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山本太郎の能登避難所現地報告(避難所の現状)

(以下「阿修羅」から転載)


最初に訪れたのは知的障害者の方々への就労支援、
グループホームを運営する支援施設。
普段利用者は50人。
現在、21歳から84歳までの40人が身を寄せる。


被害の大きかった輪島や珠州に注目が集まるが、
ここ輪島の門前町も支援が届きづらい状態。


Q
1番困ったことは?


A
水は数日前から自衛隊の給水で確保できてる。
電気が通っていないのが困る。
夜は真っ暗な居室で利用者は過ごしている。
感知式のライトを
トイレ付近にのみ設置するのがやっと。


後は真っ暗の中で生活している。
利用者の娯楽としても
不安な気持ちを紛らすためにも
TVが必要だが電気がないと。


Q
発電機の提供の申し出など行政からあったか?


A
全くない。
ボランティアの方が発電機を大型と小型の物を持ち込んでくれたが、大型のものは燃料がそれなりに必要になるので動かしていない。
小型の物で何とか賄っている。


Q
暖房は?


A
今日、ボランティアがストーブを
1つ持ってきてくれた。
助かっている。今もみんなで暖を取ってる。



そう言って1つのストーブを皆で囲んでいるところに案内してくれた。


Q
職員の体制は?


A
通常は厨房に4名、夜勤は男女各1名。
日中14-5名。


現在は地震もあるので、
夜勤は倍の4名だが、
日中は3、4名。


職員自身も被災しているので
出てこれない人が結構いる。
手が回ってない。


Q
食料は大丈夫か?


A
何とかなってる。ここは施設なので、
行政からの物資が基本入らない。
近くの避難所から貰ったりする。その避難所は、この施設と区が違うのでそのような融通はして貰えないらしいが、区長が掛け合ってくれて可能になった。


施設として必要な物資は
輪島市中心部まで取りに行ってる。
普段輪島市までは30分程度の道のりだが現在は
穴水経由で2時間ほど掛かっている。


Q
今、必要なものは?


A
利用者の口腔ケアで
入れ歯洗浄の泡タイプのものなどあれば助かる。
あと、使い捨ての食器類・容器が欲しい。

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女性の「恋愛脳」と女性政治家

「隠居爺の世迷言」記事の後半で、書かれたことにすべて同感、同意するわけではないが、面白い視点であり、考え方だと思う。つまり、「権力志向」型の「特殊女性」というのは、一般的女性論の枠の中で論じるのは誤りなのだろう。(一般的女性は、母性的、平和的な傾向があるが、「愛」や「恋」に関しては野獣化し、戦闘的になり、無道徳化するらしいww)
男性政治家と同じく「権力志向」でも、女性の場合は「より強い権力の虎の威を借りる」事例が多いのは明らかな傾向と言えるだろう。これは安部派その他の自民党女性代議士全員に共通している。見事なほどに同じ傾向である。
もちろん、男の政治家でもそういう連中はいるが、それは陣笠代議士の類である。
もうひとつの傾向として、その手の「権力志向女性政治家」は、女性同士で同盟することはない、ということがある。(フェミニズム運動を政治運動とした場合は別の話になる。これは、最初から「女性の権利の拡張」だから、人間の好悪の問題とは別である。)まあ、同じ女性であるなら、この場合は「寵愛の」敵同士になる。
要は、アニメ「薬屋のひとりごと」ではないが、女性政治家の戦いは「後宮の女同士の戦い」になるわけだ。

(以下引用)

 さて、ずいぶん回り道をしたけれども、ここから本題に入っていく。アメリカの混乱ぶりというか、退廃ぶりというか、衰えは特にバイデン民主党政権になってから目に余る。それは一部のアメリカ人にとっても、その理由をどこに求めていいか理解の難しい不思議な問題と感じられている。

 前々回ご紹介した「耕助のブログ」では、James Howard Kunstlerという私の好きな人の記事が載っていたことがあるけれど、そこで彼が面白い指摘を行っている。それは「アメリカ民主党は活動家の女性に支配されるようになり、女性活動家は次の2つの顕著な行動傾向を示した。彼女たちは何かにつけて感情に基づいて決定を下す傾向があった。そして、彼らは男性よりも政治的戦いにおいてはるかに冷酷だった。彼女たちの感情は、フェアプレーの精神など古くからの価値観をひっくり返して、汚い手口に手を染めた。」というものだ。

 Kunstlerの記事を当ブログで取り上げたのは、昨年の1月8日になるが、今ごろになってじんわりと私の心を占めるようになった。なぜかというと、現外務大臣の上川陽子に総理大臣の呼び声があるとどこかのサイトで見たからだ。下手をすると日本は上川陽子総理大臣の国になるかもしれない。大変に恐ろしいことだ。

