戦争の際には民間人が膨大に、時として無差別に(原爆や空襲・空爆など)殺されるのだが、「捕虜」(基本的に兵士である)はジュネーブ条約で保護される。このことをなぜ誰も疑問に思わないのか。
私の回答は、「ジュネーブ条約によって、捕虜になった際の兵士の安全を保障することで兵士を戦闘に向かわせることができる」という、「戦争遂行のための協定(条約)」がジュネーブ条約だ、という解釈だ。決して人道的目的ではないだろう。人道を云々するなら、戦争という「殺し合い」自体が非人道的であり、兵士を保護する意味などない。
(追記)私も調べるまで間違って覚えていたが、正しくは「ジュネーブ条約」で、「ジュネーブ協定」はまったく別のようだ。沖縄タイムスの引用記事の中でも混同している。
1864年に赤十字国際委員会(ICRC)が「戦争時の捕虜に対する扱いを人道的にする必要がある」として提唱し、スイスのジュネーヴで「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年8月22日のジュネーヴ条約)が締結された。
以後、以下のように改正されている。
- 傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約(1864年)
- 傷病者の状態改善に関する第2回赤十字条約(1906年)
- 傷病者の状態改善に関する第3回赤十字条約(1929年)
関連条約[編集]
また、関連する追加条約として以下が締結されている[1]。
大戦後の改正[編集]
これらは第二次世界大戦後の1949年に全面改正され、ジュネーヴ諸条約(ジュネーヴ4条約、戦争犠牲者保護条約)として整理された。
旧条約との関係は以下の通りである[1]。
- ジュネーヴ条約(赤十字条約) → 戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第1条約)
- ジュネーヴ条約の原則を海戦に応用する条約 → 海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第2条約)
- 俘虜の待遇に関する条約 → 捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第3条約)
- 戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第4条約、新設)
(以下「沖縄タイムス」から転載)
「胸が痛む」虐殺された3人の米軍人 76年前の“石垣島事件” 犠牲者を追悼
2021年5月10日 20:23
沖縄戦時中に石垣島で日本兵に捕らえられて虐殺された3人の米軍飛行士を追悼する慰霊式が4月15日、石垣市内の慰霊碑であった。「石垣島事件」と呼ばれ、命日の4月15日に「米軍3飛行士慰霊碑期成会」(識名安信会長)が中心になって冥福を祈っている。中山義隆市長ら約10人が出席し、手を合わせた。
沖縄戦時中の「石垣島事件」で日本兵によって虐殺された3人の米軍飛行士を追悼する出席者=4月15日、市内
飛行士3人はティボ中尉、タグル兵曹、ロイド兵曹。アメリカ国歌が流された後、全員で黙とうした。
識名会長は主催者あいさつで、「本来ならばジュネーブ協定で捕虜の身分は保障されなければならない。殺害されるまでの間、3人はどういった気持ちでいたのか。胸が痛む」とし「現在の私たちの平和な暮らしは76年前の悲しい歴史の上に成り立っている。そのことを決して忘れてはいけない」と力を込めた。(奥沢秀一通信員)

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