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独裁不可能論

私は数学が苦手なくせに、ものごとを抽象化して考えるのが好きなので、ここでも「極限」的手法で「独裁」について考えてみる。
それは「独裁不可能論」である。

まあ、単純な話だが、独裁とは、周囲がいかに反対しても、独裁者がすべてを決定するという政治の在り方だ。だが、そんなことが可能であるはずがないのは、少し考えれば分かることである。
「独裁者」は一人なのである。反対者が本気で反対するなら、わずか数人の暗殺者を使うだけで独裁者は始末できるのである。だが、独裁者はその周辺に警護の人間を置いているだろう、と言うかもしれないが、それなら「独裁」ではなく、協力者がたくさんいるということだ。警護の人間だけでなく、「独裁者の与党」グループがいるから、議会なども存在するわけだ。とすると、それは独裁でも何でもなく、普通の代表民主制になるわけである。
つまり、プーチンとか習近平を「独裁者」と呼ぶのは単なるレッテル貼りでしかない、という話だ。日本共産党もべつに志位委員長の独裁でも何でもない。かえって、今の自民党のように国会提議もせずすべてを内閣決議で決めるやり方こそ、民主主義の対極である。独裁は不可能だが寡頭支配はよくあることだ。見えない独裁であり僭主政治だ。つまり、国民という主君の地位を自民党の顔の見えないグループが奪っているのであり、これは民主主義でも何でもない。専制政治という。

(参考)下の定義に賛同するわけではないが、一般的理解としての参考である。「独裁」という言葉のために、誰もが「独裁者」をイメージし、「グループ独裁」や「党派独裁」の姿が見えなくなるわけだ。今の自民党のように、すべてに国民の意思を無視するなら、それは「支配される側の国民の政治参加は認められていない」のと同じである。


専制政治は「専制」とも呼ばれ,強大な政治権力を持つ支配者によって,独断的に行われる政治体制のことです。
支配される側の国民の政治参加は認められず,支配者を選挙で選ぶわけでもありません。両者が身分的に区別されていた,前近代社会(中世ヨーロッパの君主制など)に多く見られました。


一方,独裁政治は「独裁制」,「独裁体制」とも呼ばれ,ある一個人,少数者,または一党派に絶対的な権力を持つことを,国民が認めた政治体制です。一般に,社会の混乱時や経済の困窮期に,国民の支持によって出現することが多く,形式上は民主政治に含まれるものと解釈されています。

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