 実は私が上川陽子外務大臣の記事を当ブログで書こうかと思っていたときに、YouTubeで「上川陽子外相へ・和製ヌーランドになるなかれ」という動画がアップされた。

 動画に登場する渡辺惣樹という人は以前ご紹介したことがあるが、考え方が私と極めて近いと勝手に思っている人で、この動画も私とほぼ同意見になる。ただし、私はそれを一歩進めて、女性が権力を発揮できるような地位に就く場合には、政府、マスメディア、専門家、国民は細心の注意を払って用心しなければならないことを付け加えたい。

 これは男だって同じことではあるけれども、例えば岸田総理などは典型的な例で、あんな人を総理大臣にしたのは完全な誤りだった。もっとも、今の自民党にはあれ以上の人材がいないのかもしれなくて、そうであるならば自民党は自ら政権を返上するべきなのだが。

 岸田総理は大変に弱い人だ。お分かりになるだろうか。どうも、リーダー的な地位に就く人というのは弱い人ではダメらしい。この場合、強い弱いとは何かとなるとそれだけで大きなテーマになってしまうけれど、一言で言えば "精神的な独立性" ということになると思う。

 岸田総理も、一部の女性も、精神的に独立することが苦手だ。苦手だとどうなるだろうか。誰かに頼ろうとする。頼ればその者の意向に従うことになる。ということは自分で考えようとしなくなる。さらには、頼ろうとする相手の歓心を買おうとする気持ちにもなる。例えば、岸田総理のように無条件でアメリカに尻尾を振り始める。

 おまけに、ライバルなどいようものなら、つまり、頼ろうとする相手に自分よりも重用する存在があろうものなら、それに負けじと必死になってライバルと戦い、相手を蹴落とし、自分だけのものにしようとする。一言で言えば「寵愛を得るための戦い」が生じる。

 これが、女同士の戦いになった場合は、しばしば熾烈なものになるのは、女の人であれば理解できるだろう。寵愛を得るための争いには、ルールもなければ、手段が制限されることもない。あるのは勝つか負けるかだけになる。勝つことが全てになる。

 そのような戦いを勝ち上がった女性として私が思いつくのは、ビクトリア・ヌーランド、ヒラリー・クリントン、ナンシー・
ペロシ、日本では小池百合子と上川陽子になる。より地位が低くなれば、そのような女性たちをかなりの数発見できるはずだ。彼女たちの背後には大物が控えている。それは男になるのだが、彼女らは女の感性をフルに生かして、自分を支えてくれる男が何を考えているかを探る。そして、その探った結果を元にして、先駆けして大胆に振る舞い、歓心を買う。それが、寵愛競争に勝つ方法になる。

 国を仕切るようなポストに女の人が就いた場合には、そのような競争を勝ち上がったと考えていい。それゆえ、そのような女性のすることは過激であり、ルールがないがしろにされ、手段を選ぼうとせず、時としてこれ以上ないくらいに残酷になる。

 上川陽子を例にとって説明してみよう。上川陽子は法務大臣をしていたときに、オウム真理教の死刑囚全員(13人)の死刑執行にサインをした。2018年7月のことだった。上川陽子が法律に違反したわけではなく、道徳的に問題があるのでもない。しかし、死刑の執行にサインをすることを大抵の法務大臣は嫌がる。まして相手がオウム真理教で13人もとなると厄介だ。誰も手を上げなかったのだろう。

 しかし、日本政府にはどうしても死刑を執行したい理由があった。どんな理由かというと、これは単なる私の勘繰り、想像でしかないが、その後に予定されている新型コロナ騒動、そしてワクチン接種によって、国が多数の日本人を死に追いやる可能性があると分かっていたためだ。

 そうなってから、オウム真理教の死刑を執行したのでは、世間の抵抗・非難を招くと判断したのだろう。私のように、 "ワクチン接種による殺人はオウム真理教よりも悪質だ" なんて言い出す者が出てくるからね。

 そのため、新型コロナ騒動が持ち上がる前に死刑執行を済ませておく必要があった。そこでどこかの黒幕の意向を受けて手を上げたのが上川陽子だったのだろう。以上はあくまで想像上の話だが、政治の世界で優れた女性、有能な女性、社会の脚光を浴びる女性、華々しく活躍する女性にはそのような面があると考えていいように私は思っている。そして、上川陽子は渡辺惣樹氏の指摘するように、現在日本の外務大臣として、世界の平和を乱すために活躍中だ。

