「伊勢白山道」というブログがあって、「rockway express」氏もごひいきのブログらしいが、私には今一つピンと来るものがない。どうも神道系のスピリチュアルなブログのようだが、書かれていることは平凡な道徳論が多いようだ。簡単に言えば「善因善果」「悪因悪果」の因果応報論が大半である、と感じる。まあ、そういう思想は道徳の基本であり、社会秩序を作る上では悪いことではない。良いことをすれば悪い報いがある、と言われて良いことをする者はあまりいないだろうから、「善因善果」を人々が信じれば、この世には善行が満ちるわけである。
だが、プラトンの「国家」の中で、トラシュマコスという男が、「悪いことをやれば、その当人には大きな利益がもたらされるのだから、悪(行)こそが善(すなわち、当人の利益)だ」という理屈を言い、ソクラテスはその反論を試みる話がある。というより、「国家」の大筋は、そのソクラテスの「善(行)こそが善(当人の利益)なのだ」ということの論証なのである。(18歳くらいの頃に、大雑把に読んだ本の記憶なので、確かかどうかは分からない。)
司馬遷の「史記」の序文でも、ある義士の不幸な死の話を書き、その死を、悪の限りを尽くしながら、贅沢に暮らし、平穏に死を迎えた大盗賊などと対比して「天道是か非か」と嘆いていたと思う。
現代人なら、誰でもトラシュマコスの論の方が正しい、と思うのではないか。それを反論する場合は、「今生ではそうかもしれないが、しかし、来世では(あるいはあの世では)その悪の報いがあるのだ」とでも言うしかないだろう。これが多くの宗教の論法だ。だが、来世(生まれ変わり)もあの世(天国や地獄)も存在しなければどうなる?
私としては、悪人は現世でもすでにその悪の報いは受けている、と思っている。それは、その悪にふさわしい、精神的(人格的)に低レベルな人生しか送れない、ということである。言うまでもなく、これは頭の良さや各種の才能とは無関係な話である。
私は、巨万の金を積まれても、石原慎太郎や橋下徹としての人生などまっぴらである。同様に、ロスチャイルドやロックフェラーとしての人生もまっぴらだ。それよりは、浮浪者となってでも、高貴な精神でありたい。(私がそうだと言うのではないが、今でも少なくとも彼らよりはマシな精神だと自負している。)つまり、「天道是か非か」という答えはそこに出ているのである。
私は、ヒトラーは一種の政治的天才だったと思っているが、自分はヒトラーとして生まれたかったという人は多くはないだろう。ヒトラーのような権力を得たい、と願う小ヒトラーは無数にいるが、ヒトラーその人になりたい、とは思わないはずだ。それはその哀れな最後のためだけではない。誰でも、彼のような精神を羨むことは無い、ということだ。
そうはいいながら、現実には悪人こそが権力を手に入れ、高い地位に就き、巨万の富を手に入れ、栄耀栄華を極めた暮らしができることは多い。「天道是か非か」という問いは、そういう事実を目にしての嘆きなのである。やはり、美女をはべらし、酒池肉林の暮らしをしている人間を見ると、通常の人間なら羨望するものだ。私がよく言う「起きて半畳、寝て一畳」などという達観めいた言葉は、怠け者の自己弁護だと言われても、返す言葉は無い。
まあ、これは生得の欲望の容量の問題なのかもしれない。私は、何かが欲しいと思っても、その獲得に要するエネルギーや時間をすぐに計算し、「やらないでもいいや」と考えてしまうのである。旅行なども、それに伴う苦労や面倒がすぐに思い浮かび、ほとんどやったことがない。恋愛なども同様である。そういう人間の言う言葉だから、私の言う言葉は、偉い人(たいていは努力して、功成り、名を遂げた人だ)の道徳論の持つ重みはまったく無いと思う。
要するに、「吾は唯(ただ)、足るを知る」で、この人生は十分だし、何もしなくても無事に生きているだけで十分だ、というのが私の人生観なのである。
