まあ、これは、記事に書かれた内容からの推測にすぎない(たとえば、今年5月から9か月分だと、来年1月分まで含まれ、少しおかしいようだ。)が、「生活保護受給者は裕福な暮らしをしている」という、ネトウヨ的ゴシップが完全に嘘だというのは、この記事だけでも分かるようだ。



(以下引用)


生活保護費9カ月分支給せず 市職員、男性の洗濯物で同居人の存在疑う


配信毎日新聞


三重県桑名市



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職場を楽しく

エロ週刊誌みたいな記事だが、それはそれで面白い。こういう「秘書」なら私が政治家でも雇いたいかもしれないwww べつに、顔や体型が好みというわけではないが、事務所がキャバクラ(イメクラ?)になるのだから、仕事が少しは楽しくなるのではないか。どんな「仕事」をするのか知らないが。
どうでもいいが、西村の顔の老けぶり(特に歯が汚い)と、髪の黒さ、豊富さが対照的だ。カツラか?

(以下「鳶の羽」から転載)細字だが、画像内の記事も読むことをお勧めする。凄い女性のようだ。これも女の生きる道、か。問題は、西村の方だ。頭が悪すぎるのか、「恋は盲目」なのか。


20231226SS00006
20231226SS00007
20231226SS00013
黒ビキニ秘書官の謎
20231223SS00005
20231224SS00006
秘書官のはずが、経産官僚は「大臣室で見たことない」
 「突然、西村経産大臣の秘書となりました。彼女の経歴を知った上で採用しているのでしょうか」
 西村氏の秘書を務める女性に関する、こんな怪文書が永田町関係者に届いたのは、12月中旬のこと。怪文書には、女性秘書がSNSにアップしたとみられる、黒ビキニを着た写真や露出度の高いコスプレ風写真が載っており、女性の経歴やプライベートを問題視する内容が書かれていた。
20231221SS00020
経産官僚があきれる。
 「この女性の前任の秘書官は、よく西村氏のレクにも出席していました。前任者は西村氏と経産省時代に同期だった官僚ですが、西村氏の度重なるパワハラなどに耐えかねたのか、いつの間にか退任。
 その後任になった女性秘書官は、大臣室で見かけたこともないですね。秘書官に就けたとはいえ、仕事らしい仕事はしていなかったのではないでしょうか。総理になりたい割には、カネと女でつまずくなんて、わきが甘いですね」
集英社オンライン
20231224SS00010
20231224SS00007
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