 そのような様子を見ると、女性が社会的な戦い、競争、勝負といったものに向いていないことを示している。男はある意味生まれながらの兵士であり、戦うための本能が備わっている。そのため、男の戦いにはルールがあり、手段も定められる。ちょうど狼が腹を見せた段階で、敵の狼がそれ以上攻撃をできなくなるようなものだ。

 もちろん、全ての男がそうであるとまではいえず例外もある。例えば、ビル・ゲイツのように女の腐ったような者が現われると、ルールも手段もわきまえない金儲けを始めて、世界を混乱に陥れる。ただし、それはあくまでも例外であって、女の人がともすれば陥りがちなルールのない世界とは違っている。

 さて、バイデン政権は全くの恥知らず政権であり、それは神に逆らうからだ。信仰もしていない私が神を持ち出すのはおかしいが、一般的的に使われる言葉だと自然に逆らうということになるだろう。植物が緑色であることには理由がある。人間に男と女があるのには理由がある。人間が病気にかかるのには理由がある。ユダヤ人が嫌われるのにも理由がある。

 アメリカバイデン政権はそのようなことを一切無視する。無視した上で、全てを同一色に染め上げようとする。全部まぜこぜにして、特徴のなくなった灰色のものを提示して、これで効率が良くなっただろう、管理しやすくなっただろう、儲かるだろうなどと言い始める。

 しかし、自然に逆らって、つまり、神に逆らって事を為そうとしたところでうまくいくはずもない。今のアメリカは世界中から不評を買っている。それがある意味BRICS等の結束を強めていることを考えると、来期もバイデンに継続してほしいような気もするが、水戸黄門ではないけれど「助さん、格さん、もういいでしょう」というところかな。

 と、いろいろ書いてみたけれど、あれこれ言ってはみても、全体としての日本女性は賢いのではないかと私は期待している。ワクチンを除けば、それほど国に騙されているようでもない。男のように特攻隊で死ぬような、あるいは死なせるような馬鹿な真似を女の人はしないからね。政府が何と言おうがしっかり自分の損得を考えるのが女性というものだ。

 しかし、女性の中にはビクトリア・ヌーランド、ヒラリー・クリントン、ナンシー・
ペロシ、小池百合子、上川陽子のように、寵愛を勝ち得て暴走する人間も出てくるわけで、そのような罠にかからないように賢く生きていくことが必要とされる。誤った道を選択すると、自分をも満足させることのできない女の一生になってしまう。

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「地球温暖化待望論」への待望

そろそろ、「地球温暖化待望論」がでてこないかねwww
な~にが「地球沸騰」だよ。
単に「冬だから寒いのは当然」という話をしてるのではない。現在は間氷期であり、地球は寒冷期に向かっているのである。アイザック・アシモフによれば、夏でも気温が上がらず、氷が溶けないと、地球はあっという間に氷に閉ざされるという話だ。
人間は暑さでは滅多に死なないが、寒さでは簡単に死ぬ。「地球温暖化対策」など愚の極みである。人類のエネルギー消費の大半も寒冷対策(暖房用)である。暑ければ窓を開けて風を入れればいいだけだ。寒いとそもそも植物が育たない。つまり、生物は死滅する。

(以下引用)

kokunanmonomousu
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1: 名無しさん@涙目です。(茸) [ID] 2024/01/22(月) 11:46:57.90 ID:iCnYqH1m0 BE:422186189-PLT(12015)
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アメリカ大寒波、40人死亡 航空便の遅延・欠航相次ぐ

大寒波の被害が全米に広がっている。冬の気温が比較的温暖な西部や南部でも気温が零下に下がる異常気象が相次ぎ、凍死や交通事故などで12日以降少なくとも40人が死亡したもようだ。中西部から東部には18日から週末にかけて再び積雪を伴う寒波が予想され、当局が警戒を呼びかけている。

米国国立気象局は14日深夜までに、全米の幅広い地域で北極気団の南下による異常な低温が予想されるとして寒波警報や注意報を発令した。15日には中西部を中心に、低体温症による「生命の危険」が懸念される酷寒を記録。カナダ国境沿いでは体感気温がマイナス50度を下回った。

フロリダ州で降雪が見られるなど、異常気象も発生している。米メディアCNNによると、これまで寒波に関連した死者が最も多く報告されたのは南部テネシー州(14人)とオレゴン州(8人)となっている。

悪天候や空港の路面凍結により、連日、数千件規模のフライト欠航や遅延が相次ぐ。フライト追跡サイトのフライトアウェアによると、18日午後の時点で米国内発着便のうち約3000便の遅延、650便のキャンセルが報告されている。