数冊の本と少しの音楽、生存に必要な僅かな食物と、できれば毎日少しの酒があれば、この人生には何の不満も無い。私の不満は、ただ、この社会が、もっと全員が幸福になれるのに、一部の人間の不心得のために無数の不幸な人間を作っている、ということだけである。
さて、駄弁が長くなったが、下記記事はなかなか面白い。特に、ある教団の教祖が長さ20センチメートルほどの真黒な大ミミズになって、苦しげにのたうち回っていた、という描写には不気味なリアリティがある。まあ、来世でミミズに生まれなくても、この人生ですでに「(精神的に)詰まらない人生であった」という報いは受けていただろう、と私は思うのだが。他人を騙すだけの人生にまともな満足感や生き甲斐、豊かな幸福感があったとは、私にはとても思えない。
日本から逃亡して中東で優雅な生活をしているという東電の元社長や元会長なども、真黒な大ミミズだと思えばいいのである。
日本の政界や経済界や官界はそういう大ミミズだらけなのだが、ミミズの生き方を羨むには及ばない、ということだ。もっとも、本物のミミズは土壌を豊かにする益虫(ミミズは虫ではないかw)であり、彼らをミミズにたとえたら、ミミズたちが怒るだろう。
(以下引用)
資格が無いのです
2009-03-18 10:50:11 | Weblog
昭和時代の奈良県の天理市近郊に不思議な老女が居たそうです。
近場の大峰山系で修行する祈祷師達が、自分に付く憑き物を落とせなかった場合、最後に泣きつく人物でした。
一般の人々の世情の悩み相談には一切応じず、面会もせず、金銭では無くて食べ物と交換に、有料先生達の霊的垢を落としていました。
私が接触した教祖さん達の中にも、老女に面会した経験を持つ人が2名いました。その老女曰く、
「日本のお土の上で神仏を利用して大金を得た人間が死ぬと、地獄に行く前に必ず私の庭の土中に、ミミズの容姿で21日間を過ごしてから旅立つ決まりに成っている」
と言っていました。
そのミミズは、言えば誰にでも見せて呉れたようです。
庭にひいてある御座を2枚どけますと、大小色々なミミズが動めいていたとの事です。
不思議な事にミミズの種類に統一性がなく、長さ・太さ・色もバラバラな種類が一緒くたに居り、大きいものでは30cm級の小蛇の様なミミズも居たそうです。
老女の家を訪問するちょうど10日ほど前に、X000系の教祖が内密に亡くなっていましたので、故人の名前を言わずに組織名を伝えて、その教団の関係者がこの中に居ないか?
と老女に聞きましたところ、
「ああ、X田と言う物が最近来たよ」
と一匹の大ミミズを指差したそうです。
それは真っ黒な20cmほどの不気味な姿であり、苦しそうに悶えて居たとのことです。
その亡くなった人物の名前は、正にX田だったとの事でした・・・。
私は、この老女と面会した経験がありませんが、住む場所柄としては、昔、国常立太神の御用をしていた巨大な黒龍が降臨した地域ですので、冥界(死後の世界)に関与する大きな存在が老女に関係していたと感じます。
神様とは空気の様に万人に無料で元々与えられている存在です。
人間が空気を個人の持ち物の様に主張して、空気に値段を付けて搾取しては生けないのです。
本当に神界と通じる者は、その世界が「奉仕」と「愛情」に満ちた世界である事が畏れ多いほど身に染みて分かるものです。だから、悩める個人に対しては、可哀そうに感じて無料の奉仕をせざる得ない気持ちに自然と成ります。
無料の霊的相談では生活できない有料先生は、既にその資格が無い証拠です。本当に高次元なエナジーと繋がっている人間は、悩める人々から御金を得なくても、質素な生活ができる環境に成っています。
現実界において、それぐらいの実現力が無ければ、人様を癒す事などは到底無理です。その資格も霊覚もない、真面目な勤務も出来ないただの人に過ぎません。
つまり、御金を取る時点で正しい世界とは100%繋がっていません。
御金を取るどころか、アノ手コノ手のイベントを自演して、雑巾を絞るように困り悩める弱き人々から御金を出させることが出来る本性の人です。
