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気の赴くままにつれづれと。
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自分は今まで医療をやってきて、この子を見捨てて、例えば1年後、2年後にたくさんの人たちを迎えても、なんか意味あるのかなと思ったんです。それは、現地の患者たちのためには意味があるかもしれない。だけど、僕の人生にとって、それは意味あるのかなと思ったんですよ。
それでたくさんの日本人、一緒に行ったスタッフが数人いて、そして現地人の人たちも、もうそろそろ帰るんだろうなと思っていた時に、僕は後ろ振り返りましてですね、こう言ったんですね。「今から、みんなの力を貸してほしい」と。今やっているその150キロ離れた場所の医療活動を僕はいったん停止したい、と言ったんですよ。
今からこの子どもを助けるために、みんなで動かないかと言いました。お金は無い。無いのはわかっていると。だけど、無いのはわかっているんだけど、お金はまた働けばいい、僕も日本で働く。だからこの子をとにかく助けようじゃないか、と言ったんです。
それから1人1人ビザの交渉をする係、日本政府の大使館にビザを交渉する係、パスポートをミャンマー政府に頼む係、日本の病院にあたる係と分かれまして、全員が動き始めたんですね。そして日本政府は、すぐにビザを出してくれました。普段出さないんですけど。そしてパスポートセクションのミャンマー人たちも、軍人たちもみんな協力してくれまして。この子の話をすると、そしてあっという間に準備が整って、日本へ連れて行くことができました。
けれども飛行機会社は乗せてくれませんから、この子を赤ちゃんみたいに身ぐるみ包んで、寝たふりさせて飛行機の中へ突っ込んだんですけれども。そして日本の国立病院で、僕が小児外科を学んだ病院ですが、ちょうど小児外科の僕の恩師が院長をしていたので、そこへ話に行って、そして、この子の手術を敢行しました。
これ、手術のあとです。帰るときですよ。この恩師に僕が呼ばれるんです、食堂に。日本でこんな手術したら何百万とかかるじゃないですか。(手術の)途中で事務の人が僕のところへ来て、言わなくていいのに「500万過ぎました」とか言うんですよ。それでも、僕はもういい。覚悟はできているから、いくらでもいいなと思っていたんです。
そしたら最後、院長に呼ばれまして、「吉岡、おまえいくら払える」と聞かれたんです。僕はいくらでも払うつもりだったから、「いいですよ、いくらですか」と言ったんです。「いくらでもいいです」と言ったんです。そうしたら、「いや、いくら払える」と。
「ご飯を好きなもん食べろ」と言われたから怪しいなと思っていたんですけれども、何回も「じゃあいくら払える」と言うから、「いくらですか」と逆に聞いたんです。そしたら指3つたてられたんですよ、じゃあこのぐらいでどうだと。僕は途中で500万と聞いていたから、えらく負けてくれて、300万に負けてくれた、と喜んでいたんです。そして「300万ですか?」と言ったら、「いや30万でいい」と言われたんです。
続けて僕の恩師がね、院長ですけど、「吉岡、ここの病院には600人、700人の人間が入院しているから、子ども1人分ぐらいの食糧は余る。そしてCTスキャンを動かすことは、テストでも何回もやることだ。この部屋も、僕の裁量でいつでも無料にする子どもたちがいる。だからお前が払わないといけないのは、かかった原費だけでいい、それだけでいい」と言ってくれたんですね。
そして30万だけいつ払うかと言われたから、「今すぐに払います」と言ってすぐに払いました。あとで値上げされたらかなわないので、それで払ったんですけれども。
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