零下の気候が比較的珍しい地域では、当局の対応の遅れなども事故につながっているようだ。テネシー州では15日、高速道路の凍結でトラックがスリップする死亡事故が発生。オレゴン州では複数の凍死者が出た。主要都市ポートランド周辺では16日、強風による倒木や凍結により高速道路が約80キロメートルにわたって通行止めとなり、約9万戸の停電も報告された。

米地方局ABC7は17日、シカゴ周辺で極端な低温のため充電が正常に行えず、電気自動車テスラが立ち往生する問題が相次いでいる様子を伝えた。低温下では充電に時間がかかる上、車内の暖房に電力がかかる。充電途中でバッテリーが切れて暖房が使えなくなったテスラの車両が相次ぎレッカー車でけん引されているという。

週の半ばまでに一度緩んだ寒さは、週末にかけて再び厳しさを増す見通しだ。米国国立気象局は、19日から週末にかけて中西部から東部各州に積雪を伴う寒波が広がるとして、注意を呼びかけた。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN18EIK0Y4A110C2000000/

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政治家と宗教

東海アマ氏の「カトリック教徒がシオニズムを支持するはずがない。したがって、バイデン大統領は偽物だ」という説への参考(反証)として「シオンへの架け橋」というサイト(おそらく、イスラエル情報中心のサイト。ユダヤ側からの情報が主か)から転載する。カトリックとシオニズム(ユダヤ)との関係は、単純なものではない。そもそも、政治家の宗教は、選挙対策なども含めた偽信教であり、真面目に信じているわけではないだろう。本来のカトリック(伝統的カトリック)から言えば、バイデンの堕胎容認やLGBT推進は唾棄の対象であるはずだ。
まあ、バイデンが本物だろうが偽物だろうが、DSにとっては(単なる役者だから)関係がないのだが。

(以下引用)

イスラエルの宗教事情

キリスト教とユダヤ教の微妙な関係


米国の「キリスト教右派」がイスラエルを支持していることは、よく知られています。 ブッシュ政権の強い支持基盤も、やはりキリスト教右派でした。 しかし、キリスト教とユダヤ教の関係は、実はそれほど良いわけではありません。 キリスト教右派、特に「クリスチャン・シオニスト」出現の背景と、その他のキリスト教各派の動きについて解説してみます。

キリスト教の歴史


ホロコースト博物館 wikipediaより


キリスト教と一口に言っても、実は複雑に分かれています。 まず、東方教会と西方教会。 ロシア正教、ギリシャ正教などの東方教会は、ユリアヌス暦という古い暦を使っているので、クリスマスは1月に祝われます。 エルサレムを訪れるキリスト教徒の多くは東方教会系です。
東方教会もユダヤ人を迫害しましたが、西方教会(カトリック)は残虐なユダヤ人迫害を行ないました。 ユダヤ人は「キリストを殺した犯罪者」としてひどい扱いを受け、改宗するか、殺されるか、外国に移住するか、三者択一を迫られたのです。(イスラエルの歴史参照)
エルサレムのホロコースト記念館に行くと、最初の部屋のパネルに、キリスト教の教えがユダヤ人迫害の原因だったと明記されています。 また、ローマ教皇のピオ12世が、ホロコーストを黙認したとの疑惑を示す展示もあります。

ホロコーストとキリスト教

カトリックから分かれたプロテスタントも反ユダヤ的神学を継承しました。 ホロコーストの背景に、宗教改革者ルターの激烈な反ユダヤ神学があったとの指摘もあります。
そのような中で、19世紀から20世紀になって「ディスペンセーション神学」という神学が勢いを増し、その中から「ユダヤ民族の救い」を説く人々が出現しました。 日本で、その流れをくむキリスト教指導者として知られるのが中田重治(1870-1939)です。
神がユダヤ民族を最後に救われるという神学は、1948年にイスラエルが建国され、1967年にエルサレムが2000年ぶりにユダヤ人の支配下に戻って、勢いを増しました。 キリスト教右派の人々は、この考えにもとづきイスラエルを支持します。

クリスチャン・シオニスト

1967年の第三次中東戦争以降、イスラエルを支持するキリスト教団体が数多く誕生しました。 これらの団体を総称して「クリスチャン・シオニスト」と言います。
代表的なものは、ICEJ(在エルサレム国際クリスチャン大使館)、B.F.P.(日本にも支部がある)、エルサレムサミット、 最近登場したIFCJ(クリスチャンとユダヤ人の国際懇談会)などです。 これらの団体は、かなり莫大な支援金をイスラエルに送り、様々な人道支援活動を行っています。
ユダヤ人のイスラエルへの帰還を助けるJA(ユダヤ機関)は、ユダヤ人からの献金の減少で活動資金に困っていたのですが、IFCJの支援を受け入れました。