魔界に繋がっている物は、平気で悩める人々から御金を搾取します。御金だけでは無く、神様の名前の下で家庭崩壊をさせてでも金銭と肉体を食べて行きます。
その死後の行き先を思いますと、本当に割が合わない事をするものです。
だが、プラトンの「国家」の中で、トラシュマコスという男が、「悪いことをやれば、その当人には大きな利益がもたらされるのだから、悪(行)こそが善(すなわち、当人の利益)だ」という理屈を言い、ソクラテスはその反論を試みる話がある。というより、「国家」の大筋は、そのソクラテスの「善(行)こそが善(当人の利益)なのだ」ということの論証なのである。(18歳くらいの頃に、大雑把に読んだ本の記憶なので、確かかどうかは分からない。)
司馬遷の「史記」の序文でも、ある義士の不幸な死の話を書き、その死を、悪の限りを尽くしながら、贅沢に暮らし、平穏に死を迎えた大盗賊などと対比して「天道是か非か」と嘆いていたと思う。
現代人なら、誰でもトラシュマコスの論の方が正しい、と思うのではないか。それを反論する場合は、「今生ではそうかもしれないが、しかし、来世では(あるいはあの世では)その悪の報いがあるのだ」とでも言うしかないだろう。これが多くの宗教の論法だ。だが、来世(生まれ変わり)もあの世(天国や地獄)も存在しなければどうなる?
私としては、悪人は現世でもすでにその悪の報いは受けている、と思っている。それは、その悪にふさわしい、精神的(人格的)に低レベルな人生しか送れない、ということである。言うまでもなく、これは頭の良さや各種の才能とは無関係な話である。
私は、巨万の金を積まれても、石原慎太郎や橋下徹としての人生などまっぴらである。同様に、ロスチャイルドやロックフェラーとしての人生もまっぴらだ。それよりは、浮浪者となってでも、高貴な精神でありたい。(私がそうだと言うのではないが、今でも少なくとも彼らよりはマシな精神だと自負している。)つまり、「天道是か非か」という答えはそこに出ているのである。
私は、ヒトラーは一種の政治的天才だったと思っているが、自分はヒトラーとして生まれたかったという人は多くはないだろう。ヒトラーのような権力を得たい、と願う小ヒトラーは無数にいるが、ヒトラーその人になりたい、とは思わないはずだ。それはその哀れな最後のためだけではない。誰でも、彼のような精神を羨むことは無い、ということだ。
そうはいいながら、現実には悪人こそが権力を手に入れ、高い地位に就き、巨万の富を手に入れ、栄耀栄華を極めた暮らしができることは多い。「天道是か非か」という問いは、そういう事実を目にしての嘆きなのである。やはり、美女をはべらし、酒池肉林の暮らしをしている人間を見ると、通常の人間なら羨望するものだ。私がよく言う「起きて半畳、寝て一畳」などという達観めいた言葉は、怠け者の自己弁護だと言われても、返す言葉は無い。
まあ、これは生得の欲望の容量の問題なのかもしれない。私は、何かが欲しいと思っても、その獲得に要するエネルギーや時間をすぐに計算し、「やらないでもいいや」と考えてしまうのである。旅行なども、それに伴う苦労や面倒がすぐに思い浮かび、ほとんどやったことがない。恋愛なども同様である。そういう人間の言う言葉だから、私の言う言葉は、偉い人(たいていは努力して、功成り、名を遂げた人だ)の道徳論の持つ重みはまったく無いと思う。
要するに、「吾は唯(ただ)、足るを知る」で、この人生は十分だし、何もしなくても無事に生きているだけで十分だ、というのが私の人生観なのである。
数冊の本と少しの音楽、生存に必要な僅かな食物と、できれば毎日少しの酒があれば、この人生には何の不満も無い。私の不満は、ただ、この社会が、もっと全員が幸福になれるのに、一部の人間の不心得のために無数の不幸な人間を作っている、ということだけである。
