曽野綾子に与う。
彼女や麻生太郎のキリスト教がいかに偽りのものであるかは、下のイエスの幾つかの言葉から明瞭だろう。彼らの言動のすべてはイエス・キリストのこれらの言葉に背くものである。彼らこそが、パリサイ人(びと)、偽善者であり、偽りの信仰者、白く塗った墓である。表面はカネと地位と虚名で飾られてきれいだが、中には腐敗した死骸と蛆しか無いのだ。
米国におけるキリスト教も、これらのイエス自身の言葉をまったく無視していることは言うまでもない。欧米のキリスト教は、イエス・キリストの教えとは無関係な、偽キリスト教なのである。
(以下引用)新約聖書ルカ伝より。
・偽善者よ、まず己が目より梁木を取り除け。
・汝ら我を「主よ主よ」と呼びつつ何ぞ我が言うことを行わぬか。
・今や汝らパリサイ人は酒杯と盆の外を浄くす。されど汝らの内は貪欲と悪とにて満つるなり。
・災いなるかなパリサイ人よ、汝らは会堂の上座、市場にての敬礼を喜ぶ。災いなるかな汝らは隠れたる墓のごとし。その上を歩む人、これを知らぬなり。
・汝ら教法師も災いなるかな、汝らは担い難き荷を人に負わせて、自らは指一つだにその荷に触れぬなり。
・凡そ己を高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり。
・饗宴を設くるときは、むしろ貧しき者、不具、跛者、盲人を招け。彼らは報ゆること能わぬゆえに、汝ら幸福なるべし。正しき者の復活の日に報いらるるなり。
・汝ら神と金とに兼ね仕ゆること能わず。
・人の中に尊ばるる者は神の前に憎まるる者なり。
・汝の持てる物をことごとく売りて貧しき者に分かち与えよ。
・富める者の神の国に入るは如何に難いかな。富める者の神の国に入るよりは駱駝の針の穴を通るは却って易し。