ユダヤ人の応答

クリスチャン・シオニスト団体の献身的な働きが認められ、近年では「クリスチャンは友人」だという印象が広がっています。
2000年から始まった第二次インティファーダは、この傾向を加速させました。 全世界の人々がイスラエル非難を強める中で、イスラエルを愛するクリスチャンだけがイスラエルを支持したからです。
そこで「唯一の友人を敵視したままでいいのか」という危機感から、2004年には、超党派の「キリスト教同盟者議員団」(KCAC)が結成されました。 今、ユダヤ人の側からクリスチャンに友好を呼びかけるという前例の無い動きが始まっているのです。
2007年に東京で開催された「エルサレム・サミット・アジアⅣ」も、こうした動きの一環です。

警戒するユダヤ人たち

ところが、こうしたキリスト教団体の動きには、ユダヤ人側から懸念の声が出ています。 2008年初めに、膨大な支援金を拠出したキリスト教団体が、JA(ユダヤ機関)に役員を送り込もうとしたところ、諸団体から非難が相次ぎました。
また、ICEJの主催する仮庵の祭りへのユダヤ人代表の参加を、チーフラビ庁が「ユダヤ法違反」として差し止める動きも出ています。
その背景にあるのは「ユダヤ人をキリスト教に改宗させる動きではないか」という、ユダヤ人の懸念があります。

「改宗」の意味するもの

キリスト教への「改宗」は、ユダヤ人にとっては脅威です。 キリスト教は、長年にわたって改宗したユダヤ人に「あなたは、ユダヤ人をやめてクリスチャンになったのだ」教えてきました。 そして、ユダヤ人も「キリスト教を信じた人はユダヤ人をやめた」と解釈していたのです。
現在でも、子供がキリスト教に改宗すると「お葬式」をして家から閉め出すという話は、よくあります。 強制改宗でも、心からの改宗でも、結果は同じ。要するにユダヤ人が一人、失われるのです。 全ユダヤ人がキリスト教徒に改宗すれば、実質的にはユダヤ民族が「絶滅」することになります。 これが、クリスチャンとの関係改善について、ユダヤ人が抱く懸念なのです。

メシアニック運動

ユダヤ人としてイエスを信じる「メシアニック運動」の主張は、簡単に言うと「イエスを信じてもユダヤ人であり続けること」。 これは上記の考え方を完全に否定するものです。 一見すると、この運動はキリスト教とユダヤ人の「架け橋」になるように思えますが、実際にはそうではありません。 ユダヤ人から見るとこの運動は「ユダヤ人を騙す宣教団体の新手の策略」であり、一方、保守的なキリスト教からも、メシアニック運動は異端だとする見解が根強いのが現実です。 そして、前述のクリスチャン・シオニスト団体に対しては、ユダヤ教の側から「メシアニック運動を支援しないように」との様々な圧力が加えられています。 また、ユダヤ教とキリスト教の対話では、ユダヤ人側の反感を招かないように、メシアニック運動を外すのが普通です。 メシアニック運動の存在は、ユダヤ人にもキリスト教にも複雑な影響を与えているのです。

現代のキリスト教とイスラエル

親イスラエルのキリスト教団体の動きだけを見て、キリスト教が全てイスラエル支持だと考えるのは早計です。 クリスチャン・シオニスト以外のキリスト教が、イスラエルに対して持っている立場を要約すると以下の通りです。
1)二契約説
 ユダヤ人はイエス・キリストを信じなくてもユダヤ教で救われるとする見解です。 カトリックは、イスラム教やユダヤ教との関係を改善するため、ノストラ・アエターテという宣言で、実質的に「どんな宗教でも救われる」という見解を出しました。
2)置換神学
 ユダヤ人は神に捨てられ、その地位は教会に受け継がれたとする見解です。祝福の約束は教会に引継がれ、ユダヤ人には神の呪いだけが残りました。 ユダヤ人は、他の民族よりも呪われており、永遠に地上をさまよう運命を与えられています。
3)民族は無関係
 キリストの前に全人類は平等。ユダヤ人とか、イスラエルの土地とかいう話は、旧約聖書のものであり、新約時代では無効であるとする見解です。 最も常識的であるため、この見解を持つキリスト教徒は多いです。



現在のところは、以上のような見解が多数派で、ユダヤ人によるイスラエル国家の再建を支持するクリスチャンはまだ少数派です。 現代イスラエルを批判し、パレスチナ人の闘争を支持するキリスト教派も多くあります。