さて、駄弁が長くなったが、下記記事はなかなか面白い。特に、ある教団の教祖が長さ20センチメートルほどの真黒な大ミミズになって、苦しげにのたうち回っていた、という描写には不気味なリアリティがある。まあ、来世でミミズに生まれなくても、この人生ですでに「(精神的に)詰まらない人生であった」という報いは受けていただろう、と私は思うのだが。他人を騙すだけの人生にまともな満足感や生き甲斐、豊かな幸福感があったとは、私にはとても思えない。
日本から逃亡して中東で優雅な生活をしているという東電の元社長や元会長なども、真黒な大ミミズだと思えばいいのである。
日本の政界や経済界や官界はそういう大ミミズだらけなのだが、ミミズの生き方を羨むには及ばない、ということだ。もっとも、本物のミミズは土壌を豊かにする益虫(ミミズは虫ではないかw)であり、彼らをミミズにたとえたら、ミミズたちが怒るだろう。
(以下引用)
資格が無いのです
2009-03-18 10:50:11 | Weblog
昭和時代の奈良県の天理市近郊に不思議な老女が居たそうです。
近場の大峰山系で修行する祈祷師達が、自分に付く憑き物を落とせなかった場合、最後に泣きつく人物でした。
一般の人々の世情の悩み相談には一切応じず、面会もせず、金銭では無くて食べ物と交換に、有料先生達の霊的垢を落としていました。
私が接触した教祖さん達の中にも、老女に面会した経験を持つ人が2名いました。その老女曰く、
「日本のお土の上で神仏を利用して大金を得た人間が死ぬと、地獄に行く前に必ず私の庭の土中に、ミミズの容姿で21日間を過ごしてから旅立つ決まりに成っている」
と言っていました。
そのミミズは、言えば誰にでも見せて呉れたようです。
庭にひいてある御座を2枚どけますと、大小色々なミミズが動めいていたとの事です。
不思議な事にミミズの種類に統一性がなく、長さ・太さ・色もバラバラな種類が一緒くたに居り、大きいものでは30cm級の小蛇の様なミミズも居たそうです。
老女の家を訪問するちょうど10日ほど前に、X000系の教祖が内密に亡くなっていましたので、故人の名前を言わずに組織名を伝えて、その教団の関係者がこの中に居ないか?
と老女に聞きましたところ、
「ああ、X田と言う物が最近来たよ」
と一匹の大ミミズを指差したそうです。
それは真っ黒な20cmほどの不気味な姿であり、苦しそうに悶えて居たとのことです。
その亡くなった人物の名前は、正にX田だったとの事でした・・・。
私は、この老女と面会した経験がありませんが、住む場所柄としては、昔、国常立太神の御用をしていた巨大な黒龍が降臨した地域ですので、冥界(死後の世界)に関与する大きな存在が老女に関係していたと感じます。
神様とは空気の様に万人に無料で元々与えられている存在です。
人間が空気を個人の持ち物の様に主張して、空気に値段を付けて搾取しては生けないのです。
本当に神界と通じる者は、その世界が「奉仕」と「愛情」に満ちた世界である事が畏れ多いほど身に染みて分かるものです。だから、悩める個人に対しては、可哀そうに感じて無料の奉仕をせざる得ない気持ちに自然と成ります。
無料の霊的相談では生活できない有料先生は、既にその資格が無い証拠です。本当に高次元なエナジーと繋がっている人間は、悩める人々から御金を得なくても、質素な生活ができる環境に成っています。
現実界において、それぐらいの実現力が無ければ、人様を癒す事などは到底無理です。その資格も霊覚もない、真面目な勤務も出来ないただの人に過ぎません。
つまり、御金を取る時点で正しい世界とは100%繋がっていません。
御金を取るどころか、アノ手コノ手のイベントを自演して、雑巾を絞るように困り悩める弱き人々から御金を出させることが出来る本性の人です。
魔界に繋がっている物は、平気で悩める人々から御金を搾取します。御金だけでは無く、神様の名前の下で家庭崩壊をさせてでも金銭と肉体を食べて行きます。
その死後の行き先を思いますと、本当に割が合わない事をするものです。
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