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親や祖父母の世代の行為に子孫は「反省」すべきか

私は高市早苗が大嫌いだし、政治家として危険だと思っているが、議論は公平であるべきだろう。
下のツィートはLEXという人物のものをカマヤンがリツィートしたものだが、カマヤン氏も同意見だということになる。では、高市の発言は「反抗期の子供と同じ」であり「知力に欠ける」「ガキ同然の反応」なのだろうか。なぜそうだと言えるのか。
私から見たら、「当事者とは言えない世代」が、「反省しない」「反省を求められるいわれもない」のは当たり前ではないか、と思う。それはアダムやイブの罪を、その子孫が永遠に負わされるいわれはないのと同じである。親が人を殺したら、その子供が死刑にされるのか。祖父の罪は自動的に孫の罪になるのか。罪、九族に及ぶのか。日本人上級国民の罪は日本人全体に及ぶのか。
親だろうが子だろうが、別人格であり、それぞれの行為の賞罰はその個人だけのものだ、というのは法律の大前提だろう。そして、それは道徳でも同じことだ。親が善行をしたからといって子供が威張れるはずがない。ただ、その善悪の行為に対し、誇りに思ったり恥に思ったりする感情が当事者との親疎によって生じるだけの話だ。
我々に必要なのは、先祖の悪行や愚行を批判的に検討し、総括することであり、「我々自身が」反省することではない。我々は自分の生まれる前の過去の事実に対して何が反省できるだろうか。単に、「先祖の愚行を我々は繰り返すまい」と決意すればいいだけのことである。それがたとえば憲法第九条として結実しているなら、それが進駐軍がもたらしたものだろうが何だろうが、その価値を称揚し守ればいいのである。
口先だけの「反省」などではなく、「今の韓国(北朝鮮も、いずれは。)や中国」と親善関係を深めることが、一番大事なのであり、そこを無視した政治姿勢にこそ高市の愚かさや邪悪さはあるのだ。


(以下引用)

高市はこんなことを言っているのですね。これでは反抗期の子供と同じです。知力に欠けるのは致し方ないとして、還暦を過ぎてガキ同然の反応しかできないとは。支持者が言わせているのでしょうか >高市早苗の「当事者とは言えない世代ですから反省なんかしてませんし、反省を求められるいわれもない」
引用ツイート
昼寝猫
@tcv2catnap
·
吉田裕が同書を書いた理由の一つは、高市早苗の「当事者とは言えない世代ですから反省なんかしてませんし、反省を求められるいわれもない」発言へ向けて。「過去の精算が行われない限り戦後生まれも依然として当事者」「本書の主たる矛先は高市議員のような新たな免責論に向けられている」

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