雪解けの兆し


ナザレの街のクリスマスの様子


近年、イスラエルではキリスト教に対する人々の意識が急速に変化しています。 その背景の一つは、1990年代に急増したロシア移民です。 彼らは宗教的にはロシア正教の人々が多く、クリスマスなどの風習をイスラエルに持ち込みました。
また、若い人を中心にキリスト教文化が静かなブームとなっています。 クリスマス・キャロルを聴くために教会に行く人が増え、ヘンデルのメサイアの演奏会は毎年盛況です。 イエス・キリストや新約聖書を文化として好意的に取り上げる出版物も増えてきました。

今、イスラエル社会はキリスト教に対する対応で揺れ動いています。 インターネットでは「クリスチャンを追い出せ」という意見と「唯一の友人を敵に回してどうする」という意見を、ユダヤ人同士が激しく戦わせています。




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ユーモアと懐疑主義

「大摩邇」所載の「in deep」記事(だと思う。要するに岡氏の記事だ)の一部を転載。berief とfaithをどちらも「信念」と訳すなど、頭をひねる(首をひねる? まあ、180度ひねらないほうがいい。)ところもあるが、「ユーモアの効用」についてはまったく同意見である。私は、映画でもテレビドラマでも漫画でも小説でも、ユーモアの無い作品が苦手で、ユーモアが無い、というのは「思想の固定化」(こわばり)がそこにあるからではないか、と今考えた。
つまり、ユーモアとは懐疑主義と表裏一体で、エーコが「薔薇の名前」で言っている(と思うが)ように、ユーモア(笑い)が宗教の敵である、というのはまさにそこに理由があるのだろう。(もっとも、熱烈なキリスト信者であるドストエフスキーは優れたユーモア感覚の持ち主でもあったが。)同じ理由で、軍人(少なくとも、上層部)にはユーモアは厳禁だろう。上官の命令が「御免、冗談だった」では済まないww 戦場での兵士のユーモアがアメリカ映画ではよく描かれるが、あれは、「恐怖からの逃走」の手段のひとつだと思う。まあ、一種の強がりである。

文中に「アモール・ファティ(運命の愛)」がユーモアだ、と書いた引用部分があるが、これはどういう意味か、知りたいものだ。そもそも「運命の愛」とは、「運命的な愛」という、大衆ラブロマンス的な意味ではなく、「運命愛」、つまり、「運命への愛(運命を愛すること)」ではないか、と思うが、確かニーチェも「運命愛」ということを言っていた気がする。それがどういう意味か知らないが、「我々の運命が最初から決まっているとしても、それを愛することが賢者の道だ」とでもいうことなら、そこに「ユーモア」が重なるのは納得できる気がする。たとえば、死はすべての人間の運命だが、だからといって毎日泣いて暮らすのは馬鹿だろう。脳天気に笑って過ごし、死ぬ時も笑って(笑顔で)死にたいものである。

*一応言っておくが、「キリスト信者」は「キリスト教信者」とイコールではない。カソリックなどは、あれは「パウロ教」(教会主義)が発展したものであって、キリストの教えそのものではない。教会への絶対的服従というシステムはユダヤ教(の、キリストが否定した部分)に近い。新教でも、キリスト教と言うよりルター教やカルヴィン教だろう。だから分裂したわけだ。そういう意味では、日本の仏教もすべてブッダ(シッダルタ)の教えの一部の恣意的な解釈や改変だろうと思われ、それらが「仏教」と名乗るのは詐欺に近いのではないか。まあ、仏典(経典)そのものが、ブッダの死後に作られたものだろうから、詐欺のし放題である。もっとも、その中には優れた思想もあるだろうから、詐欺=悪だとは言わない。嘘をついて人を救ったとしても、それは悪ではないだろう。まさに「嘘も方便」である。神道となると、教義そのものが存在しない。つまり、民間習俗であって、宗教ではない。もっとも、その中にある自然崇拝(尊重)は、人間(人類)の私利・我欲から来る地球環境保護思想より精神的に上かもしれない。ーー長々と書いたが、今気が付いたが、これは私の「懐疑主義」の見本でもある。つまり、物事を(偉そうに)上から目線(メタ視点)で見ることだ。どんな馬鹿でも、上から目線で周囲を見ることはあるが、それを大きく拡大し、政治や政治家、学者や歴史や思想を上から目線で見るのである。

(以下引用)

疑うことの重要性

今年の初め頃、「疑うことは知恵の源である 7つの理由」という海外の記事をご紹介したことがあったように思います。…って、あれ? 見つからない。…ああ、メルマガでした。その記事では、以下の 7つの項目について、もちろん著者がそう考えているというだけですが、それぞれ詳しく書かれている長い記事です。


 


1.) 疑いは答えを質問に変える。


2.) 疑いは文化的条件付けを再調整する方法を教えてくれる。


3.) 疑いは、盲信という固い地面に心を開く種を植える。


4.) 疑いは自己を拡張する。


5.) 疑いがあると、時代の先を行くことができる。


6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える。


7.) 疑いは中道の威力を教えてくれる。


 


このうち、メルマガでは、「6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える」などをご紹介していました。先ほどまでの話とはズレる内容ですが、これはこれで大事なことだと思いましたので、再掲しておきたいと思います。


疑いは傲慢をユーモアに変える


優れたユーモアのセンスほど強力なものはない。それはどんな力よりもパワフルだ。


上機嫌の渦の中で、宇宙全体があなたの中にあり、あなたを通して振動し、すべての月に吠え、言葉よりも古い言語を歌い、そして最も重要なことに、あなたは宇宙の中では点にすぎないが、宇宙全体でもあるということを思い出させてくれる。


あなたが良いユーモアの渦中にあるとき、あなたはより高い周波数と同調している。


その時、あなたは高次の無秩序な秩序を汲み上げる泉源となる。その時、あなたは絶望の現場における希望の光となる。その時、あなたは文化的条件付けというまばゆい光の中の暗闇の灯台となる。


あなたは、つむじ風の中で、すべての結び目をすり抜ける無邪気な宇宙飛行士となる。


培われたユーモアは、世界をひっくり返す裏返しの鏡だ。


傲慢よりもユーモアを、憧れよりも笑いを。運命よりもアモール・ファティ(※ ラテン語で「運命の愛」)を。それはエゴを鎖に繋ぎとめる。


カミュはこう言った。


「人間の偉大さは、自分の状態よりも強くなるという決断にある」


新しい知識を構築するには、まず虚偽を破壊し、自分自身を真剣に受け止めすぎるのをやめることができなければならない。信念(belief)から信念(faith)へと勇気を持って飛躍するべきだ。


確信はなくても、好奇心を持つべきだ。納得するのではなく、創造的になるべきだ。順応主義者ではなく、風変わりであるべきだ。


思い上がりに満ちるのではなく、ユーモアを持つべきだ。


wakingtimes.com


ちょっとわかりにくい部分もありますが、ユーモアというか、笑いのすべては「現実や常識を疑う」ところから生じるものです。


常識とおりのことを言われて笑う人はいません。


「鉛筆は文字を書く道具です」


と言われて、( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ と笑う人はいません。


「鉛筆は、両耳からぶら下げて、手を使わずにお寿司を食べる道具です」


と言われれば(それじゃ誰も笑わねえよ)…ああ、まあ、これは例えとして不適切でしたが、要するに、現実や常識の概念への「破壊行為」が笑いです。


ずっと以前に書かせていただいた「笑い」についての以下の記事では、エイプリルフールの起源が、古代イスラム神秘主義者の「ウソつきの日」にあることを書きました。


世界の秩序を特異的に転倒させることが笑いの原点だったと。


それにより社会は生き返る。


(記事)創造神Jamに16歳で救われた私が40年後に気づいたこと
In Deep 2019年11月23日


 


何だか何を書いているのだか自分でもわからなくなってきていますが、先ほどの山本七平さんの、


> その不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し…


いうことでは、やはりダメなんだと思います。

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「広田先生」の説から見る資本主義と社会主義の比較(1/22追記あり)

前に書いた「広田先生の文明論」を手掛かりに、「資本主義のメリット」を考察してみたい。私は資本主義の批判者で、「空想的社会主義」を良しとする者だが、社会主義がソ連において失敗したのは誰でも知っている。そこで、資本主義のメリットも考察してみたいが、それは、下に書く、広田先生の文明論と重なるかと思うので、先にそれを載せて、その後で考察する。考察は、今すぐではなく「追記」の形で、この回の文章に続ける予定である。
先に少し言っておくと、下の広田先生の言っている「英国の状態」が、実は旧ソ連、あるいは社会主義社会と同じだという考えである。まあ、私の考えの大略は、もう書かなくても推測できるだろう。
ただし、私が資本主義を否定し、社会主義を肯定する根本姿勢は変わらない。それは、資本主義とは闘争肯定と、人間の善性否定の野蛮思想であり、社会主義がヒューマニズム(惻隠の情重視)の思想だからだ。とは言え、資本主義が経済的に繁栄し、社会主義が経済的に衰退するのは原理的に必然性がある、とも思っているので、痛し痒しである。(ただし、資本主義は必然的に経済的階級社会になるので、その経済的繁栄も永続性はない。まるでマルクスみたいな言い方だが、マルクスとは違って、資本主義は繁栄と衰退のサイクルを繰り返す、と私は思っている。ここも、広田先生の思想に近い。)

追記する予定が、ほとんど書いてしまったwww


(以下自己引用)

「ところがこの爛漫(夢人注:露悪・利己主義が平気である社会状態)が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義(夢人注:これは現代で流行語の「他人軸」と考えたほうがいい。広田先生は、これを「偽善」とも言っている。)がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういう風にして暮らしていくものと思えば差支えない。そうして行くうちに進歩する」

「英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡が取れている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、傍から見れば堅くなって化石しかかっているーーー」


(追記)基本思想は追記ではなく最初に全部書いたので、なぜ「階級社会は必然的に衰退する」のかだけ書いておく。これは現在の日本社会もそうなのである。イギリスの衰退、そして「インドの発展が(人口ボーナスによる経済成長以外)不可能であること」が、その事例だ。その反対が中国の経済的成長で、これは(東海アマ氏の妄言とは逆に)かつて社会主義国家であった中国が精神的に「階級否定」社会であることが根底にあると思う。中国などでの「階級」とは、単なる命令系統にすぎない、と私は見ている。それはどこの国でも、まともな国家組織のある国なら同じである。身分的階級と、組織の命令系統を同一視するほどの愚はない。日本の企業でも、組織の命令系統を身分的階級と同一視する馬鹿上司は多いだろう。もちろん、中国やあるいはロシアなどにその弊が無いとは言わないが、私の知見の限りでは、その弊は非常に少ない。(まあ、そもそも情報が少ないし、その少ない情報のほとんどは西側マスコミのプロパガンダ情報であるから、読む価値はない。)

さて、本題の「階級社会は必然的に衰退する」ということだが、これは非常に簡単な話である。
階級社会では、基本的に階級間の移動は無い。移動が無いからこそ「階級社会」と言うのである。とすれば、上位階級の人間は、制度(見えない制度)によって身分が守られているから、努力する必要はない。その結果、時代が下るに従って、子弟は馬鹿しかいなくなる。たまに下から上に上がる人間がいても、その人間は、自分の地位を守るために、下の人間を下の階級に押し込める。下の人間が減ると、搾取対象の数が減るからでもある。下の人間の大半も、努力の空しさを知って努力しなくなる。その場しのぎ主義になる。(以上は原則論であって、例外は当然ある)

要するに、階級社会は上位層の人間を愚鈍で怠惰で傲慢にし、下位層の人間を虚無主義、あるいは無気力にする宿命がある。必然的に衰退するわけだ。これは今のイギリスやアメリカや日本を見れば明白だろう。

余談:勝海舟が、江戸幕府の高官にアメリカで何を一番感心したかと問われ、「そうですな、かの国では、我が国と違って、上に立つ者は地位相応に賢明であるようです」と答えたそうであるww(念のために言えば、これはアメリカが大発展していた頃の話である。つまり、「民主主義」アメリカの勃興期のことだ。)


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認知症とabsent-minded

私は高血圧なので、毎日、自分の血圧の記録を取っているが、ここ三日間の日付を、全部12月として書いていた。(12/19、12/20、12/21)という感じだ。つまり、今は一月だという認識が、これらを書いている時に、私の頭にはまったく上らなかったわけである。
はたして、これは認知症だろうか。私はそうはまったく思わない。今日の日付が12月だろうが1月だろうが、私の生活にはまったく関係しないからだ。必要の無いものには無関心である、というのは人間の自然な心理だろう。私にとって関心があるのは世界の政治状況であり、能登の被災者の状況などだ。散歩中なら空の雲の形や色彩、周囲の木や草や鳥、頭に沸き起こる想念などだ。
で、そういう「大事な思索」や妄想に没頭し、それ以外のことは意識にあまり上らない状態(上の空状態)を、英語では「absent- minded」と言うらしい。「心の不在」状態だ。(正確には、「通常生活、社会生活での心」の不在状態。)ニュートンが研究に没頭している時に、卵を茹でるつもりで、懐中時計を湯の中に投じた類である。(自分をニュートンに例えるところが、我ながら図々しいが、これは「認知症」と「absent-minded」の違いを言い、世間の老人たちを勇気づけるためである。まあ、それで勇気をもって認知症強化に邁進する老人が出てきたらとんだ罪作りだが。)

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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